File.3:邪神の伝承(2)
リヴィの森は鬱蒼としていて、曇天も相まって薄暗い。植物自体は多く自生しているがただの一輪すら花はなく、妙に陰気な雰囲気だ。
とっくに先行して姿が見えないフィオネを除く全員が、三列ほどになって森の中を往く。
「ここ英雄伝承のある森だよな? もっと明るいとこだと思ってたぜ」
足場の悪い道を歩きながら、ジーンがぼやく。
「『邪神を打ち負かし、この地に種を蒔き、その者は伝説となった』……――ってわりには、やけにどんよりしてるっていうか」
伝承を諳んじながら、ジーンは暗い表情で木々を見上げていた。
ジーンだけでなく他冒険者やエルメスも、同じような印象を抱いていた。その疑問に、アンナが答える。
「そう思われても無理はないですよね。『邪神を倒し、荒れ果てたこの地に緑を復活させた』というような伝承なんですが、実際には邪神の残滓が多く漂っていて……」
「邪神って……何者なんですか?」
邪神の残滓が漂っている――そう言われると、エルメスは背筋が凍える思いだった。
「邪神という呼び名しかわかりませんが、邪神は人の生命を糧にすると言われています。人類にとって、災いをもたらす悪の存在であるとか」
なんて恐ろしい場所で試験をするんだ、とエルメスは思った。表情に影を落とすエルメスの心中を察したのか、アンナはさらに続ける。
「といっても、伝承にあるように本体は英雄が討伐してくれましたから、心配いりません。邪神が復活するようなことはないでしょう。ただ……」
少し申し訳なさそうに言いながら、アンナは右の方を指さす。
「特に邪気が濃い部分では植物は影響を受けてしまっているんです」
アンナの指の先、薄暗い灰色のモヤがかかったようなその場所では、植物が色味を失っていた。枯れてしまった大木の幹には、場違いなほど色鮮やかで立派なきのこが生えている。やけに目立つと思ったら、そのきのこの周辺だけは、まるできのこに膜が張られてるかのように、灰色のモヤが弾かれていた。
「アンナ嬢は物知りだね」
そそそっ、とルイがアンナの隣に動く。かなり丈夫そうだが、同時に過剰なほど華美な装飾のついた革靴をアピールするように地面を踏み鳴らしていた。
「地元ですから」
アンナは愛想笑いを浮かべながら半歩ルイから離れる。が、ルイはその半歩をさらに詰める。
「君のような聡明な女性こそが僕に相応しい。そうは思わないかい?」
「……Eランクのくせに何言ってんだか」
聞いているこちらが恥ずかしくなってくるような口説き文句に、ユーリが思わずぼやく。わざと聞こえるように言ったのか、そのぼやきはしっかりルイの耳にも届いていた。
「それは今だけの話さ。僕の将来は明るい。家柄もいいし装備も充実。Sランクになるのは時間の問題だよ」
生まれのよさを鼻にかけたルイの言い分は、他冒険者たちの神経を逆撫でした。だが事前のエルメスの釘刺しが効いているのか、それ以上言い返す者はいなかった。
「伝承ね……」
ウィリアムはバカにするような口調でつぶやいた。
「あ? 何がおかしいんだよ?」
食ってかかったのはジーンだ。『英雄に憧れたツレの雪辱を果たしたい』と言っていた彼としては、その英雄伝承をバカにされたのが気に障ったのだろう。
ウィリアムの方は別に言い争う気はないといった感じで、小さく首を横に振る。
「別に……ただ、偉人は過去を美化されていいよなって。俺なんか、どんなに美化されてもロクなものにならない」
神妙なウィリアムに、さすがのジーンもトーンを落とした。
「……何かあったのかよ」
「山程あった。親父が大事にしてたグラスを割ったのはアニキだったのに俺のせいにされたり、友達の盗みの罪をなすりつけられたり……他にもそんなことが色々あったせいで、俺はずっと後ろ指をさされたままだ」
悲壮感漂うウィリアムの語り口に、全体の空気が邪気まで乗っかっているかのように一層重くなる。
「……変えりゃあいいだろ」
ジーンは拳を握り、下を向いたまま言った。
「だったら変えりゃいいだろ! あんただって、周囲の目を変えたくて試験受けに来たんじゃねえのかよ! Dランクになって、その次はCランクになって……そうすりゃ、他の奴らだってあんたを見る目が変わるはずだ!」
ジーンは力強い目でウィリアムに語りかける。ジーン自身にも何か思うところがあるのかもしれない。
重苦しかった空気が、少し軽くなった。そこにアンナも続く。
「そうですよ。リヴィの伝承ではこう言われています。
『昔、偉業を成し遂げた男がいた。
過去の努力を糧に鍛錬を続け、未来を見据えた。
地道な活動と献身的な妻の支えもあり、男はついに成し遂げた。
邪神を倒し、荒れ果てたこの地に緑を復活させたのだ』
ですからウィリアムさんも、もちろん他のみなさんも、きっと成し遂げることができるはずです」
伝承の解釈を引用したアンナの言葉に、ウィリアムはうつむきがちだった顔を上げた。
「ああ……そうだな」
その時、前方に唸り声とともにモンスターが現れた。イノシシ型のモンスターで、全長は1mほどだろうか。鼻息荒く、エルメスたち一行をじっと睨みつけている。
「俺がやる」
ウィリアムが槍を構えて、イノシシモンスターの前に単身躍り出た。
勢いよく突進してくるイノシシモンスターに対して引くことなく、ウィリアムは力強く槍を突き出す。槍から雷が発生し、槍全体が雷を纏っていた。
「《雷槍》ッ!」
雷を纏った槍がイノシシモンスターに突き刺さる。そのまま、分厚い肉も骨もすべてを貫いて、モンスターの身体に一直線の大穴を開けた。
モンスターは断末魔を上げることもなく、その場に倒れ込んだ。
雷による焦げ臭い匂いがあたりに立ち込める。
すごい。
エルメスはスキル《冷視》を発動して、氷青色の瞳でウィリアムを見つめた。《冷視》を発動すれば、相手のスキルを視ることができる。エルメスの視界にだけ、対象者のスキル情報が文字として表示されるのだ。
スキル名:雷槍
効果:槍に雷を纏わせることで威力を高めることができる。
制約:媒体となる武器がなければ使用できない。
ウィリアムのスキル情報は今目の前で繰り広げられた戦いの通りだ。一見槍による突き攻撃だが、モンスターに開けた大穴は槍の直径をはるかに超えていた。
ピコンッ、と音がしてウィリアムのリストバンド型ポイント測定機が結果を知らせる。そこには『1/100』と、今倒したモンスターのポイントが加算されていた。
ウィリアムの戦いを見て、他冒険者たちも士気を高めているのをエルメスは感じ取った。早く力を示したい。早くしないと間に合わない。そんな勇みと焦りが同居したような心理状態が、彼らの足を速める。誰かが合図することもなく、ジーンもルイもユーリも駆け出していった。
「あいつらに獲物を取られるわけにはいかないな」
ウィリアムは槍を背負い直しながら、手首のポイント測定機でポイントを確かめる。
「ま、一番怖いのは背中から刺してくるあいつらだけど」
そんな冗談を言いながら、ウィリアムも彼らを追いかけるように駆け出していった。
どんどん離れていく彼らに向かって、アンナが大声で告げる。
「池には近づかないで! 何もしなければ襲われることはないけど、池の主はSランク相当ですからね!」
聞こえているのかいないのか、皆またたく間にいなくなってしまった。
「池の主って、そんなに強いモンスターなんですか?」
「普段は温厚で、リヴィの森の守り神とも言われるようなモンスターなんですけど……森林火災なんかにはすごく敏感で、昔森を焼き払って農地にしようとした時には、相当な被害が出たと聞いています」
「そうなんですね」
Sランク相当の強さとなると、世界中でも相手にできる冒険者はほんの一握りだろう。ギルドの資料にも要注意とあるが、同時に、刺激しなければ問題はないとも記されていた。
モンスターの危険性を身をもって知っている冒険者たちなら大丈夫だろうが、それ以外にも心配事はある。
「アンナさん、みんな離れちゃって大丈夫でしょうか?」
ポイント測定機があるので誰がどこで戦っても試験の集計自体に問題はない。だが、せっかくギルドがセーフティネットとして用意した回復役のアンナがいないと、いざという時に手遅れになる可能性が高まってしまう。
だが、アンナはむしろ呆れたように息を吐いた。
「池の主以外はそれほど強くないし、それほど離れなければ大丈夫ですよ。それよりむしろ貴女を守らないと」
エルメスははっとした。
言われてみればそうだ。今この森で最もモンスターに無防備なのはエルメスだった。一応護身用にナイフくらいは持っているが、いざ戦闘になってうまく使えるかと言われれば自信がない。
「腐っても冒険者ですし、いつものクエストと同じようなものですよ」
アンナは安心させるようにエルメスの肩に優しく手を置いた。




