5-9
広間へ戻ったノエルは、再び周囲を見回した。
つい先ほどまでなら、知り合いを見つけるたびに挨拶を交わす余裕もあったのだが、今はそうもいかない。
室温管理の術式はユーリスが対応してくれるだろう。照明についても、レオニスが管理室へ向かった。
しかし、あの正体不明の魔力の流れは、二人でもすぐに原因がわかるとは限らない。レオニスがラザを呼ぶように言ったのも、その懸念が大きいからだろう。
なるべく早くラザを連れていきたいところだった。
とはいえ、あの人はどこにいるんだろう。
先ほどは挨拶回りを済ませてくると言っていた。もちろん、その言葉通り誰かと話をしている可能性もある。しかし、同じくらい本気で飽きてどこかへ雲隠れしている可能性も考えられた。
ノエルは招待客の間を歩きながら、見覚えのある姿を探した。
その時、少し離れたところから聞き慣れた笑い声が響いた。
「がっはっは! そうか、そうか!」
ノエルは思わず振り返った。
聞き間違えるはずもない。
お祖父様だ。
声のした方を見ると、広間の一角に、白髪の老人と背の高い男性が立っていた。
オズワルドとラザだった。
祖父の元気そうな姿と、無事にラザが見つかったことに心底安堵しながら、ノエルは早足で二人へ近づいた。
「お祖父様、所長」
「むむ!」
オズワルドが大袈裟な素振りで振り返り、ノエルの姿を認めた途端、その顔がぱっと明るくなる。
「やはりノエルか、探していた! おお、おお、礼装もよく似合っているな!」
「ありがとうございます。お祖父様も、無事にお戻りになられたんですね」
「ああ、少々手間取ったが結界の調整は無事に済んだ。夜会にも間に合ったし、言うことなしだろう」
「それならよかったです」
ノエルも笑顔を返した。
今朝は慌ただしく出かけたと聞いていたので、こうして元気な顔を見ることができて安心する。
オズワルドは満足そうに何度も頷いていたが、やがて隣に立つラザへ顔を向けた。
「見ろ。うちの孫は立派なものだろう。こうして礼節も弁え、年寄りの心配までする心の優しい子だ。鼻の形なんてリシャーナに似てると思わないか?」
「はいはい。似てる似てる」
「なんだその気のない返事は」
「いや、聞き飽きたなって」
ラザが半笑いで返した。
「お前は半分くらい聞いてないのだから、聞き飽きるくらいがちょうど良いだろう」
二人の気軽なやり取りは、いつも通りだった。
どうやら祖父が到着してから、しばらく話し込んでいたらしい。
ノエルは思わず笑いそうになったが、すぐに本来の用件を思い出した。
「あの、所長」
「ん?」
「少し、お話があるのですが」
ラザがこちらへ目を向ける。
「何だ? ああ、もうこの爺の相手は飽きたって相談か。わかるわかる、年寄りは話が長くていけねぇよな」
「おい、ノエルがそんなこと言うわけないだろう。……な、ないよな?」
オズワルドが若干不安そうな目で見てくるので、ノエルは小さく首を振った。
「いえ。少し、仕事のことで」
そう言って、ラザへ一歩近づいた。
「よろしいですか?」
ラザが僅かに眉を上げる。
それから、何も言わずに少し身を屈めた。
ノエルは祖父にも周囲にも聞こえないよう、声を潜めて耳打ちする。
「夜会の設備に異常が出ています」
ラザの表情から、軽い笑みが消えた。
「照明と室温管理の術式に、不規則な魔力の変動が確認されました。室温管理はユーリスが、照明はレオニス先輩が対応しています」
ノエルは必要なことだけを、順番に伝えていく。
「ただ、それとは別に、複数の術式の間で原因不明の魔力の流れが見つかりました。リディアさんが解析しましたが、仕組みはわからないそうで……」
ラザは黙って聞いていた。
「レオニス先輩から、所長を管理室へお連れするようにと指示を受けました」
「……なるほどな」
最後まで聞いたラザは静かに呟いた。そこにはいつものような気怠さは、もうない。
「うちの連中は揃ってるな?」
「はい」
「わかった」
短い返事だった。
ノエルが顔を上げると、オズワルドが二人を見ていた。
しかし、先ほどまでの騒がしさはすっかり収まり、穏やかな表情でこちらを見守っている。
「……お祖父様、あの」
ノエルが声をかけると、オズワルドは片手を軽く上げた。
「うむ。では、わしは王女殿下にご挨拶でもしてくるとしよう」
「え?」
「せっかく久しぶりにお戻りになられたのだ。幼い頃の話でもすれば、少しは懐かしんでいただけるだろう」
オズワルドは何でもないことのように言った。
今夜、祖父は宮廷魔法局の仕事を任されているわけではない。夜会に招かれた客の一人として、ここにいるのだ。
ノエルが身内にさえ仕事の話を聞かせまいと声を潜めたことも、ラザの表情が変わったことも、祖父は気づいているのだろう。
だから、事情を尋ねることはしなかった。
「ノエル」
「はい」
「また後で、ゆっくり話そうな」
祖父はいつものように目尻を下げた。
「はい。ぜひ」
「うむ!」
それだけ言うと、オズワルドは機嫌よく歩き出し、少し離れたところにいた知人へ早速手を振っていた。
何も気づいていない。そう振る舞うことが、祖父なりの気遣いなのだろう。
そういう切り替えの速さを、ノエルは尊敬していた。
「じゃ、行くか」
「はい」
広間の出口へ目を向けたラザは悠々と歩き出す。
急いでいるようには見えない。
しかし、その迷いない足取りに続くように、ノエルも足を進めた。
◇ ◇ ◇
レオニスはノエルと別れた後、足早に管理室へ向かいながら状況を整理していた。
照明の術式に生じた魔力の変動。
室温管理にも確認された同様の異常。
そして、複数の術式の間に現れた、原因不明の魔力の流れ。
どれも早急な対応を要する問題だ。
しかし、レオニスが気にかけていたのは、それだけではなかった。
『いえ。皆さんも異常には気づいていたんですが、原因がわからず、対応方針が決まらない状態でした。リディアさんが来てくれたおかげで、かなり状況が整理できたんです』
報告の際、ノエルはそう言っていた。
それは間違いではないだろう。だが、おそらく、それだけではない。
王家主催の夜会という、失態の許されない催しの最中に発生した原因不明の異常。管理室はさぞ混乱したことだろう。担当者同士で言い争いの一つや二つ、起きていてもおかしくない。
そんな状態でリディアが解析結果を示したところで、周囲に話を聞く余裕がなければ、対応は進まない。
では、彼女が到着するまでに誰が場を整えたのか。考えるまでもない答えに、自然と薄く笑みが漏れた。
「本当に、彼はこの手のことに強いね」
思えば、まだノエルを第三室に置くことに懐疑的だった頃、認識を改めるきっかけになったのも、似たような出来事だった。
◇ ◇ ◇
数年前。
第三室と騎士団の間で少し大きな問題が起きた。
原因は、王宮西棟にある訓練区画だった。
第三室が術式検証のために確保していた場所と、騎士団が合同訓練に使用する予定だった区画が、管理室側の申請処理誤りで重なったのである。
本来なら、ただの予約調整で済む話だった。
だが。
「だから、こちらは二週間前から申請を出していると言っているだろう!」
騎士団側の担当者が声を荒らげる。
「こちらも同様です」
レオニスは冷静に返した。
「承認時刻はこちらの方が早い。記録上、優先権はこちらにあります」
「だが、その時間を外せば合同訓練ができないんだ!」
「それはこちらの事情ではありません」
周囲の空気が、目に見えて悪くなっていく。
騎士団側にも事情がある。
それはわかる。
だが、こちらにも予定がある。
規則に従い、正しく申請し、承認を得た。ならば譲る理由はない。
相手が苛立つほど、こちらは冷静であるべきだ。
正しい手続きを踏んだ側が、感情に押されて譲る必要はない。
「だったら、そっちの検証を一時間ずらせないのか」
「できません」
「即答かよ!」
「必要な時間を計算した上で予定を組んでいます。そちらの都合だけで変更する理由はありません」
「融通って言葉を知らねえのか、魔術師は!」
「規則を守ることを融通が利かないと呼ぶのであれば、喜んでそう呼ばれましょう」
一歩も引かない。
相手も引かない。
周囲にいた者たちは、次第に口を挟めなくなっていた。
その時だった。
「すみません、少しいいですか?」
少し離れたところから、聞き慣れた声がした。
レオニスが振り向く。
書類の束を抱えたノエルが、困ったような顔で立っていた。
「アルヴェイン君」
「お話、ちょっとだけ聞こえたんですけど」
ノエルは騎士団側とレオニスを交互に見る。
「使いたい場所というのは、完全に同じでしょうか?」
レオニスの眉が僅かに動いた。
その問いが何を意味するのか、わからなかった。
「どういう意味だ」
同じ気持ちだったらしい、騎士団側の担当者が怪訝そうに聞き返す。その声色には、まだ苛立ちが混じっている。
しかしノエルはそれに怯える様子もなく、書類を近くの机へ置くと、壁に掲げられていた西棟訓練区画の簡易図へ歩み寄った。
「騎士団側は合同訓練ですよね。必要なのはどの辺りですか?」
「中央の広場と、南側の走路だ。隊列を組むから、それなりに広さがいる」
「北側は?」
「使わん。術式設備があるだろ。その辺りは普段から騎士だけで近づくなって散々言われてる」
ノエルが頷き、今度はレオニスを見る。
「第三室の術式検証は?」
「北側だ」
「中央広場は使いますか?」
「……いや」
答えながら、レオニスもようやくノエルの意図に気づいた。
「検証対象は北側の固定術式だ。安全確認のため周辺を封鎖する必要はあるが、中央広場全体を使用するわけではない」
「封鎖範囲は、どのくらいです?」
「北側設備から二十メートル程度だね」
ノエルは図面を見る。
北側の設備。
中央の訓練広場。
南側の走路。
図面上では、北側設備から二十メートルの範囲に中央広場の一部がかかっている。だが、隊列の移動経路を南寄りにすれば、距離を確保できそうだった。
「だったら、同時に使えませんか?」
騎士団側の男が眉を寄せた。
「簡単に言うが、魔術の検証中なんだろう。こっちの訓練に影響が出たらどうする」
「そこは確認が必要ですね」
ノエルはあっさり認め、それからレオニスへ向き直った。
「今回の検証って、外へ影響するようなものですか?」
「予定通りに進めば、ほとんどない」
「予定通りじゃなかった場合は?」
「保護術式の内側で収まるよう設計している」
「じゃあ、その保護術式の範囲だけ騎士団側に入らないでもらえば?」
レオニスも改めて図面を確認した。
隊列の移動経路を南寄りに限定すれば、保護術式の範囲とは重ならない。立ち入りを明確に制限すれば、安全上の条件は満たせる。
騎士団側の男が腕を組む。
「こっちは隊列訓練だ。途中で勝手に北へ入る奴はいない」
「音とか振動はどうです?」
「多少はあるだろうが、どれも人間が発する程度のものだ」
「術式検証に影響します?」
レオニスは少し考えた。
当初の計画では、区画全体を無人にした状態で行う予定だった。
だが、それは必須条件だからではない。余計な要素を減らした方が検証しやすいからだ。
「……測定時だけ静かにしてもらえれば問題はない」
「測定って、ずっとですか?」
「いや。一時間のうち、数分を何度かだ」
「その時間だけ訓練を止めてもらうのは?」
今度は騎士団側の担当者が考え込んだ。
「何回だ」
「予定では四回。各五分程度」
「合計二十分か」
「多少前後する可能性はあります」
「それくらいなら……休憩と説明の時間に回せる」
先ほどまで張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。
ノエルはもう一度図面を見る。
「では、第三室は北側だけ使う。騎士団は中央と南側で、保護術式の範囲には入らない。測定に入る前に第三室から合図をして、その間だけ騎士団側は訓練を止める。これならどうでしょう?」
「それなら、こっちは問題ない」
騎士団側の担当者が答える。
ノエルがレオニスを見る。
「第三室側は?」
レオニスは改めて検証手順を思い返した。
当初予定していた環境より多少条件は増えるが、測定時の静穏と保護範囲が確保されるなら、検証結果への影響はない。
「……問題ない」
「では、それでいきましょうか」
ノエルが騎士団側へ向き直る。
男は少し気まずそうに頭を掻いた。
「まあ……それで済むなら、こっちも助かる」
先ほどまで声を荒らげていたのが嘘のような調子だった。
「こっちも時間をずらせって言われると困るんだ。複数隊の予定を合わせてるからな」
「こちらも同様です」
レオニスが答える。
まだ声は硬いが、先ほどまでの刺々しさは薄れていた。
「では、具体的な時間だけ詰めましょうか」
ノエルがそう言い、机の上にあった紙を一枚取る。
十分もしないうちに、双方の予定はまとまった。
「……最初からそう言えたのでは?」
話し合いを終え、騎士団側の担当者が書類を持って立ち上がったところで、レオニスは僅かに眉を寄せて言った。
「何がだ?」
「中央と南側しか使わないという話です」
「ああ」
男は苦い顔をした。
「そっちが開口一番に『こちらが先に申請してる』って言ってきたから、区画全部使うんだと思ったんだよ」
「申請上は区画単位で取る決まりですからね」
「それに、実際区画全部使ってなんかやってる時もあるだろ」
レオニスが言葉を返そうとするより先に、ノエルが間へ入った。
「こちらも騎士団側が区画全部必要だと思っていましたから、お互い様ですね」
「……まあ」
レオニスが何も言えずに短く言葉を切ると、騎士団側の男も苦笑する。
「次からは、大まかに使う場所まで申請書に書いておく方がいいかもしれませんね」
「そうだな、管理側に申請項目増やすように言っとくか……ところでお前、第三室の新人か?」
「はい、ノエル・アルヴェインと申します」
ノエルが名を告げると、男は「あぁ」と合点がいったように呟いた。
「お前がアルヴェインの。第三室に入ったっていうから、どれだけ癖の強い奴かと思ったが……なんというか、普通だな」
「よく言われます」
「こちらとしてはその方が助かる。今後もよろしく頼むな」
「こちらこそ」
ノエルが頭を下げる。
男も軽く手を上げ、そのまま部屋を出ていった。
扉が閉じる。
静かになった室内で、レオニスはしばらくそこを見つめていた。
「……」
「ローゼンフェルト補佐?」
ノエルが不思議そうに首を傾げる。
「何だね」
「いえ、難しい顔をされていたので。何かまだ問題がありましたか?」
「いや」
問題はない。むしろ、驚くほど綺麗に片付いた。
それが少し気に入らなかった。
「アルヴェイン君」
「はい」
「君は、最初から今の案を考えていたのかね?」
「まさか。僕、ただの通りすがりですよ」
ノエルはあっさり否定した。
「ただ話を聞いてたら、両方とも『その時間に使わないと困る』とは言ってましたけど、『同じ場所を使いたい』とは誰も言ってなかったので」
「それで確認しただけだ、と?」
「はい」
まただ。
特別なことをしたという顔をしていない。
「あと、騎士団の人も怒ってましたけど、こっちを追い出したいわけじゃなさそうでしたし」
「……あれが、そう見えたのかね?」
「合同訓練ができなくなるのが困るだけでしょう?」
ノエルは当然のように言う。
「こっちも術式検証を邪魔されたくないだけです。なら、両方できる方法があればそれでいいのかなって」
レオニスは黙った。
理屈としては、その通りだ。
だが、自分はそこへ辿り着かなかった。
騎士団側は追い出したがっているようにしか見えなかった。それに申請は第三室側が先なのだから、規則上はこちらに優先権があるのも明白。
だから、相手が引き下がるべきだ。
間違ってはいない。
規則は必要だし、正しく申請した側が不利益を受けるべきでもない。
それでも、別の方法があった。
「じゃあ、僕はこれ届けてきますね」
「ああ」
ノエルはまとめたばかりの予定表を手に取り、部屋を出ていく。
扉が閉じたあとも、レオニスはしばらく黙っていた。
◇ ◇ ◇
あの時、ノエルは規則を軽んじたわけでも、誰かに一方的な譲歩を強いたわけでもなかった。
双方が本当に必要としているものを確かめ、両立する方法を見つけただけだ。
レオニス自身、交渉の仕方を知らなかったわけではない。ローゼンフェルト家の者としてなら、上手く譲歩を引き出すことも、必要ならあえて引き下がることも出来る。
しかし、あの時は第三室の責任者として、正当な権利を守ることに意識が向きすぎていた。
「私も若かったものだね」
思い返せば、自分の余裕のなさに笑うしかない。以前、書庫でトラブルを起こしたリディアをまったく言えた口ではないのだ。
そんな視野が狭くなっていたレオニスを、あの時のノエルは、当事者とは少し離れた位置から問題を見ることで場をおさめた。
そんなことが、あれから今日にいたるまで幾度もあった。
今回も、おそらく似たようなことが起きたのだろう。
特別な才能もない未熟な魔術師としか思えなかった新人は、気づいた頃にはレオニスにとって信頼を預ける部下の一人になっていた。
「私も、自分の仕事を遂行せねばな」
青い記憶は、レオニスの歩みを一層力強く確かなものにした。
◇ ◇ ◇
管理室へ続く廊下を曲がると、見覚えのある扉が視界に入った。
軽く扉を叩く。
「失礼する」
返事を待って扉を開けると、室内にいた職員たちが一斉に振り返った。
「ローゼンフェルト補佐!」
年配の職員がほっとしたような声を上げた。
「お待ちしておりました」
「ああ。状況はノエル君から概ね聞いている。今はどうなっている?」
レオニスが尋ねると、制御盤の前に立っていたユーリスが振り返った。
「室温管理の方は、ひとまず復旧しました」
「よろしい。説明を」
「はい。空間制御の流れが一部乱れていましたが、接続部分を調整して、正常な状態に戻しています」
ユーリスは淡々と答えた。
制御盤の一角では、室温管理の術式が安定した光を放っている。
「ただし、根本的な原因はまだわかっていません。再び影響を受ける可能性はあります」
「なるほど。応急処置というわけだね」
「そうなります」
「十分だよ。よくやってくれた」
レオニスは短く頷いた。
少なくとも、室温管理が停止するという差し迫った事態は避けられた。
「リディア君」
「はい、ローゼンフェルト補佐」
制御盤の脇で記録をまとめていたリディアが、すぐに顔を上げた。
「照明の状況をあらためて説明してくれたまえ」
「承知しました」
リディアは手元の記録簿を開いた。
「照明については、現在も魔力の変動が続いています。異常が発生する間隔は徐々に短くなっており、減少幅も大きくなっています」
「停止までの予測は?」
「先ほどの計算では約一時間でしたが、現在の変動を踏まえると、多少短くなる可能性があります」
「供給側には異常がないんだね?」
「はい。供給量は正常です。術式そのものにも、破損や欠損は確認されていません」
「ふむ……」
レオニスは制御盤へ目を向けた。
そこには、複数の灯りへ魔力を分配するための複雑な制御術式が展開されている。
構造上の不備は見当たらない。しかし、魔力の流れは時間とともに不安定さを増していた。
「それから、もう一つ」
リディアが続けた。
「複数の術式の接続部分に、設計上存在しない魔力の流れが確認されました」
「ああ。ノエル君から聞いているよ。見せてくれ」
「はい」
リディアは解析術式を展開した。
制御盤の上に細い魔力の線が幾重にも浮かび上がり、複数の制御術式を結ぶ部分が強調される。
その中に、明らかに不自然な流れがあった。
レオニスは目を細めた。
「……なるほど」
新たな術式が接続されているわけではない。
既存の術式同士の間に、本来想定されていない魔力の流れが生まれているようだった。
「発生した原因に心当たりは?」
「申し訳ありません。まだ特定できておりません」
「いや、構わない。よく見つけたね」
リディアは僅かに目を見開いた。
「ありがとうございます」
「引き続き、他の設備にも同様の異常がないか確認してくれたまえ。無理に修正を試みる必要はない。記録を残すことを優先してほしい」
「承知しました」
レオニスは改めて制御盤へ向き直った。
照明の術式は、自分が対応する。こちらは対応策がいくつか頭に浮かんだ。問題ないだろう。
問題は、原因不明の魔力の流れだ。
既存の術式同士で何らかの干渉が起きているのか、それとも別の原因があるのか。現時点では判断できない。
だからこそ、ラザを呼ぶようノエルに頼んだのだ。
あの人なら、何か気づくかもしれない。
もっとも、それを待つ間にも照明の状態は悪化していく。
できることは、先に進めておくべきだろう。
「ユーリス君」
「はい」
「室温管理の監視は、引き続き頼む。異常が再発したら、すぐに知らせてくれたまえ」
「承知しました」
「リディア君は解析を続けてくれ。管理室の皆は、現在の供給量と照明の状態、そしてその他のシステム動作を監視するように。こちらから指示するまでは、各設定の変更は控えるようお願いします」
職員たちが頷いた。
レオニスは袖を軽く整え、制御盤の前へ進んだ。
夜会用の礼装で術式の修正をすることになるとは、思ってもいなかった。しかし、そんなことを気にしている場合でもない。
「さて……」
レオニスは眼鏡を押し上げた。
「まずは、照明から片づけるとしよう」
そう言って、制御盤へ手を伸ばした。




