5-7
レオニスを探して広間の端まで来たところで、ノエルはふと見覚えのある姿に気づいた。
会場の出入口に近い壁際で、数人の騎士が警備に当たっている。
その中に、ガレスがいた。
普段の騎士団の制服とは違い、今夜は儀礼用の装備を身につけている。それでも立ち姿にはいつもの力強さがあり、周囲の様子へ絶えず目を配っていた。
第一騎士団は、今夜の警備も任されているらしい。
ノエルがそちらを見ていると、ちょうどガレスもこちらへ顔を向けた。
目が合う。
その瞬間、ガレスがにっと笑った。
普段なら大きく手を振って声をかけてきそうなところだが、今は勤務中だ。
当然、持ち場を離れるようなこともしない。
ノエルも微笑みを返し、胸元あたりで小さく手を振った。
ガレスはほんの僅かに顎を上げ、それから何事もなかったように広間へ視線を戻した。
ノエルもそれ以上は近づかなかった。
華やかな夜会の裏では、ああして多くの人々が仕事をしている。
宮廷魔法局でも今夜のために準備を進めていた部署があると聞いていたし、警備や給仕に携わる人々も含めれば、その数は相当なものだろう。
自分たちがこうして安心して夜会を楽しめるのも、彼らのおかげだ。
ノエルは改めて広間を見渡した。
楽団は軽快な曲を奏で、招待客たちは楽しげに談笑している。
やっぱりこの賑わいだと人探しは大変だな。
そう考えながら歩いていると、広間の中央寄りに、ひときわ華やかな人の輪ができているのが見えた。
その中に、見慣れた金髪がある。
ノエルは思わず足を緩めた。
レオニスだった。
今夜の彼は、いつもの宮廷魔法局の制服ではなく、ローゼンフェルト家にふさわしい格式ある礼装を身につけていた。
端正な仕立ての衣服は身体によく合っており、普段から隙のない印象が一層際立っている。
眼鏡の奥の表情は穏やかで、周囲の人々の話へ適切に応じながら、ときおり自然な笑みを浮かべていた。
ノエルは少し感心してしまった。
仕事中のレオニスも、もちろん礼儀正しい人物だ。
しかし、こうした社交の場では、それとはまた違う雰囲気がある。
相手によって言葉を選び、会話の流れを途切れさせず、ときにはさりげなく話題を移す。
そうした振る舞いがあまりにも自然で、見ているだけでは何も苦労していないように思えるほどだった。
さすがだなあ。
ノエルは心の中で感心した。
自分も幼い頃から礼儀作法は教えられてきたが、あそこまで見事に社交をこなせる自信はない。
もっとも、レオニスの周囲には、今も何人もの招待客が集まっている。
その中には、高位の貴族もいた。
どうやら、すぐに会話が終わる様子はない。
邪魔をするのは悪いだろう。もう少し落ち着いた頃に、改めて挨拶へ来ればいい。
ノエルはそう考え、静かに踵を返しかけた。
その時だった。
「……ああ、失礼」
聞き慣れた声が、少し離れたところから聞こえた。
反射的に振り返る。
レオニスが、周囲の人々へ穏やかに微笑んでいた。
「どうやら部下が私を呼びに来たようです。少々席を外してもよろしいでしょうか」
え?
ノエルは思わず足を止めた。
呼んでいない。
いや、挨拶をしようとは思っていたけれど、声をかけてもいない。
しかし、周囲の人々は当然のように頷いている。
「おや、お仕事ですかな」
「宮廷魔法局も、今夜は何かとお忙しいでしょう」
「いえ、大したことではないと思いますが、念のため」
レオニスはそつなく答えた。
「失礼いたします。後ほど改めてご挨拶を」
丁寧に一礼すると、迷いなくノエルの方へ歩いてくる。
ノエルは少しばかり戸惑ったまま、その場で待っていた。
「やあ、待たせたね」
レオニスは、先ほどまでと変わらない柔らかな笑顔を浮かべている。
「こんばんは、ローゼンフェルト様。あの……」
「ちょうど良いところに来てくれた」
「はあ……」
何がちょうど良かったのだろう。
ノエルが首を傾げかけた時、レオニスが僅かに身を寄せた。
「来たまえ」
耳元で、低い声がした。
それだけだった。
しかし、それは仕事中によく聞く、余計な説明を省いた時の声だ。
ノエルはすぐに表情を改めた。
「わかりました」
「うむ」
レオニスは満足そうに頷くと、何事もなかったかのように歩き出した。
ノエルもその後に続く。
広間を出るまで、レオニスの表情は穏やかなままだった。
通りかかった知人へも軽く会釈を返し、急いでいる様子は少しも見せない。
けれど、廊下へ出て人の気配が少なくなると、歩く速度が僅かに上がった。
ノエルはそれに合わせて足を速める。
「……レオニス先輩、何かありましたか?」
「少々、気になることがあってね」
レオニスは短く答えた。
さらに角を一つ曲がり、広間の音楽が遠くなったところで足を止める。
周囲に人がいないことを確かめてから、ノエルへ向き直った。
「実は先ほど、会場の照明に流れている魔力が一瞬乱れた」
「照明の魔力、ですか?」
「ああ。すぐに元へ戻ったようだが、どうにも気になる。単純な供給量の変動にしては、流れ方がおかしかった」
ノエルは思わず、来た道の方を振り返った。
広間の中は、先ほどまで明るく照らされていた。
灯りがちらついた記憶もない。
「見たところ、照明は普通についていましたが……」
「そうだね。今のところ、目立った異常は出ていない。だが、あのまま不安定な状態が続けば、最悪の場合、途中で止まる可能性もある」
「……それは困りますね」
「非常に困る」
レオニスはきっぱりと言った。
今夜の夜会は、王女の正式な帰国を祝うための重要な催しだ。
その最中に広間の照明が落ちるようなことになれば、当然、大きな騒ぎになる。
安全上の問題もあるだろう。
「管理室には、もう連絡をなさったんですか?」
「まだだ。異常に気づいたのが、ちょうど先ほどの方々と話している最中でね。一瞬の乱れだったから、あの時点では緊急事態とまでは判断できなかった。とはいえ、気になってはいたのだが、なかなか席を外せるタイミングがなくてね」
「ああ……それで僕を」
「君が見えたので、ちょうどよい口実になったというわけだ」
レオニスは悪びれもせずに答えた。
ノエルは苦笑する。
「そういうことでしたか。急に呼ばれたので、少し驚きました」
「私から声をかけたのだから、君は何も気にしなくてよい」
「はい」
「ただ、これからも挨拶をしなければならない相手が何人かいる。私が長く会場を離れるのは、少々都合が悪い」
レオニスはそこで一度言葉を切った。
「そこで、ノエル君。君に頼みたいことがある」
「はい」
「管理室へ行って、照明の術式に異常が出ていないか確認してきてくれたまえ。担当者が既に把握しているなら、現在の状況を聞いてきてほしい」
ノエルは頷いた。
照明の術式を直接調べるとなれば、自分にはわからない部分も多いだろう。
しかし、現場で何が起きているのかを聞き取り、必要な情報を持ち帰ることならできる。
今のところ、レオニスも修正を頼んでいるわけではない。
「わかりました。では、ちょっと見に行ってきます」
「助かるよ」
「何かわかりましたら、すぐにご報告しますね」
「ああ。何事もないことを願うが、もし君の手に負えないような事態になっていたら、無理に手を出さず、私か他の者を呼んでくれたまえ」
「はい。承知しました」
レオニスは満足そうに頷いた。
「では、頼んだよ。ノエル君」
そう言って、再び広間の方へ歩いていく。
ノエルはその背中を見送ってから、管理室のある方へ向き直った。
先ほどまでの夜会の賑わいが、まだ耳の奥に残っている。
照明そのものに異常は見えなかった。とはいえ、レオニスが気にかけるほどの魔力の乱れがあったのなら、念のため確かめておいた方がいいだろう。
ノエルは管理室へ向かい、足を速めた。
◇ ◇ ◇
王宮の管理室は、夜会の会場から少し離れた場所にある。
普段は王宮内の設備を管理する職員たちが詰めている部屋で、今夜は広間の照明をはじめ、室温や音響など、祝宴に使われている術式の監視も行っているはずだった。
ノエルも以前、仕事で何度か訪れたことがある。
広間から続く廊下を抜け、階段を一つ下りると、見覚えのある扉が見えてきた。
その前まで来たところで、ノエルは足を止めた。
「だから、それじゃ駄目だと言っているだろう!」
扉の向こうから、荒い声が聞こえた。
「では、どうするつもりなんですか! このまま放っておけとでも?」
「そうは言っていない! だが、原因がわからないうちに供給量を変えるのは危険だ!」
「それなら、何か別の方法を示してくださいよ!」
……おや。
どうやら、少々取り込み中らしい。
ノエルは扉を見つめた。
聞こえてくる内容からすると、レオニスの気にしていた照明の件だろうか。
どちらにせよ、あまり悠長に待っている場合ではなさそうだ。
ノエルは軽く扉を叩いた。
「失礼します。宮廷魔法局の者ですが、少しよろしいでしょうか」
返事はなかった。
代わりに、部屋の中で何かが倒れるような音がした。
ノエルは一瞬迷ったものの、もう一度声をかけてから扉を開けた。
「失礼いたします」
室内には数人の職員がいた。
壁際には大小さまざまな魔道具が並び、中央に設けられた大きな制御盤には、複雑な術式が幾重にも展開されている。
その前で、二人の男性が向かい合っていた。
一人は年配の職員で、もう一人はそれより随分若い。どうやら、この二人が言い争っていたらしい。
脇に立つ他の職員たちも、困り果てたような顔をしている。
「何だ、今は取り込み中だ!」
年配の男性が振り向き、苛立った声を上げた。
「申し訳ありません。宮廷魔法局第三室のノエル・アルヴェインと申します。照明の術式に異常があるのではないかと、確認に参りました」
「魔法局?」
若い職員が驚いたように顔を上げた。
「ちょうどいい! 魔法局の方なら、これを見てください!」
「おい、待て。まだ状況を説明していないだろう」
「説明なんて、見てもらえばわかるでしょう!」
「だから、そうやって勝手に話を進めるなと言っているんだ!」
再び声が大きくなる。
ノエルは二人の間へ視線を向けた。
これは、先に術式を見るよりも、話を聞く方がよさそうだ。
「あの、お二人とも」
声をかけると、二人が同時にこちらを見た。
「すみません。まず、何が起きているのか教えていただけますか?」
「だから、照明の術式が――」
「はい。照明に何か問題が起きているのですね」
ノエルは頷いた。
「ただ、お話を伺ったところ、お二人は対応の方針について意見が違うようでした。まずは、現在どのような異常が起きているのかを確認させてください」
若い職員が何か言いかけたが、ノエルは続けた。
「その後で、お二人のお考えをそれぞれ伺えればと思います。僕も状況がわからないままでは、適切な方へ相談することができませんので」
年配の職員が口を閉じた。
しばらくノエルを見ていたが、やがて小さく息をつく。
「……そうだな。すまん、少し頭に血が上っていた」
「いえ。今夜のような大切な催しで設備に問題が起きれば、慌てるのも無理はありません」
ノエルがそう答えると、若い職員も気まずそうに目を伏せた。
「こちらこそ、失礼しました」
「とんでもありません。では、順番にお願いします」
ようやく話ができそうだった。
年配の職員は、制御盤へ向き直った。
「まず、照明の術式なんだが……少し前から、魔力の流れが不規則になっている」
そう言って、制御盤の一部を示す。
そこには、光を発するための術式が展開されていた。
広間全体を照らす照明は、単純な光魔法を一つ使えば済むものではない。複数の灯りへ均等に魔力を送り、それぞれの明るさを調整する必要がある。
そのための制御術式が、制御盤の上で幾つもの層を成していた。
「本来なら、ここを一定の量の魔力が通る。だが、今は時々、流れが細くなっているんだ」
男性が指した先を、ノエルも覗き込む。
確かに、術式の一部分で淡い光が不規則に揺れていた。
ただ、それが何を意味するのかまでは、すぐには判断できない。
「最初は供給側の問題かと思ったんだが、そちらには異常が見つからない。術式そのものを確認しても、明らかな破損はないんだ」
「なるほど……」
「それで、こちらの若いのが、魔力の供給量を増やしてみようと言い出した」
若い職員が少し身を乗り出す。
「だって、今は何とか照明が維持できていますけど、流れが弱くなっているのは事実でしょう? だったら、足りない分を補えば少なくとも灯りは消えずに済むんじゃないかと思ったんです」
「それで制御が崩れたらどうする!」
「だから、少しずつ調整すれば――」
「すみません。確認してもよろしいですか?」
ノエルが口を挟むと、二人ははっとして黙った。
「供給量を増やすことで照明を維持できるかもしれない。ただ、原因がわからない状態で増やすと、別の問題が起きる可能性もある。そういうことですね?」
「……ああ」
「はい」
それぞれが頷く。
ノエルは二人の顔を見た。
「お二人とも、今の状態を放置してはいけないと考えていらっしゃるんですね」
そう言うと、二人は少し驚いたような顔をした。
「照明を止めないために、まずできることを試したい。一方で、原因がわからないまま操作することの危険性も無視できない。どちらも大切なことだと思います」
「……それは、そうですが」
「ですから、まずは不用意に術式を変更せず、現状を維持できるか確認しましょう。そのうえで、専門の方に来ていただくのがよいと思います」
若い職員が困ったように眉を寄せた。
「ですが、今から専門家を探していて間に合うんでしょうか」
「それを判断するためにも、まず確認したいことがあります」
「何でしょう」
「今の状態で、照明はあとどのくらい維持できそうですか?」
問いかけると、二人は顔を見合わせた。
「……正直なところ、わからん」
年配の職員が答えた。
「今すぐ止まる様子はないが、異常の原因がわからない以上、どこまで持つかは断言できない」
「そうですか」
ノエルは制御盤へ目を向けた。
確かに、光は途切れていない。
広間でも照明に変化は見られなかった。
しかし、それが今後も続く保証はない。
「他の設備への影響は確認されていますか?」
「今のところ、照明以外からは報告が来ていない」
「なるほど。ありがとうございます」
ノエルは一度、頭の中で状況を整理した。
照明に使われている術式の魔力の流れが不安定になっている。
魔力の供給そのものには、明らかな問題がない。
術式の破損も確認されていない。
原因は不明。停止までの猶予も不明。
そして、現状では誰も適切な修正方法を判断できていない。
……うん。
これは、自分があれこれ試してよい状況ではない。
ノエルはそう結論づけた。
光魔法の応用術式について、基礎的な仕組みは理解している。だが、今目の前にあるような複雑な制御術式となれば話は別だ。
下手に触れてしまえば、かえって状況を悪くするかもしれない。
それなら、今ここで自分ができることは何だろう。
「アルヴェイン様」
若い職員が声をかけてきた。
「宮廷魔法局の方なら、修正できるんじゃないでしょうか」
期待の込められた視線だった。
ノエルは申し訳なく思いながらも、はっきりと首を振る。
「すみません。僕では、この術式を今すぐ安全に修正することはできません」
「……そうですか」
職員の顔に落胆が浮かぶ。
「ただ、修正できる方に心当たりはあります」
「本当ですか?」
「はい。そもそも今回、こちらへ確認に来たのも、その方から頼まれたからなんです」
そう言うと、年配の職員が顔を上げた。
「どなたです?」
「第三室のローゼンフェルト補佐です」
「ローゼンフェルト……ああ、あの方か!」
男性の表情が少し明るくなった。
「確かに、あの方なら詳しいでしょう」
「はい。光魔法の応用術式にもお詳しいので、まずは状況をお伝えしたいと思います」
もっとも、レオニスはすぐに会場を離れられる立場ではない。
ノエルはそのことを思い出した。
先ほど、まだ挨拶をしなければならない相手がいると言っていた。
それなら、いきなり呼びに戻るよりも、まずは少しでも正確な情報を集めた方がよいだろう。
「皆さん、術式にはまだ触れず、今の状態を維持していただけますか? 僕の方でも、どなたに応援をお願いするのがよいか考えてみます」
「わかりました」
年配の職員が頷く。
若い職員も、今度は反論しなかった。
「それと、異常が起き始めた時刻や、それまでに行った操作を確認できる記録はありますか?」
「あります。こちらです」
別の職員が、机の上から記録簿を取り上げた。
ノエルはそれを受け取り、順番に目を通した。
今夜のために行われた点検の記録。
術式を起動した時刻。
開始時点の魔力供給量。
そして、異常が最初に観測された時刻。
見たところ、起動からしばらくは正常に稼働していたらしい。
「このあたりからですか?」
「ええ。最初はほんの僅かな変動でした。ですが、徐々に大きくなってきまして」
「徐々に……」
ノエルはその部分をもう一度確かめた。
すぐに止まるわけではないとしても、異常が大きくなっているのなら楽観はできない。
「異常に気づいてから、制御盤の設定を変更した方はいらっしゃいますか?」
「いや。調整の案は出たが、まだ何も変えていない」
「そうでしたか。それなら、ひとまずよかったです」
ノエルはほっと息をついた。
少なくとも、今の状態は異常が起きてから大きく手を加えられていない。
後から専門家が確認する際にも、その方が状況を把握しやすいだろう。
「では、この記録をもとに――」
そこまで言いかけた時だった。
管理室の扉が叩かれた。
続けて、聞き慣れた声がする。
「失礼いたします。宮廷魔法局第三室のリディア・エルンストです」
ノエルは驚いて振り返った。
扉が開き、先ほどまで夜会で顔を合わせていたリディアが姿を現す。
礼装のままだったが、表情はすっかり仕事中のものになっていた。
「ノエル先輩、お疲れ様です」
「リディアさん。どうしたの?」
「ローゼンフェルト補佐から、こちらへ向かうよう指示を受けました。照明の術式に異常がある可能性があると伺っています」
「ああ、そうだったんだ」
ノエルは思わず微笑んだ。
どうやらレオニスも、ただ会場へ戻ったわけではなかったらしい。
自分を先に向かわせたうえで、別の人員も手配してくれていたのだ。
「ちょうどよかった。今、状況を整理していたところなんだ」
「承知しました。では、確認させてください」
リディアが制御盤へ目を向ける。
先ほどまで父親の言葉に困っていた令嬢は、もうそこにはいなかった。
ノエルは手元の記録簿を開いた。
「まず、現在わかっていることから説明するね」
管理室の職員たちも、二人の周囲へ集まってくる。
ようやく、落ち着いて対応を進められそうだった。




