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私にメッセージを残した人間は何を伝えたかったのか?
また、何故メッセージなどという手間取った方法を使ったのか?
しかもたった5文字の不明瞭な単語で。
言いたいことがあるのなら、直接面と向かって話せばいい。
その方が確実に自分の意図を私に伝えられるではないか。
__つまり、その人物__Aにはそうするわけにはいかない理由があったのだ。
Aは口が聞けないのだろうか?__否、あの村で聾唖者はいなかった。
Aは私と対面することができない状況にあったのだろうか?__否、もしそうだとすると手帳を手に入れる事も不可能である。仮に自由の効く協力者がいて私から手帳を盗ってきてもらい、Aが用事を済ませた後、それをまた私の懐に戻すという作業をしてもらったというのも理屈に合わない。それなら、協力者に代言してもらえばいい。わざわざ無駄な労力を使う事も無い。それもたった5文字の為に。
然るに、Aが私に伝えたいことは暗号のようなメッセージからしても、第三者に知られてはいけないものだったのだ。
この秘密のやりとりがバレた暁には私、もしくはAの身に危険が迫る。
そして、それほどの危険性を冒したということはメッセージの内容自体も緊急の危険を知らせる警告である。
また、確信は持てないが高い可能性でAは終始監視されている、もしくは私と二人きりになると人目を引く人物であり、尚且つ私に接触をはかれた人物だ。
そこで考えるべきはAもしくは私を害する危険のある人物の正体だ。
Aは何故、その人物を野放しにするのか?
守屋氏という長がいるにもかかわらず、何故彼に相談せず部外者でまだ出会って2か月かそこらの私に秘密裡に危険を知らせたのか。
それはその守屋氏こそが危険人物達の筆頭であるからに他ならない。
__手帳に書かれたその5文字を見た途端、脳裏にあの場面がぱっと浮かんだ。
若年の皇帝と狡知なる宦官、辺りを取り巻く群臣と獣の死骸。
指鹿為馬__現在では、この単語は道理や理屈に合わない事を無理に押し通す。権力でそれを強いる。などの意味合いで使われている。彼が黒と言ったら、それがどれ程白かろうと黒になるという風に。
では権力とは何か?
黒とは何か?
白とは何か?
__先程言ったように、メッセージは私に身の危険を知らせるものだ。
そして、相手はこの単語でならばそれができると思った。
ここに来て裏をかく必要はない。一番無理がなく、指鹿為馬という言葉の意味を知っている人間なら真っ先に思いつけそうな事。
『それがどんな蛮行であろうと、権力者である守屋氏の意思であればそれは正しい行為とされる』
つまり、
『村人を信用してはいけない。彼らは守屋氏同様に私を殺そうとしている』
それに気づいた瞬間、腹の底に氷をぐっと押し付けられたようだった。
もしも、この解釈が正しかった場合、私は敵の手中にあるのだ。
そうなると、佐太郎氏の遠戚の男という輩もまるっきり信用できなくなった。
奴は私が逃げ出さないように監視していたのではないか?
そもそも、私ですら忘れていた薬の事をどうして知っている?
事前に佐太郎氏から私が来ることを聞いていたのではないか?
そして薬を飲ませるよう指示を受けていたのではあるまいか??
__そうなると、これを飲むわけにはいかない。
後は先程語った通りだ。私は薬を代わりに男に飲ませ、そうしてあの5文字のメッセージの解釈が正しかったことを知った。
これで、ようやくお前がさっきからうずうずしている件に向かえそうだ。
さて、ここまでの推察は特に無理はなかっただろう。
だが、たった一つだけ理にそぐわないものがある。
何故、佐太郎氏は森で会った時に私を殺さなかったのか?
それどころか、何故一時私に逃げいる隙を与えたのか?
もっと言えば、睡眠薬を使うなどと手間を掛けずとも私を殺すなど容易にできるのに、何故そうしなかったのか?何故、殺そうとしている相手に傷の手当をして飯まで与えたのか?
油断させなくては殺せない程に私が強靭に思えたのだろうか?
足も利き腕も満足に使えず、肩で息をしている男が??
__佐太郎氏が気紛れに私を助けようとしたのではない事は分かっている。
であるなら、痛み止めと称して睡眠薬を盛るはずがない。
そう、何故彼らは私を騙騙る一方で、私を救うような行為をしたのか?
この矛盾を帯びた謎を私はずっと解けずにいた。
しかし、例の来訪者の語った真相により数年越しにようやく私は答えを得たのだ。
佐太郎氏は私に傷をつけたくなかった。
私を健康な状態に保つのが彼の職務であった。
医者としてではない。というより彼は別に医者ではない。
私が彼の人間の体に対する知識やその処置の手際から勝手に医者だと勘違いしたのだ。
確かに集落の人間に対しては医者と言っても間違いではないのだろうが、それは彼の本業ではない。
因みに佐太郎、というのも彼の生まれた時からの名前ではない。
佐太郎とはある役職を指す名前だ。
彼はそれを先代から襲名したのだ。
彼の本来の仕事は、畜産農家が牛を美味くするのと同じ系統にある。
但し、彼が相手にするのは牛ではなく人だ。
それも村の外から来た外来人を。
__さて、物語りも終局だ。
ここである奇怪な村の話をしよう。
尤もこれは私自身が聞いた話なのだが。
ある飢餓の酷い時分があった。
気候のせいか、情勢のせいか、はたまた火山の噴火が要因なのか定かでないか、その飢饉で何千何万という人間が飢え死んだと言う。
腹が減ったと叫ぶ者はいなかった。そんな事をすればもっと腹が減るからだ。
ずっと昔に使った茶碗を持った両手が地面に投げ出された両足の上にだらりと垂れさがっている。
無気力に家の壁にもたれかかり、何を考えるでもなくぼうと虚ろな目が空を見上げている。
気づいてはいけないのだ。
思い出してはいけないのだ。
そんな事できるはずがない。気を狂わす空腹が絶えず意識の中に飛び込んでくるのだから。
しかし、気づいてはいけない。
腹を満たしたいという欲求に気づいてはいけない。
気付いた途端に精神がやられてしまう。
であるから、思い出した端から記憶の忘却が行われる。
思考を失う。余計な消費をしてはいけないから動けない。
だから空を見上げている。
剥皮の木はその傍らで刑吏らを見下ろしている………
__無論、これは六ッ幡村に限った話でない。
近隣の集落も、それから百里先の村でも同じ境遇に置かれていた。
しかし、偶然であろうと契機が訪れ、村はそれらの同族の村々と道を異した。
往々にしてそうだが、契機はその後村が辿った運命に比べればずっとちっぽけな出来事から始まった。
ある日、村の子供が野兎を拾ってきた。
ちっぽけな痩せ細った兎で、足を怪我して動けなかった為に捕まったのだった。
子供は__この驚くべき男児は、その肉を独り占めするでなく分かち合おうとした。
愚かな行為と言われよう、ちっぽけな兎は更にちっぽけな肉粒となって腹は満たされずかえって空腹が増すだけだ。
しかし、男児の純朴さに村人たちはウサギを煮出して汁物を作った。
かなり人数が減ったとは言え村人全員に行き渡る為に、それは薄い薄い汁物であった。
しかし、その汁物は村人の腹に入る事は無かった。
火の番をしていた村人が物音を聞いて、竃から離れた一瞬の隙に、余所者の男が窓から忍び込んでこの汁を横取りしようとした。無論、物音とは村人を外におびき出すために男がたてたものだ。
外の様子を見に行っていた村人は無人である筈の家から音がするのを聞いて、慌てて竃へと戻った。
家人が予想外に早く戻ってきたので男は焦った。まだ碌に汁を飲めていない。
焦った拍子に鍋が竃から滑り落ち、中身が地面にあける。
あっという間に汁は地に吸い込まれ、とろとろに溶かし込んだ兎肉も汁と共に地下の国へと染み込んでいき後には濡れた土塊の他何も残らなかった。
村人の心情を推して知るべし。激情に駆られた彼はその余所者を撲殺した。
しかし、殺したところで汁物が鍋に戻ることはないのだ。
皆が待っている。
あの男児に何と告げよう?
彼の絶望__時として絶望とは容易に人に境界を飛び越えさせる。自殺にしかり、その他にしかりだ。
数刻後、村人たちは皆で鍋を取り囲んだ。
その目に光が灯っている。
子供も大人も皆、嬉しくて泣きそうだった。
兎の汁物は思ったよりも量があった。
味の具合などそんなものはどうでもいい。肉だ、久方ぶりの肉だ。
あの男児が嬉しそうに汁を啜った。
彼の兎が皆を喜ばせているのだ。
それで、男児は頬を綻ばせているのだ。
火の番をしていた村人は辺りを見回した。
そうして思った。
__ここにいるのは皆、痛み、喜びを共有できる仲間だ。家族だ。
__あの卑しい余所者のせいで、もしかしたらこの光景は見られなかったのかもしれない。
それからこうも思ってしまった。
__兎でつくるよりよっぽど皆の腹を満たせたなぁ。




