神獣の真の姿
西の沢へ着くと、しらほはまず二台の測定器を同じ場所へ置いた。
針の差がないことを確かめてから、一台を沢の近くへ、もう一台を十歩離れた斜面へ移す。
「久那岐様は、こちらでお願いします」
「器具よりさらに上か」
「はい。出発前にも霊力を測っていますので、今の状態を保ってください」
「承知した」
久那岐は指定した石の横で止まった。
以前なら周囲の神獣が伏せるほどだった霊力は、学院で覚えた加減のまま抑えられている。
しらほは沢へ近づいた。
水は普通に流れている。けれど、地中の霊力を読む針だけが、時折、上流ではなく下流側へ振れた。
「今、六まで上がりました」
「こちらでも感じる。流れそのものが薄くなっているな」
久那岐の返事はすぐに来た。
しらほが石の位置を変えようとしたとき、彼の声が低くなる。
「そこから二歩下がれ。石には手をつかぬように」
しらほは止まり、二歩下がった。
直後、足元の石の隙間から白い光が走った。測定器の針が逆側へ大きく振れ、上限の六で止まる。
「もう一台は」
「四です。久那岐様の位置ではなく、沢側が先に上がりました」
数呼吸で針は戻った。
しらほは石へ近づかず、時刻と位置を記録する。
「もう一度待ちますか」
「いいえ。今の器具では上限を超えた可能性があります。原因が分からないまま、同じ場所で続ける方が危険です」
「退くのだな」
「はい」
しらほは器具を回収した。
久那岐も異論を挟まず、先に安全な道へ戻る。
学院へ戻ると、教官は二台の記録を並べた。
「久那岐様の霊力が干渉した可能性は?」
「考えました。ですから出発前に測りました」
しらほは学院で取った基準値を示した。
現地でも、久那岐に近い器具より沢側の器具が先に振れている。
「久那岐様が力を増やした記録もありません」
久那岐が横から紙を見た。
「測る前から、俺のせいではないと決められても困る。実際、加減を誤ることはあるからな」
「はい。窓硝子のこともありますので」
教官が咳払いをした。
久那岐は少しだけ笑い、しらほは何も付け加えなかった。
その日のうちに、北側の道でも短い逆流が報告された。
西の沢とは離れている。久那岐がその場へ行った記録もない。
「同じものかは、まだ分かりません」
「ならば、次はそこも測るのか」
「はい。ただし、器具を増やします」
しらほは地図へ二つの印をつけた。
調査の合間にも、三十日の取り決めは続いていた。
ある夕方、久那岐は中庭でしらほの希望任地について尋ねた。
「人の少ない土地を選んだのは、静かな方が好きだからか」
「それもあります。でも、一番は観測の記録が少ないからです」
「少ない方を選ぶのか」
「測る人が少ない場所ほど、残せるものがあります。術を使うことも、記録を取ることも好きです」
久那岐は頷いた。
「では、登録が一年遅れても待つと言ったのは、仕事が惜しくないからではないのだな」
「惜しいです」
「それでも契約を急がぬ?」
「はい」
しらほは膝の上の本を閉じた。
「生涯魂を結ぶ相手だけは、別の方でもよかったと思いたくありません。選ばなければ後悔するほど、誰かを求めてみたいです」
言葉にしても、まだどの程度の感情なのかは分からなかった。
しらほは本の背を指でなぞる。
「本にあるようなことを、私も一度は、文字を読み返さずに分かってみたいのだと思います」
久那岐はしばらく黙った。
そのあと、しらほへ尋ねる。
「では俺からも、ひとつ答えておこうか」
「何をですか」
「なぜ、おまえと契約しようと思ったのか」
しらほは顔を上げた。
「主席だからではなかったのですか」
「それを知ったのは、申し込むと決めたあとだ」
久那岐は中庭の結界札を見た。
「実習のとき、皆が俺を見て固まっていた。おまえだけが、霊力を絞れと言った」
「測定器が壊れそうでしたので」
「そうだ。理由も分かった。おまえには、何をすればよいか教えてもらえた」
久那岐はしらほへ目を戻す。
「今日も、下がれと言えば下がり、測れぬものは測れぬと返してくれた。俺に任せて帳面を閉じることもなかった。共に仕事をするなら、こういう相手がよいと思った」
しらほはすぐに返事ができなかった。
褒められたのだと思う。主席と言われるのとは違うところを見られていた。
「ありがとうございます」
「うむ」
久那岐はそれ以上言わなかった。
しらほも、今の反応をどこへ書くか考えたが、その場では筆を出さなかった。
北側の道を調べたのは翌日だった。
測定器を二台、十歩離して置く。久那岐の立つ位置も図へ記録した。
最初の半刻は、何も起きなかった。
鳥の声がして、道を小さな神獣が横切った。しらほが時刻を書いた直後、その鳥の声が途切れた。
「止めます」
しらほは先に言った。
器具の針が、離れた方から順に振れ始めている。
「観測を中止します。岩まで戻ります」
「俺は残る」
「久那岐様?」
久那岐は山側を見ていた。
「人の姿のままでは、広がる流れを受けきれぬ。少し押さえる」
「危険は」
「俺にはない。ただ、近くへ来るな」
しらほは教官のいる岩まで下がった。
そこで振り返る。
実習では、人の姿の久那岐を見ただけだった。
白銀の光が、道の中央へ広がった。
人の姿が大きくほどけるように変わり、木々の上まで届く長い首が現れる。枝より高い位置に角が伸び、白銀の鱗が重なっている。脚には長い毛があり、頭には狐を思わせる耳があった。尾は道の幅を越え、地面へゆっくり置かれる。
竜と狐のどちらとも言い切れない。
人の姿で茶屋に座っていた者と同じだと分かるのは、琥珀に近い金の目だった。
しらほはその目を見る。
茶屋で本を二人の間へ置き直した手が、この前脚なのだと思った。
「しらほ」
声が足元からも響いた。
「器具を見ていてくれ」
「はい」
しらほは目盛りへ戻った。
針は上限を越え、端へ張りついている。久那岐が力を広げると、周囲の霊力が押し返されるのではなく、彼の方へ寄った。
「久那岐様、増やさないでください」
「この量で保つ」
草が一方向へ伏せた。
異常な流れが、久那岐の霊力へ反応しているように見える。
数十息のあと、針が戻り始めた。
久那岐も力を緩め、人の姿へ戻る。しらほが近づいたとき、彼は自分の手を見ていた。
「違和感がありますか」
「少し引かれたような感覚があった」
「どちらへ」
「山側だ」
しらほは位置を記録した。
「久那岐様が原因とは書きません」
「うむ」
「ただ、久那岐様の霊力に反応したようには見えました」
「それも書いておけ」
しらほは新しい行を作った。
共鳴の可能性。




