女優の告白
金曜日の夜を迎え、僕は小走りで図書館を目指した。
理由は三木愛花。
でも、先週の金曜日に抱いていた心境とは違う。
テレビで三木愛花を見たあの日から、ずっと気がかりだった。
急いでいる中、タイミング悪く信号が赤に変わる。
次の青信号まで少し時間が空くので、片瀬にいつものメッセージを返そうとするが……ニュースを伝える通知が画面に映し出された。
『三木愛花って、略奪婚するかもしれないって本当?』
『25で不倫に落ちるとかヤバすぎる!』
『子役のうちに芸能界引退していれば、こんなに叩かれなかったのに』
『本人は否定していたじゃん』
『女優に言い寄られたら、男も誘いに乗るだろ』
『結婚決まっている相手の男もバカでしょ』
三木愛花のニュースには、こうして荒れたコメントで溢れかえっていた。
数日前に薬局長が見せてくれたのは……とある記事。
『三木愛花 略奪婚をして芸能界引退か?』
そこには「結婚する友人男性を三木愛花が略奪した」などの衝撃的な情報が書かれていたのだ。
この記事を読んだ人たちは瞬く間に踊らされ、拡散に拍車をかけた。
そのせいで三木愛花への取材が、あれほど目立ってしまったらしい。
三木愛花のSNSには、日に日にネガティブコメントが更新されるばかりだった。
「ひどすぎる……」
片瀬には「あばよ」というスタンプを適当に送り、僕は図書館の方角に足を進めていく。
香織が昔見せてくれた雑誌の三木愛花。
2週間前に図書館で会ったときの三木愛花。
気高い花のようだったけど、本当の素顔は違うと思う。
落ち着かせるように深呼吸し、図書館の重い扉を押して中に入っていった。
***
いつもの1階フロアを見渡すと、顔を隠し机に伏せている1人の女性がいた。
「愛花さん?」
このとき、何故か三木愛花を「愛花さん」と無意識に呼んだ僕。
ゆっくり近寄ると、惹きつけるような甘い香水と、心配になるほどの華奢な骨格……。
僕の小さい声に反応し、こちらに体を向けた。
「あ……」
彼女の美しい顔に何かが零れていた。
見惚れたのはほんの僅か。
「どう、したんですか?」
紛れもなく三木愛花。
やっぱり本人だった。
そして泣いている……芝居ではなくリアルに。
恐る恐る彼女に問いかけた。
彼女は長い指で両頬の雫を拭って、
「私ったら情けない……こんな姿見せて……芝居じゃないのに」
笑って平然を装うとするが、声は震えていた。
テレビで見た深紅のドレス姿とは雰囲気が変わり、今日は黒無地のワンピース姿だった。
美しいデコルテが強調されているが……。
ピンヒールは無残に転がっていて裸足の状態。
無造作に置かれた愛花さんが載っている雑誌。
そして、愛花さんのスマートフォンは、自身のSNSが映っていた。
「貴方は確か、この前もいた……」
「はい。 覚えていてくださったのですね」
「ん……職業病みたいなものかしら」
「職業病ですか?」
芸能界なんて、僕には一生無縁の世界だ。
彼女の言う「職業病」が何を意味するのか見当がつかない。
「共演者の方とかスタッフさんとか。 仕事上、大勢の人と関わるから、顔とか名前とかね……覚えようとするの。 子役のときからそう……」
「そうでしたか……愛花さんって本当にすごいですね」
彼女は幼い頃からそうやって仕事をしていたんだと思うと、僕なんかがものすごくちっぽけに思える。
感心していると、愛花さんは顔をしかめて、
「全然よ。 かえってそれが苦しい」
大きく溜め息をつき、僕の言葉を真っ向から否定した。
「子供の頃から仕事をしている理由は色々あるけど……1番は自分の居場所が欲しかったから。 自分を必要としてもらえるように、顔と名前を覚えて、次の仕事も貰えるように。 何を私に求めているかも察して、大人に負けないようにやってきた。 結果、色んな賞や肩書きをもらって……周りは『何でも手にしている成功者』って思っているけど。 肝心なものは全然手に持っていない。 自分の居場所も、大事にしたい人も……」
止まっていた雫は再び流れ落ちた。
「それってどういう……」
止まらない涙を必死に拭いながら、彼女は言葉を続けた。
「この前、貴方と読んだ記事の他にも、マスコミが書いたものがあるでしょう? 皮肉にもあながち間違いではないの」
「でも、取材では否定していたんじゃ……」
「ええそうよ。 彼とはただの友人で、彼は別の女性と結婚するから」
状況が飲み込めず、言葉が出てこない僕。
愛花さんは椅子から体を離し、立ったまま事の経緯を話してくれた。
「彼とは幼馴染みだったの。 でも、私が芸能界の仕事で上京してからずっと会えなかった」
僕に背中を向けたまま、愛花さんは話を続ける。
「2年前に私が化粧品のCMの仕事で、そこの広報担当で顔を合わせたのが彼だったの。 その時は本当に運命だと思ったけど……彼には結婚を前提にお付き合いしている人がいて。 それでも彼に少しでも会いたい一心で……自分の気持ちを隠す覚悟で、私はその仕事を2年間引き受けた」
長いセリフを言っているように聞こえるが、愛花さんは至って真剣。
僕は黙って聞くことしかできなかった。
「記事が出るって決まったとき、これは不味いと思った。 彼は結婚が決まっているのに、私と一緒にいる写真を撮られたら、略奪だって叩かれるのは目に見えて分かっていたから……私の口から『否定する』ことにしたけど……」
本音をこぼす直前、愛花さんは小さく嗚咽を漏らす。
この感覚は、僕でも少し分かる……それだけ心が痛いということを。
「……っ……さすがに辛かったな……自分の気持ちと真逆のこと言わないといけないの。 まるで……包丁で心臓をえぐられたみたいで……」
今度は自分のスマートフォンを手に持つ愛花さん。
さっきと目の色が変わった愛花さんに、僕は一瞬ゾッとした。
「それにね……こうやってダラダラと悪口書く人がいるでしょ? もうね、傷つくを通り越して呆れる……勝手なことばっかり書いて……『ふざけんな!』って怒鳴ってやりたい!」
静かな図書館で、愛花さんの叫びが響き渡る。
「私を悪く言うのはまだしも、彼のことを悪く言うなんて本当に許せないわ!」
激しい怒りに、愛花さんは息を切らす。
そして、長い髪をくしゃくしゃにするほど頭を掻きながら、再び小さく泣いていた。
幼馴染みの男性と二度目の別れ。
マスコミやコメントによる容赦ない攻撃。
三木愛花という人物を演じ、嘘をつき続けること。
全てが愛花さんの心を押しつぶしていた。
しゃがみ込んだ愛花さんを案じ、華奢な両腕を優しく持って、椅子に座るよう誘導する。
恐れ多くも大女優に触れてしまったが、愛花さんは何も抵抗せずに座ってくれた。
「これ、使ってください」
持っていたハンカチを渡すと、そっと白い手で受け取ってくれた。
「コーヒー、持ってきますね」
静かに頷いてくれた愛花さん。
鼻をすする愛花さんから少し離れ、コーヒーを手早く2つ用意した。
「……ありがとう」
「いいえ」
僕は愛花さんが座る場所から1つ離れた席に座った。
カップの側面を両手で持ち、コーヒーの温かみを感じている愛花さん。
止まっていたかと思いきや、愛花さんの涙はまた1つ流れてきた。
「貴方が読んでくれた記事……あの写真が彼に会った最後の日だったの」
そう言った愛花さんは「彼」と呼ぶ幼馴染みの話をゆっくり始めた。




