第16話 違和感の始まり
季節は冬の気配を強め始めていた。
カイルは朝の日差しが差し込む部屋で、頭をガシガシと掻きながら目を覚ます。
「……ちっ、また二日酔いか」
カイルは寝起きの悪さをごまかすように伸びをし、重たい体を起こした。
台所からは、かすかな鼻歌が聞こえてくる。
リィナの声。
ほんのり明るく、穏やかなメロディ。
カイルはぼんやりと天井を見上げながら思う。
──「……いつから、あいつがあんなに朗らかになったんだ?」
確か、もっと無口で冷めた奴だった気がする。
いや、別にどうでもいいか……。
そんな疑問を胸の奥に押し込み、カイルは立ち上がった。
テーブルに座ると、リィナが笑顔で朝食を運んでくる。
「おはようございます、カイルさん! 今日も元気そうですね!」
カイルは眠たそうにまばたきをしながら、ぼそっと返す。
「二日酔いのどこが元気そうなんだよ……」
目の前に置かれたのは、ふんわりと焼かれたパンと温かいスープ。
カイルはスプーンを手に取り、ぼんやりと呟く。
「……お前、最近このスープよく作るな。前にも食った気がする」
リィナは少し首を傾げ、笑顔で答える。
「カイルさんが“これ美味しい”って言ったから、よく作るようにしたんです」
──カイルはスプーンを止めた。
「……俺、そんなこと言ったか?」
確かに、このスープは美味しい。
でも、“美味しい”とわざわざ言った記憶が、どこか曖昧だった。
カイルは苦笑いして誤魔化す。
「ま、俺のセンスは間違ってないってことだな」
リィナはクスクスと笑い、席に戻る。
その日の仕事場で、カイルは魔法具の修理に取りかかっていた。
魔法具は繊細で複雑な構造をしているため、いつも慎重に作業している。
けれど──ふと、手が止まる。
「……あれ? この部品、どこに付けるんだっけ?」
机の上に並べられたパーツたち。
普段なら迷うこともないはずなのに、配置がわからなくなっている。
おかしい。
魔法具修理工としての腕は確かで、こんな単純なことを忘れるわけがない。
カイルは額を掻きながら、苦笑いを浮かべた。
「……ま、酒のせいか?」
でも、心の奥に刺さる違和感は消えないままだった。
夕方、仕事から戻るとリィナがカイルを迎えた。
彼女はいつも通りに明るく、ほんのり笑みを浮かべている。
「おかえりなさい、カイルさん!」
カイルは無言でコートを脱ぎ、椅子にドサリと腰を下ろす。
ふと、リィナの手元に目をやると、彼女が小さな花をテーブルに飾っていた。
白い小花。どこかで見覚えがある気がする。
カイルは眉をひそめた。
「その花、どっかで見た気がするな」
リィナは少し驚いたように目を丸くする。
「昨日、カイルさんが“部屋が殺風景だ”って言ったから、飾ってみたんです。」
カイルは固まった。
──そんなこと、言った覚えはない。
でも、リィナは確かにそう言っている。
曖昧な記憶の隙間が、ぽっかりと空いている。
カイルは笑って誤魔化した。
「……あー、言ったかもな。よく覚えてんな、お前」
リィナは嬉しそうに笑う。
その無邪気な笑顔に、カイルは少しだけ胸がチクリと痛んだ。
夜。
カイルは一人で酒をあおっていた。
テーブルの上には、いつもの安酒と、空になったグラス。
彼はグラスを傾けながら、ぼんやりと天井を見つめる。
「……なんだろうな、この感じ」
誰かと話したこと。
誰かと笑ったこと。
確かにあったはずの記憶が、薄い霧に覆われている。
特に──リィナに関することだけが、やけに曖昧なのだ。
普段なら「どうでもいい」で片付けてきた違和感が、
今夜はやけに胸に残る。
カイルはグラスを置き、独り言のように呟いた。
「……おかしいな」
翌朝、カイルはベッドから飛び起きた。
昨日までの曖昧な違和感が、はっきりと形を持った感覚に変わっていた。
リィナが用意してくれた朝食もろくに手をつけず、
カイルは無言でコートを羽織る。
「カイルさん? どこか行くんですか?」
カイルは飄々と笑って、肩をすくめた。
「ちょっとな。気になることがあってな」
リィナは少し心配そうな顔をするが、カイルはその視線を気にすることなく家を出た。
──あいつを買った奴隷商人のところへ。
答えを知るために。
自分が感じた、この妙な空白の理由を突き止めるために。
そして、胸の奥で微かに疼く感情を誤魔化すために。
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