第30話 愛憎
セイがベルデッガーに刺されて危篤状態に陥っている。
その情報を誰よりも早くキール達にもたらしたのはハルビ公爵であった。
しかし、と彼はそのことを教えた直後にマリに焦りながら告げる。
「今すぐに国外へお逃げなさい、【聖女】マリ様!」
そんなことを言われても、マリは混乱するだけだった。
夕ご飯時に突然彼の来訪があったと思ったら、これなのだ。
「な、何で……何で逃げなきゃいけないの?」
今は説明する時間も無いと公爵はマリに強引に迫る。
「理由は後だ! 今すぐに【機鋼魔兵】に乗って最高速度で国境の外まで急がれよ!」
「一体どうしたんだ、公爵様!?」
居合わせたケレミアやシルバー、レベッカらは困惑したが、キールだけは早くも荷物をまとめている。
「それはならんよ、ハルビ公爵」
――何故!?
その場にいたハルビ公爵とキール以外の全員が目を見張った。
大聖女ルリアナが、他の【聖女】達を引き連れてキール達の家にいきなりやって来たのだった。
「【聖女】マリは【聖女委員会】本部に所属している。 閣下の一存ごときで勝手に国外に連れ出されてはとても迷惑だ」
大聖女ルリアナは、薄笑いを浮かべてそう言った。
常に貴族らしい男であるはずなのに、ハルビ公爵も声に感情を滲ませた。
「……貴女は、彼女の出自を知りながらそのように仰っているのか!?」
怒り?
悲しみ?
マリには判別が付かなかった。
「知っていたら何だと言うのだ? 私は大聖女なのだよ。 閣下こそ知っているのか?」
「……」ハルビ公爵は悔しそうに黙り込む。「ええ……知っております」
「知っているならばすぐに公爵の館に戻ることだ。 賢明な閣下ならばそれが最善だと分かっているだろう?」
ああ、と小さく小さく息を漏らして。
背中を丸めてハルビ公爵は帰っていった。
――その後ろ姿が完全に消えてから、ルリアナは言う。
「さて、【聖女】ケレミア、シルバー、マリ。 実はつい先ほど【魔災警報】が発令されてね」
嘘だ。
本当に発令されたのなら、この【聖女】が暮らす街にもサイレンの音が大きく響き渡るはずなのだから。
「君達には先遣部隊を頼みたい。 追って支援部隊を派遣する」
……嘘ばかりだ。
後方から支援部隊が来たことなんて、一度も無いではないか。
「嫌だって言ったら?」
ケレミアが剣呑な声で訊ねると、ルリアナは平然と告げる。
「命令違反した【聖女】の処断も大聖女たる私の務めだ」
どれ程嘘を言えば気が済むのか。
ケレミアは吐き捨てるように言った。
「相変わらずマジで嫌な女だ」
◆
【聖女】3名と【聖騎士】12人が派遣される先は、エルディーベ河の対岸の先の草原だ。
慌ただしく【機鋼魔兵】の最終整備・調整を終えて、めいめいが搭乗用エレベーターに乗ろうとした時。
不意にキールはクラウスを呼び止めて、小声で囁いたのだ。
「おい。 3人を頼んだぜ。 背後に気を付けろよ」
「……は?」
クラウスは意味が分からなかった。
「ベルデッガーさんがセイを裏切って殺そうとしたんだと。 既に【聖騎士】の中にも相当数の裏切り者がいるだろうよ」
「!」
大きく目を見開いたクラウスの肩を軽く叩いて、キールはエレベーターに向かう。
「おい! 何で――」
僕だけにそのことを話したのか。
クラウスは口の動きだけでそれを問うた。
「いや、さ」
キールは懐かしそうに目を細めて言った。
「お前は気付いていないだろうが、お前は親に似ず『まとも』に育っている。 大きくなったら、きっと本当の意味で優しい男になるんだろう。 お前なら信じられるって分かるんだよ」
「何だ、それは……」
少年が戸惑っている内に、キールはこう言い残してエレベーターに乗ってしまった。
「ただのおっさんの願望さ」
◆
『ハァイ、キール!』
親の声より聞き慣れたレベッカの声。
搭乗者のバイタルチェックと平行して、彼女は端的に説明する。
『アンタが予測しているように、大聖女ルリアナは邪魔者を一掃するつもりよ。 味方の【機鋼魔兵】だけ、【聖霊】に小細工がされているもの。 本っ当に卑怯よねー?』
「お前はどうなんだ、レベッカ」
ああ、アタシ?
鼻先でレベッカが笑い飛ばした。
『ヘイゾー博士に改造されたって言ったでしょ? あの程度の小細工、こっそり引きちぎってやったわ』
「おっかねえ女だな、お前も」
キールは笑った。
面白い女よりもおっかねえ女の方が彼は好きである。
ふふん、と嬉しそうにレベッカも笑う。
『それでねえ、キール? もう知っているでしょうけれど、大聖女ルリアナはベルデッガーさんを利用してセイを殺そうとした。 おまけにね、今、ヘイゾー博士の特別ラボからも緊急通信があって。
2人が大事にしていたあのラボの【聖女委員会】の真実を記録した記録媒体が、ぜーんぶ破壊されちゃったんですってー』
そうか、そいつは残念だな。
キールは失望も絶望もしていなかった。
「で、レベッカ。 お前は2人から何を託された?」
『きゃっ、エッチ、スケベ、ヘンタイ、おっさん!』
「……」
あまりの言い草に、キールは何とも言えない顔をした。
おっさんはおっさんであることに常に自家撞着し続ける存在なのだ。
ほんの一瞬沈黙してから、囁くようにレベッカは言う。
『……ねえキール、いつからアタシ達の秘密を知ってたの?』
「俺とお前の付き合いだろ。 隠し事なんて出来ると思うなよ」
『……全く。 女の秘密を知り尽くそうだなんて、おっさんはこれだから嫌われるのよ』
「うるせえ。 それとおっさんは関係無いだろうが!」
しつこいわねえ、といつもの様子で軽口を叩きながら。
レベッカはヘイゾー博士とセイから託され――『もしも私達に何かあった時には全世界に向けて開示しろ』と頼まれていた【聖女委員会】の真実を、その【聖女委員会】のシステムを乗っ取って――。
全ての国の全ての人間が、日常生活の中で接触しうる全ての情報媒体へと一気にぶちまけたのだった。




