香織エピソード 1番古い記憶
僕が晴れて大学を卒業した後。
香織と東京へ同棲する準備のために、僕の家で梱包作業をしていた日のことだった。
「自分の中で一番古い記憶ってある?」
香織からこんな質問がやってきた。
こういうとき思うのが、香織は質問の幅が広くて良いなと思う。
普段、自分から喋りかけない僕でも、香織から振られる話題に面白く乗ったり、考えさせられたりする。
「一番古い記憶?」
「小さい時のことって、印象的なことだけ覚えているじゃん? 例えば大怪我した時のこととか、自分の下に兄弟ができた日のこととか、その中で一番昔だなっていう記憶あるかなって思って」
「なるほどね。 覚えていることは覚えているけど、一番昔だって言えることを挙げるのって難しいね。 え、何だろう……」
自分でも気になりだして、小さい頃の記憶を掘り起こそうとした。
「改めて考えると難しいよね! 私もすぐには出てこなかった」
僕の考える姿に、彼女は笑い混じりにそう言ってきた。
恐らく、僕の小さい頃の写真が出てきたのがきっかけで、香織はこの話を振ってきたのだろう。
作業を中断し、香織が淹れてくれた紅茶と一緒に昔話が始まった。
「ちなみに香織の中での一番古い記憶は何だったの?」
自分の古い記憶は簡単に出てこなかったので、一旦彼女に聞いてみた。
「私は家に犬が来たときかな」
「今飼っているモンちゃん?」
香織の実家には遊びに行ったことがあり、犬を飼っていることも知っている。
だが、僕が見たモンちゃんはまだ若かったと思う。
「ううん。 今いるモンちゃんのお母さんにあたる、ラミちゃんが家に来たときかな。 私その時、3歳ぐらいかな……」
「本当に小さい頃だね。 どういう経緯で飼い始めたの?」
「お父さんに『ワンちゃん飼いたい』ってお姉ちゃんと言ってたら、お母さんに内緒で買ってきちゃって。 お父さん、最初ドヤ顔で帰ってきたのに、お母さんにすごく怒られていたの。 飼いたいって言っていたの、私とお姉ちゃんなのに」
香織が笑いながら家族の話をしていると、聞いている僕も楽しく感じる。
「香織のお父さん、すごく優しいから想像つくわ」
「お母さんが怖かったせいか、ラミちゃんとても大人しかったし、お利口なワンちゃんだったんだよね。 ほとんど吠えなかったし」
「結果的に良かったじゃん!」
「しかも一番反対していたお母さんが、ものすごくラミちゃん可愛がっていた!」
「え?そうだったの!?」
香織の両親を知っているからこそ、笑って聞けるエピソードに思わずほっこりした。
「ちなみに、名前の由来は……」
「ハラミのラミちゃんから!」
「やっぱり!」
今いるモンちゃんは、ホルモンのモンを取って付けたことを思い出し、話していたラミちゃんの名前の由来も敢えて聞いてみた。
「覚えていたの? 名前のこと」
「そりゃだって。 高坂家みんな肉好きで、犬に付ける名前までお肉関連っていうの、わりと印象的だったから」
香織はこうやってよく、家の話をしてくれる。
聞いていて素直に楽しいし、僕も香織のご両親はとても好きだ。
「そう考えると、古い記憶、僕にもあるかもしれない」
「え? どんなこと?」
彼女は目を大きくして体を前のめりにさせた。
期待の眼差しを向けてくれたが……。
僕の記憶が正しいのか、あまり自信はない。
「いやでも、ちょっと微妙なんだよね」
「まぁ、小さい頃の話だし、所詮そんなもんじゃない?」
「本当にあったことなのか、それとも夢で見たことかもしれないし」
眉間に少しシワを寄せ「どういう感じなの?」と、香織は僕の話に食い気味になる。
「覚えているのが、父親と母親。 それと、じいちゃんとばぁちゃんが大泣きしているの。 で、僕は3歳なるくらいかな。 まだ小さいから、みんなが泣いている理由が分からなくて……目の前に大きい箱があって、中を覗こうとしたら、父親に抱きかかえられて『見えるか? お前の叔父さんだぞ』って言われて。 そこに百合の花に囲まれた叔父さんが眠っていたんだよね」
「大きな箱っていうのは、棺だったってこと……」
僕が話した古い記憶は、若くして亡くなった叔父の葬式。
理解が早い香織は、僕の古い記憶が何なのかを察していた。
「僕にとっては『眠っている』しか感じなくて『死』っていうのが分からなくて。 それが『悲しい』『泣く』に結びつかなくて……でも、みんな叫ぶように泣いていて。 小さい僕は『みんなの真似をしたほうがいいのかな?』って思って、棺に持たれて顔隠して、泣く素振りをしたっていう……」
「3歳だったら、分からないよ」
僕以上に香織のほうが今にも泣きそうな顔をしていた。
「うん。 それに僕、叔父さんとの思い出が記憶に残ってないんだよね」
実際、僕の叔父は亡くなっている。
当時の僕はまだ幼く、叔父の生前をあまり知らないのだった。
「そっか。 仮に夢だったとしても、結局悲しい出来事が古い記憶として残っているもんね」
「そうだね」
少しぬるくなった紅茶を2人で飲み、香織は思いついたように口を開いた。
「多分さ、叔父さんからのメッセージなんだよ、きっと」
「え?」
香織の発言に不意を突かれ、半笑いで返事をしてしまった。
「本当にその場で起きたことか、誠司が見た夢かどうであれ……思い出が残らなくても、別れの瞬間だけでもいいから、自分のことを忘れないでほしい。 誠司の中に、自分が映る記憶を叔父さんは残したかったんじゃないかな」
「なんか急に哲学みたいだな」
あまりもスラスラと語る香織に僕は驚いていた。
しかし、このときの香織はいつになく真剣だった。
「私ね、思うんだ。 二度と会えなくても、心の中でずっと生き続けているって」
少し涙目の彼女が美しく微笑みかけてきた。
今となっては、香織のその言葉が余計に僕を辛くさせるのだった。




