褒め慣れない大人たち
その夜、僕は腕組をして悩んでいた。
目の前にいる月岡さんは顎に手を添えて、同じく悩んでいる様子。
時折、輪郭周りの皮膚を引っ張っては、座っている体勢を胡坐にしてみて……。
「え、どうしよう。 どこがいいかな」
大人2人が迷いに迷っているせいで、ほとんど会話をしていなかった。
相変わらず図書館は静かで、目の前のことに集中できる。
誰にも邪魔されず、美味しいコーヒーも飲めて言うことない。
でも、ふと我に返る時がある。
「月岡さん。 確認ですけど、ここ図書館ですよね?」
「うん、図書館だよ」
月岡さんは真面目なトーンで返してくれた。
「そうですよね。 あの、こんなことしていいんでしょうか。 オセロなんかやっていて」
図書館に初めて来た日、遼くんとはトランプをやっていた。
そのときはお酒をすでに飲んでいたという勢いと、責任者である香菜子さんも応戦してくれたから成立したけど。
「いいんだよ。 集中してやるにはちょうどいい場所でしょ?」
僕が黒を、月岡さんは白。
すでに2回ゲームをやっているが、1勝1敗といい試合をしている。
今やっている3回戦で決着がつくところ。
ちなみに優勢なのは僕のほうだ。
「最近、なんか変わったことあった?」
1つ石を置いた月岡さんは、隣にあった石1つをひっくり返し、突如話題を振ってきた。
不意打ちだったので「最近あったこと……」と呟きながら考える。
ふと遼くんと会ったことを話そうとしたが……。
相手が月岡さんとはいえ、遼くんの病気は僕から話すべきではないと思った。
まして、会った場所が薬局だ。
月岡さんから「遼くん、どこか体調悪いの?」と聞かれるリスクもある。
「そういえば、前に図書館で会った大学生の話覚えています?」
僕はそこまで迷うことなく、自分の石を置く。
「うん、覚えているよ。 薬学部の大学生だったって言っていたね」
月岡さんはまだ次の一手に手が止まっていた。
「その子が実習に来たんです」
「実習?」
「はい、僕の勤め先に実習で来たんですよ」
「え? そうなの?」
目の前にある石と睨めっこしていたのに、月岡さんは僕の目に視線を向けてきた。
ゲームに真剣でも、僕の話をちゃんと聞いてくれるところは月岡さんらしい。
「そうなんです。 偶然にも僕のところで」
「偶然を通り越して奇跡じゃないか?」
そう言った後、2つの石をひっくり返せるところに白を置いた月岡さん。
「確かに……偶然よりも奇跡と言ったほうがいいかもしれませんね……でも、ちょっと問題が」
「ん?」
月岡さんはゆっくりとコーヒーを飲んでいた。
「実習生の指導担当が僕になっちゃって。 僕、人見知りだし、教えることがそんなに上手くなくて」
話しながら黒い石を置き、白の割合を減らしていった。
月岡さんは「やられた」という表情をする。
「まぁそうか。 野上くんは元から人見知りだし、最初は難しいか……」
「はい。 でも、向こうが自然と話しかけてくれるので、会話で気まずいって思ったことがあまりなくて」
もし関谷くんからアクションがなかったら、とても気まずい関係になっていたところだった。
関谷くんの人柄に救われているなと実感する。
「それはいいね。 会話のテンポって大事だからね」
今度は月岡さんが腕組をしたまま固まっていた。
それでも月岡さんは「実習生はいつから来ているの?」と途切れることなく会話は続く。
「今週の月曜日からです。 飲み込みが早くて、僕なんかの拙い説明でも理解してくれるので、そこは助かっています」
今日で5日目だったが、冗談抜きでそう思っていた。
動きに無駄が無くて、容量が良い。
かといって、そんな自分を引け散らす感じはまったくない。
「そっか。 いい子が来てくれて良かったじゃないか」
人のことを褒めているのに、月岡さんの手は動くのに時間がかかりそうだった。
その隙に、僕はコーヒーのおかわりを貰いに席を立つ。
「でも野上くん。 前にも言ったけど、もう少し自信持っていいと思うよ」
背中を向けた僕に、そう言ってきた月岡さん。
一瞬、何のことだろうと思い「え?」と聞き返してしまった。
「君は自分が思っている以上に、人への気配りができる優しい人だ。 そんな人だからこそ、今回の仕事を任されたんだと僕は思うよ」
月岡さんと出会って、2ヶ月ほどが経つ。
と言っても、週に1回ぐらいしかここで会えない僕ら。
それでも10歳以上離れた年上の人に、そう言われて悪い気持ちにはならない。
嬉しさ反面、僕は「本当にそう言われていいほどの人間なのか」という疑問が出てきてしまう。
「そう言っていただけて、何だか恐縮してしまいます」
「ふふっ。 どこまでも野上くんらしいね」
月岡さんは数分後にようやく白い石を置き、僕もコーヒーを持って、椅子に戻ってきた。
「薬局長も……月岡さんと同じようなことを言っていたのを思い出しました」
「薬局長は野上くんの上司?」
「そうです」
「ほらね。 上司もそう評価しているんだから、僕が言っていることがお世辞にならないでしょ?」
笑い交じりに話す月岡さんに釣られて、僕も笑みを浮かべる。
月岡さんとの会話を繋げるように、僕の口から1つの疑問を出してみた。
「褒められたときの返し方って……どう言うのが正解なんでしょうか」
月岡さんなら、何かいい表現を言ってくれそうな気がした。
「褒められたときの返し方?」
オウム返しをされたので、具体的に話を掘り下げた。
「子供の頃って、ちょっとでも何かできたら『すごい!』とか『上手にできたね』って言われるじゃないですか。 大人になると、褒められる頻度が減って……たまに褒められると驚いちゃったり、聞き流しちゃったりしていることがよくあって」
図書館に来る人たちは、妙に僕のことを良く評価してくれる。
一番若い遼くんは、僕と会ったその日に『誰よりも誠実で、誰よりも良い人な気がする』と言ってきた。
ただ、いざ言われると居たたまれない気持ちになって、変な汗が出そうになる。
その結果「謙遜という名の否定」をしてしまうのだった。
僕が言い終えたのとほぼ同時に、月岡さんは黒い石を置く。
そして、少し考えて一言。
「『ありがとうございます』でいいんじゃないかな」
シンプルな回答に僕は目を見開いた。
「考えたら……大人って『褒められる』というより、むしろ『評価される』ようになっていくよね」
「評価……確かにそうですね」
「評価っていうのもさ、平等に見てくれる人と、そうでない人とあるからね。 時に自分を見失ったり、周りを信用できなくなったり……自分をよく知っている人からの評価は受け入れられても、関係性が曖昧な人から評価されると、疑ってしまうこともあるし……」
月岡さんの持論に僕はとても共感していた。
しかし月岡さんは「あ、ちょっと脱線したね」と付け加える。
「野上くんの質問に答えるとすると……自分の価値を下げてまで否定しないこと……かな?」
「自分の価値、ですか?」
2人ともオセロをする手が止まってしまった。
「これも美佳子さんの話になっちゃうんだけど……」
月岡さんの奥さんが登場してきた。
「僕もね、昔は野上くんみたいに『そんなことないですよ』って謙遜していたのね。 そりゃあそうなるじゃん。 校長先生の前とか、父兄とかの前にいたら、自動的にそう言っちゃうし!」
「そうですね。 僕も月岡さんの立場なら絶対そうなります」
「でしょ?」
月岡さんの大きい声にクスクスと笑う僕。
「でも、それを聞いた美佳子さんが『自分の価値が下がって勿体ない』って僕に言ってきたの。 最初は理解できなかったんだけど……自分が一生懸命やっていることを知っているのって、紛れもなく自分自身じゃん? だから、人に良く言われたことを肯定したほうが、自分の価値とか自分の心を守れるかもって気づいたんだよね」
にっこりと笑い、月岡さんはまたオセロと向き合っていた。
それは、僕にとって今までに無かった発想だった。
「自分の価値と心……」
月岡さんの言葉が、僕の脳内を駆け巡っていた。
「『優しくて丁寧だね』って言われたら『そんなことないです』じゃなくて『ありがとうございます』って返せるようになってみたらどうかな?」
早速、四隅の1つに白い石を置かれてしまった。
「あっ!」
途中までいい線をいっていたのに、いつの間にか月岡さんが追い上げてきた。
ご満悦の月岡さんは、小さくピースサインをする。
そんな姿に僕も笑い、後半戦の巻き返しを狙おうと猫背を直した。
「いやぁ、また美佳子さんの話をしてしまったな……」
ため息をつくように月岡さんはそう言っていた。
「いいじゃないですか。 むしろ僕はもっと聞かせてほしいです!」
「そうかい? あ、ありがとう」
鼻の下を伸ばしながら、わざとぎこちなく返す月岡さん。
タイムリーに「ありがとう」と言われて、なおさら可笑しかった。
「僕ね、美佳子さんとの思い出だけで、本が書けそうだなって思うんだよね。 野上くんは? 香織さんとの思い出、本にまとめられそう?」
「え、本ですか?」
さっきの話題から随分違う話をされて、思わず吹き出してしまう。
でも、やってみたら面白そうだ。
「僕は……香織との思い出だけで3冊はいけそうです」
「え、上中下でできちゃうの?」
僕がその提案に乗ったことで、月岡さんもノリノリ。
「『1冊じゃ物足りないでしょ』って、香織に言われそうです」
月岡さんに大ウケだった。
「あと、絵本はどうですか?」
「イラスト付き? かわいい仕上がりになりそうだけどどうして?」
「僕、活字が苦手なんです」
「そうなの? てっきり読書家だと思っていた!」
月岡さんは笑いながら、おかわりのコーヒーを貰いに席を立った。
薬局の中に、子供が待ち時間に読める絵本が置いてあったのを思い出す。
特に最近新しく入ってきた本は、大人の僕でも魅了してしまう素敵な本だったのだ。
もし香織がイラスト化されたら、きっと可愛いだろうなと想像した。
「野上くん、ニヤニヤした顔でどうした?」
「いや。 ちょっと考え事を……あ、僕もう置いたので、次月岡さんですよ?」
月岡さんは慌てて席に戻ってくる。
どこに石を置こうか熱心に考える月岡さんを見て、何だか安心した気持ちになった。
「月岡さんは、こんな僕を受け入れてくれているんだな」と感じたからだろうか……。
月岡さんにお礼をするかのように、僕は穏やかに微笑んだ。
オセロは3連戦とはならず、その後も続いた。




