今宵、図書館で逢いましょう。
見慣れた夜の景色。
空を見上げると、星たちがはっきり見えるほど空気が澄んでいる。
季節はいつの間にか冬を迎えていた。
ポケットからスマートフォンを取り出すと、ちょうど片瀬から電話が……。
『お、珍しい。 すぐに出たな!』
「たまたま手に持っていたからね。 どうかした?」
『何だよ。 用がないと電話かけちゃいけないのかよぉ!』
「そういう意味じゃないって」
異様にテンションが高い片瀬。
僕から特に言わなかったが、酒を片手に電話をかけてきたのだろうと思った。
『しょうがないだろ! 俺に恋人なんていないんだから! 電話の相手くらいしてくれよ!』
「ハイハイ、分かったから!」
あまり呂律が回っていない片瀬の姿に、僕はクスクスと笑っていた。
「そっちはどう? 軽井沢は東京より寒いだろ?」
「あぁ、寒いよ。 でも、フラッとスノボに行けるから、そこは良いかな。 明後日にもで行こうと思って」
「いいじゃん。 あ、そういえば関谷くんも冬休みにスノボ行くって言ってたな」
『例の実習生?』
「そうそう。 でも場所は新潟だって」
『そっちか。 野上も新潟で香織ちゃんとスノボ行っただろ?』
片瀬は僕の話を覚えてくれていた。
香織の名前が出てきた瞬間、僕は妙に嬉しかった。
『1回会ってみたいな、その実習生』
「関谷くん、本当に良い子だよ。 片瀬もきっとそう思うよ」
『だろうな。 野上が言うなら間違いなく良い子だろ!』
「片瀬……」
活気に満ちた片瀬の声は、外の寒さを和らげるほど温かく聞こえる。
他愛のない会話なのに、僕の口から思わずこんな言葉が出てしまった。
「……いつもありがとね、片瀬」
『え? いきなり何で?』
「いや、なんか急に言いたくなっただけ」
いつも僕を気にかけてくれてありがとう。
僕と香織を見守ってくれてありがとう。
片瀬には他にも「ありがとう」を伝えたいことが多いので、あえて「急に言いたくなった」と濁した。
『なんだよそれ。 じゃあもう1回言ってくれよ』
「やだよ」
『次はもっと感謝の気持ちを込めて』
「えぇ!?」
その後もグダグダなやり取りが続いた末、片瀬のご希望通り2度目の「ありがとう」を言うことになった。
***
片瀬との電話が落ち着いたところで、さっきよりも歩く速度を上げる。
白い息を吐きながら、人気のない街道を真っ直ぐ歩く。
今日は普段より荷物が多い。
形が崩れないよう、荷物を慎重に持っていた。
「着いた……寒い……」
どんなに季節が移り変わっても、冬の図書館は依然として何も変わらない。
でも、僕にとっては居心地が良くて安心する場所だ。
今日も1階だけ明かりが点いていた。
背中を扉に押し当てて中に入ると、
「待っていたよ、野上くん」
「こんばんは」
優しい声で迎えてくれたのは月岡さんだった。
「わぁ、すごい! これ月岡さんが用意してくれたんですか?」
いつもは殺風景な壁面が、色鮮やかな風船の飾りが綺麗に並んでいた。
「せっかくやるなら、雰囲気から入ったほうがいいかと思って。 香菜子さんには飾り付けのことは許可もらっているから安心して」
「いいですね!」
今日は結翔くんの誕生日をやるために集まった。
時間は遅いので、主役の結翔くんは来ないのだが……。
香菜子さんには来てもらえればということで、僕と月岡さんで準備をしていた。
「あ、ケーキここでいいですか?」
「うん、ありがとうね。 どんなケーキにしたの?」
僕は仕事の帰りにケーキを買い、図書館に持ってきた。
そっと机にケーキを置く。
「4号サイズで、ガトーショコラにしました」
「お、いいね!」
「僕も飾り付け手伝います!」
僕も月岡さんのフォローに入った。
ふと視線をやったとき、雑誌コーナーの中が変わっていた。
その中には、愛花さんが表紙を飾った雑誌も……。
「あ、愛花さん」
雑誌を手に取ると、以前よりもカッコイイ姿をした愛花さんが写っていた。
「そうだ。 三木愛花が出るハリウッド映画の予告が解禁されたの知っている?」
「見ましたよ。 予告だけでも豪華でしたね」
たった30秒の予告動画だったが、作品の世界に引き込まれそうな勢いだった。
「もし日本でも公開したら、一緒に見に行かない?」
思いがけないお誘いに驚いたが、とても嬉しかった。
「僕でいいんですか?」
「もちろんだよ!」
目がなくなるほど笑う月岡さん。
愛花さんの映画、日本でも見られるようになるといいな……。
そう思っていると、
「2人おいででしたか。 って、これ……」
やってきた香菜子さんは、壁の装飾だけでなく、机に置かれたケーキとお菓子にびっくりしていた。
「香菜子さん、お待ちしていました!」
「あ、結翔くんもいる!」
香菜子さんの腕には、ニコニコ笑う結翔くんもいた。
「さっきまで寝ていたんですけど、結局起きちゃって。 なかなか寝ないので連れてきちゃいました」
あれから香菜子さんは、おじいさんの相続や遺品整理を少しずつ進めたようで、引っ越しも年内に決まったそうだ。
週に一度会うたび、香菜子さんの表情が穏やかになっていく姿に、僕はホッとしていた。
「ちょうどよかった! あとで食べられたらと思って、結翔くんが食べられそうなお菓子も持ってきました」
「まぁ、こんなに用意してもらって……ありがとうございます!」
香菜子さんは結翔くんの顔をそっと覗き込み、
「今日くらいはちょっとだけ夜更かししよっか。 ねぇ、結翔。 いっぱいお昼寝したもんね」
香菜子さんに笑顔を返す結翔くん。
最近は少しずつお喋りするようになり、成長を毎回感じさせられる。
「月岡さん、これもプレゼントですか?」
「うん。 1歳くらいだと、こういうので遊び始めるかなと思って」
「すごく嬉しいんですけど、こんなにたくさんいいんですか?」
「いいんですよ! 僕にとって結翔くんは孫みたいなもんだから」
「さすがに孫は言い過ぎじゃないですか!」
香菜子さんは大笑いしているが、月岡さんの心理は何となく理解できる。
僕もケーキの他に持ってきたものをゆっくり出した。
「あの……月岡さんのほどじゃないんですけど、僕からも……」
「えぇ! 誠司さんまで! ありがとうございます!」
ここまで豪華になってしまうとは、香菜子さんも予想していなかっただろう。
「よかったね結翔。 ありがとうって2人に言えるかな?」
喃語を少し喋りながら、笑顔で拍手する結翔くん。
まるで本当にお礼を言ってもらえたようだった。
「か……かわいい……」
おじさん2人は、いつもこうやって結翔くんに癒されていた。
「そうだ! 遼くんから手紙が届いたんですよ!」
カウンターの引き出しから、1通の手紙を持ってきた香菜子さん。
丁寧にハサミで封を開けていき、手紙の内容を月岡さんに読んでもらった。
そこにはアメリカ生活でのこと。
遼くんの英語が一向に上達しないこと。
心臓の手術のこと。
街中で愛花さんの撮影現場に遭遇したこと。
どれも濃いエピソードばかりで、読みながら笑っていた。
まるで遼くんも図書館にいて、直接話してもらっているような感覚だった。
「遼くんは手術が上手くいって……愛花さんは無事にハリウッド女優となって……本当に良かったですね」
遼くんの手紙を読み終えた後、ケーキとお菓子を食べながら3人で談笑する。
僕の呟きに、月岡さんと香菜子さんも同感してくれた。
「2人がもし日本にいたら、図書館に来てくれましたかね?」
ふと、月岡さんはこう話題を振ってきた。
「来てくれそうですね。 愛花さんはお仕事で来られない可能性もありそうですけど、前向きに考えてくれそうですし……遼くんは確実に来ますね」
穏やかな笑みを浮かべながら、香菜子さんは僕が淹れた紅茶を飲んでいた。
香菜子さんは初めて紅茶を飲んでから、アップルティーを気に入ってくれた様子。
図書館はコーヒーと新たに紅茶が置かれるようになった。
「そしたら賑やかですね。 きっと」
仮にそんなことが実現したら、プレゼントは愛花さんの1人勝ちになりそうだ……想像するだけでとてもワクワクしていた。
「でも、私は今のままでも充分嬉しいです」
微笑む香菜子さんはそう言って、僕と月岡さんに目線を合わせてきた。
「美佳子さんと香織さん……弘樹も……今日ここに来てくれているんじゃないかって思います」
香菜子さんの一言に心が打たれた。
思わず月岡さんと目が合ってニコリと笑う。
もし今も香織が生きていたら……。
僕と一緒になって図書館についていくだろうし、結翔くんを「抱っこしたい!」と言い出すだろう。
おまけに、ケーキとお菓子を誰よりも美味しそうに食べている姿が想像つく。
……考えるだけで涙がこぼれそうになった。
「そうですよ。 一緒に祝っていますよ」
「結翔くんはみんなに愛されていますから」
僕と月岡さんは、香菜子さんの言葉をしっかりと受け止めた。
美佳子さんなら、温かい眼差しで結翔くんを見守るだろうし……。
弘樹さんも、息子が1歳を迎えた姿はきっと嬉しいはずだ。
忘れてはいけないのが、香菜子さんのおじいさんとおばあさん。
お2人もひ孫の成長に目を細めているだろう。
ここにいる人たちみんなが笑顔で過ごしている。
「今日は楽しみましょう!」
「正確には『今日も』楽しみましょう!」
「ここ、一応図書館なんですけどね」
公共の場である図書館で、あり得ないことをしている僕ら。
コーヒーや紅茶を飲み、ケーキとお菓子を食べて、賑やかに喋って……。
深く傷つき、たくさん涙した夜を過ごしたけれど。
この図書館で思いを共有し合い、色んな偶然と奇跡があって今ここにいる。
たとえ届かない思いがあったとしても、この場所でなら伝えられる……。
だから今宵も、愛する人に図書館で逢いましょう。
完




