02
他者とは違う存在にあこがれた時期は確かにある。
かつての私は、教室という均質な空間において、自らを補強するために「鉄のペン先」という武器を手に取った。
高校という場所は、驚くほど機能性に満ちた音で溢れている。
周囲の生徒たちが操るシャープペンシル。
ノックするたびに響く「カチカチ」というプラスチックの乾いた音、そして芯が紙を叩く「コツコツ」という無機質なリズム。
それは、効率よく正解を導き出し、時間内に知識を詰め込むための、いわば「現実を消化する音」だった。
その濁流の中で、私はひとり、万年筆という古めかしい装置を机に置いていた。
それは決して高価な名品ではなく、何かの折に手に入れた、リーズナブルなカートリッジ式。
けれど、ネジ式のキャップをゆっくりと回し、その重みを手の中に収める瞬間。
紙の上を滑る独特の抵抗感。
その所作の一つ一つが、私の周りだけの空気の密度を変え、私という虚像に、つかの間の「実在感」を与えてくれた。
ペン先を紙に落とすと、聞こえてくるのは「サリ、サリ」という、紙の繊維を一枚ずつめくっていくような、密やかな摩擦音だ。
シャープペンシルが紙を「叩く」のだとすれば、万年筆は紙を「愛撫」する。
その音の違いに、私は優越感とも違う、ひどく個人的で排他的な「特別感」を抱いていた。
この湿った音は、私は教室の座席に縛り付けられた一介の生徒ではなく、異国の古書店で孤独を愛し、自分だけの真実を綴る哲学者の足音のように感じていたのだ。
しかし、万年筆という武器は、時に私の「演出」を裏切る。
滑らせたばかりの文字は、潤んだようにインクを湛え、すぐには乾いてくれない。
不用意に手を動かせば、せっかく整えた「思考の跡」が、無残な青い染みとなって伸びてしまう。
だから私は、いつもポケットティッシュを傍らに置いていた。
本来なら「吸い取り紙」という優雅な道具を使うべき場面なのだろうが、高校生の私には、安価なポケットティッシュが精一杯の妥協だった。
書き終えたばかりの一行に、折り畳んだティッシュをそっと押し当てる。
じわり、とティッシュの白い繊維に青いインクが吸い込まれていく。
その、言葉から余分な水分を吸い取る「間」さえも、私にとっては不可欠な儀式だった。
ティッシュの山は、授業が終わる頃には青く染まり、ゴミ箱に捨てられる。
私のポケットティッシュの消費が激しかったのは、鼻水を拭うためではなく、こうして私という幻像が吐き出した「青い言葉」を乾かすためだった。
ノートもまた、周囲と同じ青や緑のキャンパスノートではいけなかった。
私が選んだのは、どこか古書の佇まいを思わせる、濃えんじ色の厚紙表紙の一冊だった。
合皮のような露骨な高級感ではない。
少しざらついていて、指先でなぞれば微かに布の質感を彷彿とさせる、独特の手触り。
私はそこで、ノートを取る「姿勢」だけをやけに意識していた。
文字の形、行間、そして何より「余白」の配置。
私のノートは、開いた瞬間の「美しさ」と「読みやすさ」のためだけに設計されていた。
一見すると、整然とした文字が並び、深い思索の跡が見て取れるような見事なレイアウト。
しかし、その実、中身は驚くほどスカスカだった。
後から読み返して復習することなど、微塵も考えていなかったのだ。
未来の自分がそのページを必要とするかどうかなど、私には関係なかった。
ただ「今、この瞬間に、高潔な思索を記録しているように見える図」が完成すれば、それで十分だった。
「深く思考に耽る人間」という現象を紙の上に現出させるための配置。
そう、あれは記録のための所作ではなく、ただ展示するための所作だった。
だからこそ、ノートが売り場から消えたり、カートリッジが廃番になったりすることに、私は異常なまでの恐怖を覚えた。
もし、この万年筆が沈黙してしまえば。
この濃えんじ色の防壁が閉じられてしまえば。
「これを使っている私」という現象は、この世界から跡形もなく霧散してしまうのではないか。
ありふれた布製の筆箱の中の万年筆。
学生カバンの中の濃えんじ色のノート。
それは重く、冷たく、異質だった。
その異質さを愛でることで、私は「みんな」という濁流に呑み込まれ、透明に透けて消えてしまう恐怖から、必死に自分を繋ぎ止めていた。
万年筆から溢れるインクの染みは、時に私の指先を青く汚し、その汚れこそが、この現実世界と私を繋ぐ、細く頼りない「因果の糸」のように思えた。
このエッセイは本当の事を書かない。
いまだに、あの時のノートがまだ売ってはいしまいかと、ひとつの幻影が、青い灯りを余分に連れて、文房具店を彷徨うことがある。
整然とライトアップされた棚に並ぶ、高価で美しい万年筆。
金や銀の装飾を纏ったペン先。
宝石のような色彩を湛えたインク瓶。
けれど、どれもこれも、胸の奥にすうすうと乾いた風が吹き抜けるばかりだ。
手に取り、キャップを回してみて、少しだけ目を伏せる。
手のひらに乗せてみて、周囲に気づかれない程度に小さな落胆の息を吐く。
もしも、もしもあの頃の「本物」があったら…どうだというのだろう。
何とも言えぬ気持ちを抱えながら今日も幽霊は、最新の機能に溢れた店内で独り、出口のない迷路を歩き続けている。




