37 手毬草ー13
人気のないバルコニーに出ると、持って来たグラスを手すりに置いて星空を見上げる。
会場内の光は薄いカーテン越しに届くのみ。
見下ろせる庭もライトアップされており、こうして見下ろすだけなのがもったいないほどに幻想的だ。
しかし、わたくしはこれでも有力な婚約者候補を持つ身なのだ。不用意に庭に降りて何かあってはそれこそ家名に傷をつけてしまう。
精霊に守られているとはいえ、無防備に庭に降りたという事実さえあれば、あとはおしゃべりな貴族が好き勝手に噂を大きくしてしまう。
このバルコニーだって、公爵家の使用人が出入り口のところにさりげなく立っており、誰かが使用している時は人払いをしている。
アルセイド公爵家としても、主催した舞踏会で問題が起きたとあっては家名に傷がついてしまう可能性があるため、当たり年の今は特に令嬢への警備には気を付けているのだろう。
秋の風は涼しく、どちらかと言えば肌寒いぐらいだが、会場内がわずかに暑かったので今は心地よく感じる。
冷えてきたころに会場に戻れば、あの令嬢も軽食コーナーから離れているだろう。
レモネードの入ったグラスを再び手に取って一口飲む。
それにしても、ジョセフ様がまさか『誘惑のサイケデリック』の記憶保持者だとは思わなかった。
精霊に探らせたときは特にこの世界の住人として違和感はなかったが、ずっと隠していたという事なのだろう。
ジョセフ様……悪役令嬢にアドバイスをしていじめを増長させる悪役側のキャラクター。
けれども詳しいプロフィールは明かされておらず、ユーザーに公開されていた情報は誕生日、それから立ち絵で見ることが出来る容姿ぐらいだった。
スチルはなく、ヒロインが攻略対象と一定以上の好感度を会得していくたびに挟まれる、悪役令嬢の回想でその動きを知る事が出来る。
ただ友情エンドの場合、ジョセフ様はその仲を邪魔しようと、悪役令嬢にヒロインと仲良くなっても本人にも周囲にも悪影響しかないと、そう何度もアドバイスをする姿を見ることが出来る。
どのルートでも共通した悪役、けれども処罰されることはない。それがジョセフ様だ。
今の状況はそんなジョセフ様が悪役令嬢を救おうと動いているという事だ。
ジョセフ様のアドバイスがなくなれば悪役令嬢になった者の状況が悪化していく可能性は少ない……かもしれない。
世界の修正力でジョセフ様以外の者が悪役令嬢にアドバイスをするかもしれない。
なにもかもがかもしれない……だ。
「こんなところに長居したら体を冷やしてしまう、ベアトリーチェ嬢」
「ティオル殿下……ダンスはもうよろしいのですか?」
人払いされているはずのバルコニーに来たティオル殿下にわたくしは心無し冷たい視線を向ける。
「休憩だ。かといって軽食コーナーでは人に囲まれるのに変わりはないから、こちらに逃げてきた」
「人払いがされているはずですが、使用人を黙らせましたの?」
「僕が来たバルコニーにたまたま先客がいただけだ」
「さようでございますか。ではわたくしはお邪魔でしょうから先に戻りますわ。どうぞごゆっくりなさってくださいまし」
そう言ってバルコニーを立ち去ろうとしたところで、そっと腕を掴まれ動きを止められる。
「なんでございましょう?」
「もう少し、話がしたい」
「噂になりますわ」
「……ダメだろうか」
「わたくしはまだどなたかと婚約する気はございませんの」
「そうか……。やはり僕の持つ有利性は君の前では何の意味もないらしい」
そう言うものの、ティオル殿下はわたくしの腕を優しく掴んだまま離さない。
「ティオル殿下、手を放してくださいまし」
「嫌だといったら?」
「困りますわね」
誰が困るとは言わない。
しばらく無言で見つめ合っているとティオル殿下が溜息を吐き出す。
「ベアトリーチェ嬢、僕は―――だれだっ」
何かを言いかけたティオル殿下は会場を背にわたくしをかばうようにし、庭に向かって鋭く声を出す。
気配はなかったが、精霊が反応したのでティオル殿下も気が付いたのだろう。
ティオル殿下の問いかけに応える声はないし、動く気配もないが、精霊たちが確かにわたくしたちを何かが視認しているのを察知している。
「ベアトリーチェ嬢、中に……」
「いいえ、ティオル殿下を置いていくわけにはまいりませんわ」
わたくしがそう言うとティオル殿下はちらっと視線をわたくしに向けた後、背後の出入り口に視線を向ける。
「このまま中に戻るか?」
「視線だけで動く気配はありませんわ。何かある前に戻るのが賢明ですわね」
「わかった。先に戻って……と言っても戻らないな」
「ええ、王族を守るのは貴族の義務ですわ」
そう言って、今度はわたくしがティオル殿下の腕を引き寄せる。
「先にお戻りください」
「……わかった。ベアトリーチェ嬢もすぐに……いや、一緒に戻ろう」
「いいえ、わたくしはティオル殿下が会場に戻ったのをしっかり確認してから戻りますわ」
「そうか……なるべく早く戻ってくれ」
「かしこまりました」
腕を引き、出入り口に向けて背を軽く押すとティオル殿下はわたくしを気にしながら会場に戻っていく。
完全に中に入ったのを確認してから庭に視線を向ける。
先ほどまで感じていた視線は薄らいでいるが無くなったわけではない。
精霊に視線の持ち主を追うように指示を出し、わたくしはグラスの中に残ったレモネードを飲み干す。
アルセイド公爵家に侵入できる腕前、尚且つ視認する距離があれほどまでに近づくまでわたくしたちに気づかれないほどの腕前……。
この国にいる精霊魔法の使い手が動いたとも考えられるが、登録されている者がこんなことをするとは思えない。
だって、わたくし相手に精霊魔法で何かを仕掛けても無駄な事を知っているからだ。
つまり、今わたくしたちに視線を送って来ていたのは、この国の登録されていない精霊魔法使いか、他国の精霊魔法使い。
もしくは――――――。
「ベアトリーチェ様」
「はい、なんでしょう」
バルコニーの出入り口に立っていた使用人が声をかけてくる。
「そろそろ中へどうぞ」
「そうですわね」
思考を中断して中に戻ると、通りかかった使用人が持っていたトレイに空になったグラスを乗せた。
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