1-8 褐色の美少年
五年前に起きた地殻変動によって東京湾に突如現れた島を世間では『新夢の島』と呼んでいた。
もともと夢の島とは、都立公園や陸上競技場のある埋め立て地を指す名だったが、いつしかその名になぞらえてこの島を新夢の島と呼ぶようになりその名前が老若男女に知れ渡っていった。
活火山も存在しない場所になぜ巨大な島が現れたのか。
その原因はいまだ人間社会では解明されていない。
島の外見は黒い砂岩に覆われた島として認識されていた。
だが、それはヤマト機関によって施されたフィルターによる偽りの姿だった。
ヤマト機関ではこの島をおのごろ島と呼んでいた。
島の正体は、人間の世界──芦原の国と鬼の世界──黄泉の国の狭間に存在する根の堅洲国に存在した島だった。
島の中はすでにヤマト機関によって開発されていて島の中心部には基地施設があり北側にはヤマト機関関係者の住居と商業施設が並ぶ街区が形成されていた。
そして島の西側にはヤマト機関の子弟たちのための学校施設が設けられていた。
ヤマト機関は、もともと超人として覚醒した子供たちを育成・保護するため学校を根の堅洲国に置いていたが、昨今の情勢を踏まえてこの島に学校を設置した。
そうして誕生したのが、金鵄おのごろ島学院である。
五月の連休を過ぎた頃の陽気は心地よく金鵄夢の島学院に吹き抜ける潮風は涼しく肌に優しかった。
この時期になると制服の上着着用は自由となりシャツ姿で登校する生徒の姿も増えてくる。
高等部職員室の前に立っていた少年、来栖錠も、学ランを着ずに登校していた一人だった。
少し跳ねた黒髪は丁寧に整えられ光を受けて艶やかに反射している。
大きく丸い目、高い鼻筋。
そして褐色の肌の持ち主だった。
シャツの袖口から覗く二の腕から前腕にかけての肌は陽光を受けてブラウンに輝いて立体的な陰影から引き締まった筋肉質の体つきがうかがえた。
廊下の先の階段から一人の男子生徒が姿を現しそれに錠が反応した。
「ジョー。すまん、遅れた」
「いいよ。そんなに待ってない」
錠の周囲の人間は、「じょう」ではなく「ジョー」と発音して彼を呼んでいた。
声をかけた生徒の名は、赤松忠だった。
少年というより青年と呼ぶ方がふさわしい顔立ちで骨太でがっしりとした体格で厚い胸板を持っている。
短く刈り込まれた髪。
噛み締めると浮き出る頬の筋。
直線的な眉の下には強い目力を宿した眼差しがあった。
「入るか?」
「いや〜、なんだか立て込んでそうだな」
職員室の中からは話し声が漏れてきておりその中に二人とも聞き覚えのない甲高い声が混じっていた。
顔を見合わせた二人は引き戸にそっと手をかけてわずかな隙間を作って中を覗いた。
━━猫が、喋っている。
正確には二本足で立ち衣服を身にまとい日本語を話す猫がそこにいた。
「とにかく!
お前は子供たちを教育する役目があるにゃ!
康彦さまの要望には従ってもらうにゃ!」
二人は驚いた表情を浮かべていたが、それは猫が喋っているからではなかった。
「あの猫、根の堅洲国から来たのか?」
「いや……見たことない服を着てるな」
「文句を言われてるの、松岡大尉だぞ」
松岡大尉。
松岡弘。
軍服姿のその男は学院でククリの力の制御を教える教官であり同時にヤマト機関所属の軍人でもあった。
この学校とヤマト機関を繋ぐ、重要なパイプ役である。
やがて猫は話を終え足早に職員室を出てきた。
二人は慌ててドアから離れ廊下の曲がり角に身を隠す。
「お前がここにいるって言うから本部から来ただけにゃ!
そんなに気を遣う必要はないにゃ!」
猫は松岡の見送りを断り独り言を呟きながら廊下を進んでいく。
その後ろ姿が気になり錠は赤松に合図して後をつけた。
「まったく……黄泉軍の連中が何を考えているのか分からないにゃ。
武殿は助かったが殺されてしまった者たちは可哀想にゃ……。
ヤマト機関は対応しきれるにゃろうか……」
大きくため息をついた猫はそのまま玄関を抜けた。
「さて富樫のところも回ったし……。
もう高天原に帰るにゃ」
猫の身体がふわりと宙に浮かび一呼吸置いて一直線に空へと昇っていく。
やがて猫の姿は二人の視界から消えた。
猫が空を飛んだことに二人は驚かなかった。
錠は十三歳から赤松は十四歳からこの学院に通いククリの力の扱いを学び続けていた。
しばらく空を見上げていた後赤松が口を開いた。
「……行っちまったな。
どうやらそろそろククリの力や超人の存在を世間に発表するらしい」
「うん。
高天原に帰るって言ってたし神使の方なんだろうね」
「ってことは……話に出てた武ってのが今度の転校生か」
「そうみたい!
楽しみだなぁ」
「やっぱり楽しみか?」
「当たり前だろ?
鬼に襲われて神使に助けられてしかも高天原帰ってくるんだよ?
そんな人聞いたことないよ」
赤松も頷いた。
「確かに……俺も気になるな」
「今日のこと姉さんに話してあげよう」
「瑛理子さんにか?」
「うん!
転入してくる日が楽しみだな」
来栖錠は明るく好奇心旺盛で精悍な少年だった。
そして筋骨隆々で少し大人びて見える赤松忠もまた武の転入を楽しみにしていた。
特に錠にとっては超人の存在が世間へ公表される緊張よりも武が転入してくることへの期待の方がはるかに大きかった。




