File.3:邪神の伝承(12)
「どうしてッ!? なんであなたなんかが邪神の力を跳ね返せるのよ!?」
信じられないといった表情で、アンナは声を荒げている。
「これのおかげです」
エルメスは懐からきのこを一本取り出した。それはリヴィの森に自生しているきのこで、アレスが簡易調理したものだ。軽く直火で炙っただけだが、きのこの傘は変色して茶色っぽくなっている。
アレスはエルメスが示すきのこを見て、合点がいった様子で言った。
「そうか。あの時いきなり調理しろなんて言い出したのは、これを予期してたのか」
エルメスはアレスに頷いて、再びアンナに向き直る。
「なぜ犯人はわざわざ伝承になぞらえて殺害を繰り返していたのか、私は疑問に思っていました。伝承にこだわらなければ、特にウィリアムさんの時のように明らかに異質な灰を残すなんて危険を冒す必要はない。きっと何か意味があるはずだ、と」
エルメスはアレスと出会った時、不意に思い出した。伝承のことを「魔法を顕現させる手順だったりする」と言っていたソフィーの言葉を。そしてもしこの連続殺人が何かしらの儀式・手順になっているのなら、最後には邪神に紐づくと思い至った。
「このきのこは、森の中でも邪気が濃い場所に自生していました。だから、きっと邪神の力に耐性があると思ったんです」
エルメスは邪神の力と対面することを予期していた。確証はなかったが、後手後手に回っている中でどうにか先回りできないかと思いついたのがこのきのこだった。自生するきのこの周辺だけ邪気を弾いていたことから、こうした効能があるのではと予想していたのだ。
エルメスの淡々とした説明に、アンナの怒りはむしろボルテージを上げていく。
「だからって、なんでそんなもんで邪気を払えるのかって訊いてるのよ!」
「だってこれは、アレスさんのスペシャリテですから」
アレスのスキル《絶品料理》は、食材の持つポテンシャルを引き上げることができる。普通に調理しただけのきのこでは邪気を払うなど到底無理に近いだろうが、アレスの手にかかったきのこなら――エルメスはそう考え、実際に邪気に負けないだけの耐性を自分自身に付与することに成功したのだ。博打にも似た試みだったが、エルメスは賭けに勝った。
「貴様……ッ!」
アンナは怒りに表情を歪め、わなわなと手足を震わせている。
「ふざけるなッ!!」
アンナが天を仰ぐと、周辺に漂っていた邪気がアンナの元へ吸い込まれていった。
ブワッ、と強い衝撃波がアンナから放たれたかと思うと、肩で息をするアンナの背後に人を象った黒いモヤが2mほどの大きさで実体化していた。リヴィの森に散っていた邪神の残滓が集まって、今ここに邪神として降臨していた。だが、邪神の身体は半分が欠けている。エルメスが一部を霧散させたことで、本来の力を回復するには至らなかったのだ。
「私は……あの村をつぶさなきゃならないんだ……!」
アンナは両手の白い手袋を外した。その両手の甲には、紫色のアザがびっしりと広がっている。
自身の目と耳と口から黒い煙を吐き出しながら、アンナは呻くように言う。
「生まれつきあった私のアザを見て邪神の呪いだと陰口を叩いたあいつらを……疫病神だと罵ったあいつらを……私が潰すの……」
エルメスを睨みつけるアンナの両目からは、黒い涙が流れていた。
「そのせいで自殺に追い込まれた両親の仇を、私が討つ! 本当の邪神の力でね!!」
叫ぶアンナが両腕を振り下ろすと、身体半分だけ顕現した邪神がエルメスに飛びかかる。
「やらせるかよッ!!」
火炎の人形が邪神の前に立ち塞がった。
邪神とぶつかり、両者がっぷり四つでせめぎ合っている。だが、火炎の人形の大きさは邪神の半分だ。
火炎の人形が押され始め、ジーンもダメージを受け始めた。
「ぐっ……!!」
ジーンは吐血して片膝立ちになるも、その両手はしっかり前に向けて火炎の人形を操り続ける。
「ジーンさん!」
「情けねえ……」
ジーンは自嘲気味に笑う。
「カリムの雪辱を果たすとかなんとか言ってたが、結局俺が英雄になりたかっただけなんだ。はるか高みの英雄なんかに憧れて――結局その英雄もまやかしだった。でもな……」
ジーンは足の裏に力を込めて、地面がえぐれるほどに踏み込んだ。燃え盛る人形の炎は、一層強く燃え上がる。
「邪神の力なんて許しちゃいけねえってのは、英雄じゃねえ俺でもわかる! お前みたいに他人の命を奪うようなやつは、許しちゃいけねえんだよ!!」
ジーンの《火炎人形》が邪神を押し返す。そこへさらに、フィオネは自らの身で参戦して火炎の人形と一緒に邪神を押し返した。
「フィオネ!」
「……私のスキルはあんたと相性が悪い。お互いに威力が半減しちゃうから。でも――」
フィオネは横にいる火炎の人形の熱気をモロに受けながらも、邪神の腹部に組み合って力を込める。
「この距離なら関係ない」
「《氷結操》!!」
フィオネのスキルが発動した。
フィオネのスキルは邪神とゼロ距離で発動したことで近くにいる火炎の熱気の影響を受けず、邪神の身体は、内側から強烈な冷気にさらされて動きを鈍らせている。
「こざかしいやつらめ……!!」
アンナは拳を握って、邪神を自分の元へ引き戻した。
「私はやり遂げなきゃいけない……お父さんとお母さんのためにも、絶対に復讐しなきゃいけない……!!」
アンナの身体から、黒いモヤがオーラのように溢れ出す。
「こうなったらしかたない……私自身が……邪神になってやる……!!」
アンナは邪神と同化するように身体を重ねた。
すると、雷がアンナの頭上から落下する。
悲鳴のような激しい衝撃音とともにほとりに立つアンナからの衝撃波で池の水は弾け、一瞬にして干からびた。
濃い霧の中心には、仁王立ちするアンナのシルエットがある。アンナは全身が真っ黒のモヤに変化して、かろうじて目だけが黄色に光っていた。
「殺ス……全イン……」
背筋が凍るとはまさにこのことか。エルメスはアンナの姿を見るだけで死を意識した。まるで死神の鎌が首元にかかっているような、身じろぎ一つで首を飛ばされてしまうような恐怖が全身を駆け巡っている。
「くそっ、こいつは……」
ジーンも、そしてフィオネとアレスも、アンナの姿に絶望感を抱いていた。邪神の力を肌で感じて、勝ち目のなさに思考が曇る。まさに、時が止まったような感覚だった。
「おい、シャレになってねえぞ……」
ジーンの声が震えている。
「問題ねえ。きのこの効果で、邪神の顕現は不完全だ。そう長くは保たねえはずだ」
アレスの言う通り、アンナの身体を構成する黒いモヤは、左腕と左足を失っている状態だ。しかもアンナの身体が徐々に霧散して小さくなっているのをアレスは見逃さなかった。崩壊の兆候である。
しかし、気丈に言葉を発しているアレスだったが、その頬には一筋の汗が流れていた。
「だが……先に俺たちはやられちまうかもな……」
一同の表情が引きつる。もはや腹をくくる時間も、祈る時間も残されていなかった。
「終ワリ、ダ」
アンナが指を伸ばす。
もうどの瞬間に死んでもおかしくないと思ったその時――
「《薔薇の楽園》」
アンナの足元から、大量のツタが現れてアンナを拘束した。鋭い棘が無数についたそのツタの先では、赤いバラが華麗に咲いている。
「ア、ガッガッ……」
アンナはツタに拘束され、動けなくなっていた。
「え……?」
声の主、そしてスキルの主を探してエルメスが振り返ると、そこにはエルメスの上長であり冒険者ギルドイーストポール支部長、ローズ・エルドレッドの姿があった。




