File.3:邪神の伝承(4)
赤い狼煙が上がっている。
エルメスとアンナ、そしてルイとジーンが急いでその地点に向かうと、ウィリアムが大木に背を預けて座り込んでいた。狼煙は彼のすぐ近くから上げられている。
「ウィリアムさん!?」
「……ちょっとしくじっちまった」
痛みに耐えて表情を歪めるウィリアムの腹部、そして大腿部から出血が見られる。ウィリアムは腹部を手で押さえ、傷を負った脚を投げるように伸ばしている。少し離れたところには、狼型のモンスターの死骸と、ウィリアムの雷スキルでついたであろう焦げ跡が地面に残っていた。
「じっとしててください」
アンナがウィリアムに駆け寄って、手当てを開始する。
「どうしたの?」
遅れてユーリと、さらに遅れてフィオネも集まってきた。彼女たちもエルメスたちと同じ方向からやってきて姿を見せた。
「なんだよウィリアム。張り切りすぎちまったか?」
ジーンがからかうように言った。ユーリとルイはやれやれといった様子で半笑いを浮かべ、フィオネは眉根を寄せて目を細めている。
「みんな、ちょっと離れてて」
アンナがそう言ってみなを遠ざけてから、ウィリアムに両手を伸ばす。
「《大地の包容》」
アンナの発声とともに周囲3mほどにつむじ風が巻き起こる。その中心にいるウィリアムは、ほろ明るい黄緑色の光に包まれていた。目を閉じるその顔は、とても安らかなものに見える。
スキル名:大地の包容
効果:対象者のダメージを回復させる。
制約:至近距離でないと発動しない。
アンナのスキルを視つつ、エルメスは心配そうに治癒の様子を見守っていた。スキル内容にある『ダメージを回復させる』というのがどの程度かわからないが、なんとか命に別状がなければいいと祈る他ない。
少しして、光は徐々に薄くなっていった。
治癒が終わったらしいアンナはウィリアムに何か一声かけて、エルメスたちの元へ戻ってきた。
「終わりました。しばらく安静にする必要があるけど、もう大丈夫」
「よかった……」
エルメスは胸をなでおろした。危険が伴う試験だとわかっていても、できれば死傷者などは出したくない。アンナが随伴してくれていて本当によかった。
しかし一旦の危機は脱したが、まだ対処するべきことがある。
「でもどうしましょう。ウィリアムさんが動けるようになるまで誰かがついてないと……」
負傷した状態でモンスターに襲われでもしたら大変だ。
エルメスはジーンたちに目配せしたが、みな一様に目をそらした。
ウィリアムが回復するまでの護衛を試験に参加している他冒険者に頼むのは難しい。彼らは彼らで、試験に合格するために時間を浪費することはできない。
「私が見ておきますよ」
そう言って名乗りを上げたのはアンナだ。
「このあたりはそれほどモンスターも多くないですし、ウィリアムさんもすぐに動けるようになるはず。ちょっとくらいなら私も戦えますしね」
「じゃあ、私も残ります」
エルメスはアンナの案に乗っかった。自分一人だけいても参加者の邪魔になるだけだし、それならウィリアムの回復を見届けたい。
アンナは首肯して、エルメスもしばらくここに留まることになった。
「あ、みなさんよかったら……」
そう言って、アンナは人数分の瓶を取り出した。手のひらサイズの瓶には青白い液体が入っていて、腰やカバンからぶら下げられるように緑色の太い紐がついている。
「先に渡しておけばよかったですが、回復薬です。無理しないようにしてください」
ジーン、ユーリ、ルイ、フィオネ、そしてエルメスにも、アンナは順番に瓶を手渡していく。
アンナから回復薬を受け取った参加者たちは再び森の中へ消えていった。ちょっとしたイレギュラーはあったが、試験再開だ。
その後しばらくその場で待機していたが、エルメスたちがいる付近にモンスターの気配はない。これならウィリアムの回復にも問題なさそうだ。このまま何もなければいいと願っていたエルメスだったが、前方にまた狼煙が上がっていた。その白い煙はSOSのサインではないが、何かしらの連絡がある時の色だ。
「何かあったのかも……! 行きましょう!」
アンナに先導されて、エルメスとアンナは二人で狼煙の発信源目指して走り始めた。だが、一分ほどして気がついた。
「あ、でもウィリアムさんが……」
何事もなく時間が過ぎていたので油断しかけていたが、ウィリアムはまだ怪我人だ。二人してあの場を離れるのは危ないかもしれない。
「たぶんもうすぐ回復するとは思いますけど……一応私が見ておきますね。あの狼煙なら緊急事態ってこともなさそうなので」
「お願いします」
そうして、エルメスとアンナはそれぞれ逆方向に駆け出した。エルメスは狼煙の方向へ、アンナはウィリアムの元へ。
狼煙の発信源は、ちょうどエルメスたちがウィリアムの元まで走ってきた道沿いのようだ。先ほど通った道を逆走して、エルメスはその場所にたどり着いた。
踏みならされた土の道の真ん中から、その狼煙は上げられていた。だが、誰もいない。
「誰かいませんかー?」
ヤブの奥や木の裏など、周辺をくまなく捜索したエルメスだったが、この狼煙を上げた人物は見当たらなかった。
「おかしいな……」
何かの手違いだろうか。
エルメスは延焼のリスクを考えて狼煙の元であるスモーク・ストローを踏みつけて火を消した。このスモーク・ストローと呼ばれるワラは狼煙によく使われる。燃えづらい反面多くの煙を排出するため、延焼リスクが低く狼煙として都合がいいのだ。大抵は発火性の魔道具とセットで活用されるもので、案の定そこにも使用済みの魔道具が転がっていた。
それは成人女性の手で握り込めるくらいの大きさの赤い水晶玉で、発火玉と呼ばれている。かなり一般的な使い捨ての発火用魔道具だ。未使用時は透明な赤色だが、今は使用済みを示す不透明な赤色に変色していた。強い衝撃を与えれば発火するという代物で、力が弱い人でも使えるようにほとんどの場合は紐がくくりつけられて遠心力で叩きつけられるようになっている。しかも、事前に設定しておけば発火時間を調整できるという優れモノだ。
「あれ? これ……」
エルメスはその発火玉にくくりつけられた紐をじっと見つめた。太い緑色の紐だ。市販のものにこんな色はついていなかったはずだが……。
エルメスは発火玉をポーチにしまい、再度周辺を観察していた。
すると間もなく、背後からアンナが現れた。
「エルメスさん!」
振り返ると、アンナは鬼気迫った顔で息を切らしている。
「た、大変です! ウィリアムさんが!」
「えっ!?」
エルメスはアンナとともに急いでウィリアムがいた場所に戻った。
「ウィリアムさんッ!!」
ウィリアムが先ほどの大木の根元に横たわっている。出血していて、なぜか周囲には灰がばらまかれていた。そしてモンスターの死体がもう一つ。ウィリアムのそばに倒れていた。
エルメスがウィリアムに駆け寄って声をかけるが、反応はない。ウィリアムの脈はすでになくなっていた。
「ウィリアムさん……」
沈痛の面持ちでウィリアムを見下ろすエルメスに、アンナは申し訳なさそうに言う。
「さっきエルメスさんと別れて、戻ってきた時にはもう……」
「そんな……」
まさかあの短い時間でこんなことが起きてしまうとは。モンスターはいないと判断したのが誤りだったのか。あるいは、人数が減るのを虎視眈々と待っていたのかもしれない。
ウィリアム本人とその付近には、鋭い爪で切り裂かれたような痕跡が大量に残っていた。ウィリアムの上半身を中心に、地面と大木にも爪痕がついている。出血量はその傷に比べると少なく見えるが、激しい戦いがあったことが予想された。
「すみません、私がついていながら……」
「いえ……私の判断が誤りでした。焦っちゃったから……」
アンナとエルメスは、お互いに悔しさと悲しさで顔を歪ませながら頭を下げる。
モンスターとの戦闘でやられたのなら、それはあくまで冒険者側の自己責任だ。過去にもこの試験で死者が出たことがある。ウィリアム自身も、危険は承知だったはずだ。しかし、エルメスに直接的な責任はないとはいえ、痛ましく悔しいことに変わりはない。
エルメスはウィリアムとそのそばに横たわるモンスターの死体を見て、ウィリアムの最期を想像していた。
エルメスとアンナがいなくなり、木に寄りかかって一人で休んでいたウィリアムの元に、この狼型の鋭い爪や牙を持つモンスターが現れる。負傷しているにも関わらず懸命に抵抗して、ついには相打ちになった――そう想像を膨らませていたエルメスだったが、現場の状況に疑問を覚えた。
周辺に、ウィリアムが戦ったと思われる痕跡がない。唯一残っているのは少し離れた場所にある地面の焦げ跡だけだが、これはウィリアムが赤い狼煙を上げた時に戦ったモンスターとの戦闘でついたものである。新しいモンスターの遺体を見ると、そのモンスターはどうやら鋭利な刃物で心臓を一突きされたようだった。ウィリアムの槍よりも、かなり小さな傷跡に見える。
そして何よりも異質なのが灰の山だ。山の裾あたりが削られた円錐状の灰は、モンスターに踏み荒らされたのか多少散らばっていた。一体どこからこんなものが出てきたのか。狼煙を燃やした際に出た灰とは思えない。リヴィの森で灰と言えば、やはり英雄伝承の一節『うず高く灰を積み上げ』が思い浮かぶが……。
疑問を抱きつつさらにウィリアムの遺体をよく見ると、アンナが治癒した腹部と大腿部の傷は癒えていた。だが心臓付近に特に鋭い傷がついている。モンスターの爪痕も付近にあるが、明らかに一つだけ深く鋭い傷だ。これが致命傷かもしれない。
「モンスターの爪が深く入り込んだんですかね……」
アンナはその場面を想像したのか、悲しそうな顔で目をそらした。
モンスターの爪……それにしては、妙に傷口が狭いようにエルメスは思った。隣についている爪痕よりも、傷の線が細いように思える。
「そういえばエルメスさん、先ほどの狼煙はなんだったんですか……? もしかしたら誰かが私たちをウィリアムさんから遠ざけるために仕掛けたのかも……」
アンナの推理は確かにもっともらしい。負傷中のウィリアムなら、死亡しないまでもモンスターに襲われてさらに怪我を負うかもしれない。そうなれば、試験のルールに抵触しない範囲で参加者を減らすことができる。
「発火玉が落ちてたんですが……なんだかおかしくて」
エルメスがポーチの中の発火玉を探す中、アンナは上を向いて考えながら言う。
「発火玉ですか……でも緑の紐は、この辺りではよく使うものですよ。もしかしたら、村の人が上げた無関係の狼煙だったのかも……」
エルメスは白い狼煙の上がっていた場所で見つけた発火玉を取り出した。見慣れない緑色の紐が巻き付いたあの発火玉だ。
「……」
手元の発火玉を見つめながら、エルメスは独り言のようにつぶやいた。
「何かおかしい……」
ウィリアムの死には何かある。鬱蒼とするリヴィの森が不気味な風でざわめく中、エルメスは確信していた。




