親友の涙 2
考え事をしていると、頼んでいたものがテーブルに並べられていった。
「しかし今日はよく喋るな」
食事に手をつけながら、片瀬から話しかけてくる。
「そうかな……でも、そうかも」
「どっちだよ!」
テンポ良くツッコまれ、2人して笑顔が綻んだ。
くだらないことで笑えて、無言でも苦だと思わない関係性だったのに……。
香織のことで、空気が変わってしまった。
片瀬には何もかも迷惑かけて、心配させてしまったが、今日はそうさせたくなかった。
持っていたスプーンを食器に置き、ゆっくり口を開いた。
「片瀬。 異動のことさ、薬局長から少し話を聞いたんだ。 今回の辞令は栄転なんだって」
急に目を丸くした片瀬。
「薬局長に『片瀬とちゃんと会話しているか』って心配されてさ。 だから今日の休みも表向きは有給消化のためだけど……本当は薬局長に、片瀬と話して見送ってこいって」
片瀬は口を動かそうとしなかった。
多分、僕に黙っていたことを悪く思っていたのだろう。
薬局長の計らいが、かえって片瀬の気に障ったのか……それでも僕は。
「ごめん片瀬。 僕が自分のことしか頭になかったから、気を遣って辞令のことを話してこなかったんだろうし……あまり心配かけたくないと思って、片瀬と話すのも、実は気まずいって思っちゃっていて……」
片瀬には……自分の気持ちを正直に話そうと決心した。
「香織のことと、僕のことで迷惑掛けたから……今日くらいは……って思ってさ」
辿々しい言葉であっても、気持ちを伝えることに意識する。
片瀬は僕の目を見たまま黙って耳を傾けてくれた。
「香織のことがあって気づかされたんだ。 当たり前が……どれだけありがたいことなのかって……」
言いたいことが山ほどあったのに、言葉が綺麗に並べられない。
肝心なことが言えなくてもどかしかった。
すると、片瀬は改まった姿勢で僕に言いかけた。
「野上はさ、俺に申し訳ないって思っているようだけど、俺は野上に感謝されたくて心配しているんじゃない。 友達として、同期として、できる限りの事をしたいって思っているからだよ」
片瀬は話を続けた。
「覚えているか。 6年生になって国試のために模擬試験が続いていた頃のこと」
「え、うん。 大変だったのは覚えているけど……」
いきなり昔の話をされて驚いたが、片瀬は真剣な表情だった。
「俺、平均点すら取れなくて、教授からもダメ出し食らっていてさ。 周りは自分のことでいっぱいいっぱいなのに……野上は俺のこと助けてくれてさ。 今の俺は野上のお陰でここにいるようなもんだ。 野上に一生掛けて返さなきゃいけないくらいの借りがあるのに、野上が辛くて苦しいときに寄り添えなくてどうすんだよ」
「一生掛けて」なんてとんでもない。
僕が過去に片瀬へそういうことをしたのは、国家資格を一緒に受かりたいと心底思ったからだ。
片瀬に感謝を伝えるはずが、片瀬に感謝されるという予想外の事態になってしまった。
「でも、これから異動しちゃうんだけどな、俺……」
異動のことを嘲笑っていたが、すぐに話を切り替えた片瀬。
「異動のことはちゃんと言ってなくて、俺のほうこそごめん。 でも、気を遣ったというか、なんていうか……キャリアアップはしたいと前から思っていたけれど『今このタイミングかよ』っていう戸惑いと。 本当は野上に話したかったけれど、どういうテンションで野上に向き合って話せばいいかわからなくて……こんなの言い訳だよな……」
「そんなことない」と、首を振った僕。
片瀬は話を続けるが、徐々に声を震わせていた。
「それに、野上と香織ちゃんがどれだけ想いあっていたかもこの目でずっと見てきた。 誰しも2人の幸せを願っていたのに……野上の気持ちもあると思って、俺ずっと黙ってたけどさ……やっぱり俺、悔しい……。 香織ちゃんが親御さんと野上を置いていったっていう現実がどうしても信じられなくて。 葬式ではあまり泣けなかった……親御さんと野上を思ったら、あれほど悲しい葬式あるのかって……」
「片瀬……」
片瀬の目から光るものがあった。
滅多に見せない片瀬の表情に、僕まで引き込まれそうになる。
「だからさ、何でこのタイミングで異動なんだよって、すげぇ思ったの。 野上から離れたら……って思うと不安で……」
片瀬は明言しなかったが、ただ僕のことが心配なんだと悟った。
確かに僕の精神状態は……いつ何の間違いが起きても、おかしくかもしれない。
「同情したくても、香織ちゃんのことに関しては『辛いよね』とか『分かるよ』とか簡単に言えない。 ごめんな……野上の気持ちに寄り添って、気の利いたことが言えなくて……でも、俺には軽々しくそんなこと言えないよ……」
僕に寄り添おうと、理解しようとして……片瀬なりに苦しんでいたとは思わなかった。
むしろ「いつまでも落ち込んでいるなよ」くらいの気持ちでいて、僕に軽く発破をかけていたと思っていた。
だがそれは、僕の思い違いだった……ごめん片瀬……。
片瀬は逞しくて長い腕を伸ばし、僕の左肩に右手を置いて、
「辛いときは辛いって言っていいんだ。 助けてほしかったら助けを求めていいんだ。 お願いだから、野上に間違った選択をしないでほしいんだ……」
言葉を詰まらせながら、涙目で訴えたのだった。
片瀬が話す「間違った選択」の意味を、僕は何となく察していた。
そう表現した片瀬の優しさが、痛いほど伝わる。
あまりにも真剣な目をしていたので、僕はずっと言いたかったことを口にした。
「ありがとう、片瀬」
片瀬の涙を見て、自分も堪えていた涙を流した。
アラサー2人が、向かい合って泣いているのは、ちょっと異様かもしれないが……。
片瀬の思いを知ることができたなら、これでよかったのかもしれない。
「うん……そうだから……やっぱ辛くて、香織のことをまだ受け入れられない……」
こんな話をしてしまったら、片瀬よりも泣いてしまう。
片瀬の話を聞いたことで、窮屈に張っていた糸がプツンと切れ、本心をさらけ出す。
「そうだよな……うん……もう喋らなくていいから……」
力強く僕の肩を掴んでくる。
自分のために泣いてくれる友達がいるって、奇跡的なことだよね……こんな自分のために……。
「なんか、ごめん……結局、こんな話しちゃって……」
流した涙を拭いながら、机に置いてあった箱ティッシュを片瀬のほうに回した。
「野上、いちいちそうやって謝るな。 癖みたいになっているぞ」
片瀬は盛大にティッシュで鼻をかみながら、僕にツッコミを入れてきた。
「うん、ごめん……あ、気を付ける」
注意された直後、また謝ってしまった僕。
そんな僕に、片瀬は歯を見せて笑っていた。
「なぁ、野上。 俺が向こうに行ったら、1日1回はメッセージ送れよ?」
「えっ? なんで……」
「スタンプ1個でもいいから送ってこい! 言っとくけど、野上が嫌がっても俺はしつこいからな! 分かったな?」
さっきまでめそめそ泣いていた男が、命令口調で脅しをかけてきた。
高低差の激しさに「分かったよ」と渋々要求を呑んだ。
「よし! あと、そのオムライスはマジで完食しろよ?」
片瀬はフォークを持ち、カルボナーラに手をつけた。
いつもの調子に戻った片瀬を見て、僕は少し嬉しくなる。
言われたことにちゃんと頷いたが、
「あーあ。 パスタが冷めちゃったよ」
笑いながら片瀬が言うので、僕もそれにつられて笑った。
「片瀬。 遅くなったけど、栄転おめでとう」
一瞬驚いた顔を見せたが、僕の言葉にニカっと笑う片瀬。
「泣き腫らした顔、ひどいぞ」
片瀬に突っ込まれたが「ありがとう」の代わり、愛情の裏返しと受け止める。
片瀬とのお昼ご飯は、大学の学食で一緒に食べたときのような……そんな温かい空気だった。




