香織エピソード 憧れの女性
香織と東京に住み始めて半年たった当時。
新生活と仕事で忙しく、僕と香織はちゃんとした外出デートがしばらくできなかった。
そこで、家以外で過ごし、お互いの負担にならないデートとして近場の喫茶店へ行くようになったのだ。
東京は広辞苑に載っている言葉の数のように、お洒落な喫茶店やカフェが膨大にある。
話をするだけでなく、お互いにしたいことを喫茶店デートに持ち込むのだった。
漫画を読む僕と、雑誌を見ていた香織。
僕から振ってみた案だが、香織からも「こういうデートもいいね」と好評を得ていた。
学生時代は定期的に旅行ができて、上越新幹線に乗ってウインタースポーツをしたり、北海道でレンタカーを借りて、行き当たりばったりでドライブもしたり……20代前半は躊躇することなくお金を出せたのだろう。
今は稼いだお金で生活をしているため、貯金に対して堅実になった僕たち。
この頃は新生活と仕事にも少し慣れ、穏やかな休日を送っていた。
「よくあるんだよね。 せっかく買った雑誌、買って満足して終わっちゃうの」
美容雑誌をめくりながら、そう香織はぼやいていた。
「そりゃもったいないね」
「でしょ。 私もそう思う」
「じゃあ何で買うの」
「え、だって、三木愛花が表紙だったんだもん」
「三木愛花?」
僕の問いかけに香織は目を大きくして、得意のプレゼンテーションが始まった。
「そう! 三木愛花の表紙のビジュアルが毎回最高なんだよね! ドラマの主演やるときは美容雑誌の表紙やるから、反射的に買っちゃうんだよな。 はぁぁ今月も美しすぎる!」
香織のテンションについていけず、圧倒されたままの僕。
「それに見てこれ! 『理想のデートプランは何ですか?』の質問に対して『読書デートがいいです』だって! 私らやっているじゃん! 『相手は難しそうな本を困った顔で読んでいる姿を、私は台本読みながら見つめていたいです。 全然台本に集中できないですけど!』だって! かわいい、可愛すぎる!」
香織の悶絶ぶりに笑わずにはいられなかった。
ちなみに僕らは漫画と雑誌なので、読書と言っていいのか迷うところだけど……。
僕の心境はお構いなしに、香織は三木愛花の取材を再び読み上げていた。
「『私、男性の困った顔が好きなんです。 女性におねだりされて、渋っているときとか、注文するとき、どっちにしようか迷っているときの顔とか。 雑誌を読んでいる皆さんはお気付きでしょうが、三木愛花はドSです!』分かるよ! 愛花ちゃん!」
書かれていることに少し寒気を覚えた。
「香織も共感できるところあるの?」
「あるって! 誠司も困った顔するじゃん。 こうやって」
と言って、僕の顔真似をした香織。
でもその顔は……。
「いや、僕に全然似ていないし、香織のほうがよくその顔しているよ?」
「え?」
僕は指をさして、
「眉間に縦シワを作る。 大きい目を細める。 口を尖らせる。 完全に香織の癖だよ」
僕の発言にぎょっとして、
「無意識って怖い!」
開いた雑誌で顔を隠し、香織は恥ずかしがっていた。
「はははっ! 別に気にすることないと思うけど。 僕も推奨派だし!」
「え?」
雑誌の横から顔を少し出してきた。
「三木愛花と一緒。 香織の困った顔も面白くて良いってことよ」
「面白いのかい!」
突っ込むわりには、満更でもなさそうな香織。
「とはいえ、あんまりやり過ぎると癖になってシワが残っちゃうから気をつけないとね」
香織の癖で断トツ多いのは、さっきやってくれた「眉間にシワを寄せる」こと。
忠告はしたが、内心はもっと色んな表情を見続けたい願望もあった。
「確かに、気をつける!」
香織は真面目な顔で、眉間にシワがつかないようにと頑張って指で伸ばしていた。
そんな姿が余計に面白い。
「ほら、横シワは表情の豊かさや、人間性に出るけどさ。 縦シワはあるのと無いのとで、年取って見えたりするし。 ほうれい線もそうじゃん?」
「うん、言われてみれば自分の親を見ているとそうだね」
親の顔を連想し、今の若さに過信しすぎないように……なんて香織は思ったのだろうか。
自分より年下の三木愛花を自分と比べるかのように、雑誌をじっと見つめていた。
「それにしてもそんなに好きだったか、三木愛花」
僕はたった今知った「香織の好きな芸能人」について話を戻した。
「うん。 私より年下だけど、美人で男勝り。 だけど実はチャーミングっていうギャップがね……日本が誇る大女優だし、女として憧れだよね」
うっとりした表情で大絶賛する香織。
香織は人のいいところを見つけるのが上手だと思ってはいたが、相手が芸能人となると褒め殺しになってくる。
「誠司はいないの? そういう好きな芸能人!」
香織は僕に話を回してきた。
「いやあ、考えたこともないな……」
「え、その顔は絶対いるな!」
芸能人を目当てに雑誌やCDを買ったことが、過去にあっただろうか。
真面目に考えたが、記憶にすら無い。
香織の表情は曇っていくばかりだった。
「いないよ。 本当に」
「昔はいたでしょ? ほら、教えなさいよ」
香織の顔を見つめていると、
「あ、また眉間に寄っていますよ、お客様?」
香織の癖を教えてから数分しか経っていないというのに、この有り様だ。
香織は「もう! 嫌だな!」と、少し大きめな声で眉間を指で伸ばしていた。
僕も三木愛花と一緒で、香織の困った顔は好きだと改めて確信する。
「お客様、ルイボスティーのおかわりはいかがですか?」
僕はふざけて、香織に空いたティーカップを手のひらで指して尋ねた。
「……いります。 あと、ロールケーキも食べる」
恥ずかしそうにする香織を見て僕は悟った。
香織の癖は本人が注意していても、きっと直らないだろう……。
思わず僕は吹き出してしまった。
女優、三木愛花。
僕にとっては『子役から活躍し、日本を代表する名女優』というイメージだが、香織にとっては『憧れの女性』だったのだ。




