いずれ来る現実 2
香菜子さんが戻ってきたのか、もしくは遼くんだろうか……。
「あ、こんばんは」
現れたのは、漆黒のスーツを身に纏った男性だった。
見た感じでは40を過ぎたぐらいだろうか。
感じの良さそうな笑みで、僕に挨拶をしてきた。
「こんばんは……」
予想していた人物とは違って、初めましての人。
動揺する僕は、そっけない挨拶をしてしまった。
遼くんの他にも利用者が来ることは認知してはいたが……。
この時間にこの場所で、香菜子さんと遼くん以外の人と出くわすのは初めて。
やはり気まずい……さっさとコーヒーを飲んで帰ろうと瞬時に思った。
やって来た男性は何の戸惑いもなく、コーヒーが置いてある場所へと向かっていった。
きっと、遼くんみたいに図書館の常連なのだろう。
とにかく飲み終わらせることに専念しないと……。
しかしコーヒーは淹れたばかりで熱く、すぐには帰れなさそうだった。
「あの……お兄さん」
呼ばれていることに気づかず、熱さに耐えながらコーヒーを飲むことに集中していた僕。
「お兄さん」
「!」
驚いた拍子に、危うくコーヒーを溢しそうになった。
「ごめんお兄さん。 僕が声をかけたんだ。 大丈夫?」
声がした方に体を向けると、挨拶をしてきたさっきの男性だった。
「あぁ、大丈夫です」
僕の挙動不審をよそに、男性は優しい顔をして、僕の席から1つ空けた椅子を引き、ゆっくり腰を掛けた。
「ここで人に会うのは珍しいから。 つい声掛けてしまって」
「そう、でしたか」
コーヒーを一口飲み、男性は小さく微笑んで、
「うん。 今日も美味しい」
熱々のコーヒーに臆することなく、美味しそうに飲んでいた。
遼くんもそうだったけど、見たことない人が図書館に来ると、物珍しさで声かけられる感じなのか。
それはそれでなんだかなぁ……。
僕の緊張感とは違って、男性はリラックスした様子。
ならば、こちらからも話し掛けてもいいのだろうか。
思い切ってあることを聞いてみた。
「あの……ここで飲むコーヒーって、何か特別なことってありますかね?」
この人にもコーヒーの美味しさを感じるのだろうかと、勇気を振り絞って質問した。
「特別なこと?」
質問が抽象的過ぎて、かえって混乱させてしまったか。
変な奴と思われただろうか。
僕は必死に質問の意図を説明した。
「僕、ここで飲むコーヒーが美味しいなって感じることがあって……例えば高級なコーヒー豆を使っているとか、コーヒーメーカーが良いやつとか……」
男性は目線を僕に合わせ、頷きながら聞いてくれた。
「あぁ、ここのコーヒー、美味しいよね。 ただのインスタントに見えるけれど、スーパーでは見かけないパッケージだし。 職場でもコーヒーはよく飲むけど、同じようなメーカーあったかな……」
コーヒーのパッケージを確認するために、わざわざ席を外した男性。
初対面なのに、すごく温和な人だ。
僕は自分に無理をして、親切心を取り繕ってしまうことがあるが、男性には自然と出てくる優しさが感じられる。
仕事でもコーヒーを飲むということは、デスクワーク中心の仕事をしている人なのだろうか。
だからスーツ姿?
勝手なイメージをしていた。
「うーん、英語は分からないや……香菜子さん本人に聞いてみたほうが早そうかもね」
コーヒーのパッケージを見せながら、男性はそう言った。
「すみません。 初対面なのに、変な質問してしまって……」
「いやいや、こちらこそ申し訳ない」
申し訳なさそうな表情をする男性を見て、ほんの少しだけ共感が湧いてきた。
男性は再び椅子に座り、コーヒーを口にする。
僕も真似するように飲んだが、未だにコーヒーは熱い。
「お会いするのは初めてだよね。 僕はここに通い始めて半年ぐらい経つんだけど」
またしても男性のほうから話が振ってきた。
でも、さっきよりは話せる気がして、
「はい。 僕は今日で3回目なので、この図書館では新参者です」
「ははは! 新参者ね」
相手は笑ってくれた。
「きっかけは何で知ったの?」
初対面の人に「酔った勢いで来ちゃいました」とは流石に言いづらい。
「寝つけないなと思って、夜中に散歩していたら、ここの明かりが点いていたので……」
説明不足なところがあるが、あながち間違いではない。
そう自分に言い聞かせた。
「そっかそっか。 でも、僕もこの図書館へ通うようになったのも、似たようなきっかけだったかもしれない。 目が冴えているときは、僕もこうしてここに来るんだ」
両手でコーヒーカップを持ちながら、男性は話していた。
「眠れないこと、あるんですか?」
『眠れない』という共通点を耳にしたことで、無意識のうちに聞き返していた。
「あるある。 年を取れば早く寝て、早くに目が覚めるかなって思ったけど、僕は違ったみたい。 体質のせいもあるのかなーなんて」
明るく言ってはいるが、何か事情がある気もする。
これ以上詮索するのは良くないよね……。
「眠れないと辛いですよね」
「お兄さんもそう思う?」
27歳で『お兄さん』と呼ばれていいのかと気になってしまい、
「はい。 あ、僕、野上誠司っていいます」と、自分から名乗っておいた。
「野上くんか。 僕は月岡聡志です。 よろしく」
「月岡さんですね」
聞き間違いがないように名前を復唱した。
「話が逸れたね。 眠れないのは仕事でのストレス?」
「あ。 それもあるのかもしれませんが……」
「ああ、ごめん。 話しにくいこと質問して。 僕より若いだろうから、てっきり仕事のストレスとかで寝られないとか思っちゃった」
俯いた僕を見て、ただならぬ何かを察した月岡さんはすぐに謝ってきた。
月岡さんはまったく悪くないのに。
初対面の手前、聞かれて困る質問はどう切り返したらよいのやら……。
館内が暑いわけではないのに、冷や汗が出そうだった。
「確かに僕の年代だと、大体の人は仕事で忙しくなりますね」
僕も何とかして、自分のことを掘り下げられないように気をつけた。
「え、女性じゃないから聞いていいかな。 野上くん、年いくつ?」
「27です。 今年28になります」
「やっぱり。 僕と一回り違うもん」
といことは39。
思ったよりも年齢が若かったので、内心少し驚いていた。
「そうなんですね。 一回り上って感じ、しませんけど……」
思ったことをストレートには言えないので、口ではそう返すしかなかった。
「そう? ずいぶんと老け込んだよ」
月岡さんは笑って言っていたが、どこか悲しさも感じられた。
「……家はここから近いんですか?」
次の一手が分からないまま、今度は僕から違う質問を振ってみた。
「歩いて10分くらいかな」
「少し歩きますね」
「そうだね。 でも、駅に行くほうが遠いんだ。 駅から帰る途中に図書館がある感じ」
「なるほど。 僕との家とは逆方向になりますね」
「そっかそっか」
「……」
「……」
当たり障りのない会話は、早い段階で終わってしまった。




