第26話 体臭
今日もケレミアはビールをジョッキで飲みながら、哀れなキールに悪絡みをしている。
「苛つくから男を拷問したいんだー! なあキールさん、ちょっとだけー!」
『ちょっとだけ』でまた拷問されてたまるか。
キールは少しずつ後ずさりして逃げている。
「勘弁して下さいよ……本当に……!」
「うるせえ! ちょっとだけだってばあー! ちょっとだけー!」
ぐいぐいと『拷問させて』と迫ってくるケレミアに閉口したキールは最終手段に出た。
しつこいケレミアにはやかましいレベッカ。
両者をぶつけるべく、時間稼ぎを始めたのだ。
「……あのですね、ケレミアさん。 拷問って何かしら痛くて苦しくて辛いんですよ。 俺はそう言うのは絶対に嫌なんですよ。 本当に、頼みますから……」
「だーかーらー、ちょっとだけ~! チクッとするだけ! チクッと!」
早く来い!
キールは2階のベッドメイキングをすると言って階段を登っていったレベッカに、必死に念を飛ばした。
【聖霊】に念なんてものが通用するとは思っていないが、他に手段が無いのだ。
「パパ、ちょっと嬉しそう。 マジ、キモ……」
マリからの軽蔑の視線。
「マゾヒスト、なのかも。 理解、不可……」
シルバーからの冷酷な視線。
幾ら念じてもレベッカが降りてこないので、キールは段々と顔色が悪くなってきた。
もう彼はケレミアの所為で壁際に追い詰められて逃げ場が無い。
レベッカに「来い!」と念じすぎたからか、頭まで痛くなってきた。
それに加えて娘達からの突き刺すような蔑みの視線だ。
「あの、その。 ……ケレミアさん、どうしてそこまで拷問したがるんですか。 しかも男限定で……」
キールがそう言った瞬間、彼は壁に体を押しつけられた上に、壁ドンならぬ足ドンをされていた。
彼の顔の真横に、ケレミアが高く持ち上げた片足が壁に押しつけられているのだ。
柔軟な体を持っている彼女だからこそ出来る芸当である。
「そんなのー、決まっているじゃん?」
ケレミアは甲高く笑いながらキールの顔の間際まで、ぐいと顔を近付けて小声で言った。
「『お父さん』が私を売った。 その『お父さん』を痛めつければ、売られた私を取り戻せるかも知れないだろ?」
「――」
キールはしばらく声が出なかった。
酔っ払っているふりをしていただけだったのか。
癒えようのない心の痛みを抱えてそれでも戦っている、独りぼっちの女性が。
◆
『それでも己を愛してくれるか、親を試している』
本来ならば、幼少期に稚拙な行動の結果で既に満たされているはずだった彼女の心は、『お父さん』に売られた所為で今でも満たされていない。
飢えて飢えて、寂しくて涙をこぼしていて――。
「――だったら、俺の娘になりますか?」
「――え?」
ぽかんと隻眼を見開いたケレミアに、やや気まずそうにキールは告げた。
「俺はもう大人の女性との恋愛なんて二度としたくないんですよ。 マリがいればそれで充分だし、マリがいなきゃとことん駄目だ。
でも、それでもやり場の無い感情を受け止めて欲しいのなら、拷問云々じゃなくて娘として来て下さい。 自慢じゃ無いけれど、反抗期の娘の対応だけは慣れているんで……」
「――っ!」
ケレミアは顔を燃えそうなくらい真っ赤にして、後ずさった。
マリとシルバーがこそこそと影口を言っている。
「パパが! ケレミアさんをナンパしている! セクハラだ! セクハラだー! ……大体あたしのパパなのに何言っているのよ!? とにかく最低じゃん!」
「マリ、その感情は嫉妬? ……その。 共感できない訳では、無い、けれど」
「徹底的に嫉妬だよ? 女の嫉妬は怖いってパパに思い知らせてやらないと!」
がー!と吠えながらマリがキールの足に思い切り噛みついた。
「あ、痛っ!!!! こらマリ、何をするんだ! 人に噛みつくなんて――!」
想定以上に痛かったらしいキールが、さっと足を引っ込めるがマリは逃がさない。
「シルバー、そっちから狙って! パパのお尻に噛みついてやるんだ!」
「がー!」
「止めなさい!」キールは尻を手で庇って逃げ出した。「シルバーちゃん! 人の尻に噛みつくもんじゃない!
あ、痛っ! ぎゃっ、痛っ! こら、止めなさい! おいこら! 止めろって言っているだろうが!」
マリとシルバーにあちこち囓られては情けない悲鳴を上げているキールの元へ、ようやくレベッカが階段から降りてやってきた。
『うわあ、新手の変態だわ。 若い娘に体を囓らせて大喜びしているなんて……』
彼女は早くも呆れた顔をする。
「そんな訳無いだろうが!」キールは吠えたり鳴いたり逃げたりと忙しい。「早く二人を押さえてくれ!」
嫌よ。
キールの哀願を、レベッカは一蹴した。
『だって、すっごく楽しそうよ、アンタ。 でも、そうよね。 おっさんなんて生き物は若い女の子にちやほやされるだけですっごく人生が楽しくなるモノなんだから。 これぞセクハラ現場よ、最低だわ!』
「これがセクハラだって思うなら! すぐに止めに入ってくれよ!」
『……チッ。 仕方ないわねー』
レベッカは上手にマリとシルバー、そしてキールの間に割って入ってくれた。
2人に向かって、きっぱりと言う。
『マリちゃん、シルバーちゃん。 おっさんを囓ってはいけません。 アンタ達は若くて綺麗なんだから、もっと高身長高学歴高収入で体臭がクサくないイケメンを囓るべきよ!』
おっさんにとって体臭という単語は、突きつけられたナイフと同義である!




