1-4
「ザーレンまで送る」
「いいって。普通に馬車で行くよ。ユーリスの仕事時間を削らせられないから」
「なら移動扉を使えばいい」
「うーん、少し怖いかなぁ」
「……」
ユーリスがぴたりと動きを止めた。その様子に、からかって申し訳ないとは思うが、親しみを感じて笑ってしまう。
「ふふ、冗談だよ。君の作ったものなら怖くない。ただ、あれって昨日の会議で使用制限解除にならなかったんだよね?」
「ああ」
「だったら申請が必要でしょう? 許可が下りるまで三日かかるんだもの。それなら馬車で行くよ」
「宮廷魔法局の人間が使うのだから構わないだろう。何より、製作者が許可している」
「いけません」
横から、きっぱりとした声が飛んできた。
「規則に例外を作っては規律が乱れます」
「ほら、リディアさんの言う通りだよ。別に急ぎじゃないって、ザーレンの支部長も言ってるみたいだし」
「……」
ユーリスは黙った。
納得していないのは、その顔を見ればわかる。
朝一番からそんなやり取りをし、不満げなユーリスを宥めつつ、ノエルは改めて第三室の面々へ挨拶をする。
「それじゃあ、行ってきます」
「まあ、気をつけて行ってくるがいいさ」
レオニスはいつも通り眼鏡の位置を直しながら言った。
「私の書いた学術書は持ったね? 道中でしっかり読むように」
「はい」
「ザーレンの支部長から引き継ぎを受けるまでに、最低でも三章までは目を通しておきたまえよ」
「三章……」
「何か不満でも?」
「いえ。頑張ります」
「結構」
「ノエル、これ持ってけ」
今度はラザが手招きをしている。
「なんです?」
近寄って手を差し出すと、ころりと小さな包み紙が手のひらへ落ちた。
「あ」
見覚えがある包み紙をノエルが眺めている横で、レオニスは信じられないものを見るような目をラザへ向けた。
「部下への餞別に飴玉とは、所長ともあろう人間のやることかね?」
「最近乾燥してますからね。ありがたいです」
しかも、僕が昔好きだったやつだ。
内心そう思いながらノエルが少し笑うと、ラザはレオニスの言葉など意にも介さず、片方の口角をにっと持ち上げた。
「まあ待て。そいつは駄賃だ。本命はこっち」
「?」
ラザが人差し指を宙へ伸ばす。
その指先が軽く動くと、軌道を追うように淡い光の粒子が煌めき、何もなかった空間に術式が描き出されていった。
簡単にやって見せているが、本来、術式は専用の紙などへ記述して展開するものだ。何の補助もなく空中へ直接術式を描き、その場で魔術として成立させるには、極めて高度な空間魔術の応用を必要とする。
――所長、空間魔術は専門外だからユーリスに任せるって前に言ってた気がするけど。
ノエルがそんなことを思いながらぼんやり眺めていると、完成した術式が一瞬だけ強く光った。
「わ」
視界の中で、小さな星がいくつも瞬いたように見えた。
ちかちかとした光はすぐに消え、元の視界へ戻る。
痛みも違和感もない。
ノエルは何度か瞬きをした。
「今のは?」
「んー? 夜中に目が良くなる魔術」
「そんな魔術あるんですね」
「俺が今考えた」
「なるほど」
ノエルは納得した。
「つまり、これで夜に星を観察しろ、ということですね」
「俺の部下は話が早くていいなぁ」
上機嫌になったラザが手を伸ばし、ノエルの頭をぐりぐりと撫で回す。
ラザ・エルヴェスター。
魔術師の名門、エルヴェスター家の次男。
三十五歳という若さで宮廷魔法局本部第三室の所長に就任し、それから六年。数々の研究と技術開発によって国へ貢献してきた、不世出の天才である。
そんな天才には、有名な二つ名があった。
「即興の馬鹿みたいな術式を無断で部下に仕込むんじゃない、この星狂い」
レオニスが吐き捨てる。
――《星狂い》。
天才魔術師ラザ・エルヴェスターは、星に関することとなると途端に見境がなくなることでも有名だった。
「星の聖地ザーレン。本当は是が非でも俺が行きたいところだが、仕方ない。ザーレンの星はお前に任せた」
「はい」
「あ、もちろん定期的に視察には行くからな。可愛い部下が北の地で不便なくやれてるか調査するのも上司の務めだ。気にするな。ははは」
「このやる気、半分でも普段から出してくれたら良いんですがねぇ」
「まったくなのだよ」
苦笑するノエルと、呆れた顔で鼻を鳴らすレオニス。
とはいえ、《星狂い》と呼ばれるほど星に傾倒している男だ。本当に何かしら理由をつけてザーレンまで来てしまいそうな気がする。
仕事さえ放り出さなければ、ノエルとしては別に構わないのだが。
「職権濫用は認められません」
ぴしゃりと言ったのはリディアだった。
それから壁の時計を確認し、
「……ところで先輩。そろそろ馬車のお時間では?」
「あ、そうだね。ありがとう」
「それと……あの」
「ん?」
珍しく少し言い淀んだリディアが、自分の机へ向かった。
引き出しから紙袋を取り出し、その中から落ち着いた色合いの布を取り出す。
「あの、ザーレンは寒くなるのも早いと聞きます。ですので、よろしければこちらを」
「わぁ」
受け取って広げてみる。
柔らかな羊毛で織られたマフラーだった。
「私の生家も、ザーレンほどではありませんが北部で、羊毛業を営んでいますので……ご迷惑でなければ」
「迷惑だなんて。助かるなぁ。急だったから、冬支度の準備が間に合わなくて」
「でしたら、よかったです」
リディアが小さく息をつく。
「大事に使わせてもらうね」
「はい」
そんな二人を見ていたレオニスが、得意げにラザへ視線を向けた。
「見たまえ。正しい餞別というのは、こういうことを言うのだよ」
「お前とユーリスはなんもやってねぇだろ」
「ふん。ザーレンまでの馬車の手配、道中に読むべき魔術書の選定。すでに抜かりはないのだよ」
レオニスは胸を張った。
どうやら本人の中では、昨日の時点ですでに餞別を渡し終えていたらしい。
そうなると。
室内の視線が、自然と残る一人へ集まった。
「…………」
ユーリスの整った顔が、ほんのわずかに歪む。
普段ほとんど表情の変わらない彼にしては、露骨に不服そうだった。
「……だから、送ると」
少し歯切れ悪く、ユーリスが言う。
ノエルは思わず笑った。
「その気持ちだけで十分だよ」
「……」
どうやら十分ではないらしい。この若き天才は意外と頑固なところがある。
「じゃあ、馬車まで送ってくれると嬉しいな。所長、構いませんか?」
「おー、行ってこい行ってこい」
ラザがひらひらと手を振る。
「それじゃあ、改めて。行ってきます」
ノエルはそう言って、頭を下げた。
「はい。お気をつけて」
「何か問題があればすぐに連絡したまえよ。あと、先ほども言ったが私の本は必ず読むように」
「はいはい」
「返事は一度でいい」
「はい」
「……君という奴は」
レオニスが眉間に皺を寄せる。
いつも通りだ。
「先輩」
リディアに呼ばれ、ノエルは振り返った。
「はい?」
「あの……」
何か言いかけたリディアが、一度口を閉じる。
それから、ノエルの手にあるマフラーへ視線を落とした。
「寒くなる前に、きちんと使ってくださいね」
「うん。ありがとう」
「それと、無理はしないでください」
「大丈夫だよ。正式な後任が決まるまでだし」
「……そうですね」
リディアは頷いた。
けれど、なぜか少しだけ納得していないように見えた。
「ノエル」
今度はラザが呼ぶ。
「はい?」
「土産」
「星は持って帰れませんよ?」
「魔術師が最初から諦めんなよ」
「やめたまえよ」
すかさずレオニスが止める。
「貴方の場合、冗談に聞こえないのだよ。ノエル君が本気で努力し始めたらどうする。そんなことより私の本を読み進める方が彼には有意義だろう」
「お前の本よか星を持ち帰る方法考える方が有意義に決まってんだろ」
「失敬な!」
ノエルは笑った。
いつもと変わらない第三室だった。
所長は適当なことを言って、レオニスが怒る。
リディアは真面目な顔でそれを止めて、ユーリスは必要がなければ黙っているが、時々とんでもないことを言い出す。
その横で、自分がお茶を淹れる。
三年間、何度となく繰り返してきた光景だ。
明日からもきっと同じように、この部屋では一日が始まるのだろう。
ただ、そこに自分はいない。
「……あれ」
思わず声が漏れた。
「どうした?」
ユーリスが尋ねる。
「いや」
ノエルは少し考えてから、笑った。
「僕、思ってたより寂しいみたいだ」
途端、部屋が静かになった。
「…………」
「…………」
「…………」
「えっ」
なんだ、この空気。
「いや、そんな深刻な話じゃないですよ? 正式な後任が決まれば戻ってきますし」
「先輩」
「はい」
リディアが真っ直ぐにノエルを見る。
「必ず戻ってきてくださいね」
「う、うん」
「当然だ」
レオニスまで頷く。
「君の机に勝手に物を置く者がいたら、私が責任を持って排除しておこう」
「そこまでしなくて大丈夫ですよ」
「ノエル」
「はい?」
ラザがにやりと笑った。
「お前の席、ちゃんと空けといてやるよ」
その言葉に、ノエルは一瞬だけ目を丸くした。
それから、
「……ありがとうございます」
素直に頭を下げた。
三年間使った自分の机を見る。
昨日綺麗に片づけたせいで、そこだけ妙に殺風景だった。
初めてこの部屋へ来た日には、あんなに居心地の悪かった机だ。
周囲にはアカデミーを首席で卒業したような人間ばかり。自分だけが場違いに思えて、いつまでここにいられるのだろうと考えたこともあった。
それが三年経った今では。
帰ってきてもいい場所になっていたらしい。
「じゃあ」
ノエルはもう一度、皆を見る。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
今度は、リディアがそう返した。
ノエルは笑った。
それからユーリスとともに、三年間を過ごした第三室の扉を開けた。




