ずっと黙っていたこと
関谷くんが薬局に来てから数日が経った。
この日は他店舗のヘルプを頼まれ、いつもと違うところにいた僕。
関谷くんの指導担当になったことで、ヘルプは無いと思ったが……シフトで出ていた通り今日はヘルプに来た。
幸い、呑み込みが早い関谷くんは他の先生たちとコミュニケーションが取れているので、僕が常にいなくても問題なさそうだった。
それに、今日のヘルプは僕にとって少しラッキーでもあった。
今の配属先は通勤時間に40分かかるが、今日の店舗は家から歩いて行ける距離。
電車の時間を気にせず済むし、家を出る時間にも余裕ができた。
何度かヘルプで来たことある店舗でもあり、薬局自体は小規模で落ち着いている。
僕が好きな穏やかな店舗……前に配属していた尾久店を思い出す。
関谷くんには悪いけど、僕にはやっぱり指導する側は性に合っていない。
1人で調剤室にいたほうが気持ち的に軽かった。
とはいえ、明日の仕事も関谷くんと一緒であることに変わりはない。
明日は明日でなんとかするとして、今日は肩の力を抜かせてもらおうと思っていた。
「先生、お薬お願いします」
いつものように処方箋が調剤室にやってきた。
一緒にお薬手帳も渡されたが、大学病院で出された処方箋。
薬歴からみると、心臓に疾患を持った患者さんのようだった。
よく見ると、その患者さんは19歳ととても若い。
慎重に慎重を重ね、服薬指導用のカウンターに入った。
「カキウチさん、カキウチリョウさん」
フリガナを読み上げ、患者さんに声を掛ける。
カキウチさんらしき人が、僕の前に姿を見せてくれた。
「大変お待たせいたしました。 お薬の確認お願いします」
「……」
患者さんからの返事が無かったので、薬が入ったバットから視線を変えると……見覚えのある人が。
「誠司さん?」
「遼くん……」
図書館で何度か会ったことのある遼くんだった。
「あれ? ここの薬剤師さんでしたっけ?」
外は日差しが照っているというのに、この日も遼くんはブカブカのパーカーを着ていた。
僕の白衣姿にかなり驚いている様子。
「今日はヘルプで来たんだ。 偶然だね」
流石に仕事中なので、ボリュームを落として遼くんに事情を伝えた。
「びっくりした……世間って狭いわ……」
「やぁ……本当に……」
僕も同じく、最近は特に『世間の狭さ』に驚かされることが多い。
自然と遼くんの気持ちに同調した。
「ちなみに確認ですけど、僕のこと覚えています?」
「そりゃあ、覚えているよ! 一緒にトランプをやったでしょ?」
「うわぁ、やりましたね! 懐かしい!」
遼くんとやったトランプも、随分昔のように感じる。
あの日から夜の図書館に、欠かさず行くようになった僕。
『香菜子さんや遼くんと出会っていなかったら、夜の図書館に通うことはなかっただろう』と思うと、妙に感慨深い。
「あぁ、ごめんね。 話が脱線して……お薬についてお話しますね」
僕の仕事モードを感じ取り、遼くんは「あ、はい先生!」と元気よく返事をしてくれた。
「お薬手帳を拝見しましたが……心臓に疾患が……」
僕の一言に遼くんはニカっと笑い、
「もう小さいときからで……」
ハハハと笑いながら話は続いた。
「いつものお薬ですよね? 説明は暗記しちゃうほど聞いているので、省略でいいですよ!」
なんて言われたが、そうはいかないと思って結局きっちり指導した。
遼くんからは「ここにいる先生たちよりも丁寧!」と、大げさに反応されたのだった。
処方薬について話しているときは真剣だったが、会計中にふと思い出す。
前に図書館で会ったとき「体調が悪くて」と話していた日、僕とは3週間ぶりの再会だった。
あのときの体調不良は、心臓のことがあったからだろうか……。
事情を聞いていなかったとはいえ、もう少し遼くんに気を遣ってあげるべきだったと反省する。
「30円のお釣りです」
お釣りが乗ったトレーを遼くんのほうに置いた。
小銭入れにしまう遼くんが、
「誠司さん、大丈夫ですか? それとも気のせい?」
「え?」
「なんか、僕と喋っているうちに、元気がなくなってきた感じがしたので」
遼くんは笑いながらそう言う。
僕よりもずいぶん若い遼くんは、どうしてこうも察しが良いのか。
遼くんの勘の良さだけでなく、僕がかなり分かりやすいタイプだからだろう。
「ごめんなさい、誠司さん。 体調のこと黙っていて。 図書館の人たちには、迷惑かけたくないと思って言ってないんです。 あ、香菜子さんだけかな、心臓が悪いって知っているのは」
香菜子さんとは家族ぐるみで付き合いがあったと聞いていたので、すぐに納得できた。
黙っていたことを謝る必要なんてない。
遼くんの優しさは痛いほど伝わってくる……何より、病気で苦しむ人の気持ちは計り知れないから……。
「ううん……僕のほうこそヘルプで来ちゃったから、かえってごめんね」
薬をもらいに来た遼くんにとって、僕がこの店舗にいることは想定外だったと思う。
きっと気まずかったはずだ。
「誠司さんは悪くないですよ! お仕事ですから! ね!」
笑った顔はいつもの遼くんなのに、いつもと違って見えた。
「じゃあ、お仕事頑張ってください。 ありがとうございました!」
薬を手に持った遼くんは、僕に労いの言葉を掛けてくれた。
「お大事になさってください」
僕がいつも患者さんを見送るように、遼くんにも同じように言葉を掛ける。
後ろ姿を向けたと思いきや、遼くんはまた戻ってきた。
「誠司さん。 最近は図書館に行っていますか?」
不意打ちに質問が飛んできたので、ぎこちなく「そうだね、うん、行っているね」と返してしまった。
「そっか……今度の金曜夜、図書館に来ますか?」
真面目な顔をして僕に問いかけてきた。
「え、うん。 行くと思うけどな」
遼くんはさっきと同じく「そっか」とだけ言い、僕に目を合わせず下を向く。
「行きたいな……図書館」
「遼くん……」
遼くんの悲痛が、小さく呟いた言葉に表れていた。
こういうとき、どういう言葉を掛けるのが正解か、27年も生きていて分かっていない。
「まぁ、勝手に家とか病院抜け出して行っているんですけど……でも、あまり長居するわけにはいかなくて……ハハハ……」
先週の金曜日、月岡さんが遼くんの姿を見たと言っていた。
それもきっと、体調のことを考えて、図書館に数十分しかいられなかったのだろう。
本当は自由に図書館へ行き、ゆっくり過ごしたいはず。
無理に笑っているのが露骨に出ていた。
「じゃあ、今度こそ帰りますね」
そう言って軽くお辞儀をし、そのまま薬局を後にしていった。
彼自身の何かを包み隠しているように、不自然なパーカー姿が僕の視界に映る。
オーバーサイズの服を着ていても、華奢な体型をしているのは明確だ。
「すみません、ちょっとだけ出ます……」
「え? あ、はい」
遼くんが薬局から出て行ってすぐ、僕は近くの事務員さんに断って少し外に出る。
他の患者さんがいなかったので、とっさに遼くんを追いかけようと判断した。
「遼くん、ちょっと……」
そう遠くないところに遼くんがいたので、あまり大きい声を出さずに遼くんを呼んだ。
僕の声に気づき、振り返ってくれた遼くん。
僕から駆け足で近づいた。
「いつでもいいから、図書館で待っているよ。 みんなもいるから。 ね?」
今の僕が遼くんにできることは、薬を処方するか、どうしようもない励ましの言葉を掛けることしかできない。
ハタチ目前の遼くんが、僕らのような大人に見せない苦しさを抱えている。
中身は違うけれど……僕も遼くんの知らないところで、もがき苦しみ続けている。
それでも。
境遇や価値観が違っても、お互いに「図書館」という場所に安心を求めている。
せっかくの共通点を潰してしまったら、僕も遼くんも後悔してしまう。
そう思った。
「はい、ありがとうございます! 今度またスピード対決しましょう!」
「あ、そうだね! リベンジしよう!」
逆にゲームのお誘いをされるとは思わなかったが、嬉しそうな顔を見て安心する。
遼くんの小さい背中が見えるまで、僕は静かに見送った。




