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月岡さんが淹れてくれたコーヒーは、とっくに冷めていた。
それなりに時間が経っていたんだなと思いながら、温くなったコーヒーを黙って飲む。
「ごめんね野上くん。 君の話を聞いていたのに、結局僕がこうなっちゃって……」
涙で重くなりそうなくらい顔をハンカチで拭い、月岡さんはそう謝ってきた。
「いいえ。 僕のほうこそ辛い話を聞かせてしまってすみませんでした……」
落ち着きを取り戻したが、自分の行動はやり過ぎてしまったかなと反省する。
「思い出したんだ……香織さんの話を聞いて……彼女を失ったあの頃の自分と重なっていて……」
奥さんと死別した当時のこと。
きっと、月岡さんもどうにもできない悲痛な思いをしただろう。
「でもね、嬉しかった。 野上くんが『僕に話したい』って言われたことが……自分を必要としてくれるって、本当にありがたいことだから」
目を腫らしながらも、笑いながら僕に言いかけてくれた。
「それと、これは僕の自己解釈だけど……この世にいない彼女のことを思い続けていいのかなって。 野上くんの話を聞いていて思ったんだ」
言葉の意味を聞こうと、体が月岡さんの方向へと自然に向いた。
「周りからはさ『気持ちを切り替えて前に進みなよ』とか思われたり、声にしてそう言ったりする人もいるし……励ましのつもりでも、聞き方によっては傷つくよね。 ニュアンスを変えたら『奥さんを忘れて再婚でもしなよ』ってなるから」
人から励まされることは、必ずしも救いになるとは限らない。
相手の心情によっては、傷ついたり、心を閉ざしたりしてしまう。
月岡さんの表情はとても苦しそうだった。
「野上くんも今の言葉、聞いて胸が痛かったと思うけど……」
「……はい、ちょっと心臓抉られますね……」
聞いていた僕も同じく苦しい。
「彼女のお義母さんに言われたときはショックだったけれど、考えを改めるべきか迷ったんだ。 僕の友達からも、似たような言葉をかけられたから。 でも、野上くんの話を聞いたら、自分の中でグッとくるものがあって……」
「月岡さん……」
自分のこと、香織のことを話す行動は、とても苦しくて辛いこと。
だが、確信した。
月岡さんに話して、本当に良かったんだ。
「美佳子さんをずっと思い続けようって決めたんだ……そうしたらホッとして……涙が止まらなくなっちゃった」
奥さんの名前を口に出した瞬間、ポロっと涙がこぼれる月岡さん。
「美佳子さんって、月岡さんの奥さんですか?」
「そう……呼び捨てでもいいんだけど、先生だからな……」
涙を拭きながら月岡さんは言っているが、気になって仕方なかった。
「先生? あの、どういう関係?」
「気になる? 僕の話」
困った顔をしながらも、月岡さんは満更でもない様子。
「そりゃ気になりますよ」
少し間が空き、ぼそぼそと僕に、
「じゃあ、出会いから話そうか? また辛くなったりしない?」
僕のことを心配してなのか、確認を取ってくれたのだ。
「そのときは……泣きます」
真っ直ぐな解答に、月岡さんは笑っていた。
「でも聞かせてください。 奥さんとの馴れ初め。 奥さんのこと……好きなんですよね?」
僕の問いかけに、今にも泣きそうな顔をしたが、大きく頷いてくれた。
一瞬、質問を「奥さんのこと、忘れられないのでしょう?」と言いかけそうになった。
でも、そうではない。
忘れられないから好きなのではなく、好きだから忘れられない。
僕も月岡さんの姿から、深く考えさせられることがあった。
「とりあえずコーヒーを淹れ直そうか。 ずっとぬるくて気にならない?」
僕の賛同を特に待たず、そそくさとカップ2つ持って、席を立った月岡さん。
「でも月岡さん、もう3杯目なんじゃ……」
「大丈夫。 僕はカフェイン中毒者だから」
背中を僕に向けながら、小さいバケツに残したコーヒーを流していた。
「じゃぁ、奥さんとの出会ったきっかけ、早速教えてください」
有無を言わさず、解答権を月岡さんに回した。
「……僕が高校生のとき、美佳子さんは通っていた高校の先生だったの」
「え! それって禁断の関係じゃないですか!」
人様の恋模様にテンションが謎に上がってきた。
「やめてよ! 流石に高校でそんな関係にはなってないって! それに『好きです』みたいな告白も全然しなかったよ! 他の生徒よりも『自分を贔屓してほしいなぁ』ぐらいの気持ちだったのさ!」
こちらを振り返っては、血色よく頬が染まっていた。
さっきまで、号泣していたとは思えないくらいの声色で。
照れ笑いする月岡さんを見ながら、僕はニヤニヤしながら話を聞いていた。
「僕が1年生のときに、化学の教科担当になって、2年生からは理系クラスに進んだけど、廊下ですれ違うぐらいで接点があまり無かったかな。 3年生のとき、クラスの副担任だったから、必然的に絡む機会が増えたって感じ」
僕の方を見て話す月岡さんが、高校生に戻ったのかっていうくらい、高揚した様子だった。
「今でも鮮明に覚えているよ。 白衣姿で教室入ってくる瞬間がね、綺麗だったんだ。 あと、自分のノートを覗きながら一生懸命、黒板に字を書く姿も可愛かった。 彼女、両利きだから、どっちの手でも黒板に字が書けるのね。 『今日は左で書くんだ!』って思いながら板書してたよ」
懐かしい記憶が浮かび、月岡さんは肩をすくめて笑っていた。
僕も「青春ですね!」と月岡さんに釣られて笑顔になる。
「じゃあ、卒業式は先生に告白とか……?」
僕が問いかけると、声を出さずに首を振る月岡さん。
淹れたコーヒーを両手に持って、再び僕の近くに戻ってきた。
「不思議なものでね、卒業式当日に美佳子さんと……先生とどんなやりとりしたか、あまり覚えていないんだよね……」
怪訝そうな顔でコーヒーを控えめに飲みながら、月岡さんは呟いていた。
「そうでしたか……でも、分かります。 肝心なこととか、思い出したいことって、案外あまり覚えていませんよね」
僕もたくさん香織との思い出はあるはずなのに、モノによっては断片的なところしか覚えていないこともある。
もしかすると、細かいことは忘れてしまっているかもしれない。
そう思うと、やっぱり悲しく感じてしまう。
「それに僕、今の年を考えたら20年以上も前の話だよ? 僕からしたら大昔だから!」
僕の嘆きとは反対に、月岡さんは自虐的に笑っていたのだった。
「月岡さんが当時18歳だとしたら、奥さんって大体今の僕くらいですか?」
「そうだね。 高校生からしたら、いいお姉さんだよね。 学生の時は、恋愛対象というより美佳子さんのファンに近い感じかな。 だから、美佳子さんのことを本気だと分かったのは卒業して大分経って……久々に再会したときだね」
そう言った月岡さんはやはりどこか悲しい顔をしていた。
切り返すように、僕は話の続きを尋ねた。
「いつ頃に会えたんですか?」
「僕が教師になって数年経ったくらいかな。 僕が28とかで、美佳子さんは38だった気がする」
一瞬、2人の年の差に驚いたが、前に月岡さんと会ったときに、奥さんとは10歳違うと言っていたことをふと思い出した。
「本当に偶然だよ。 美佳子さんは年齢の割に昔と変わらなかったかな。 強いて言えば、ちょっと痩せてたかなってくらい」
痩せていた理由は、その時からすでに病気を患っていたのだろうと感じ取った。
「月岡さん、学校の先生だったんですね」
香菜子さんたちの会話で、月岡さんが学校に関連する仕事をしていると薄々感じていたが、ここで「学校の先生」だと確信に変わった。
「あぁそうそう。 なるつもりなかったんだけど、教職取ろうとしたら意外と面白くてさ。 気がつけば数学専攻で、部活に熱心な先生になっていたよ」
「おぉ……月岡先生……」
「カフェイン中毒者」だと言っていたのは、職員室でよく飲むからだと何となく思い付いた。
イメージを膨らませようと、黙って月岡さんを見つめたが「やめてよ! 何想像しているの?」と笑い交じりに先生っぽく一喝された。
「よく『運命の人はビビビッって来る』って言われるけど、それまで全然分からなかったの。 でもね、美佳子さんに再会したときは、なんかこう目が離せなかったの。 変だよね、高校生の僕にはそんな恋心を微塵もなかったのに」
腕を組み、目を瞑って月岡さんはそう言った。
心なしか、学生時代の自分に嘆いているようにも見えた。
「高校生の時よりも成長したんですよ。 大人の魅力に気づいたとか」
「野上くん。 なんだかその表現は……ちょっと違うでしょうよ?」
僕が少しふざけて言ったことで、月岡さんは顔を真っ赤にしていた。
「野上くんこそ。 香織さんと出会ったとき、何か感じなかった?」
丁寧に答え続けてきた月岡さんは、仕返しとばかりに解答権を回してきた。
「あった……ですね……」
図書館で香織と初めて会ったあの日を思い出していた。
「ん、どうした? その微妙な間は何だい?」
月岡さんは僕に顔を近づけ、大げさに様子を伺ってきた。
月岡さんが教師として、仕事をしていると思うと、先週初めて会った時の印象や、僕への接し方など納得できる。
きっと、良い先生なんだろうなと思えた。




