第35話 天上天下
足下に、愛する王都。
頭上に、美しい星空。
手中に、憎いルリアナ。
カルローニアは、まるで天上天下を我が物にしたかのように直線的に進んでいる。
カルローニアの望みはただ一つ。
ルリアナの産んだ子を殺すこと。
カルローニアの願いはただ一つ。
ルリアナの絶望する瞬間を見ること。
カルローニアの希望はただ一つ。
侮られた我が子の尊厳をルリアナの絶望を以て雪ぐこと。
愛しむべき王都を決して壊さぬよう、慈しむべき民の一人も断じて踏み殺さぬよう、丁寧に優美に歩きながら。
カルローニアは相変わらず、慈悲深く微笑んでいる。
淑やかに城門を越え、王都の外へ。
そうすると、目の前に広がるのは、長く長く、王国に潤いと恵みをもたらすエルディーベ河。
その対岸に。
殺しても殺したりぬほど憎い女が、カルローニアの胎から奪って生んだ肉塊の乗る【機鋼魔兵】――。
◆
『――ああ』
体が焼けそうな激情とは裏腹に、カルローニアは優しく温かく穏やかな声で言った。
『私の可愛いマリールイア。 そこにいたのね。 今、その忌まわしい肉塊から、母様が助けてあげるから』
彼女の手の中から、雑音。
「やはり【悪魔】、まともな理性など持ってはいないか……」
『お黙り』
ぎゅう、と手に力を僅かに込めるだけでくぐもった悲鳴。
ああ。
何て清々しいの。
ええ、そうだわ。
あの肉塊を引き裂いて心臓を、魂を取り出して。
もう一度この腕に我が子を抱くことが叶ったなら。
その他の何も要らないと思えるほど、きっと幸せなのだろう。
カルローニアは両手を広げながら差し伸べる。
『こっちにおいでなさい、可愛いマリールイア――』
◆
我が子を抱く女神に似た【悪魔】が渡河しようとした瞬間。
その背後から『ミッドナイト』が襲いかかった。
「させるか!」
マジックワイヤーランスが【悪魔】の胴体を貫通し、そのまま王都から引き離すようにして大河に落とす。
「マリは俺の娘だ!」
『あら……? もしかして、貴方、キール・ハルフィールド?』
河の中から立ち上がった【悪魔】が、『ミッドナイト』を見て微笑んだ。
『相変わらず乱暴ね。 淑女に対する礼儀ではありませんわよ』
「王太后様!? どうして【悪魔】に……」
愕然としながら、キールは己が大失態を犯したことに気付いた。
マジックワイヤーランスのワイヤーの巻き戻しが、出来ない。
違う。
兵装は精一杯ワイヤーを巻き戻そうとしているのだが、向こうの方が力と重量が圧倒的に上になったのだ。
その間も大河の水を吸収して、彼らの目の前で【悪魔】はますます巨大化していく。
『でも、キール。 私はセイの事情も知っています』
【悪魔】は戦慄く『トワイライト』を右目で、左目で身構える『ミッドナイト』を別々に見つめる。
独身であることを義務づけられる大聖女でありながら、先代国王の子を妊娠したルリアナ。
産まれるべきではなかった彼女の子マリを、王国で保護する代わりに、その出生の事実を隠蔽。
代価として【聖女委員会】は王国と『協定』を締結。
そうすることで、全ては誰にとっても上手く行くはずだった。
――そう。
ルリアナが、カルローニアの流産を侮辱しなければ。
ルリアナが、セイを暗殺させようとしなければ。
ルリアナが、力の強い【聖女】だと判明した我が子を殺そうとしなければ。
今もなお、カルローニアは我が子セイの決断と意志を尊重し、ルリアナへの凄まじい憎悪を薄皮一枚で堪えていただろう。
『貴方はとても頑張って、そこの肉塊を育てたのね』
ぶちん。
マジックワイヤーランスのワイヤーが、まるで毛糸のように切断された。
「逃げろマリ!」
キールが叫んだ直後、凄まじい衝撃が『ミッドナイト』を襲った。




