第26話 アストラル・インタラクティブ社
とある高層ビルの一角に存在する一室。
そこには、最新鋭のパソコンや各種機材が所狭しと並べられ、幾つものディスプレイが淡い光を放っている。
その中心で、一人の女性が渋い表情を浮かべながら、ディスプレイを睨みつけている。
彼女の名は、真神玲花。
【アルティメットクロニクル】の開発主任――このゲームの根幹を作り上げた張本人だ。
白衣を羽織り、赤縁の眼鏡を掛け、長い黒髪を一つに束ねたその姿は、理知と狂気を紙一重で併せ持つ、まさに天才と言われる開発者、そのものだった。
「首尾はどうだ? 進展はあったのか?」
不意に、低く落ち着いた声が室内に響く。
振り返ると、いつの間にか一人の男が入口に立っていた。
スーツを隙なく着こなし、頭髪はオールバックで整えられている。
無駄のない立ち姿と鋭い眼光が、ただ者ではない圧を放っていた。
天外隼人。
【アルティメットクロニクル】を担当する、アストラル・インタラクティブ社の役員である。
現場の人間ではないが、このプロジェクトにおいて絶対的な発言力を持つ人物だ。
「ええ、私たちが新たに選んだ魔王――なかなかの玉よ」
その隼人の問いに対して、玲花はディスプレイから目を離さぬまま、淡々と答える。
「ほう、それは何よりだな。ということは、具体的な成果でも上がったのか?」
隼人はゆっくりと室内へ歩みを進めながら問う。
その声音には余裕がある。
想定の範囲内――そう思っている者のそれだ。
「成果というには十分すぎるかしらね?」
玲花の口元が、わずかに吊り上がる。
「何せ、既にグランディエルを討伐に成功して、配下に加えちゃったんだから」
玲花の言葉に一瞬、空気が凍り付いた。
「……何だと?」
隼人の足が止まり、その表情が、明確に変化した。
常に冷静沈着。感情を表に出さないことで知られる男の顔が、初めて明らかな動揺を見せる。
「グランディエルを倒した……だと?」
低く、確認するように呟く。
玲花はようやく視線をディスプレイから外し、振り返った。
「あら、聞こえなかった?」
その表情には、わずかな愉悦すら浮かんでいる。
「八神獣の一柱――【天空竜王・グランディエル】を討伐して、さらに配下に加えた……今度はちゃんと聞き取れたかしら?」
玲花はわずかに肩を竦めながら、あえて念押しするように言った。
「……あり得ん」
隼人は低く吐き捨てる。
「あれは現環境でもトップクラスの強さに設定されている存在だぞ? いくら魔王とはいえ、現時点で到達できる領域ではないはずだ」
その声には、明確な否定が込められていた。
「いや、それが本当なのよね……悠馬君なんて、さっきまで発狂してたわよ?」
「……神威が?」
隼人の眉が、ぴくりと動く。
アルティメットクロニクルのモンスター開発担当――神威悠馬。
【八神獣】の設計・開発を一手に担い、その全てを作り上げた張本人だ。
アルクロ内の全てのモンスターの設計を担った天才プログラマー。
その天才が、膨大な時間と労力を費やした執念の結晶とも言える存在が、早期に攻略された。
その事実を、隼人は容易には受け入れられずにいた。
「まさか、こんな序盤で落とされるなんて……誰も想定していなかったはずだ……一体、どうやったんだ?」
「まあ、ステータス的には到底届いていないわね。正面からやれば、まず勝ち目はない」
隼人の疑問に対して、玲花は肩を竦めながら答える。
「それでも勝った……だからこうして聞いているんだろう?」
「あら、話が早くて助かるわ」
玲花はくすりと笑い、ディスプレイに表示されたログを指でなぞる。
「一言で言えば――プレイスキルよ」
その一言に、室内の空気がわずかに張り詰めた。
「……プレイスキル、だと?」
「ええ。立ち回り、判断速度、リスク管理、連携――その全部で、ステータス差をねじ伏せた」
淡々と、しかしどこか愉悦を含んだ声音。
「さすがは、我が社のゲーム群から選び抜かれた精鋭たち、といったところかしらね。数値上の不利なんて、まるで存在しないかのように覆してみせたわ」
「……そこまで、か」
隼人は言葉を失う。
ゆっくりと視線をディスプレイへ落とすと、そこには戦闘ログが克明に記録されていた。
個々の卓越したプレイスキルは元より、そこから生み出される見事な連携。
そして、そこから導き出されたのは【天空竜王・グランディエル】討伐――および、配下化だった。
「……否定のしようがない、な」
ようやく絞り出したその一言は、事実を認めるものだった。
「ちなみに、その悠馬君なんだけど――」
玲花が微笑みながら視線を、同フロアの一角へと送ると。
そこには、他の開発者たちと同様に並ぶデスクの一つ。
しかし、その空気だけが明らかに沈んでいた。
「……はぁ……」
椅子にだらりと身体を預け、項垂れる一人の男性。
モニターには、何度も再生された戦闘ログが虚しく流れている。
その男性こそ神威悠馬――その人である。
「……俺のグランディエルが……完璧だったんだぞ……? 挙動も、ステータスも、スキル構成も……全部……俺の、最高傑作が……」
カチ、カチ、と意味もなくマウスをクリックし続ける。
「なんであんな攻略され方すんだよ……聞いてねぇよ……何だよ、魔王ってよぉ……」
完全に拗ねていた。
周囲の開発メンバーたちも、声をかけるにかけられず、微妙な距離を保っている。
――その様子を、見ながら玲花はくすりと小さく笑った。
「まあ、計画は順調ってことで……」
「なっ!? ま、まあお前が言うのならば……文句は言うまい……」
わずかに取り乱しかけた隼人だったが、すぐにいつもの冷静さを取り戻す。
軽く咳払いを一つしてから、視線を玲花へと戻した。
「……気を取り直そう。 今後の予定の確認をしたい」
その声音には、既に先程までの動揺はない。
あくまでプロジェクトを統括する者としての、理性的な響きだけが残っていた。
「現状を鑑みて、どんな展望を描いている?」
問いに対し、玲花は満足げに頷くと、再びディスプレイへと向き直る。
そこには、魔王軍の勢力拡大を示すデータや、各エリアの進行状況が次々と表示されていた。
「ええ、とりあえずはこのまま魔王軍が成長していくのを見守るわ」
淡々としながらも、どこか楽しげな声色。
玲花は指先で操作し、いくつかの戦闘ログを拡大表示する。
「残りの【八神獣】も倒してもらわなきゃならないしね」
さらりと言い放たれたその言葉。
その瞬間。
「……っ」
同フロアの隅で、項垂れていた神威悠馬の肩が、ぴくりと震えた。
ほんのわずかな反応ではあるが、彼の目は死んでいなかった。
(……まだだ)
モニターに映るログを、ぎり、と睨みつける。
(グランディエルは確かに落ちた……だが、他の連中は違う……あいつらは、あんな簡単に――)
その内心の燃え上がりに、周囲の誰も気付かない。
いや、気付けないほどに、彼は再び静かに俯いてしまっていた。
室内では何事もなかったかのように、会話が続く。
「そして――その後には、例のアレを控えているしね」
その一言で、空気がわずかに変わった。
隼人は目を細める。
先程までとは別種の、確信を帯びた緊張を帯びていた。
「ああ、そうだな」
短く、しかし重く返す。
それ以上の説明は不要だった。
魔王軍の成長を経た次の段階と――そして、その先に待つものは、開発者の中枢しか把握していない。
「……果たして、どこまで辿り着けるかしらね」
玲花は小さく呟き、再び画面へと視線を落とす。
無数のログが流れ続けるディスプレイ。
今はまだ小さな動きだが、いずれそれが運営すら飲み込もうと変化していくことを――
この時、まだ誰も、完全には理解していなかった。
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