5-10
レオニスは制御盤に展開された術式を、慎重に確認していた。
照明へ向かう魔力の流れは、ところどころで不規則に弱まっている。供給量そのものは正常なのだから、分配回路のどこかで影響を受けているのだろう。
「リディア君。直近の変動記録を見せてくれたまえ」
「はい」
差し出された記録を確認し、レオニスは制御盤の一部を指した。
「この回路だね。変動が発生するたび、こちらの流れが僅かに滞っている」
「はい。解析でも同じ結果が出ています」
「ならば、まずは分配側の調整を行おう」
レオニスが魔力を流すと、制御盤に浮かぶ線が一つ、また一つと淡く光った。
既存の回路へ無理に魔力を押し込むのではなく、それぞれの照明へ向かう流れを細かく調整していく。
やがて、不規則だった変動が収まり始めた。
「……どうだね」
「確認します」
リディアが解析術式を操作し、しばらく表示を見つめる。
「変動が収まり始めています。照明への供給量も、減少が止まっていることを確認しました」
「そうか」
レオニスは最後にもう一度術式を確認し、静かに手を離した。
「これでひとまず照明は問題ないだろう。ただし、引き続き監視を頼むよ」
「承知しました」
管理室の職員たちから、小さな安堵の声が漏れた。
室温管理に続き、照明も安定した。夜会の進行に直接影響する設備については、差し迫った危険を回避できたことになる。
しかし。
「……さて、残るはこちらだね」
レオニスは制御盤の中央へ目を向けた。
そこには、リディアが発見した原因不明の魔力の流れが、今も残っていた。
「ユーリス君。そちらから見て、何か分かるかね?」
室温管理の監視を続けていたユーリスが、制御盤へ歩み寄った。
「少し確認しても?」
「もちろん」
ユーリスは幾つかの接続部分を調べ始めた。
「……空間の歪みによる流路の変化、という可能性は考えましたが」
「うむ」
「通常の空間干渉とは一致しません。接続部分の位置関係に変化はありませんし、魔力が別の場所へ転移している形跡もありません」
「そうだね」
「複数の回路が相互に干渉している可能性もあります。ただ、それなら各回路のどこかに、干渉を引き起こす要素が見つかるはずです」
ユーリスは別の部分へ目を向けた。
「ですが、どれも設計通りに動いている」
「ああ」
個々の術式に不備はない。それなのに、全体では想定外の流れが生じている。
「……妙だな」
ユーリスが小さく呟いた。
ひとつの術式が故障しているのなら、まだ話は単純だ。しかし、どれも正しく動いている以上、修正すべき箇所がわからない。
「あの……今、全部正常に動いてるんですよね?」
不意に、若い職員が声を上げた。
先ほど、魔力の供給量を増やすべきだと主張していた男性だった。
「だったら、とりあえずこのままでもいいんじゃないですか? 異常の原因は、夜会が終わってから調べれば……」
「馬鹿を言うな!」
年配の職員が即座に声を荒らげた。
若い職員がびくりと肩を揺らす。
「何が起きているかわからんのに、放っておけるわけがないだろう!」
「ですが、照明も室温管理も直ったんですよ?」
「だからこそだ! あの場所が何なのか、わかって言っているのか!」
年配の職員は制御盤の中央を指した。
「ここは各設備へ魔力を分配し、全体の流れを調整している中枢だ。言ってみれば、この設備全体の心臓部なんだぞ」
「……それは」
「ここが止まれば、直った照明も室温管理も、それ以外の設備も全部止まる」
若い職員の顔色が変わった。
「ですが、今は正常に動いて……」
「今はな。原因がわからん以上、次の瞬間に止まる可能性だってあるんだ」
管理室に沈黙が落ちた。
レオニスは改めて制御盤を見た。
年配の職員の懸念はもっともだ。照明と室温管理を修正できても、中枢の異常が解消されなければ安心はできない。
しかし、どこにも明確な不具合が見つからない。
となると、やはり――。
「失礼します」
その時、管理室の扉が開いた。
聞き慣れた声に、レオニスが振り返る。
ノエルだった。
そして、その後ろには。
「何だ、随分集まってんな」
ラザがいつもの気軽な調子で入ってきた。
「所長」
レオニスが声をかけると、ラザは片手を上げた。
「おう、どうだ」
「室温管理は対処済みです。照明についても、今しがた修正が終わりました」
「そりゃ何より」
ラザはあっさり答え、管理室を見回した。
「今夜の責任者はあんたか?」
「は、はい。こちらの設備管理を任されております」
「賑やかにして悪いな。第三室、エルヴェスターだ。ちょっと見せてもらうぜ」
「もちろんです。よろしくお願いいたします」
「ん」
挨拶はそれだけだった。
ラザはすぐにレオニスへ向き直る。
「とりあえず説明」
「はい」
レオニスは制御盤を示した。
照明と室温管理に発生した魔力の変動。
それぞれの術式は修正済みであること。
そして、複数の術式を繋ぐ中枢に、設計上存在しない魔力の流れが発生していること。
発覚から現在までの経過を、順番に伝えていく。
ラザは途中で口を挟むこともなく、黙って聞いていた。
「……以上です。現時点では、原因を特定できていません」
「へぇ」
説明を聞き終えたラザは、それだけ言った。
管理室の職員たちが、互いに顔を見合わせる。
今夜のラザは、一応礼装を身につけている。だが、少し崩した襟元と、面倒くさそうな立ち姿は、普段と大して変わらなかった。
以前から彼を知っている職員の中には、こういう時でも相変わらずだな、と苦笑する者もいる。
若い職員などは、心配そうな目を向けていた。
大丈夫なのだろうか。
そんな疑問が、表情に浮かんでいる。
だが、年配の管理責任者は何も言わなかった。
レオニスも、ユーリスも、リディアも、そしてノエルも同じだ。
誰もが、ラザが次に何をするのかを待っていた。
「ちょっと全体を見せろ」
ラザは制御盤へ近づいた。
まず照明、次に室温管理。それから他の設備へ魔力を送る回路を順番に確認しながら、制御盤の周囲をぐるりと歩いた。
「リディア」
「はい」
「記録、あるか?」
「こちらです」
リディアがすぐに記録簿を差し出した。
ラザは受け取ると、ぱらぱらと頁を捲り始める。
異常が発生した時刻、魔力の変動、停止までの予測、各設備の状態。
解析結果にも目を通していくが、その速度は驚くほど速かった。
しばらくすると、ラザは記録簿を閉じた。
「なるほど。よくまとまってんな」
「あ、ありがとうございます」
「助かった」
ラザは記録簿を返し、最後に制御盤の中央へ向かった。
「ここか」
「はい」
レオニスが頷く。
「各設備は正常に動いていますが、この部分だけ、想定されていない経路が形成されています」
「ん」
ラザは制御盤を覗き込んだ。
それきり、黙った。
一秒。
二秒。
三秒。
ノエルは少し離れたところから、その背中を見ていた。
ラザは身動き一つせず、魔力の流れを見つめている。
五秒。
七秒。
十秒。
「……作るか」
ラザが呟いた。
「え?」
ノエルが思わず声を漏らす。
ラザは顔も上げずに、制御盤へ手を伸ばした。
「ちょっと弄るぞ」
「は、はい!」
管理責任者が慌てて頷いた。
ラザが軽く指を動かすと、制御盤の上に新たな魔力の線が浮かび上がった。
「……!」
リディアが目を見開く。
ラザは既存の回路を壊すことなく、その隙間へ新しい術式を組み込んでいく。
細い線が幾つも伸び、複数の接続部分を繋いでいった。
複雑な制御術式の中へ、まるで最初からそこにあったかのように、新たな経路が作られていく。
その作業に、迷いはない。
ノエルは思わず見入ってしまった。
ラザの指先が動くたび、術式の形が少しずつ変わっていく。それでいて、照明も室温管理も正常に動いたままだ。
やがて、制御盤の中央に新たな回路が完成した。
「……こんなもんだろ」
ラザが手を離す。
リディアが慌てて解析術式を展開した。
「……あっ」
「どうした?」
ノエルが尋ねる。
「消えました」
「え?」
「異常な魔力の流れが、なくなっています」
リディアは念のため、何度か解析結果を確かめた。
「照明、室温管理、他の設備も……今のところ、すべて正常です」
管理室が静まり返った。
ノエルは思わず時計へ目を向けた。
ラザが術式を弄り始めてから、まだ五分ほどしか経っていない。
「じゃ、終わり」
ラザは何でもないことのように言った。
「えっ、もうですか?」
若い職員が思わず声を上げた。
「ああ」
ラザは欠伸でもしそうな調子で答える。
レオニスが制御盤へ目を向けた。
確かに、異常な流れは消えている。
「……所長」
「ん?」
「一体、何をなさったんですか?」
ラザは軽く首を傾げた。
「なんだよ、ここで魔術講義なんてしてもしょうがねぇだろ」
「管理室の皆が安心して作業に戻るためには、一定の説明は必要でしょう」
レオニスが静かに返すと、ラザは少し考えてから制御盤を指さした。
「まず、各術式は別に壊れてなかった。なら問題はそこじゃねえ」
「はい」
ラザの指がゆっくり移動し、制御盤の中央へ移る。
「こいつは、いろんな設備の魔力をまとめて管理してる。照明も室温も、使う術式は別だが、魔力の流れは完全に独立してるわけじゃない」
「ええ」
「で、それぞれの術式は正しく動いてる。だが、複数の流れが同時に変動した時、ここの分配回路が想定してない形で干渉しちまったんだよ」
「しかし、今までは正常に稼働していました。なぜ急に……」
管理責任者が尋ねる。
「別に急じゃねえよ。ここの流れ、他より負荷がかかってた痕跡がある。少しずつ干渉が強くなって、今回表に出ただけだ。前回の設備調整はいつだ?」
「おおよそ半年前です」
「じゃあ、その時の調整がきっかけかもな。回路、弄ったろ?」
「はい。それぞれ専門の担当者が調整を入れています。その時に誤りがあったのでしょうか」
「いや、個々の調整は間違ってねえよ。だが、個々が正しくても全体が上手く回るとは限らない。今回はその良い例だ」
ラザは制御盤から指を離した。
「とはいえ、個々は生きてるんだから、干渉する前に流れを逃がしてやりゃあいい。余計な魔力が溜まらないよう、別の経路へ一度通してから戻す回路を足しただけだ」
「……なるほど」
管理責任者が頷いた。
説明を聞けば、理屈はわかる。
半年前の調整で各担当者がそれぞれの術式を適切に修正した結果、組み合わせた際に想定外の干渉が発生した可能性がある。
ならば、干渉が起きないよう魔力の流れを調整すればよい。
言葉にすれば、そういうことなのだろう。
だが。
「……そんな簡単に、新しい回路を組み込めるものなんですか?」
若い職員が恐る恐る尋ねた。
「できねぇかもな」
ラザはあっさり答えた。
「えっ」
「ちゃんと既存の術式全部と噛み合わせなきゃなんねえし。下手にやりゃ余計におかしくなる」
「……」
「でも理屈上は無理って程じゃない。だから得意そうなやつに投げとけ」
ラザはどこか他人事のように笑った。
若い職員は、何も言えずに頷いた。
レオニスは新たに加えられた回路を見つめた。
理屈は理解できる。
確かに、この回路なら既存の術式へ影響を及ぼさず、干渉だけを解消できる。
しかし、自分が同じものを構築するとなれば、各術式との整合性を一つずつ検証し、慎重に組み上げる必要がある。相当な時間を費やすだろう。
それ以前に。
原因不明の異常を前にして、新たな回路を作るという解決策に、自力で辿り着けただろうか。
……おそらく、無理だ。
レオニスは静かに息を吐いた。
積み上げてきた知識があるからこそ、目の前の技術の難しさはよくわかる。
そして、それを思いつき、その場で実現してしまうラザとの根本的な隔たりも。
本人は、ほんの少し手を加えただけという顔をしている。
あぁ、残酷なものだな。
そう思いながらも、レオニスはもう一度、新たな回路へ目を向けた。
これほどの実例を、見逃す手はない。
◇ ◇ ◇
「……ユーリス?」
ノエルは、制御盤を見つめたまま考え込んでいる友人へ声をかけた。
「どうしたの?」
「……所長の思考を辿っていた」
「思考?」
「ああ。さっきの説明を聞けば、何をしたのかは理解できる」
ユーリスは静かに答えた。
「同じ回路を組むこともできる。多少時間はかかるだろうが」
「そうなんだ」
「ただ、俺はあの解決策に辿り着けなかった」
ユーリスは制御盤へ視線を戻した。
「既存の術式に問題がない以上、別の原因を探そうとしていた。所長は逆に、それぞれの術式が正しいことを前提に、全体の流れを見ていたんだろうな」
「なるほど……」
「しかも、あの短時間で回路の構造まで決めている」
ユーリスは感心したように息を吐いた。
「……あの発想に、あの速さで辿り着くか。やはり規格外だな」
その声には、素直な感嘆があった。
ノエルも頷く。
自分には、ラザが行った術式の細かな仕組みまでは理解できない。
けれど、ユーリスがここまで感心しているのだから、よほど高度なことをしたのだろう。
何より、先ほどまで誰も原因を特定できなかった異常を、あっという間に解消してしまった。
やっぱり、すごい人だ。
そう思いながらラザを見ると、本人は既に制御盤から離れ、首を軽く回していた。
「んー、終わった終わった」
まるで、日常のちょっとした仕事を片づけたような様子だった。
管理室の職員たちも、ようやく緊張から解放されたらしい。あちこちから安堵の息が漏れた。
「エルヴェスター所長、本当にありがとうございました」
年配の管理責任者が深々と頭を下げた。
「おかげさまで、大事にならずに済みました」
「別に。今後も問題なく動くと思うが、しばらくは様子見とけよ」
「はい。もちろんです」
「あと、今回の記録は全部残しといてくれ。後で見直す」
「承知しました」
ラザが頷く。
それから、レオニスへ目を向けた。
「お疲れさん」
「いえ。所長こそ、お疲れ様です」
「俺は最後に細かいとこ整えただけだろ。色々動いてたのはお前らなんだから、偉そうにしとけ」
レオニスは一瞬だけ目を細めた。
「……ありがとうございます」
ラザはひらひらと手を振った。
ユーリスとリディアも、管理室の職員たちからそれぞれ礼を言われている。
室温管理の停止を防いだこと。
異常の進行を解析し、残された時間を明らかにしたこと。
どちらも、今回の対応には欠かせなかった。
ノエルはその様子を見ながら、ほっと息をついた。
これで、夜会も無事に続けられるだろう。
「……あの、アルヴェイン様」
不意に声をかけられた。
振り返ると、管理室に最初に来た時、言い争っていた二人の職員が立っていた。
「はい?」
「先ほどは、ありがとうございました」
年配の職員が頭を下げた。
ノエルは少し驚いた。
「いえ、そんな。僕は大したことは……」
「いいえ」
若い職員が首を振った。
「アルヴェイン様が来てくださらなかったら、俺たち、あのままずっと言い争っていたと思います」
「……」
「原因もわからず、どうしたらいいかもわからなくて。焦って、余計なことをしようとしていました」
年配の職員も頷く。
「私も感情的になっていた。あなたが話を整理してくださったおかげで、落ち着いて対応できました」
「そうでしたか」
ノエルは微笑んだ。
「でも、皆さんも夜会を無事に進めたいと思っていらっしゃったのでしょう? その気持ちは同じだったわけですし」
「ええ」
「なら、よかったです。お役に立てたのなら、何よりです」
若い職員が少し照れたように笑った。
「……本当に、ありがとうございました」
「こちらこそ。引き続き、設備の方をよろしくお願いします」
「はい!」
二人は改めて一礼し、それぞれの持ち場へ戻っていった。
ノエルはその背中を見送る。
それぞれが、自分にできることをした。
自分も、その一人だったのなら嬉しい。
だからこそ、無事に解決できたのだろう。
「さて」
ラザがぱん、と軽く手を打った。
「じゃ、解散だな」
「そうですね。これ以上は、こちらにいても仕事の邪魔になるだけでしょう」
レオニスが頷いた。
「引き続き監視をお願いします。何か異常があれば、すぐに宮廷魔法局へ連絡してください」
「承知しました」
「じゃ、戻るか」
ラザが扉へ向かう。
ユーリスも、リディアも、それに続いた。
ノエルは最後にもう一度、制御盤へ目を向けた。
複雑な術式は、今ではどれも穏やかな光を放っている。
あれほど心配していた異常の痕跡は、もう見当たらなかった。
「ノエル君」
レオニスが声をかけた。
「はい」
「君も早く戻りたまえ。せっかくの夜会だ」
「はい。ありがとうございます」
ノエルは微笑んで頷く。
管理室を出ると、遠くから再び楽団の音が聞こえてきた。
華やかな夜会は、何事もなかったかのように続いている。
そして、実際に大事には至らなかった。
それで十分だった。
第三室の面々は、揃って広間へ戻っていった。




