香織エピソード 弱い貴方も 2
アンコールが続き、ライブは予定の終了時刻を過ぎていた。
終電のことを考えて、ライブ後は軽くご飯を食べてすぐにお店を出た。
僕は明日からまた実習、香織も仕事だ。
現実が待っているものの、余韻がまだ残っていた僕らは、ゆっくりとした足取りで有楽町駅を目指していた。
「すごかったね」
「うん、すごかった」
という、短文での感想が何回か続いていた。
香織は行く先を真っ直ぐ見つめたまま、ぼんやりした様子。
外灯に差し掛かったとき、香織の頬が少し赤くなっているのが分かる。
「疲れてない? 大丈夫?」
僕を心配してきた香織。
「うん、平気だよ」
「そう? 思ったより誠司が声を出して楽しんでいたから……体力残っている?」
「ふふっ、大丈夫」
歌ってくれたほとんどが知っている曲。
声は出るし、手も上がる。
ヒット曲から、個人的に好きなアルバム用の曲まで聴けて大満足だった。
「すごく楽しかった。 なんか、疲れとか鬱憤とかが吹っ飛ぶくらいスッキリしている」
心身にくる疲れは、休んで疲れを取るのが正解だと思っていたが……。
こういうライブで解消することも結構良いなと発見ができた。
「なら良かった。 誘ってみたけど、あまり乗り気じゃなかったらどうしようかと思っていたから」
真っ直ぐだった視線を下にして、小さく話す香織を見て我に返った。
僕は足を止め、香織に問いかける。
「香織は楽しかった? 香織こそ疲れてない?」
少し間があった後、
「楽しかったよ。 誠司とライブに行けて満足!」
いつもの笑顔を見せてくれる香織……だが、僕には引っかかることがあった。
「そっか」
聞きたいことがあるのに、それ以上聞けない気もして……。
自分の葛藤がもどかしい。
「うん」
絶対そうじゃない。
どうして今にも泣きそうな顔をしているの。
僕は空いていたもう片方の手を持ってきて、香織の右手を両手で包んだ。
「……本当に?」
僕の体温よりも冷たい手をしている。
包まれた手をじっと見つめて、
「ふふっ。 温かい、誠司の手」
笑っているのに、声は震えている。
「……ちょっとだけ、でいいから」
よく聞き取れなかったが、香織はそう発した後、僕との距離がぐっと近くなった。
「香織?」
繋いだ手が離れたと思いきや、香織の体に優しく包まれて……。
鼻をすする音と、体を震わす香織の様子から、彼女が泣いていることに気づく。
「どうした?」
僕がそう尋ねると、
「なんか……不安なきもち、ずっとあって……」
涙が止まらないのか、言葉が途切れてしまった香織。
「うん。 ゆっくりで良いから……話続けて」
小さい背中をポンポンと優しく叩きながら、香織の言葉を待つ。
「……はなすとながいよ?」
辛そうに泣いている香織を見るのは、このときが初めてだった。
「いいよ。 今聞くし、電車の中でも聞くよ」
「今話したら電車乗れなくなるから、電車の中で話す。 でも、泣くのは今にしておく」
『あ、そっちが先か』と思ったときには、香織は声を漏らしてしっかり泣いていた。
香織の泣き声を聞き、僕は彼女の後頭部まで包み込んだ。
幸い外は暗く、日曜の夜は都会でも人はさほど多くない。
もう少しこのままでいさせてあげたい……そう思っていた。
***
帰りの電車で、香織が抱えていたものをすべて聞いた。
入社直後、研修の一環で販売員として仕事をしていた香織。
前に「お客さんとの会話が楽しい」と話していたが……。
香織の配属先に、売り上げや接客に関して圧力をかけてくる店長がいるらしく、他の従業員は誰1人逆らえない環境とのこと。
そんな中、香織と同期の2人が入ってきたことで、店長はより一層厳しくなったんだとか。
特に同期は店長のターゲットになってしまい、精神的に追い込まれた挙句に退職が決定。
同期の話を知った香織は「自分は何もできなかった」と申し訳なく思っていたようだった。
香織からマイナスなことは一切聞いていなかったので、僕は正直驚いた。
恐怖心を与えてくる店長に、今までずっと怯えながら仕事をしていただろう……。
『案外、人の変化に気づかないことあるから。 思ったことは口に出したほうがいいなって最近特に思う。 相手のことを褒めたり、自分の悩みを話したり』
だからさっき、意味深なことを呟いていたのかと腑に落ちた。
戸塚駅に着いてからも、僕は香織の手を離さなかった。
途中で手が痺れそうだったけど、とにかく香織のメンタルケアが第一優先だったから。
「話を聞いて引いたでしょう?」
「いや、僕も香織の立場だったら……自分のことで精一杯だったと思うよ」
退職した同期に寄り添えなかったことを悔やんで、僕の前で涙を流すなんて……香織は本当に優しいよ。
目をこすり、鼻をすすりながら、
「っていうか……私って泣くとブサイクでしょ?」
香織の可愛い問いかけに少し笑いそうだったが、僕は黙って首を振る。
そんなことは1ミリも思わなかった。
「話してくれてありがとう。 ずっと辛かったよね?」
そう言葉をかけると「泣かせないでよ、バカ!」って何故か一喝された。
でも、こうして話せて、感情も出せて……少しはスッキリしたでしょう?
大丈夫、どんなに辛くて理不尽なことがあっても、僕は絶対に香織の味方だからね。
もう泣かないで……香織には陽だまりのように笑っていてほしいから。




