第11話 パラセレーネ
安井涼が、行方不明の兄、吉武の現在の居所を知ることになった
その日の上空では、パラセレーネが観測されていた。
パラセレーネ。いくつかの月が、重なり合うように見える気象現象。
安井が連絡を受けたのは、帝都大学病院にいる時だった。
そのとき、Dr.ナイジェルが、救命救急の前室へ入った。
「Dr.ナイジェル。お噂はかねがね。
産科医の市川剣之助です。よろしく」
見知らぬ手術着姿の若い医師が近づいて来ると名前を名乗った。
「すぐに取りかかろう」
Dr.ナイジェルが冷静にそう告げると、手術着に着替えた。
「トラブル発生です! ロビバカインが品切れです! 」
次の瞬間、救命救急の看護師が、血相を変えて駆け込んで来た。
「どういうわけなのか、詳しく説明しなさい! 」
市川が、その看護師につかみがかった。
「保管庫に全く在庫がありませんでした。メーカーに問い合わせたところ、
供給不安による限定入荷になっていました」
その看護師が困り顔で答えた。
「ここ数年、ロビバカインの流通状況が悪いとの噂がある」
Dr.ナイジェルが告げた。
「話にならん! いったい、薬剤部は何をやっている!? 」
麻酔科医の金城治郎が声を荒げた。
「すみません。すぐに、代用薬を準備します」
薬剤師と共に、見知らぬ製薬会社のMRがやって来た。
運命のめぐりあわせと言っても良い!
そのMRは、安井涼であった。
偶然、この日。外科の手術室で行われる
特患のジミー・オースティン氏の手術を見学する為、
この場に居合わせたというわけだ。
その手術に使用される薬を卸しているのが、
安井が勤務している製薬会社であった。
その縁により、手術見学を許されたのだった。
「代打として、ポップマイカインを提案します」
安井が、金城にそう告げると、金城がうなづいて見せた。
どうやら、その仕草が、OKというサインのようだ。
今回の緊急オペには、麻酔薬が3種類使用される。
産科医、整形外科医、麻酔科医の三銃士みたいな感じ。
「見かけねぇ顔だけど、いつからいるの? 」
金城が、Dr.ナイジェルに話しかけた。
「金城先生。その人、外科の特患の主治医の
アメリカの有名な医者、Dr.ナイジェルですよ」
市川がすかさず助言した。
「ほお。あんたが、あの外人さんかい?
一緒に仕事が出来るなんて嬉しいねえ」
金城がオーバーに喜んで見せた。
「まず、帝王切開で赤ん坊を救出する。そのまま、同じ麻酔で、足の骨折を治す」
Dr.ナイジェルがぼそっとつぶやいた。
胎児への麻酔やレントゲンの影響の安全に配慮する手術になる為、
同じ麻酔下で、2つの手術を同時進行で進めることになる。
同時進行にすると、麻酔が1度で済む為、体への負担の軽減にもなる。
これには、麻酔科医の手腕や経験がいる。
幸い、麻酔科の権威と言われている金城教授がいらした。
選んでいた無痛分娩で有名な産婦人科病院の出番がなかった。
角田春美が美しい顔をゆがませながら、大きくなったお腹を突き出して
細い体をよがらせている様子は、見るに堪えがたかった。
ステップ①硬膜外カテーテル留置
ステップ②一気に、下半身の麻酔を効かせて手術へ入る
ステップ③術中追加調整(帝王切開→整形外科)
(麻酔薬の投与)
1.ポップマイカイン
メイン局所麻酔。下半身の痛みと動きをしっかり止める
2.フェンタニル
1と一緒に少量注入する。
術中のお腹が押されるような不快感を和らげる
3.モルヒネ
術後の痛み止め。直後の数時間少量注入する
安井が、手術が始まるのを見届けた後、
帝都大学病院を出るとその足で、弁護士事務所へ向かった。




