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「……ふむ。これは少し派手かの?」
オリバーが鮮やかな青い上着を身体の前に当て、姿見の前で首を傾げた。
「どうじゃ、ノエル君」
「いいと思いますよ。よくお似合いです」
「そうかの?」
「はい。落ち着いた色のズボンと合わせたら、素敵だと思います」
「ふむふむ……」
オリバーは満足そうに頷くと、上着を寝台の上へ置き、今度は深い赤色のものを持ち上げた。
「では、こちらはどうじゃ?」
「そちらもお似合いですよ」
「おお、そうか」
明日の出発に向けて、支部ではオリバーの旅支度が進められていた。
必要な書類や荷物はすでにまとめてあるらしく、残るは身の回りの品を選ぶくらいだという。ノエルも何か手伝えればと思って部屋を訪ねたのだが、どういうわけか、先ほどから服装について相談されている。
もっとも、何着か見せられたところで、どれも似合っているとしか言いようがなかった。
「お前は服屋の店員か?」
傍らの椅子に座っていたラザが、呆れたように口を挟んだ。
「爺さんの服装なんざ、誰も気にしねえって。適当にしとけよ」
「馬鹿者!」
オリバーが勢いよく振り返った。
「年寄りこそ、身なりに気を配る必要があるんじゃ!」
「そうかねぇ」
「若い頃は多少みすぼらしくとも、それなりに見えるものじゃ。しかし年寄りが身なりまで構わなくなったら、どうなると思う?」
「……さあ?」
「ただのジジイになるんじゃよ!」
「いや、もうジジイだろ」
「だからこそじゃ!」
オリバーは力強く言い切った。
「ジジイ色の服なんぞ着とったら、ただのジジイじゃろが! どうせなら洒落た爺様でありたいとは思わんのか!」
「ジジイ色って何色だよ」
「地味でくすんだ色じゃ! あんなもん着とったら心までくすむわい!」
わしは心まで老いぼれにはならんぞ、と鼻息荒く意気込むオリバーに、ラザはとうとう声を上げて笑い出した。ノエルも口元を押さえながら、二人のやり取りを眺める。
「ふふ……でも、オリバーさんの言うこともわかる気がします」
「じゃろう?」
「きちんとお洒落をされている方って、おいくつでもやっぱり素敵ですから」
「うむうむ。ノエル君はよくわかっとるのぉ」
ようやく理解者を得たとばかりに、オリバーは大きく頷いた。
そして再び姿見の前に立ち、青と赤、二着の上着を交互に当て始める。
「さて、ではどちらを持っていくか……」
「そんなこだわるなら、両方持ってきゃいいだろ」
「荷物が増えるじゃろうが。ほれ、所長殿。どちらが良いと思う?」
「あー……右」
「うむ……しかしなぁ、こちらは天気が悪いと顔色がくすんで見える気がしてな。であればやはりこちらが……ああ、そういえば向こうに置いていた上着……うむうむ、あちらの方が着回しにはいいかもしれんな!」
「俺の意見どこいった?」
ラザの抗議は、すでに別の上着を探し始めているオリバーの耳には届いていないようだった。
ノエルは結局、しばらく二人のやり取りを眺めることにした。
◇ ◇ ◇
昼食を終え、午後の仕事が一段落した頃。
ノエルは外套を羽織りながら、窓の外へ目を向けた。
空には薄い雲が広がっていたが、雪が降り出す様子はなく、木々の枝もほとんど揺れていない。天候が急変しなければ、森の様子を見て回るには問題なさそうだった。
「……うん。これなら大丈夫かな」
村人から寄せられた相談の中にあった、村の周辺で近頃増えている魔獣の気配。
実際に遭遇したわけではないものの、森を仕事で利用する村人の間でも話題になっており、ノエルは以前から一度、周辺の状況を確かめておきたいと思っていた。
今日はその見回りに、ラザも同行することになっている。
先ほどまで旅支度を手伝っていたラザも、今はノエルの部屋で出発を待っていた。
ノエルは必要な道具を鞄へ収め、最後に棚から小さな箱を取り出す。
中に入っているのは、以前ユーリスから預かった指輪だ。森へ入る時には獣除けとして身につけているもので、今ではすっかり頼りにしていた。
「今日もお世話になります」
なんとなく指輪に声をかけて箱を開くと、隣からラザが覗き込んできた。
「お。それが噂の指輪か」
「え?」
「ユーリスの」
「ああ、そうです……あの、噂って」
「ちょっと貸して」
「? はい、どうぞ」
差し出された指輪を受け取ると、ラザは掌に乗せ、指先で軽く向きを変えながら眺め始めた。
そのまましばらく無言で表面を確かめていたが、やがて内側へ視線を落とし、ごく少量の魔力を流し込む。
すると、指輪の表面に細い光が一瞬だけ浮かび、何事もなかったように消えた。
「なるほどな」
指輪を裏返し、もう一度確認する。
「……ああ、うん。そういうことか」
「何かわかるんですか?」
「まあな」
ラザはひと通り見終えると、指輪をノエルの掌へ戻した。
「いかにもユーリスって感じだな、これ」
「そうなんですか?」
「おう。術式の重ね方といい、堅牢さといい」
ラザは指輪を指さしながら続ける。
「あいつ、こういうとこ妙に几帳面なんだよな。必要な機能をきっちりまとめて、余計な隙を作らねえ」
「へえ……」
「どうせなら機能足してやろうかと思ったんだが……ははっ、隙がなさすぎて余計なことすんなって言われてる気分」
ノエルは手の中の指輪へ目を落とした。
飾り気は少ないが、形の整った美しい指輪だ。そこに組み込まれた魔術の構造を正確に読み解くことは、今のノエルには難しい。
けれど、ラザの話を聞いていると、ユーリスがこの指輪を作る際に何を重視したのか、少しだけわかるような気がした。
「……じゃあ、やっぱり無くさないようにしないとなあ」
「そりゃそうだろ。魔道具としての価値もそうだが、それを差し引いてもヴァレンベルク産だぞ」
「大事にしないとですね」
ノエルは指輪をそっと右手の薬指にはめ、指に馴染む感触を確かめてから手袋を重ねた。
その様子を見ていたラザが、ふと口を開く。
「そこにはめるんだな」
「薬指のサイズだったので。流石に左手はちょっと意味合いが違いますし……まあ、右手ならいいかなって」
「お前、妙な大雑把さあるよなあ」
「そうですか?」
「おう」
ラザは肩をすくめたが、それ以上は指輪について何も言わなかった。
「さて、行くか」
「はい」
支部を出る前にオリバーへ行き先を伝えると、魔獣の気配には十分注意するよう、改めて念を押された。
ノエルは無理をしないと約束し、ラザと二人で村の外れへ向かった。
◇ ◇ ◇
森の入り口へ近づくにつれて、道の両側には背の高い木々が増え、家々の間を吹き抜けていた風も少し弱まった。
村から続く道には人が通った跡があり、雪もある程度踏み固められている。
しかし、そこから一歩外れれば靴が沈むほどの積雪があり、ところどころに木の根や石が覗いていた。
「こっちです」
「おう」
ノエルが先に立ち、ラザがその後へ続く。
森へ入ると、周囲の音が急に遠のいたように感じられた。
聞こえるのは雪を踏む足音と、枝葉が擦れ合う微かな音。時折、木の枝から落ちた雪が地面に小さな音を立てている。
ノエルは道の状態を確かめながら進み、雪の表面に残された足跡へ視線を落とした。
「うーん……」
「どうした?」
「思っていたより、足跡が多いですね」
道の上には、村人のものと思われる靴跡がいくつも重なっていた。
中には積雪の深いところを避けて森の奥へ向かうものもあり、普段使われている道以外にも、人が入り込んでいる様子がうかがえる。
それに混じって、獣の足跡もいくつか残っていた。
「この辺り、結構人が通るんだな」
「村の方が森を抜ける時に使われることもあるんですけど……冬になってからも、こんなに出入りがあるとは思いませんでした」
「ふうん」
ラザも足元へ目を向けた。
ノエルは少し先へ進み、道の端に残った大きめの足跡の前で足を止める。
雪の上にいくつかの窪みが続いていたが、形は少し崩れていて、何の獣が通ったのかまでは判断できなかった。
「……これは、少し大きいですね」
「そうだな。だいぶ崩れてるが……このくらいのデカさなら魔獣の可能性もある」
ラザはしゃがみ込み、足跡の一つを眺めた。
「とはいえ、少なくとも今さっき通ったって感じじゃねえな」
ノエルは周囲の木々へ目を向けた。
魔獣の気配があるという話は聞いていたものの、今のところ、何かが暴れた痕跡や、周囲の環境に大きな変化は見られない。
ただし、足跡が残っているということは、何らかの大きな獣がこの道を利用しているのは確かだった。
冬の森では餌を求めて獣が移動することもある。人の出入りが多い場所だからといって、安全とは言い切れないだろう。
「……しばらくは、森への出入りに注意してもらった方がよさそうですね」
「そうだな。特にガキどもは、こういう足元の悪いとこだと危ねえし」
「はい。村の方々にも伝えておこうと思います」
ノエルは頷き、もう一度足跡の位置を確かめた。
魔獣のものと断定は出来ないが、近しい痕跡もある。念のため、あとでオリバーにも報告しておいた方がよいだろう。
ひとまず、今のところは予定通り見回りを続けられそうだった。
「それにしても、お前、結構しっかり見回ってんだな」
歩き出したところで、ラザが何気なく言った。
「そうでしょうか?」
「おう。足跡とか、道の状態とか、ちゃんと気にしてんじゃねえか」
「ふふ。毎日歩いていると、少しずつ違いがわかるようになるんですよ」
「なるほどな」
ノエルは普段よりも慎重に足を運びながら、森の奥へ向かった。
しばらく進むと、木々の間から明るい場所が見えてくる。そこは以前、子供たちに案内してもらった白星草の群生地だった。
前に訪れた時には、低い草の間に小さな白い花がいくつも咲いていたが、今は一面が雪に覆われている。草の先端がところどころ顔を出しているだけで、花の姿は見当たらなかった。
「ここに白星草が咲くんです」
「へえ。今は何もねえな」
「そうですね。春になれば、また咲くと思いますけど」
「図鑑では見たことあるんだよ」
「ラザさん、花の図鑑とかも見たりするんですね」
「星の形してるって聞いて調べたってだけだがな。原生地はザーレンよりもっと東の、パレス山脈って記述だったのは覚えてる」
「へえ、あっちの方なんですね。標高が高くても、寒くても育つって、すごい生命力だなあ」
ノエルは感心しながら群生地へ目をやり、さらにその奥へ視線を向ける。
「あ、祭壇はあちらです」
「お」
ラザが顔を上げた。
木々の間には、雪に覆われた石造りの構造物が見えていた。
◇ ◇ ◇
「あれか」
「はい」
ノエルは頷き、祭壇へ近づいた。
複数の石を組み合わせて造られた構造物は、相変わらず森の中にひっそりと佇んでいた。
長い年月を経た石の表面には苔や細かな傷が残り、ところどころに刻まれた模様も、風化によって輪郭が曖昧になっている。
周囲には雪が積もっており、誰かが日常的に手入れをしている様子はない。
以前、リディアと一緒に訪れた時にも少し調べてみたものの、祭壇の年代や用途についてはわからなかった。
「古いなー、これ」
ラザは特に驚いた様子もなく、石の表面を眺めた。
「そうですよね。僕も詳しい年代まではわからなくて」
「まあ、こんだけ風化してりゃなあ」
ラザは祭壇の周囲をゆっくりと歩き始めた。
石の継ぎ目や地面との接し方を確かめ、ときどき身をかがめて表面の模様を覗き込んでいる。ノエルも少し離れた場所から、その様子を見守っていた。
「この辺りに、何か模様が刻まれているんです」
「ん?」
「ほら、ここです」
ノエルが示したのは、石の側面に残る細い線だった。
雪と汚れに半ば隠されているものの、よく見ると複数の線が重なり、一定の規則に従って配置されているようにも見える。
「ああ」
ラザが身をかがめた。
「術式だな、これ」
「やっぱり、そうなんですか?」
「おう。相当古いが……」
ラザは指先で雪を払い、露わになった線を目で追った。
最初は、ほかの古い魔術設備を調べる時と変わらない様子だった。線のつながりを確かめながら、ときどき小さく相槌を打っている。
しかし、ある箇所まで指を進めたところで、その動きがぴたりと止まった。
「……あ?」
ラザが顔を近づける。
指先を少し戻し、同じ部分をもう一度ゆっくりとなぞった。
ノエルは不思議に思いながら、その背中を見つめた。
「どうしました?」
「…………」
返事はない。
ラザは今度は別の線へ視線を移し、その先がどこへつながっているのかを確かめていた。先ほどまでの気軽な表情は消え、目元には考え込むような険しさが浮かんでいる。
「……へえ」
小さく呟くと、ラザは立ち上がった。
そのまま祭壇の反対側へ回り、石の表面に残された模様を調べ始める。ときどき最初に見ていた場所へ視線を戻していることから、複数の部分を見比べているのだろう。
ノエルは声をかけずに待った。
こうした時に無理に話しかけても、ラザの思考を邪魔するだけだと知っている。
しばらくすると、ラザは祭壇から数歩離れ、全体を見渡せる位置に立った。
石の配置を順番に目で追い、何かを数えるように指先を動かしている。
それから再び近づき、今度は祭壇の中央へ足を踏み入れた。
ノエルも後を追おうとしたが、ラザが急に立ち止まったので、少し離れた場所で足を止めた。
ラザは真上を見上げていた。
冬の空には薄い雲が流れ、その向こうには青みを帯びた空が広がっている。ラザはしばらくその一点を見つめた後、視線を下ろして周囲の石を確認し、もう一度空を仰いだ。
やがて、何かに納得したように小さく息を吐く。
「……なるほど」
その声に、ノエルは首を傾げた。
「何かわかったんですか?」
ラザはすぐには答えなかった。
祭壇の中央に立ったまま、もう一度周囲を見回してから、ようやくノエルへ顔を向ける。
「んー……」
何とも言えない表情だった。
普段なら、珍しい術式を見つけただけでも嬉々として説明を始めるラザが、今回はどうにも歯切れが悪い。
「……ちょっと、調べることが増えたわ」
「そうなんですか?」
「おう」
ラザは祭壇の縁へ歩き、先ほど調べていた石の表面にもう一度目を向けた。
「術式の組み方に、ちょっと見覚えがあってな」
「見覚え、ですか?」
「まあな。ただ、こんなとこで見るとは思わなかった」
それ以上の説明はなかった。
ノエルは少し迷いながら、ラザの横顔をうかがった。
昨日、村の結界を見た時には、古い術式の仕組みや当時の魔術師の考え方について、ずいぶん興味深そうに話していた。
ところが今は、珍しいものを見つけたというよりも、予想外の問題に出くわしたような様子だった。
「……何か、よくないことですか?」
「よくないっつうか……」
ラザは言葉を選ぶように少し考えた。
「面倒ではあるかもな」
「……面倒?」
「おう。まあ、まだ何とも言えねえけど」
ラザは肩をすくめ、祭壇から手を離した。
「こっちは俺の方で調べるわ。お前は引き続き、星の方を見といてくれ」
「……あの星、ですか?」
「そう」
ラザは頷いた。
「また見えるようになったら教えてくれ。それと、観測記録は今まで通り続けといてほしい。見つからなかった日も含めてな」
「あ、はい。わかりました」
「頼むわ」
ノエルはそれ以上、追及しなかった。
ラザが今の段階で詳しく話さないのなら、まだ何か確かめたいことがあるのだろう。考えがまとまれば、必要なことは教えてくれるはずだ。
ただ、祭壇での反応が気にならないわけではなかった。
そもそもラザは、多少厄介な魔術であっても、面白そうだと思えば自分から首を突っ込む人だ。
そんなラザが珍しく「面倒」と言った。
それだけは、少し引っかかっていた。
「……さて、そろそろ戻りましょうか」
ノエルは空を見上げた。
森へ入った時よりも雲が増えており、木々の間に差し込む光も少し弱くなっている。まだ夕方には早いものの、冬の森では暗くなるまでの時間が短い。
帰り道でも足跡や周囲の様子を確認するつもりなら、今のうちに出発した方がよいだろう。
「そうだな」
ラザは一度だけ祭壇を振り返り、ノエルの方へ歩いてきた。
「帰りも同じ道か?」
「はい。ただ、少し先に別の道へつながる場所があるので、そちらも確認しておきたいです」
「おう。んじゃ、任せるわ」
二人は祭壇を離れ、雪の残る森の道へ戻った。
ラザは途中、何度か足を止めて周囲を見渡していたものの、祭壇について新たに何か話すことはなかった。
ノエルもあえて尋ねず、見回りを続ける。
やがて木々の間から村の屋根が見え始め、支部へ続く道に戻ったところで、ノエルはようやく少し肩の力を抜いた。
予定していた見回りは、おおむね終えることができた。
魔獣が出没していると断定できるものは見つからなかったが、注意を促すには十分な状況だった。それに、雪道の状態や獣の足跡を実際に確認できたのも良かった。
隣を歩くラザへ目を向ける。
祭壇を調べていた時の険しい表情は、もう見られなかった。
けれど、何を考えていたのかは、結局わからないままだ。
「……ラザさん」
「ん?」
「今夜は、魔術を教えてもらえるんですよね?」
「ああ、そうだったな」
「忘れないでくださいね?」
「わかってるって。今日はちゃんと教えてやるよ。消える星なんて、久々にめちゃくちゃ面白えもん見せてもらったんだ。その礼くらいはしねえとな」
「ふふ。ありがとうございます」
ノエルはそう答えて、支部へ向かう道を歩き出した。
まずは森の見回りで確認したことを、オリバーに報告しなければならない。
祭壇のことは、ひとまずラザに任せよう。
今の自分にできるのは、頼まれた通り、あの星の観測を続けることだった。




