共感してくれる人 1
それからして、再び金曜日の夜がやってきた。
先週の金曜日と比べると、足取りはまるで違う。
この前できなかったことを、今夜こそちゃんとしようと思った。
片瀬ともちゃんと話せて、見送りもできた。
逃げてばかりだったけど、こんな僕に寄り添ってくれた人がいた。
そう思うと、月岡さんの存在は今の僕に必要なのかもしれない。
『ごめんな……野上の気持ちに寄り添えた、気の利いたことが言えなくて』
『俺には軽々しくそんなこと言えないよ……』
片瀬の言葉が、脳裏に焼き付いている。
最愛の人を失った悲しみを経験したことがないから……そう簡単に共感なんてできない。
片瀬の言葉を自分で噛み砕いてみると、途端に胸が苦しくなる。
「……」
深く息を吐き、図書館へ続く短い上り坂に足を踏み入れた。
もしかしたら今日も会えないかもしれない。
いつものネガティブ発想が頭によぎったが、この日は見事に裏切ってくれた。
「月岡さん……」
中に入ると、すでに月岡さんは来ていた。
僕の顔を見た瞬間、椅子から素早く立ち上がり、かなり申し訳なさそうな表情を浮かべる。
前回のような真っ黒なスーツ姿ではなく、半袖シャツに、明るいグレーのパンツ姿だった。
月岡さんの人柄を推測すると、僕に謝ろうと早く来ていたのだろうと悟った。
でも、今日は違う。
僕から月岡さんの元に近づき、真っ先に口を開いた。
「せっ、先日は、失礼なことを言って、本当にすみませんでした」
頭を下げる僕に不意を突かれたのか、月岡さんはオドオドした口調で返事をする。
「あ、いや、野上くん。 初対面の君になれなれしく、僕の重たい話を聞かせてしまって、僕のほうこそ……」
「月岡さんは何も悪くないんです! 勝手に感情移入してしまった僕に非があります」
すぐに否定したい気持ちが先走り、月岡さんの言葉を遮ってしまった。
「野上くん?」
僕の言葉に疑問を感じた月岡さん。
「すみません……月岡さんにお願いがあります。 というか、月岡さんにしかお願いできません」
前回はまともに目を合わせることすらできなかった僕。
月岡さんの目をしっかり見て訴えた。
「僕の話を……どうか最後まで聞いてはいただけませんか」
僕の様子を汲み取ってくれたのか。
月岡さんは先週と変わらず、穏やかな表情で「勿論だよ」と快諾してくれた。
「立ち話もなんだし座ろうか。 あ、コーヒーを持ってくるから座って」
月岡さんは使っていた自分のカップを持ち、僕の分のコーヒーも淹れるために席を立つ。
僕は少し気持ちを落ち着かせようと、椅子に座って深く呼吸をする。
いきなり僕からお願いをしてしまって、不安だったけれど……受け入れてくれて良かった。
本題はここから。
椅子に座ったまま、スマートフォンを手にしてフォルダを開く。
ゆっくりと下にスクロールしながら、あるものを見つけた。
「お待たせ」
月岡さんは両手に2つのカップを持って、1つを僕の目の前に置いてくれた。
「ありがとうございます……」
いつものコーヒーが出てきて少し安心する。
軽く冷まし、一口含む。
コーヒーの温かさが、僕の背中を優しく押してくれた気がして……。
月岡さんは僕の隣で何も言わず、タイミングを静かに待ってくれていた。
「僕には、香織という同い年の恋人がいました」
僕はカップに目線をやっていたので、完全に月岡さんを見ていなかった。
いきなり話し始めたので、少し驚かせてしまったと思う。
若干の間があった後、月岡さんは「どんな人なの?」と返してくれた。
僕はさっき見つけたものを月岡さんにスマートフォンごと渡す。
それは香織の写真だった。
「綺麗な人だね。 笑顔がとても素敵な人」
月岡さんは優しい眼差しで、香織の写真を見てくれた。
見せた写真は、香織と北海道へ旅行に行ったときのものだった。
「富良野にあるラベンダー畑が見たい」と前から言っていた香織。
旅行で念願が叶い、満面の笑みを浮かべた香織の姿がそこにあった。
「僕には勿体ないくらい自慢の彼女でした。 天真爛漫で、表情豊かで。 情も厚くて、気がつくと自分が一生懸命になって。 僕なんかより、芯もあって頼もしい人で。 それから、匂いフェチだったり、食欲旺盛だったり、気分が良いと鼻歌を歌ったり。 眉間にシワを寄せる癖も何もかも……好きなんです」
香織の話で顔が綻んだのは、かなり久しぶり。
こんなことを香織本人に話すと、恥ずかしさのあまり、最後まで言い切れないだろう。
しかし、香織を知らない月岡さんが相手だからなのか、香織のすべてを迷いなく話せた。
月岡さんと目が合うと、仏のような顔して、
「そんな人に出会えて、本当に奇跡だね……」
そう微笑みかけてくれた。
月岡さんの顔を見て、次に話そうとしたことを思い浮かばせるが……唇が震える。
自分の口で言葉にするのが辛くて。
それでも、本当のことを告げた。
「でも、彼女はもう、この世の人にいないんです」
「え……」
月岡さんの顔つきが一気に変わった。
「3ヶ月前に事故で……亡くなりました」
その一言で涙が出た。
僕自身の口から、香織の死を話すのは初めてだったから。
とにかく今は、月岡さんに僕と香織のことを話すしかなかった。
「野上くん、だから先週……」
顔の半分を手で覆い、再び申し訳なさそうな顔をする月岡さん。
「大丈夫ですから……」
謝罪の言葉を言いかけそうになった月岡さんを止めたが……。
拭っても出てくる涙と震える声のせいで、うまく言葉が続かない。
「すみません……」
香織を思い出すからなのか、本当のことを口にするからなのか。
涙は絶えず流れ、唇まで思うように動かない。
僕の我儘を聞いてくれたのに、この有り様。
月岡さんに謝りながら、言葉を発せるタイミングをどうにか掴もうとしていた。
「ゆっくりで大丈夫」
そう言いながら、僕の背中を月岡さんはさすってくれたのだった。
返事をするように、僕はコクコクと頷く。
「事故に遭った直後からショックが大きすぎて……信じられなくて……彼女はいつか帰ってくるだろうと……思っていた自分がいました。 でも、彼女の遺品から婚姻届が出てきて……何で出してなかったんだろう……どうして提出したのが死亡届なんだろうって……」
先に進むためには、とにかく口を動かすしかなかった。
隣からは、鼻をすする音が聞こえていた。
「自分でも、どういう気持ちなのか混乱していて……悲しいし、恋しいし……悔しさもあって……よく分からなくて……よく分からないけど……どん底に突き落とされたみたいで……」
月岡さんは両手を僕の両肩に添えた。
「だからあの日、月岡さんの話を聞いて怖かったんです……自分もいつか、そう言われてしまう日が……来るのかなって……気づいたらあんな風に強く言ってしまいました……」
月岡さんの両手の力が強くなり、僕の肩をより抱くようになった。
「でも、友人が僕に言ったんです。 同情したくても『辛いよね』とか『分かるよ』とか簡単に言えないって……一生を約束した人を失った人にしか、僕のこの……気持ちが分からないって……」
片瀬の涙を思い出すと、それと相まって涙の量が余計に増した僕。
そのとき、月岡さんのズボンに雫らしきものが落ちた。
「友人の言葉を聞いて、僕は後悔しました。 月岡さんになんて態度を取ってしまったのだろうって……」
「大丈夫、そんな悪く思わないで」
懸命に涙声で僕に声を掛ける月岡さん。
僕はゆっくりと体を月岡さんの方に向けた。
「月岡さん……本当にすみませんでした……」
頭を下げ、涙が袖に染み付く。
僕の背中を目にした月岡さんは、強く背中をさすってくれた。
自分の顔が見られないのをいいことに、存分に涙をこぼしていく。
「月岡さん」
少しずつ落ち着き、僕は鼻声で名前を呼んだ。
月岡さんは優しい声で「ん?」と反応をしてくれた。
両手のひらで涙を拭い、
「もし差し障りなければ……今後ここで月岡さんに会ったときは……今日みたいに僕の話を聞いてもらえませんか」
片瀬の話にあったように、僕は月岡さんに「助けて」と伝えたかったのだ。
それからもう1つ。
月岡さんが夜の図書館を生み出した一言……。
『自分の感情が、正直に出せる居場所』であるこの図書館だからこそ、僕が月岡さんに話す意味があると思ったから。
「僕の今の気持ちを心から共感してくれるのが、月岡さんだって思ったんです……友人の話を聞いていて、頭に浮かんだのが……月岡さんだって」
「……ぅう……」
月岡さんは何かがプツリと切れたのか、突然号泣する姿を僕に見せる。
それでも僕のお願いに答えようと、何度も大きく頷いてくれた。
月岡さんは3年という月日の中で耐えていたものが、すべて解き放たれたのか。
それとも僕の姿を見たことで、今までのことを思い出したのだろうか。
こんなにも儚くて悲しくて恋しい感情は、僕と月岡さんにしか分からない。
そう思う瞬間だった。




