打ち解けていく……
今日の仕事さえ終われば、今夜は図書館へ。
そう思いながら、片瀬からの連絡とにらめっこをしていた。
『野上のために、新しいスタンプ買ったぞ』
そう言って送られたスタンプは、動きの癖が強い動物の絵だった。
どうしてそのスタンプを買ったのだろうか……と思いながらクスクス笑う。
片瀬が送った『すごいだろ?』のスタンプに対し『はい?』というスタンプを送り返した。
白衣に着替えながら片瀬とのやり取りが地味に続き、最終的には『野上も面白そうなスタンプ買いなよ』と催促される。
自分が持っているスタンプを見ると、香織が好きだったキャラクターのデザインばかり。
香織にちょっとでも喜んでほしくて、決まったキャラクターのものを豊富に揃えていた。
一方で、片瀬の言っている『面白味』には欠けるかもしれない。
でも、新たにスタンプを買おうとしたら、どのあたりを買うべきだ?
流行りのものを買うべきか。
そもそも何が流行っているのか分からない。
スタンプ購入を断念した僕は、スマートフォンをロッカーにしまい、調剤室へ向かった。
「!」
広い背中をした後ろ姿にドキッとした。
片瀬の連絡を適当にしすぎて、僕へ直接会いに来たのかと錯覚したが、
「野上先生! おはようございます!」
振り返って僕に挨拶をしてくれたのは関谷くんだった。
朝から心臓に悪い。
顔を見れば関谷くんであることは分かるが、背格好が似ている片瀬と勘違いしてしまう。
「お、おはよう、ございます」
ちょうど今日で、実習期間の1週目が終わるタイミング。
関谷くんとの距離感が掴めない僕は、敬語とタメ口を交ぜた喋り方をしていた。
「昨日と一昨日は大丈夫でしたか?」
昨日はヘルプ、一昨日は休みだったので、関谷くんと薬局で会うのは今日で3回目。
2日間の間で大変な思いをしていないか、念のため聞いてみたが……。
「はい! 他の先生たちにフォローしていただけたので、何とか大丈夫でした!」
謙遜した言い方をしてくれだが、実習2日目の段階で、関谷くんは柔軟性に秀でていることがよく分かる。
何事にも素直で覚えも早い。
「そっか! それなら良かったです!」
どっちつかずの話し方が、自分でも「気持ち悪いな」と心の中で悲鳴をあげていた。
「はい! ありがとうございます!」
爽やかにお礼を言った後、関谷くんは薬剤ロボに必要な薬の補充に回ってくれた。
関谷くんの様子を伺いながら、こんな質問を振ってみる。
「関谷くんさ……今って何が流行っている、とか知っている?」
些細な質問ですら、さり気なく聞けない自分が恨めしいと思った。
「は、流行りですか?」
コミュニケーション能力が高い関谷くんも、さすがに困惑している様子だった。
「ごめんね。 急に言われてびっくりするよね。 あの、異動した同期とよく連絡を取るんだけれど。 『面白いスタンプ送ってよ』って注文されちゃって。 どんなものが流行っているかとか、僕には疎くて……」
遠回しに片瀬を悪者に仕立ててしまったが……。
簡潔に理由を言ってみると、結局こうなってしまう。
流行りと言えば、香織がやたらと敏感だった。
例えば「今はこれが売れているらしいよ?」「最近の子はこういうのを使っているんだって」などと、何でも僕に教えてくれた香織。
香織がいないと、本当に僕は何も知らない。
「そうですね……というのも、僕もあまり流行には前のめりではないので……」
僕からしたら、つい数年前まで10代だった関谷くんのほうが最近のことを知っているはず。
しかし「流行には前のめりではない」という返しが、妙な親近感を覚える。
「あ。 そういえば、友達におすすめされて、少し前にスタンプを買いましたよ」
薬剤ロボの補充が完了したと同時に、関谷くんはそう言った。
「へぇ、どんなやつ?」
「実物見たほうが分かりやすいですけど……なんか、漫画のキャラクターで、妖精なんですけど。 キャラクターの設定が毒舌だったり、度を越えた天然だったり、ナルシストだったり……」
「なにそれ? 妖精で毒舌と天然とナルシスト?」
手元にスマートフォンがあれば、絶対にその場でチェックしていた。
頭の中で関谷くんが言ったことを自分なりにイメージしようとしたが、未知の物体を想像することは難しい。
「見た目は可愛いんですけど、言葉のセンスが独特なんですよ。 面白くって何種類かスタンプ買いました。 今はアニメも放送されているみたいで」
目の前にあるパソコンで、関谷くんが教えてくれたことを調べたかったが、仕事のパソコンでキャラクターものを検索するのは気が引けた。
「もしよければ、休憩のときにどういうものか見せましょうか」
「本当に? ありがとうございます!」
関谷くんの上手な説明で、スタンプへの興味が十分に湧いたが……。
会話に一区切りついたところで、調剤室がしんみりとしてしまう。
何ともいえない無言の空気が苦手な僕。
関谷くんと話が続けられる「共通の話題」はあるだろうか。
悶々と考えている中で、
「あ、野上先生。 そういえば前に図書館で僕が借りた本なんですけれど……」
会話を切り出してきたのは、関谷くんのほうだった。
「おかげさまでかなり役に立ちました。 譲っていただきありがとうございました!」
「あぁ、そんな譲ったなんて。 あの本、すごくいいよね?」
良かった……本1冊で喜んでもらえて……会話も新しく始まって。
「図書館に返したんですけど、自分の家にあってもいいなと思って自前で買いました」
「そうだったんだ。 でも、僕もその本は当時買っていたな」
僕の場合はレポート作成のためと、文献の争奪戦をしたくなかったために買った。
そんな中、僕が持っていた本を「図書館の本」と勘違いした子がいたことを思い出す。
「野上先生?」
僕の様子を伺う関谷くんに、現実へと引き戻される。
慌てて謝り、軽く咳払いをした。
香織のことを思い出し、少しだけにやけていたかもしれない。
「あの図書館にはよく行くの? 阪峰、記念図書館だったかな」
僕と関谷くんの共通点は「薬学」と「図書館」だ。
そのうちの「図書館」に焦点を当てて、話をなんとか広げようとした。
「この前が初めてだったんです。 あそこに図書館があったことを知らなくて。 でも、思っていたよりも閑散としていて、穴場でいいなって思いました」
建物自体は図書館らしく大きな造りだが、そこまで目立つ場所には建っていない。
夜は勿論だが、昼もそこまで人は多くないほうだと思う。
「そうだね。 勉強するには穴場スポットかもしれないですね」
「野上先生は、図書館によく行くんですか?」
「僕は……あの図書館に行ったのは、この前が初めてかな。 午後が暇だったから、興味本位で行ってみたんですよ」
昼間に行った図書館は「初めて」という程で、関谷くんにそう伝えた。
夜図書館の存在は、あまり声を大にして言わないほうがいいかと思い、あえて伏せておく。
「そうでしたか……じゃあ、僕らは本当に偶然だった、ということですね」
「そうだね、偶然だね」
偶然行った図書館で、同じ本をきっかけに出会って、薬局で再会して。
こんな不思議なこと、滅多にないんじゃないかと噛み締めるように呟いた。
『面白い偶然だね……』
第三者目線で話を聞いていた月岡さんでさえ、そう言っていたぐらいだ。
「あ。 それと、野上先生がよければなんですけれど」
「ん?」
自然に話を振ってくれる関谷くん。
僕は「会話を繋げてくれて助かった!」なんて感動していた。
「使ってよかった参考書とか、国試の対策とか。 後で教えてもらってもいいですか? 薬局長から聞いたんです。 野上先生、学生時代からかなり優秀だったって……」
「いや、そんな全然!」
薬局長は僕がいない間に何を吹き込んだのか……苦手なお世辞をとっさに否定する。
ただ、関谷くんは表面上だけで僕を持ち上げている感じはなさそうだった。
「実習も大事ですけど、今抱えている問題も解決できるようにしたくて……」
「今抱えている問題?」
僕に何かを訴えている関谷くん。
あまりに必死なので、僕も耳を傾ける。
「勉強のことです!」
もっとメンタル的に深刻なのかと思っていたので、関谷くんの返答に拍子抜けしてしまった僕。
「あぁ、そっちね。 確かに大事だね!」
「野上先生、僕かなり真剣ですよ?」
笑い交じりに言ってくる関谷くんを見て気がついた。
片瀬に似ているけど、中身や言動は香織に少し似ている。
謙虚なところ、コミュニケーション能力が高いこと、とにかく一生懸命で、根が明るいところ。
いいな、こういうタイプの人。
「ふふっ。 ごめんね、あの。 もっとこう重い悩みを抱えているかなって、思っていたから」
僕の綻ぶ顔に、関谷くんも「すみません、かえって驚かせてしまって」と茶目っ気に笑っていた。
「僕のなんかでよければ、参考書とか対策法も教えるよ。 さっき教えてくれたスタンプのお礼ね」
僕には似合わない「人に教える」ということ。
香織や片瀬のように、自ら進んで人様を導くようなことは今まで無縁だった。
でも、関谷くんにそこまで熱意があるなら、僕も頑張って応えてあげたい。
『香織さんも嬉しいんじゃないかな』
不意に数日前の薬局長から言われたことを思い出した。
香織は僕の今の姿を見て、喜んでくれるのかな……。
「え! スタンプなんかでお礼になりますか?」
目を丸くして驚く関谷くん。
人見知りの僕だけど、ごく稀に早い段階で打ち解けることがある。
相手が関谷くんならきっと、上手く話ができるかもしれない。
その証拠として、いつの間にか敬語が消え去っていた。




