2-10 常夜の国
眠りから醒めたような感覚で、武は目を開いた。
視界に広がる景色は、陽の光のない夜だった。
見知らぬ街並みにはランタンの光が浮かび、頭上を見れば星々の光が散りばめられているようだった。
━━境界線空間ではない……?
境界線空間に突入した時のような刹那的な感覚ではなく、わずかな時間の経過を感じていた。
先程まで一緒にいた錠と赤松の姿はなく、周囲からも人の気配は感じられない。
手元のスマホを確認しても、案の定圏外になっている。
武は収納空間から羽張背を取り出し、二人を呼んだ。
「ジョー、赤松。こちら武。
聞こえるか?」
──……。
二人からの応答はない。
イヤホンからは断続的なノイズが流れていて、通信が成立していないことは明らかだった。
羽張背を含むヤマト機関が使用する無線通信は、単純な周波数の違いだけでなく、通信方式や暗号化、同期信号などを含めた複合的な設定によって成立している。
葦原の国と根の堅洲国では、通信の方式や暗号、同期方法を含めた仕組み━━通信プロトコルが異なっている。
そのため設定が一致しなければ通信は成立しない。
武は試しに葦原の国での無線設定から根の堅洲国の設定へ切り替えてみたが、同期信号は捉えられず、ノイズが消えることはなかった。
━━二人を探さないと。
武は周囲を警戒しながら歩き出した。
これが異世界だとすれば、武にとっては三度目の異世界となる。
根の堅洲国については見聞きするのみで、実際に訪れたことはない。
ここが根の堅洲国の可能性も考えたが、判断がつかなかった。
その答えを知る錠の存在を、武は切実に求めていた。
武が今いるのは、人気のない街の路地の中だった。
壁は高く、道幅は狭い。
角を曲がっても、同じような路地が続いている。
まるで迷路のような構造だった。
壁沿いには民家の門のようなものが並んでいるが、中に誰がいるのかはわからない。
武は中へ入ることを避けた。
飛行状態で壁を越えることも考えたが、この街で自分の存在を露見させるのは危険だと判断した。
それは戦術を学ぶ錠や赤松も同じ判断をするはずだった。
━━少しでも街を見渡せる場所があればいいんだけど……。
武は高台を探しながら進んだ。
路地に配置されたランタンの光。
誰が灯したのかはわからない。
だが、この場所が「動画によって転移させられた世界」であることを考えると、その光はどこか不気味に感じられた。
角を曲がった先、正面の壁の向こう側に、遠くランタンの光が見えた。
進んでいくと、そこは曲がり角に設けられた階段だった。
「ここから先は低い地形なのか……」
武は初めてこの街の高低差を見つけることができた。
上から見下ろすと、迷路のような路地が複雑に張り巡らされている。
武は息を呑んだ。
迷路のような構造。
ランタンの光。
無機質で人気のない空間。
━━まるで一郎が作った世界のようじゃないか……。
武はかつて一郎が作り出した世界を思い出した。
あの時の感覚が蘇り、少し鳥肌が立っていた。
やがて景色の中の迷路の中で動く影を武の眼が捉えると、それが誰なのかを理解した。
「赤松……!」
武は階段を駆け下り、その方向へ向かって走り出した。
角を曲がっていき、赤松と落ち合える路地に入った。
「武!」
「赤松!」
互いの姿を確認した瞬間、声が重なった。
二人は駆け寄り、互いの顔にわずかな安堵が浮かぶのを確認した。
「ジョーは?」
「わからない。
武に会うまで、誰にも会っていないぞ」
「ここは一体……?」
「わからないが、羽張背の無線も使えない。
どうやら根の堅洲国ではないらしい」
「俺も試した……。
じゃあ異世界っていうのは、葦原の国でも根の堅洲国でもない場所ってことか?」
「断言はできないが……」
「とにかく錠を探そう」
二人は再び迷路の路地へと踏み出した。
一方その頃。
錠もまた、別の路地を進んでいた。
━━ここは絶対に根の堅洲国じゃないね……。
根の堅洲国で育った錠には、直感的にそれがわかった。
無線が使えないこと以上に、この空間の違和感がそれをわからせていた。
警戒を続けながら、錠は足早に進む。
━━松岡教官には伝わるように送ったけど、早く武と赤松と合流しないと……!
気持ちの焦る錠が進んでいくと、その先の角に人影があった。
ランタンに照らされた、大きな影。
錠が思わず足を止めると、その影がこちらを向いて正体が露わになった。
「えっ……」
錠は言葉を失った。
巨大な体躯。
強烈な見覚えのある大きな顔と装備。
装甲肉弾兵の猪幡だった。
「お前は……あの時の小僧か……!」
見知らぬ世界。
狭い路地。
逃げ場のない距離と飛行状態になることにリスクがある状況。
錠は、最悪の敵と遭遇してしまった。




