第29話 恩人
キールがいなければ。
ヘレネを失った直後に【聖女委員会】と相打ちになる形でセイは死んでいただろう。
◆
【近衛機兵】の訓練生だったヘレネと密かな恋人同士になる以前から、キールについて彼は知っていた。
空前絶後のトラブルメーカーの【近衛機兵】。
王立フォロガルッサ魔法工学研究所からは危険人物扱い。
大人しくしている時の方が少ない。
それでも除隊処分に出来なかったのは、キールがどんな危険な作戦でも過酷な任務でも見事なまでに完遂してしまう、実力者だったからだ。
まるで【機鋼魔兵】で戦うために生まれてきたような男だったことから、影で付いたあだ名は【魔法使い】。
……魔法工学の発祥について考えれば、全く笑えない異名である。
ヘレネも「尊敬はしているんですけれどね、ちょっと苦手なんです……」と苦笑いしていた。
大貴族の令嬢が【機鋼魔兵】に乗りたいと志願するだけでも珍しいのに、彼女は国の精鋭である【近衛機兵】になることを夢見ていた。
「でも、先輩だけなんですよ。 女なのに【機鋼魔兵】に乗りたい、【近衛機兵】になりたいっていう私の夢を一度も馬鹿にしなかったのは」
それどころか幾らでも特訓に付き合ってくれて、全く恩着せがましくないのだと語る。
「きっと先輩は、結婚して家族が出来たら良いパパになるんじゃあないでしょうか。 頼られるのに馬鹿みたいに弱いですしね」
折角二人きりになれたのに他の男の話をされたので、セイは拗ねた。
「私だって君に頼られたいんだが?」
小柄なヘレネは拗ねたセイの頭を背伸びして撫でると、耳元で囁く。
「えへへ、ごめんなさい。 でも、頼るんじゃなくて甘えても良いんですよ……?」
セイはずっと王族として頑張っているでしょ。
私といる時は、力を抜いて良いの。
「……酷い女だ。 なのに、離れられそうにもない」
小さく嘆息して、そのままセイはヘレネを抱きしめて接吻した。
◆
ようやく【近衛機兵】になれたヘレネだったが、その直後【聖女】の力に偶然に目覚めた。
その所為で、あれほど努力して成ったばかりの【近衛機兵】をヘレネは辞職させられた。
セイは独身を義務づけられる【聖女】ではなく、人間のヘレネを愛していた。
いずれは彼女と結婚も――と考えていたのだ。
ヘレネの方も、ようやく【近衛機兵】になれたのに、傲慢で人を人とも思わない彼女達の仲間になんてなりたくないと嫌がった。
そう言った二人の【聖女委員会】への反抗心もあったのだろうか。
強引に【聖女】にされた後も、セイとヘレネの恋は終わらなかった。
いや、下らぬ壁に引き裂かれ遠くへ隔たれようとすればするほど、若い者同士の恋愛はより強く燃え上がるものだろう。
それがどれ程に純度の高い愚かさと若さの象徴であっても、彼らは間違いなく恋していたのだ。
◆
【大聖女】になったすぐ後に彼女が死んだと知らされた日。
雨の中、セイは王宮の中庭で呆然としていた。
知ったその瞬間から、文字通り世界が真っ暗になったのだ。
呆然と冷たい雨に打たれていると、いきなり何者かに肩を掴まれて力で引きずられる。
抵抗する気力も無くてなすがままにされていたら、いつしか彼は己が裸になって温かな湯が張られたバスタブに放り込まれていた。
「ここは何処だろう」とようやく思った瞬間に浴室の扉が開いて、若い男が顔を出す。
その男はセイをバスタブから引きずり出してタオルで体を拭いてくれた。
しばらくして。
男のものと思しき、ややダサい服を借りて着た後で、セイの目の前に安酒の缶が突き出された。
「飲むぞ」
「ああ」と言いながらセイは何となく酒を飲んで、そして――。
ようやく泣けた。
愛している。
愛しているんだ。
地位も名誉も安定も将来も財産も信頼も何もかも――己の持っていたものと己の築き上げてきたものの一切合切を代償に捧げても良いと思えるほど、君を愛しているんだ。
なのに。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして先に死んでしまったんだ。
どうして【悪魔】なんかに殺されてしまったんだ。
せめて私も一緒に連れて行って欲しかった!
◆
男は泣きじゃくるセイを止めなかった。
背中を見せながら、黙ってグラビア雑誌を読んでいた。
数時間かけてセイが泣き止んだ頃、男が小声で独りごちた。
「せめてアイツ、あれだけ好きだった【機鋼魔兵】の中で死ねれば良かったのにさ……」
――直感だった。
いや、確信だったと言えるかも知れない。
「……お前、キールか」
セイは呟いた。
「あん? 何で俺の名前を知っているんだよ」
素早く男は振り向いて、険しい顔をする。
何で知っているのか。
セイはきちんと答えようとした。
なのに、
「……ヘ、レ……ネ……っ!」
愛する人の名前を途切れながら言った時、再び涙が溢れてきた。
激しく号泣するセイに、男も悟ったらしい。
「そうか、アンタがヘレネちゃんの言っていた……」
それっきり黙って、酷く嗚咽するセイの背中を撫でるのだった。
◆
以来、セイとキールは親しくなった。
彼らは何度も、何度も何度も話した。
飲みながら、大事なことも下らないことも。
楽しいことも辛いことも、笑えることも悲しいことも。
話せることは何だって話した。
それまで王族として生きてきたセイは、その身分と立場上、友達と呼べる存在はごく僅かだった。
その中にキールが加わるまで、大した時間はかからなかった。
繰り返すが、己はキールの優しさがなければ、ヘレネが死んだ直後に単身で【聖女委員会】本部に押し入って、大聖女ルリアナと刺し違えて終わっていた。
されど、キールの優しさに救われた彼は、15年かけてついに【聖女委員会】の真実にたどり着いたのである。
◆
まるであの日の雨のようだ、とセイは思う。
ヘレネが死んだことをようやく知ったあの日。
キールと初めて顔を合わせたあの日の――。
いや、雨にしては赤いな。
王宮の中庭で、セイは苦笑して振り返った。
「……ベルデッガー、か……」
セイが信じて聖騎士団長に任命した男が、血まみれの大きなナイフを手に歯を食いしばって、背後に立っていた。
セイの背中から、そして腹部に凍り付くような衝撃があって、次第に焼けるような痛みが広がっていく。
「……殿下。 許して下さいとは申しません。 私も、必ず後を追います故……」
立っていることが出来なくなって、ぐしゃりとセイの体が崩れる。
しばらくはうずくまっていられたが、力を失って己の血だまりに横倒しに倒れた。
「いや……気にするな。 ……お前にも……年頃の娘がいたな……」
裏切るには充分な動機だと、彼は思った。
「大聖女ルリアナは……私の娘を【聖女】だと認められたくなくば貴方がたを裏切るようにと」
「そう……だろう……な……」
セイは目を閉じて意識を失う直前。
微笑んだ。
私の勝ちだ。
ルリアナ、お前は負けた。
◆
「――セイ! 貴様、ベルデッガー! 何という狼藉を! ――貴方! 直ちに医者を! 私の可愛いセイが! 早く! 早く医者を――!」




