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3/8

神獣の真の姿

 西の沢へ着くと、しらほはまず二台の測定器を同じ場所へ置いた。

 針の差がないことを確かめてから、一台を沢の近くへ、もう一台を十歩離れた斜面へ移す。


「久那岐様は、こちらでお願いします」

「器具よりさらに上か」

「はい。出発前にも霊力を測っていますので、今の状態を保ってください」

「承知した」


 久那岐は指定した石の横で止まった。

 以前なら周囲の神獣が伏せるほどだった霊力は、学院で覚えた加減のまま抑えられている。


 しらほは沢へ近づいた。

 水は普通に流れている。けれど、地中の霊力を読む針だけが、時折、上流ではなく下流側へ振れた。


「今、六まで上がりました」

「こちらでも感じる。流れそのものが薄くなっているな」


 久那岐の返事はすぐに来た。

 しらほが石の位置を変えようとしたとき、彼の声が低くなる。


「そこから二歩下がれ。石には手をつかぬように」


 しらほは止まり、二歩下がった。

 直後、足元の石の隙間から白い光が走った。測定器の針が逆側へ大きく振れ、上限の六で止まる。


「もう一台は」

「四です。久那岐様の位置ではなく、沢側が先に上がりました」


 数呼吸で針は戻った。

 しらほは石へ近づかず、時刻と位置を記録する。


「もう一度待ちますか」

「いいえ。今の器具では上限を超えた可能性があります。原因が分からないまま、同じ場所で続ける方が危険です」

「退くのだな」

「はい」


 しらほは器具を回収した。

 久那岐も異論を挟まず、先に安全な道へ戻る。


 学院へ戻ると、教官は二台の記録を並べた。


「久那岐様の霊力が干渉した可能性は?」

「考えました。ですから出発前に測りました」


 しらほは学院で取った基準値を示した。

 現地でも、久那岐に近い器具より沢側の器具が先に振れている。


「久那岐様が力を増やした記録もありません」


 久那岐が横から紙を見た。


「測る前から、俺のせいではないと決められても困る。実際、加減を誤ることはあるからな」

「はい。窓硝子のこともありますので」


 教官が咳払いをした。

 久那岐は少しだけ笑い、しらほは何も付け加えなかった。


 その日のうちに、北側の道でも短い逆流が報告された。

 西の沢とは離れている。久那岐がその場へ行った記録もない。


「同じものかは、まだ分かりません」

「ならば、次はそこも測るのか」

「はい。ただし、器具を増やします」


 しらほは地図へ二つの印をつけた。


 調査の合間にも、三十日の取り決めは続いていた。

 ある夕方、久那岐は中庭でしらほの希望任地について尋ねた。


「人の少ない土地を選んだのは、静かな方が好きだからか」

「それもあります。でも、一番は観測の記録が少ないからです」

「少ない方を選ぶのか」

「測る人が少ない場所ほど、残せるものがあります。術を使うことも、記録を取ることも好きです」


 久那岐は頷いた。


「では、登録が一年遅れても待つと言ったのは、仕事が惜しくないからではないのだな」

「惜しいです」

「それでも契約を急がぬ?」

「はい」


 しらほは膝の上の本を閉じた。


「生涯魂を結ぶ相手だけは、別の方でもよかったと思いたくありません。選ばなければ後悔するほど、誰かを求めてみたいです」


 言葉にしても、まだどの程度の感情なのかは分からなかった。

 しらほは本の背を指でなぞる。


「本にあるようなことを、私も一度は、文字を読み返さずに分かってみたいのだと思います」


 久那岐はしばらく黙った。

 そのあと、しらほへ尋ねる。


「では俺からも、ひとつ答えておこうか」

「何をですか」

「なぜ、おまえと契約しようと思ったのか」


 しらほは顔を上げた。


「主席だからではなかったのですか」

「それを知ったのは、申し込むと決めたあとだ」


 久那岐は中庭の結界札を見た。


「実習のとき、皆が俺を見て固まっていた。おまえだけが、霊力を絞れと言った」

「測定器が壊れそうでしたので」

「そうだ。理由も分かった。おまえには、何をすればよいか教えてもらえた」


 久那岐はしらほへ目を戻す。


「今日も、下がれと言えば下がり、測れぬものは測れぬと返してくれた。俺に任せて帳面を閉じることもなかった。共に仕事をするなら、こういう相手がよいと思った」


 しらほはすぐに返事ができなかった。

 褒められたのだと思う。主席と言われるのとは違うところを見られていた。


「ありがとうございます」

「うむ」


 久那岐はそれ以上言わなかった。

 しらほも、今の反応をどこへ書くか考えたが、その場では筆を出さなかった。


 北側の道を調べたのは翌日だった。

 測定器を二台、十歩離して置く。久那岐の立つ位置も図へ記録した。


 最初の半刻は、何も起きなかった。

 鳥の声がして、道を小さな神獣が横切った。しらほが時刻を書いた直後、その鳥の声が途切れた。


「止めます」


 しらほは先に言った。

 器具の針が、離れた方から順に振れ始めている。


「観測を中止します。岩まで戻ります」

「俺は残る」

「久那岐様?」


 久那岐は山側を見ていた。


「人の姿のままでは、広がる流れを受けきれぬ。少し押さえる」

「危険は」

「俺にはない。ただ、近くへ来るな」


 しらほは教官のいる岩まで下がった。

 そこで振り返る。


 実習では、人の姿の久那岐を見ただけだった。


 白銀の光が、道の中央へ広がった。

 人の姿が大きくほどけるように変わり、木々の上まで届く長い首が現れる。枝より高い位置に角が伸び、白銀の鱗が重なっている。脚には長い毛があり、頭には狐を思わせる耳があった。尾は道の幅を越え、地面へゆっくり置かれる。


 竜と狐のどちらとも言い切れない。

 人の姿で茶屋に座っていた者と同じだと分かるのは、琥珀に近い金の目だった。


 しらほはその目を見る。


 茶屋で本を二人の間へ置き直した手が、この前脚なのだと思った。


「しらほ」


 声が足元からも響いた。


「器具を見ていてくれ」

「はい」


 しらほは目盛りへ戻った。

 針は上限を越え、端へ張りついている。久那岐が力を広げると、周囲の霊力が押し返されるのではなく、彼の方へ寄った。


「久那岐様、増やさないでください」

「この量で保つ」


 草が一方向へ伏せた。

 異常な流れが、久那岐の霊力へ反応しているように見える。


 数十息のあと、針が戻り始めた。

 久那岐も力を緩め、人の姿へ戻る。しらほが近づいたとき、彼は自分の手を見ていた。


「違和感がありますか」

「少し引かれたような感覚があった」

「どちらへ」

「山側だ」


 しらほは位置を記録した。


「久那岐様が原因とは書きません」

「うむ」

「ただ、久那岐様の霊力に反応したようには見えました」

「それも書いておけ」


 しらほは新しい行を作った。


 共鳴の可能性。

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