5-6
王家への挨拶を終えた後も、父と母のもとには次々と知人が訪れていた。
どうやら父の仕事仲間らしい男性が二人、少し離れたところからこちらへ歩いてくる。ノエルも姿勢を正したが、父はそんな息子に気づくと、穏やかに首を振った。
「ノエル、しばらく自由にしていて構わないよ」
「よろしいのですか?」
「ああ。今度は仕事の話になりそうだからね。お前まで付き合わせることはない」
「まあ、あなた。陛下に公務のお話は抜きに、と言われたばかりでしょう?」
母が楽しそうに口を挟んだ。
「私から持ちかけるわけではないよ」
「そうねえ。でも、お話が始まったら止まらなくなってしまうんじゃないかしら」
「……気をつけるとも」
父の返事が僅かに遅れた。
ノエルが笑いを堪えていると、母がこちらへ微笑みかける。
「行ってらっしゃい、ノエル。私たちのことは気にしなくていいのよ」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
両親に一礼し、ノエルは再び広間へ足を向けた。
夜会はようやく本格的に始まったところだ。
先ほどまで王族の入場を待っていた招待客たちは、飲み物を片手に談笑したり、久しぶりに顔を合わせた知人と近況を語り合ったりしている。
華やかな衣装に身を包んだ人々が行き交う中、ノエルは見覚えのある人物を探した。
第三室の面々には、まだユーリスとしか会えていない。
もっとも、仕事で毎日のように顔を合わせているのだから、わざわざ夜会で探す必要もないのかもしれないけれど。
そう考えながら歩いていると、少し先に見覚えのある人物を見つけた。
濃紺の魔術師礼装に身を包んだ、背筋の伸びた男性だった。
周囲には数人の招待客が集まっている。男性は彼らの話を聞きながら、必要なところで短く言葉を返していた。無駄のない受け答えだが、相手の話を遮ることもなく、一人ひとりにきちんと向き合っている。
ああ、お変わりない。
そんなことを思いながら遠目に見ていたが、ちょうど話が一区切りついたようなので、ノエルは近づいて一礼した。
「エルヴェスター様。ご無沙汰しております」
「……アルヴェイン君か」
ラシルが振り返る。
四十五という年齢を老いではなく、威厳に変えている端正な顔立ち。浮かぶ表情は相変わらず硬いが、ノエルを見る目元が僅かに和らいだ。
「久しいな。今はザーレンに赴任していると聞いていたが、戻っていたか」
「はい。夜会に合わせて、一時的に帰ってきました」
「そうか。向こうでの仕事は順調か」
「おかげさまで。忙しくはありますが、毎日勉強になることばかりです」
「結構。慣れない土地では何かと苦労もあるだろう。体調管理には気をつけるように」
「ありがとうございます」
短い言葉だったが、そこには確かな気遣いがあった。
ラシルは昔からこういう人だ。必要以上に愛想を振りまくことはないものの、相手のことをよく見ている。
「後ほどアルヴェイン殿と夫人にも挨拶をするつもりだが……すまない、弟を見なかったか?」
辺りを軽く見回してから、ラシルはノエルへ尋ねた。
「所長ですか? いえ、まだお会いしていませんが……」
「そうか」
ラシルは眉間に僅かに皺を寄せた。
「先ほど、挨拶すべき相手を伝えたのだが、目を離した隙にいなくなってな」
「ああ……」
ノエルは思わず苦笑した。
何となく事情が想像できる。
「あれは今夜、エルヴェスター家としてはもちろん、第三室所長としても招待されている。本人にも、そのくらいは自覚してもらいたいものだが」
「所長も、きっとわかっていらっしゃると思いますよ」
「わかっていて逃げるから問題なのだ」
即座に返され、ノエルはその通りだなぁと困ったように笑う。
その逃亡に、幼い頃はよく付き合っていた身からすると非難しづらいのだが。
「おいおい、本人のいないところで悪口を吹き込むなよ」
不意に、横から声がした。
振り向くと、いつの間にかラザが立っていた。
伝統的な魔術師家系の礼装に身を包み、普段よりは髪も整えられている。無精髭も多少は手入れされていたが、面倒そうな表情だけはいつも通りだった。
「ラザ」
ラシルは弟を一瞥した。
「ちょうどよい。先ほど伝えた方々への挨拶は済んだのか」
「今から行こうと思ってた」
「そうか。では、すぐに行け」
「一杯飲んでからな」
ラザの手にあるグラスを見ると、ラシルのこめかみに青筋が浮かぶ。
「おー、そんな眉間にシワ寄せて。親しみってもんがねぇよ。なあノエル」
「公の場では家名で呼べと、何度言わせる」
「へいへい。ほら、呼ばれてんぞ」
ラザが呆れたように肩をすくめながら軽く顎を上げると、その先には挨拶をしたそうにしている他の魔術師家の者がいた。
ラシルは取り合わず、ノエルへ向き直る。
「アルヴェイン君、不肖の弟がいらぬ苦労ばかりかけていることは察するに余りある。君も今夜は久しぶりの王都だろう。これのことは気にせず、ゆっくり楽しむといい」
「実弟にどういう言い草だ、おい」
「はい。ありがとうございます」
「では、失礼する」
ラシルは簡潔に告げると、待っていた魔術師家の方へ歩いていった。
すれ違う相手に向けた一礼も、隙のないものだった。
その後ろ姿を見送りながら、ラザが深々と息をつく。
「……ったく。相変わらず堅苦しい」
「ふふ。でも、所長のことを心配していらっしゃるんだと思いますよ」
「心配じゃねえ。ありゃあ管理か監視っていうんだよ」
ラザはうんざりしたように言った。
「昔からああだ。俺が何かやる前から、やることもやらねえことも全部見透かしてやがる」
「その割に、所長はエルヴェスター様の目を盗むのがお上手でしたよね?」
「んなもん、見透かしてんのはお互い様だからな」
そう言いながらラザはニヤリと笑い、それにつられてノエルも小さく笑った。
「しっかし、やっぱり夜会は疲れる」
「まだ始まったばかりですよ」
「知ってる。だから嫌なんだよ」
ラザは手元のグラスに口をつけた。
「で? お前はしてきたか、挨拶回り」
「はい、一通りは。元々僕自身はそれほど挨拶が必要なほど顔が広いわけでもありませんので」
「そういうのが一番いいんだよ。偉くなんてなるもんじゃねぇ」
「ちなみに、あとどのくらい残っているんですか? ご挨拶」
「……」
無言。
なるほど、かなり残っているらしい。
ラザは周囲へちらりと目を向けると、少しだけノエルに顔を寄せた。
「やっぱ抜けるか」
「え?」
「どうせ一人二人いなくても夜会は続く。第三室に……いや、いっそザーレン行って日記回収してくるのも良いな」
一応声を潜めてはいるものの、随分と堂々としたサボりの誘いだった。
ノエルは苦笑する。
「駄目ですよ。ちゃんと挨拶をするよう言われたばかりじゃないですか」
「堅いこと言うなよ」
「うーん……あ、日記といえば」
ノエルはふと思い出したように首を傾げた。
「お祖父様が、先に天体観測の日記を読みたいとおっしゃっていたような……」
ラザの動きが止まった。
「は?」
「いえ、どちらが先でも構わないとは思うんですけどね。お祖父様も、観測記録にご興味があるみたいで」
「待て待て待て」
ラザが慌てて手を振った。
「絶対こっちが先だからな?」
「え?」
「先に約束したのは俺だろうが。あの爺さんに渡したら、下手すりゃ何カ月も戻ってこねえぞ」
「そうでしょうか」
「というか、別にあの爺さんは星の観測記録に興味があるんじゃなくて、孫の日記に興味があるだけだろ」
断言され、なるほどなとノエルは納得する。
確かに、祖父ならそちらを目的にじっくり読み続ける可能性はある。
ただ、貸したらしばらく戻って来なそうという点では、ラザも似たようなものだと思う。
「わかりました。では、ちゃんとお約束の順番は守りますね」
「当然」
「はい。なので所長も約束、守ってください。夜会に出るって言いましたよ?」
「可愛くねぇ〜」
「ふふ、それはどうも」
ラザはぼやきながら、残っていた飲み物を一息に飲み干した。
「はぁ……仕方ねえ。サッサと済ませてくるか」
「はい」
「ああ、そうだ。あっちにリディアがいたぞ。ガチガチだったから声かけといてやれ」
「ありがとうございます。じゃあ、僕そっちに行ってみますね」
ノエルが微笑むと、ラザは面倒くさそうにしながらも、ひらりと手を上げて何も言わずに人混みへ戻っていく。
ああして文句を言っては面倒を避けようとするが、やる気さえ出せば何でもできてしまう人だ。きっと挨拶回りも器用にこなすだろう。
そんな信頼を胸に、ノエルはラザに教えられた方へ足を向けた。
◇ ◇ ◇
ノエルは知り合いに挨拶をしながら、広間を歩いていた。
こっち側と言っていたけれど。
そう思いながら、とりあえず飲み物を取ろうと給仕の方へ足を向けた時、少し離れた場所に見覚えのある黒髪が見えた。
リディアだった。
今夜はいつもの制服とは違い、上品な色合いのドレスを身につけている。短めの髪も丁寧に整えられていて、普段とは随分印象が違った。
傍らには、父親と思われる男性が立っている。
ただ、リディアの表情は少し硬い。
男性が誰かと挨拶を交わすたびに、背筋を伸ばして礼を取り、相手が離れると小さく息をついているようだった。
ノエルは邪魔にならない頃合いを見計らい、そちらへ近づいた。
「エルンスト嬢」
声をかけるとリディアが振り返る。そうしてノエルの姿を目に映すと、その表情がぱっと明るくなった。
大げさに笑ったというほどではないが、先ほどまでの硬さが一瞬で消えたものだから、ノエルは少し驚きつつも、微笑んで礼をする。
「こんばんは。今日は一段と華やかですね。ドレス、大変お似合いです」
「あ、ありがとうございます……! アルヴェイン様も、とてもお似合いです」
「ありがとう。もうこちらの空気には慣れましたか?」
「ええと……その、まだ少し……」
リディアは少し困ったように答えた。
その様子を見れば、どれほど緊張していたかは聞かなくてもわかる。
大勢の招待客が集まる夜会は、立っているだけでも気を遣うものだ。まして、今回のように王家が主催する大きな催しとなれば、慣れない者にはなおさらだろう。
「おや、リディア。こちらの方は?」
隣に立っていた男性が、穏やかに尋ねた。
リディアがはっとして姿勢を正す。
「申し訳ありません、お父様。こちら、宮廷魔法局でご指導いただいている、ノエル・アルヴェイン様です」
それから、ノエルへ向き直った。
「アルヴェイン様、父のエルンスト子爵です」
「初めまして。ノエル・アルヴェインと申します。いつもご息女様には大変お世話になっております」
ノエルが丁寧に礼を取ると、男性は驚いたように目を見開いた。
「おお! あなたがノエル殿でしたか!」
「はい」
「お父様、アルヴェイン様です」
リディアが小声でいうが、エルンスト子爵はご機嫌なまま言葉を続けた。
「いやあ、お会いできて嬉しい。リディアの父でございます。娘がいつもお世話になっております」
そう言ってニコニコしながら頭を下げる。
大柄というほどではないが、がっしりした体格の男性だ。赤ら顔に人のよさそうな笑顔。北部貴族の印象そのままな出で立ちをしていた。
「娘からよく話を聞いておりましてね。仕事のことから、第三室の皆様のことまで、それはもう色々と」
「お父様」
リディアが小さく声を挟んだ。
しかし、父親は特に気にした様子もなく話を続けた。
「中でもノエル殿のお話はよく出るのですよ。とてもお優しく、頼りになる先輩だそうで」
「おや、そうですか」
ノエルは思わずリディアを見た。
リディアは困ったように眉を寄せている。
「お父様、そのお話は別に……あとアルヴェイン様です」
「いやいや、お世話になっている方には、きちんとお礼を申し上げねばならないだろう?」
「それは、そうですけど……」
「娘は昔から少々真面目すぎるところがありましてね。王都でうまくやっていけるか、家族も心配していたのですが、こちらへ来てからは実に楽しそうで」
子爵は満足そうに頷いた。
「手紙にも、職場の皆様に助けていただいているとよく書いております。特にノエル殿には、何かと相談に乗っていただいているそうですな」
「いえ、そんな。僕の方こそ、ご息女様に学ばせていただくことが多いのですよ」
「ほう?」
「とても優秀で、仕事にも熱心です。几帳面なところも、非常に頼りになります。僕も日々勉強させてもらっています」
ノエルは素直に答えた。
実際、リディアの仕事ぶりや几帳面さ、そして記憶力には何度も驚かされている。
ザーレンへの移動を可能にした《移動扉》だって、彼女の尽力あってこそ。王宮で禁書が紛失した際にも、その高い処理能力と記憶力で調査を助けてくれた。
「僕が頼りになるかどうかはともかく、彼女が優秀なのは間違いありません」
そう言うと、子爵の顔がさらに明るくなった。
「そうですか、そうですか! いやあ、宮廷の魔術師様に娘がそのように言っていただけるとは、親として何より嬉しいことです」
「お父様……」
リディアの声が少し低くなった。
ノエルがそちらへ目を向けると、彼女は目元をうっすら赤くしていた。
父親に仕事の話をされたのが恥ずかしかったのだろうか。それなら、これ以上は和田を変えた方がいいかもしれない。
そう考えていると、子爵が思い出したように笑った。
「そうそう。実は息子も、ノエル殿のお名前をよく存じ上げておりましてな」
「え? お兄様が?」
リディアが不思議そうに顔を上げた。
「お前があまりにノエル殿のことを褒めるものだから、少々対抗心を燃やしているようだよ」
「……」
「先日も、リディは兄の自分よりノエル殿を頼っているんじゃないか、と言っておった」
「お父様。これ以上、我が家の私的なお話でアルヴェイン様のお時間をいただくのはご迷惑となります。そもそも夜会でするような話題ではございません」
リディアはとうとう父親をじとりと見つめた。
しかし子爵は、そんな娘の様子にも気づかないまま、にこにこと笑っている。
そんな普段のやりとりが垣間見える父娘の様子に、ノエルは思わず笑顔になった。
「そうなんですね。ご家族にも僕の話をしてくれていたなんて、光栄です」
「アルヴェイン様……申し訳ありません。父も、こういった王宮での夜会に慣れていなくて。不躾なことばかり……」
リディアはいつものように冷静な顔をしつつも、口元がむっと少し引き結ばれている。
それを微笑ましく思いながら、ノエルは謝るリディアへ首を振る。
「いえ、とても嬉しかったですよ。それに、エルンスト嬢の緊張が解れたようでよかった」
そう伝えると、彼女は一瞬言葉を詰まらせた。
わずかに視線を彷徨わせ、それから小さく息をつく。
「……あまり他意なく、そういうことを言って回らない方がよろしいかと」
「え?」
「いえ、何でもありません」
リディアは少しだけ唇を尖らせていた。
これ以上何か言えば、ますます恥ずかしがらせてしまいそうだ。ノエルはそれ以上触れないことにした。
「ところで……アルヴェイン様、第三室の他の方には、もうお会いになりましたか?」
「所長と、ヴァレンベルク様には先ほど」
「そうでしたか。向こうで、ローゼンフェルト様をお見かけしました。お話し中でしたので、まだ私もお声はかけられていませんが」
「そうでしたか。では、少し覗いてみようと思います」
ノエルがそう言うと、リディアは小さく頷いた。
そんなリディアに少し近づいて、周りに聞こえないよう小声で告げる。
「大丈夫、すごく自然だよ。お父上と楽しんでね、リディアさん」
「……はい、ありがとうございます。ノエル先輩」
リディアが嬉しそうに頷いた。
「ノエル殿、今後とも娘をよろしくお願いいたします」
「はい、こちらこそ」
ノエルは親子へ一礼し、その場を離れた。
少し歩いてから振り返ると、子爵が何かを話しかけ、リディアがまだ少しむっとした顔で答えているのが見えた。
けれど、その表情には、先ほどのような緊張はもうなかった。
それなら、声をかけた甲斐もあったというものだ。
ノエルは小さく笑って、再び歩き出した。




