6-3
「そういえば、ノエル」
「はい?」
村の通りを歩いていると、ラザがふと思い出したように声をかけてきた。
「前にお前にかけた魔術、まだ効いてるか?」
「魔術……ああ、夜目が利くようにしてくださったものですか?」
「そう、それ。調子どうよ」
ノエルは少し考えた。
以前、ラザに施してもらった魔術のおかげで、夜間でも周囲を見通すことができるようになっていた。
もちろん、昼間とまったく同じように見えるわけではないが、暗闇の中で物の輪郭を捉えられるだけでも随分と助かっている。
「まだ綺麗に見えますよ。ただ、最初の頃よりは少し弱まってきた気がします」
「ふうん。じゃ、持ちは一ヶ月くらいか」
「体感だと二ヶ月くらいは効きそうかな、と思いますよ。弱まり始めるのが一ヶ月くらいから、という感じです」
ラザは何やら納得したように頷いた。
「なるほど。なら、思ったより悪くねえな」
「そうなんですか?」
「おう。お前の魔力で維持してるわけじゃねえからな。もうちょい短いかと思ってた」
「なるほど……」
魔術には、術者が継続して魔力を供給しなければ維持できないものもあれば、一度施せば一定期間効果が続くものもある。
ラザがノエルに施したものは後者だった。
しかも、使用中に何か特別なことをする必要もない。普段通りに生活しているだけで、暗い場所でも自然に視界が確保される。
実際に使っている身としては、なかなか便利なものだった。
「……あの、所長」
「ん?」
「これ、騎士団の皆さんにも使えたらいいなと思うんですけど」
「ああ?」
ラザが何が予想外のことを言われた、というような顔でこちらを見る。
「ほら、騎士団の皆さんって、任務によっては野営もされるじゃないですか。夜間の警戒や移動の時に、暗いところが見えたら安全性も上がるかなって」
「あー……まあ、そうかもな」
返事は、随分とあっさりしたものだった。
否定はしていない。確かにその可能性はあると、ラザ自身も思ったのだろう。
ただ、それほど興味もなさそうだった。
ノエルは苦笑する。
「……所長、そんなに騎士団が苦手ですか?」
「苦手っつうか、相性悪りぃんだよ。例えば俺がその提案を騎士団のやつにしたとして、どうなると思う?」
「うーん……ちょっと怖がられそうというか、ビックリはされそうですね」
「ビックリねえ……我々を実験体にするつもりか!って言われるとこまでは見えたぞ。まあ、実際間違ってねえけど。実験体にはするし」
それは日頃の双方の関わり方にも少し問題がある気がする、とノエルは思ったが言わなかった。
なぜなら、これはラザに限った話ではない。魔術師と騎士の間には、多かれ少なかれ、こうしたすれ違いがあるのだ。
「むしろ、お前よく普通に相手できるよな」
「そうですか?」
「そうだよ。別に騎士だからどうこう言う気はねえけど、考え方が違いすぎて会話になんねえもん」
「あはは……」
ノエルは曖昧に笑った。
ラザは、生粋の魔術師気質なのだろう。
興味を持ったものはとことん調べるし、既存の仕組みに疑問があれば、自分で新しい方法を考えて進めてしまう。その際に生じる懸念についても、理論上どこまで許容できるかを見極めたうえで、まずは試してみる。それが一番、効率がいいからだ。
一方、騎士団では規律や連携、定められた指揮系統が重視される。
もちろん、魔術師にも規律は必要だし、騎士たちが新しい考え方を嫌っているわけでもない。
ただ、何を優先するかという点で、ラザをはじめとする多くの魔術師たちとは、ずいぶん考え方が違うのだろう。
魔術師が悪気なく口にした提案が騎士団では受け入れられなかったり、逆に騎士団から求められた手順を魔術師が非効率と断じたり。
そんな光景は、常に宮廷の至るところで見受けられた。
「僕の場合は、育った環境が大きいかもしれませんね」
「だろうな」
ラザはあっさり頷いた。
「騎士家と縁がある魔術師家がねえとは言わないが……大きな家の中じゃ、アルヴェインくらいなもんだ」
「そうですね……バーゼルお祖父様やグレンハイム家の叔父様たちは、騎士そのものみたいな方ばかりですから。見慣れているのは確かです」
鍛え抜かれた肉体に、大きな声と仕草。喜怒哀楽もわかりやすく、全体的に豪快な人たちが多い。
けれど、何より印象的なのは、彼らが騎士という職務に抱いている強い誇りだった。
国や民を守るためなら、自らの命を差し出すことさえ厭わない。
死んでは何も守れない。誇りのために命を落として、何が誉れなのか。
魔術師や貴族にはそんなふうに眉を顰める人もいる。ノエル自身、命を惜しまないことが必ずしも正しいとは思わない。
それでも、誰かを守るために己の身を懸ける彼らの生き方には、自然と敬意を抱いていた。
幼い頃から身近にいた祖父や叔父たちが、そういう人々だったからだろう。
「バーゼル……あのジジイもなぁ、オズワルドとはまた違った面倒臭さがあんだよ」
「ふふ。所長はよく、弛んどる!って怒られてましたね」
ノエルは懐かしく思い出した。
厳しいところもあったが、祖父が何を大切にしていたのかは、子供心にも理解していたつもりだ。
それに、父も騎士たちへ深い敬意を持っていた。
騎士は国を支える大切な柱なのだと、折に触れて話していたのを覚えている。
「父上も、騎士団の方々をとても尊敬していましたから。僕も自然と、そういうものだと思って育ったんでしょうね」
「やっぱ環境かねぇ」
ラザはそう言って、軽く笑った。
それから、話を戻すように続ける。
「そんで、騎士の連中に魔術付与したいって話か?」
「あ、はい。できればですけど」
ノエルは頷いた。
「少しでも安全性が上がるなら、やってみる価値はあるんじゃないかなって。もちろん、皆さんの装備や任務との兼ね合いもあるでしょうけど」
「まあな」
ラザは少し考え込んだ。
先ほどまでとは違い、今度は魔術そのもののことを考えている顔だった。
「……んじゃ、お前に教えるか」
「え?」
「術式。お前が覚えて、騎士団の奴らにかけてやりゃいいだろ」
ノエルは瞬きをした。
「僕が、ですか?」
「おう」
「……できるでしょうか?」
「やってみりゃわかる」
実にラザらしい答えだった。
ノエルは少し困ったように笑う。
「所長が僕にかけてくださったものって、かなり複雑な術式なんじゃないですか?」
「そこまででもねえよ。基本は光魔術の応用だな」
「光魔術の応用……」
「そう。あと闇魔術の基礎も多少使う」
「闇魔術も……」
ノエルは少し考えた。
光魔術も闇魔術も、基本的な理論は学んでいる。その二つを専門領域としているレオニスの本も何冊か読んだことがある。
ただ、得意かと聞かれれば、胸を張ってそうだとは言えない。
そもそも、ラザが簡単だと言う魔術は、他の魔術師にとって必ずしも簡単とは限らないのだ。
とはいえ、やってみないことには難しいかどうかもわからない。
「とりあえず、やってみたいです」
「おう。それでいい」
「じゃあ、今夜仕事が終わったあとに教えてください」
「夜は無理」
「えっ」
即答だった。
「なんでですか?」
「日記読むし」
「ああ……」
「あと、お前にも解説させるつもりだから」
「……僕が?」
「当たり前だろ。書いた本人がいるんだから、実際に見たこと深掘りするに決まってる」
ラザは何を今さら、と言いたげな顔をした。
ノエルは思わず笑ってしまう。
「なるほど。そういうことでしたか」
「おう。聞きたいこともあるしな」
「それは構いませんけど……」
少し考えてから、ノエルはラザを見た。
「じゃあ、解説する時に、そのお礼として魔術を教えてください」
「あ?」
「僕が日記について説明しますから、その代わりに」
ノエルがにこりと笑う。
ラザは一瞬きょとんとした後、声を上げて笑った。
「ははっ! お前、結構がめついな!」
「ええ?」
「がめついっつうか、やっぱ図太いわ。案外商売人向きなんじゃねえか?」
「そうでしょうか」
商売人。
ラザに向いていそうだと言われると、なんだか本当に適性があるような気がして、ノエルは少し笑った。
「じゃあ、魔法局をお払い箱になったら、お店でもやってみましょうか。お茶屋さんとか」
「お、いいな」
ラザが楽しそうに頷いた。
「そん時は常連になってやるよ」
「ありがとうございます。でも、入り浸って帰らないのはなしですよ?」
「常連様は丁寧に扱え」
「あははっ」
ノエルは声を上げて笑った。
ラザが店に入り浸る姿は、容易に想像できた。
しかも、きっとお茶を飲むだけでは済まないだろう。
何か面白いものを持ち込んでは、他の客を巻き込んで騒ぎを起こしそうだ。
「所長が常連さんだと、毎日賑やかそうですね」
「繁盛するぞ。ま、残念ながら当面は魔法局勤めで我慢してもらうがな」
「ふふ……じゃあ、しばらくは第三室限定のお茶屋さんということで」
「いいねえ」
ラザは可笑しそうに笑い、ノエルもつられて笑う。
冗談のつもりで言い出した話だったが、もし本当にお茶屋を開くことになったら、それはそれで楽しそうだった。
もちろん、今はまだ魔法局の仕事を辞めるつもりはないけれど。
「んじゃ、日記を読んだ後に時間があったら教えてやるよ」
「はい。お願いします」
「できるかどうかはお前次第だけどな。ま、頑張れ」
「それはもちろん」
ノエルは頷いた。
自分にできることが増えれば、騎士団の人々にも何か役立てるかもしれない。
そう思うと、今夜が少し楽しみになってきた。
◇ ◇ ◇
しばらく歩くと、ノエルは村の外れにある石造りの設備へ目を向けた。
「あ、所長。そういえば、こちらも見ていただいていいですか?」
「ん?」
「村の結界です」
「へえ」
ラザが足を止めた。
ザーレンの村には、魔物や獣の侵入を防ぐため、古くから結界が張られている。
普段は目に見えないが、村を囲むように配置された複数の魔術設備が、その維持を担っていた。
ノエルは、その一つへラザを案内した。
「以前から少し気になっていたんです。今のところ問題なく動いているんですけど、かなり古いものみたいで」
「ふうん」
ラザは石造りの設備へ近づき、表面に刻まれた術式を眺めた。
ところどころ摩耗しているものの、魔力の流れを示す線はまだ残っている。
ラザが指先で軽く触れると、淡い光が一瞬だけ浮かんだ。
「……おー」
「どうですか?」
「古いなー、これ」
ラザは感心したように呟いた。
「よく動いてるもんだ」
「やっぱり古いですか」
「古い古い。術式の組み方が、今のとは全然違う」
ラザは少し身をかがめ、刻まれた線を目で追った。
「でも、悪くねえな。無駄が少ねえし、必要なところはちゃんと押さえてある」
「そうなんですね」
「おう。まあ、古いからって駄目ってわけじゃねえしな」
ラザは立ち上がり、設備全体を眺めた。
「むしろ、これだけ長いこと動いてるなら、当時の設計は結構しっかりしてたんだろ」
「なるほど……」
ノエルは頷いた。
古い設備だからといって、必ずしも質が悪いわけではない。
それは理解していたが、実際にラザからそう言われると少し安心する。
「……ちなみに、所長」
「ん?」
「これ、直せますか?」
「そりゃあ直せるが……」
ラザは少し考えた。
「まあ、王都から専門の奴を呼んだ方がいいだろうな」
「時間がかかるからですか?」
「それもなくはねえけど、そういう話じゃねえんだよ」
ラザはもう一度、結界の術式へ目を向けた。
「こういう設備って、長いこと使うだろ?」
「はい」
「だったら、改修する時は構造がシンプルで、教科書通りな方がいい」
「……教科書通り、ですか?」
「おう。誰が見てもわかるようになってる方が、後々楽なんだよ」
ラザは軽く肩をすくめた。
「俺がやると、あれこれ付けたくなるからな」
「……ああ」
ノエルは思わず納得してしまった。
ラザが古い術式を見れば、もっと効率のよい方法や、新しい機能を思いつくのは間違いない。
そして、思いついた以上は試したくなるのだろう。
「昔、それで専門部の奴にめちゃくちゃ怒られたことあるし」
「……そうなんですか?」
「おう」
ラザは愉快そうに笑った。
「せっかくだからって、結界の機能をいくつか追加したんだよ。つっても自動で修復するようにしたり、異常があったら光ったり、そんな程度だぞ? なのに後で、『こんなもん誰が改修するんだ!』って」
「あはは……」
「自動で外敵を撃退する機能は我慢したし、ちゃんと動いてたんだけどな」
「そういう問題ではなかったんでしょうね」
「そうらしい。結局、作り直すハメになった」
あまり反省している様子はなかった。
ただ、自分のやり方が必ずしも設備の管理に向いていないということは、理解しているらしい。
ラザは、新しい術式を考えることにかけては、他の追随を許さない魔術師だ。
だからといって、昔はともかく、今は何でも自分で手を加えようという気はないらしい。
少なくとも、誰かが長く使い続ける設備については、それを管理する人々の事情も考えている。
「じゃあ、やっぱり春になってからですかねえ」
「そうだな。今の時期は専門部も星降祭関連の結界張りで忙しいだろうし」
「ああ、そうでした」
星降祭は、王都でも大きな行事だ。
多くの人が集まる場所では、安全確保のために結界の設置や調整が必要になる。
魔術設備を専門に扱う部署にとっては、特に忙しい時期なのだろう。
「ま、今のうちに申請だけ上げとけば、春くらいには対応してくれるだろ」
「そうですね。戻ったら書類を用意しておきます」
「おう」
「……それで、結界そのものは大丈夫そうですか?」
ノエルが尋ねると、ラザは軽く頷いた。
「今んとこ問題ねえよ。少なくとも今年いっぱいは余裕そうだな」
「よかった」
ノエルは、ほっと息を吐いた。
自分でも同じ見立てだったが、やはり魔術師として信頼する第三者からお墨付きをもらえると安心感がある。
もちろん、だからといって点検を怠ってよいわけではないが、急いで修理を手配する必要もなさそうだった。
「ありがとうございます、所長。見ていただけて助かりました」
「おう。別にこれくらいならいいぞ」
ラザはひらひらと手を振った。
それから、もう一度結界の設備へ視線を向ける。
「しかし、こういうのも面白えよな」
「そうですか?」
「おう。昔の術式って、今じゃあんまり使わねえ考え方が残ってたりするからな」
ラザは少し楽しそうに笑った。
「作った奴が何考えてたのか、見てると結構わかるんだよ」
「……なるほど」
ノエルも石造りの設備を見上げた。
長い年月を経て、少しずつ修理を重ねながら使われてきた結界。
これを作った魔術師たちは、きっと当時の村のことを考えて、できる限り長く使えるように設計したのだろう。
そのおかげで、今も村の人々は安心して暮らしている。
そう考えると、ただ古いだけの設備にも、少し違った見方ができる気がした。
「……じゃあ、次はあっちの方を見て回りましょうか」
「おう」
二人は再び歩き始めた。
雪の積もった道を進みながら、ノエルはすれ違う村人たちに挨拶をする。
ラザは気になるものがあれば足を止め、時折ノエルに質問を投げかけた。
王都とは違う家々の造り。
寒さに備えた村の設備。
軒先に置かれた道具の使い方。
そのどれもが、ラザには面白く映るらしい。
そうして歩いていると、道の向こうから村の婦人が声をかけてきた。
「あらノエルちゃん、お帰りなさい」
「あ、ただいま戻りました」
「そちらはお客さんかい?」
「はい。王都から来られた、僕の上司です」
「どうも」
ラザが軽く手を上げる。
「まあ、王都から……こんな遠くまで、大変だったでしょう」
「はは、来る前の準備にはなかなか骨が折れましたよ」
「そうなのねぇ」
婦人がうんうんとゆったり頷く。
ノエルは、ラザの言う『なかなか骨が折れた準備』とやらが、内緒で有給と移動扉の申請を済ませることだと知っているので、微妙な顔をした。
ラザはノエルの反応も含めて面白がりながら、婦人と少し立ち話をして別れた。
「大変なのはレオニス先輩の方ですよね?」
「申請してやった上司にそんな冷たいこと言うなよ。なぁ、ノエルちゃん」
「……わかりましたから、その呼び方はやめてください」
「はははっ、ご婦人限定か。悪い悪い」
からかうように笑うラザに、ノエルは少し恨めしげな視線を向けた。
けれど、だんだんとおかしくなってきて、結局自分も笑ってしまう。
こうして歩いていると、村の人々が次々に声をかけてくれる。
自分がザーレンで過ごしてきた時間が、少しずつ積み重なっているのを感じた。
そして、その隣には王都から突然やってきたラザがいる。
妙に賑やかで、少し不思議な気分だった。
「……さて」
ノエルは空を見上げた。
冬の日は短い。
まだ夕方には少し早いものの、空の色はゆっくりと変わり始めている。
「そろそろ支部に戻りましょうか」
「もうそんな時間か」
「はい。帰ったら、さっきの結界の件もまとめておきたいですし」
「ああ、そうだったな」
ラザは頷いた。
それから、ふと思い出したように笑う。
「……で、夜は日記な」
「はいはい。わかってますよ」
「ちゃんと解説頼むぞ」
「その代わり、魔術も教えてくださいね」
「わかってるって」
ノエルは満足そうに頷いた。
今夜は、少し忙しくなりそうだ。
ラザが読みたがっていた天体観測の日記。
そして、騎士団の人々にも役立てられるかもしれない魔術。
どちらも、ノエルにとっては興味深いものだった。
雪を踏みしめる音を響かせながら、二人はザーレン支部へ向かって歩いていった。




