関谷エピソード 親愛なる先生へ 2
僕の後に続いて、松本も仏壇にお線香をあげる。
体格のいい松本でさえも、後ろから見ると悲しそうな背中をしていた。
「修平くんと颯太くん。 よかったら呼ばれてちょうだい」
先生のお母さんは紅茶を出してくれた。
「あっ! わざわざすみません……」
長居しないよう、お線香をあげたらそのまま帰ろうと思っていたが、テーブルに出されてしまうと、さすがに無視する訳にはいかない。
「あ、香織先生が好きな紅茶!」
そう言ったのは松本のほうだった。
松本の声が意外にも大きかったので、僕は「まずい……」と思っていたが、
「娘が紅茶好きって……知っているの?」
「はい! 関谷も知っているよな?」
先生のお母さんは驚いた表情で僕らに尋ねてきた。
「あ、成人式の後に香織先生と教え子の何人かで飲み会がありまして……みんなから香織先生にプレゼントを渡すってなったときに、紅茶のセットをあげたんです。 先生が紅茶好きっていうのを聞いていたので」
松本に流されるがまま、僕も知っている理由を先生のお母さんに話す。
「まぁ、そうだったの? そんなことがあったのね……」
笑って返事をしてくれた姿に、少しホッとした。
すると、今度は先生のお母さんから質問。
「ところで2人は帰省で神奈川に戻ってきたのかしら?」
「はい。 僕は連休で休みが取れたので、久しぶりに帰りました」
先に答えたのは松本だった。
「今は会社でお勤め?」
「はい。 普段は会社勤務ですが、社会人のリーグで野球もやっていまして」
松本は高校生のときからプロの球団に注目されるほど実力があった。
同学年で今でも野球が続けられているのは、松本ぐらいだろう。
「確か高校のときは甲子園に出ていたわね。 テレビで見ていたわ」
「ありがとうございます!」
隣で話を聞いていた僕は、松本のことが誇らしかった。
「修平くんは? 東京にいるのかしら?」
「はい。 僕は1人暮らしを東京で。 勉強が思った以上に大変で……」
「あら、社会人でもお勉強で忙しいのね」
「あ、いえ。 僕の場合は薬学部で大学が6年間あるんです」
「まぁ、薬学部……優秀なのね」
「あぁ、いえ! そんなことないです!」
ポジティブな言葉をかけてくれたが、声に元気がなかった先生のお母さん。
「ごめんなさい。 ちょっと思い出してしまったことがあって……」
今度は目を潤ませていた。
「すみません、僕が何か失礼なことを……」
「違うのよ。 修平くんのせいじゃないわ。 娘の婚約者のことを思い出して……」
「先生の、婚約者?」
「大学生の頃からお付き合いしていた人でね。 籍を入れる矢先だったの」
『大学生の頃から付き合っている』という言葉を頼りに、昔の記憶を呼び起こす。
名前は確か……。
「それって……野上さん、とかですか?」
「え、修平くん知っているの?」
遠い記憶を頑張って掘り起した自分を、心の中で小さく褒める。
先生はよく「誠司くん」「誠司」と呼んでいたが、僕は「野上さん」で覚えていた。
きっと僕が「薬学部」だと言ったから、先生のお母さんは思い出してしまったのだろう。
婚約者と言った「野上さん」は薬学部出身だから。
というか、先生の恋はあの頃と変わらず続いていたんだ……。
「僕は直接お会いしてないんですけど。 香織先生が野上さんの話をよくしていたので。 確かお付き合いする前から……」
「関谷、それマジ? 香織先生とそんなこと喋っていたの?」
松本は「野上さん」の話を知らなかったみたいだ。
「つまりあの子は……教え子の修平くんに話すほど誠司くんが好きだった、っていうことかしら?」
まずい。
先生のお母さんですら、知らなかったことを言ってしまっている。
仏壇が近くにある手前、あまり口を滑らせると、後で痛い目に遭いそうな気がするが……。
「僕の記憶が正しければ、そういう、ことですね……」
先生、なんかごめん。
心の中で謝りつつ、気まずそうに返事をすると、先生のお母さんは「あの子ったら……」とティッシュで目を抑えながら笑っていた。
唇を噛み、何かを悔やんでいるような表情を浮かべて、
「そうよね……だから7年も付き合って……結婚も……」
そう呟きながら、先生のお母さんは遠くを見つめていた。
リビングには、家族写真が何枚も飾られている。
どれも素敵な写真なのに、いくつかの写真立ては伏せられていた。
恐らく、香織先生と野上さんが写っているのかもしれない。
伏せられた写真を見ている先生のお母さんに、1つの話を振ってみた。
「今日は先生に挨拶がしたかったのと……先生にお礼を言いたくてここに来たんです」
「え?」
このまま当たり障りのない会話をして帰ったら、自分が後悔しそうだった。
「中学生だった僕に『自分の人生を自分で決めろ』って言ってくれたの、香織先生だったんです。 その言葉がなかったら、松本とここまで長い付き合いにならなかったですし……怪我はしましたけど、長く野球に携われました」
「関谷……」
松本に言ったわけじゃないが、真横でまんざらでもない顔をしていた。
「それに、薬学部に行こうと思ったきっかけも、先生とその野上さんがいてこそなんです」
「……香織と誠司くんが?」
「僕が進路で悩んでいた頃、お2人が付き合う前だったんです。 それなのに僕の話を2人でしていたらしくて……会ったことない野上さんも、僕に温かい言葉を香織先生に言ってくれて。 先生から後で聞いたんですけど、当時の自分でも『絶対良い人だろうな』って思いました」
「……」
先生のお母さんは、抑えていた涙を一気に流していた。
「先生と……そして野上さんは、僕の人生に大きな転機を与えてくれました」
どうか僕の思いが伝わってほしい。
残念ながら、先生本人には伝えることができないし、名字しか知らない野上さんとは、何か奇跡が起きないと会うことは難しい。
せめて2人をよく知っている先生のお母さんなら、1ミリでも僕の気持ちを伝えられると思った。
「恩を返しきれないほど感謝しているんです。 そのことを先生のお母さんに伝えたくて……本当にありがとうございます」
僕は顔が隠れるほどしっかり頭を下げた。
「僕らにとって、先生は最高の先生なんです」
顔を伏せたのと同時に、数滴の涙を溢していた僕。
先生のお母さんがいる手前で、僕がめそめそと泣くのは控えたかった。
「……お礼を言いたいのは、こちらのほうだわ……」
先生のお母さんは、声を震えながらも僕にそう言ってくれた。
こんな風に泣かせたくなかったけれど……ほんの少しでも慰めになってくれたら嬉しいな。
「誠司くん……そうよね……あの子が惹かれた人だから。 私もお父さんも……彼は絶対、あの子を大事にしてくれるって思ったから……」
涙は一向に止まる気配がない様子。
野上さんのことを聞きたかったが、今の状況ではとても聞けそうになかった。
先生を思い出すだけでなく、野上さんの存在を出すことも辛そうだから。
「今でも覚えています。 先生と野上さんが初めて会ったときのこととか、告白された日のこととか……耳にタコができるほど聞きました。 そのくらい大好きだったと思いますよ……」
勉強はちゃんと教えてくれたが、無駄話の割合も高かった先生。
僕がうんざりした素振りを見せても「5分でもいいから!」「黙っていていいから聞いてよ!」とせがまれた。
こっちとしては勘弁してほしかったが、今となっては逆に羨ましい。
僕もこの年になってみると、それだけ誰かに夢中になって、真正面で恋愛をしていた先生たちが素敵だなと思えてくる。
「ひょっとしたら母親の私よりも……修平くんのほうが香織と誠司くんのこと、詳しいかもしれないわね……」
「いやいや! あの……もしよければ、当時のことをもう少しお話しましょうか。 先生に怒られない程度で……」
冗談を交えて言うと、先生のお母さんは声を出して笑っていた。
そして、鼻水まで垂らす松本の顔を見て、右肘で「泣き過ぎだ」と言いながら突いていると、
「お願いしたいわ……あの子は私に敵わないから、修平くんがたくさん話しても大丈夫よ!」
泣き腫らした顔でも、笑った顔は先生とそっくりだった。
先生が年を重ねたら、きっとこんな風になるんだろう。
先生のご不幸は今でも受け入れられなかったが……。
この瞬間は、先生と過ごした思い出を懐かしんで、面白かったエピソードはとことん笑い合おうとした。
***
僕の気持ちが先生にも届いたのか……。
帰省から戻り、実習先の薬局に行くと、
『あ、僕は野上誠司といいます。 関谷くんだったかな。 よろしくお願いします』
ぎこちない挨拶をしてきたこの人が、先生の彼氏だったなんて……。
野上先生の正体を知ったとき、絶対に先生が仕組んだと思った。
でも、ありがとう。
野上先生があまり人見知りをしないよう、実習前に図書館で出会ったきっかけを作ってくれたのも、先生がやったんだろうと悟った。
野上先生と話せば話すほどよく分かる。
自分に自信がない様子だけど、誰よりも一生懸命で心優しい。
不器用ながらも、穏やかな内面が見えてくる。
そして、恋人である先生のことを誰よりも愛していたことも。
大人になった僕でも太刀打ちできないくらい、深い愛情を持った人だった。
先生、いい男を捕まえたって本当だったんだね。
それなら……ちゃんとウエディングドレスを着て、結婚指輪して、僕に向かって「どう? ついに私も人妻になったんだ!」って自慢してほしかったよ。
先生の死が本当だと知って、しばらくショックを受けていた僕。
その中で野上先生と出会えたのは、大きな支えになった。
僕の心が完全に折れないよう、野上先生と引き合わせることで、何とか繋ぎとめてくれたのだろう。
また今回も先生が僕を助けてくれたんだね。
最後に……ありがとう香織先生。
先生に出会えて、本当に良かった。




