愛花エピソード 幼馴染みとして 1
過密スケジュールの中、月末に終日の休みが入ったあの日。
雨が降る窓を見つめていると、インターホンが鳴った。
画面に映る彼を見て、思わず私の心が踊る。
「どうぞ。 そのまま入って」
料理は手こずることなく完成し、あとは客人を招き入れるのみ。
洗面台に映る自分を見ると、髪の毛が乱れていた。
手で前髪を整え、乾燥が気になる毛先にヘアオイルを足す。
『愛花、くれぐれも行動には気を付けて。 記者が張り込んでいるから』
少し前、事務所の社長が私に釘を刺してきたときのことが頭によぎった。
1日中雨予報だと言うのに……私のプライベートに踏み込もうとする暇人がいるのか。
そう思うと、自分の体に溜め込んだ毒素を、全部吐き出したいぐらい気分が悪くなる。
でも、今日だけは特別な自分でいたかった。
彼と会うことを、いつか後悔するかもしれない。
でも、それは自分が望んで選んだことだからと言い聞かせる。
ゆっくりと階段を上がってくる音が聞こえ、迎え入れた彼が私の前に姿を現した。
「うわぁ広い、さすが日本を代表する女優だな……」
何事にも素直な彼は、本音を声に出してしまう。
「大袈裟よ。 1人暮らしにしては大きいかもだけど、セキュリティーを考えたらこの家になったの」
「っていうか、エントランスからここまで来るのにすごい緊張したからね? 下にいたのってコンシェルジュ? 俺に会釈してくれてさ……」
自然体な彼を見ていると、春の陽だまりに包まれたような心地がする。
彼の言葉をクスクスと笑いながら聞いていた。
「今日、他にも来るでしょう? 部長さんとか、後輩とか」
今日は彼の会社の人達と一緒にホームパーティーをする予定だった。
彼の上司である部長の昇進祝いと、私がイメージキャラクターを務めて丸2年が経ったのを兼ねていたが……。
「それが急な案件が入って、来られないってさっき連絡があって」
「え、そうなの?」
彼しか来てない状況に体が凍り付く。
私の心境とはよそに、彼はいつもと変わらない。
「俺も行った方がいいかって連絡したけど『お前1人でも三木さんとこ行ってこい!』って言われて。 それも立派な仕事だってさ!」
「パーティーも仕事なのか」
せっかくのパーティーは私と彼だけ。
嬉しいはずなのに、苦しい気持ちが勝っている。
本当は喜びたいのに……まるで罪を犯しているような気持ちだった。
「せっかくワイン買ってきたのに……」
いかにも高価そうな紙袋を、私に見せるよう持ち上げて彼は言った。
「お! いいお土産を持ってきてくれたのね!」
「まあね。 しかも見てこれ! マナの生まれた年に作られたワインなの!」
紙袋から出して、ボトルの側面を指す。
確かに私の生まれた西暦が書いてあった。
「俺とマナ、同級生だけどマナは早生まれだからこれであっているでしょ?」
覚えていてくれたんだ。
さらっとそういうこと言うの、本当にズルいと思う。
私の胸の内なんて、知りもしないのに。
誕生月を覚えていてくれたよりも嬉しかったのが、
「そうだけど……っていうかマナって呼ばれるの久々だわ」
照れ隠しでキッチンに向かう私。
自分の顔が真っ赤になっているだろうと思い、彼には見せられなかった。
「ぁ、ごめん! つい昔の癖が」
「え? 無意識だったの?」
「そうだよ! 昔はそう呼んでいたのに、再会したらマナは国民的女優になっていてさ! 何回マナって仕事中に言いかけそうになったか」
彼にそんな葛藤があったことが嬉しくて……愛おしさが余計に芽生えてしまう。
「いっそのこと、マナって呼んじゃえばよかったのに!」
冗談では言ったが、本心は呼んでもらいたかったかもしれない。
「え、逆に? まずいよ! 大女優と一般人の自分が親しげに話しちゃいけないでしょ」
「……」
彼に否定されたのが少しショックだったのか、ワイングラスを出そうとした直後、グラス同士をぶつけてしまった。
落として割れることがなくて良かったけれど、色んな意味でヒヤッとする。
でも、彼の言う通りだ。
彼からのお土産とあだ名呼びに舞い上がっていたが……現実に目を向けないといけない。
「マナ、大丈夫?」
体が硬直し、俯いていた私を心配しながら、彼は私を「マナ」と呼んでくれた。
『記者が張り込んでいるから』
社長の言葉が脳内に響く。
実は彼が来る前、窓の外から怪しい車を目にした私。
それは、数日前から何度も見かけている黒い車……間違いなく記者の車だろう。
恐らく今の瞬間も、記者は私を抑えている可能性が高い。
この密室には、私たち2人しかいない。
「ありがとうね。 私を気遣ってくれて」
にこっと彼に笑みを見せ、一人掛けの椅子に座る。
「そこ、座ってくれる?」
彼は黙ってソファーに座った。
「まだ、誰にも言ってないんだけど……ちょうどいい機会だから貴方には言うね」
ただならぬ雰囲気だと察したのか、静かに聞いてくれようとした彼。
「活動拠点を海外に移そうと思っているんだ」
「え?」
突然の報告に、彼はびっくりした顔を見せた。
それは無理もない。
「たまたま受けたオーディションが海外の監督から声が掛かって。 せっかくのチャンスだし、本格的に挑戦してみようかと思って」
今の話は本当のこと。
アクション映画に出られる日本人女優を探していたらしく、人並み以上に運動神経が良かった私に縁があったのだった。
「向こうに行くってことは……うちとの契約は……」
「3年契約だから今年も変わらないと思うけど」
今でちょうど丸2年なので、あと1年は彼が勤める会社のCMや広告に出るつもりだ。
大きな問題が何も無ければの話だが……。
「あ、ほんと? それなら良かった」
『良かった』の意味は『会社の人間』として? それとも『幼馴染み』として?
そんなことが一瞬頭によぎったが、話を続けなければならない。
本題はここからだ。
「それともう1つ。 貴方、もうすぐ結婚するんでしょ」
穏やかな表情でそう言ったが、本当は胸が張り裂けるぐらい辛い言葉だった。




