交渉準備
「うう~ん、温泉ダンジョンを巡ってた時も思ってたけど、地図がいい加減すぎるわね……」
「これでもセパンス王国の地図は分岐点も行き止まりも間違っておらず、読みやすいと評判なのですよ?」
今、私たちはアウフお嬢様と飯困らずダンジョンの8階層に作られた居住エリアにおります。
お嬢様は、温泉ダンジョンの体力回復の湯でしばらく鍛えられた結果、王宮のアスレチック広場を10周程度回れる程度の体力は身につけられました。
ゆえに、ダンジョンの現場に自らやってきて、視察ができる程度の余裕が出来たのでこうして現場にやってこられたわけなのですが。
武具ダンジョン産の、ほとんど重さのない羽の兜や空の鎧などを身に着けてダンジョンの中にいる、完全装備のアウフお嬢様のお姿は私にとっては結構違和感たっぷりで新鮮です。
そして、先ほどから地図と現場を見比べておられるアウフお嬢様は、ずーっと納得のいっていないご様子のようです。
「縮尺も角度も距離もめちゃくちゃじゃないの。正しく書いたら紙からはみ出しちゃう箇所が多いから仕方ないのはわかるけど……」
「そういった情報は、冒険者に必要ありませんからね」
「でも、ダンジョンに輸送用の線路を作る予定の私たちはミリ単位で長さが知りたいの! 通路の幅も含めて全部!」
「正確に描いても、温泉ダンジョンの浴槽だったり、飯困らずダンジョンの低階層のように、急にサイズが変化することもありますから」
「あああ、考えたくない! 考えたくないわっ! 輸送線路を作りました、ダンジョンが突然変化しました、その結果車両が通れなくなりました、線路が寸断されました、なんて悲劇が起こることなんて」
「ダンジョンの意思と連絡が取れないことには大規模な工事に着手するのは怖いですね。お嬢様の手紙はトウジ隊長に送ってもらってはいるのですが、読んでくれているのかどうか……」
「よそのダンジョンでもダンジョンさんと連絡を取ろうとしてるって聞いたけど、どこか進展はあった? ヴィヒタ」
「全く成功例は聞きません。もっとも、進展があったとしても国の行っている事業ですから、わざわざ教えてはくれないのではないでしょうか」
「人2人分くらいの幅しかない曲がりくねってるあそこの道とか、すごい段差のあるあの道とか、どう考えても今後の発展には邪魔なのよ。
勝手に拡張工事をしてもすぐ元に戻っちゃうから、ダンジョンさんと交渉ができないと手の打ちようがないわ。
まず温泉ダンジョンの入り口から9階層の温泉までの移動用鉄道を作って、その有用性とダンジョンさんが得られるエネルギー量を調べてもらわないと……。
もしそれがダンジョンさんにとって大黒字になるとなったら、きっと何かしらの対策を考えてくれ……ん?」
「あ、トウジ隊長、お疲れ様です」「ご苦労様です」
大量の医療の湯を背負ったトウジ隊長たち、第1部隊がやってきました。
男性の正規軍含めた軍勢も後方に控えているようですので、おそらくお偉方の病人の護衛もしながら19階層を目指しているのでしょう。
周囲の軍隊がこの場に留まり、休憩のための準備を始めています。
トウジ隊長だけなら1日で駆け抜けてしまうはずですが、病人を含めているとこまめな休憩が必要なようです。
病人の警護と運搬を担当している一般の騎士たちのためにも。
「アウフ様もご苦労様です。アウフ様が直接ダンジョンのご視察に来られているのは……その……、必要なのですか?」
「必要でしたね。実際に来て見て調べることで、ダンジョン内の工事は時期尚早だという結論になりましたし、測量士の方々に時間をかけて精密な地図を描いてもらう計画も中止することにしました」
「ええ? それは初耳ですがお嬢様? 何故でしょうか?」
「実際に見れば見るほどダンジョンさんと交渉ができないまま計画を進めても非効率だということがよ~くわかったし、もし交渉が叶うのなら列車を走らせる専用の通路を丸ごと作ってもらうつもりだから、今のダンジョンの正確な地図なんてもういいわ」
「いやいやいや、それは都合が良すぎる考えではありませんか? お嬢様?」
「だから交渉なのよ。
ダンジョンさんが列車から得られるエネルギー量と、こちらの物資の運び出し量と、移動距離の長さの調整で、お互いが大きく得をする範囲を探るのよ。
中途半端に、ここの狭い道を少し広げてもらえないでしょうか? なんて交渉を毎回毎回ちまちまとしてたんじゃ、お互い不利益だわ!
その交渉を始める前の叩き台として、まず9階層の平原に浴槽までの長い線路を作ってみないとダメなのよ!」
ずいぶん身勝手なことを言っているように思えますが、あの列車が生み出すエネルギーがダンジョンにとって有益ならば交渉になる可能性はあるのでしょうか?
地上の存在が生み出すエネルギーがダンジョンの糧だというのは、ずっとお嬢様が言っておられることですから。
……そう考えるとよその国のように、ほとんど一方的にお願いを頼み込んでいる状況よりは、ずっと誠実な計画なのかもしれません。
「……あれ? あそこに居られる方は」
「あ、もしかしてモロク先生?」
後ろで運ばれているたくさんの病人の中に、見知った顔を見つけました。
セパンス王国でも指折りの科学者で、アウフお嬢様の臨時の家庭教師を務めておられたこともあるお方です。
健康上の理由で科学者からも家庭教師からも退かれたと聞いていましたが、医療の湯によって健康になられたら戻ってこられるかもしれません。
「モロク先生は凄い人だから、お元気になられたらきっと今の研究を手伝ってくれるわよ。
? ……なんのご病気なの?」
なんだか様子が変ですね、タンカに乗せられているのはいいのですが全身を拘束されております。
顔色もよく、見た目も健康そうであまり病人っぽくありません。
「ええ……、まあ、その。縛っていないといきなりどこかへ走り出したり、排泄物を塗りつけてきたりするような……その、そういう感じのアレですね」
「ああ、そういう感じの……」
「……うん、ヴィヒタ、私たちもそろそろ食事にしましょうか」
「そうですね、お嬢様」
とりあえずこの話題はスルーです、言えることなど何もないのですから。
しかし、これまではこう、見て見ぬふりをするくらいしかできなかったどうしようもない状況ですが。
医療の湯でそれもすっかりと治ってしまうことでしょう、すごいことですね。
♨♨♨♨♨
「なんて書いてあるの? マスター」
「要約すれば、列車をダンジョンに通したいので、協力できるならしてくださいっていう、ヴィヒタさんとアウフちゃんが今話してる内容とほぼ同じだね」
医療の湯のお湯を汲むためにやって来たトウジ隊長が、お供え物と一緒に添えてきた手紙にはそう記されていた。
供えられてから2日がたったので、吸収して今ようやく読むことが出来ている。
手紙はともかく、お供え物の内容は武具ダンジョンの武器防具や、糸ダンジョンの糸類布類、鉄ダンジョンの素材と、各種の説明文といった、俺たちには全く不要な品だったのは残念だ。
地上の価値感覚では結構奮発したお供えものだったのかも知れないけど、俺達にとってはコア本体から気軽にもらえる品でしかないんですよそれ。
俺達にとってはセパンス王国産の美味しい料理以下の価値でしかないのだ。
「んも~、こんなものよりセパンス王国の料理とそのレシピが欲しいんだけどなぁ~」
「やっぱり20階層の温泉にたどり着いた頃に、直接交渉するか」
まずはムダに広い9階層に線路を引っ張る計画があるみたいなので、そこから得られるダンジョンポイント量からどのくらい好き勝手にダンジョンの改築をさせていいのか判断する必要がある。
いまダンジョン内部にある1階層の湯船からお湯を汲み出す蒸気ポンプや、住居を1日10メートルくらい動かすだけの蒸気の機構だけでは正しくポイントの計算ができないからな。
列車から得られるポイントを計算しないことにはこちらも交渉の落としどころが見えてこないため、アウフちゃんの判断は実に正しい。
というより、さっきからアウフちゃんは計画の内容を不自然に口に出しすぎている気がする。
ヴィヒタさんに説明をする体で、俺がどこかで見ている、聞いてくれている可能性があると判断して喋ってる気がするんだよな、アウフちゃん。
本人が直接ダンジョンまで来た理由は、ダンジョンの測量を正しくするため?
トウジ隊長も少し疑問に思っていたようだが、おそらくそんなことは本当の理由ではないだろう。
本命は最初から俺との交渉だ。
9階層で列車を作りますからそこから得られるエネルギー量を見てください、そして交渉のテーブルについてくださいと遠回しに伝えに来ているのだろう。
なぜそんな風に思うのかって?
だってアウフちゃん、移動式の住居のお風呂に入る時は、ものすごい恥ずかしそうに意を決したように脱いだあと、天井の隅とかチラチラ見ながら入ってるんだもの。
まるで誰かに覗かれていることを警戒というか、覚悟しているかのように。
……見てるのがペタちゃんだけではなく、後ろに別の存在がいるということにも気付いてるっぽいんだよな。
温泉ダンジョンのあれこれを決めているのがペタちゃんではなく後ろの俺で、そいつは男だってこともアウフちゃんはおそらく予測している。
一体なにをどうやって、そこまでの結論にたどり着いてしまったのかは全くわからないが、こういう反応も……うん、いいよね。







