4-13
翌日、午前十時。
宮廷魔法局本部の一室に、関係者が集められていた。
部屋の中央には長机が一つ。その左右に椅子が並び、壁際には余計なものがほとんど置かれていない。
聴取を進行するのはガレス。
第三室からはレオニスとユーリス。
第三書庫側の管理責任者として、エドガー・ハイルマン。
そして、その向かいに座るのがルーカス・フェルナーだった。
フェルナーは二十代半ばほどの青年で、普段なら書庫内で何度か見かけても特に印象に残らない、ごく普通の職員である。
だが今日は、入室した時から明らかに落ち着きがなかった。
椅子へ腰掛けてからも、膝の上で何度も指を組み直している。視線も定まらず、机の上へ置かれた書類と、正面に座るガレスたちの間を行き来していた。
その横では、ハイルマンが丸眼鏡の奥から厳しい目を向けている。
「では、始めるぞ」
全員が席についたところで、ガレスが口を開いた。
「まず確認しておくが、今日は第三書庫で管理している禁書一冊の所在と、それに関連する貸出記録について話を聞く。現時点では、フェルナー、お前を何かの犯人と決めつけて呼んだわけじゃない」
「……はい」
「聞かれたことには正確に答えてくれ。わからないことは、わからないでいい。推測を事実みたいに話される方が困る」
「はい……」
フェルナーは小さく頷いた。
声がわずかに上擦っている。
ガレスはそれ以上気にする様子もなく、手元の書類を確認した。
「聴取同意書は全員書いたな?」
机の端にまとめられていた書類へ目をやる。
「ああ」
ユーリスが答える。
「こちらも済んでいるよ」
レオニスも、自分の署名を終えた紙を指先で軽く押し出した。
ハイルマンも無言で頷く。
最後にフェルナーが、おずおずと自分の用紙を前へ出した。
「これで……」
「よし」
ガレスは全員分を一度まとめた。
その様子を見ていたレオニスが、何気ない調子で声をかける。
「ブランデル君。その書類を少し借りても?」
「ん?」
「確認したいことがある」
ガレスは一瞬だけレオニスを見ると、特に異議は挟まず束を渡した。
レオニスはその中からフェルナーのものだけを抜き出す。
それから、持参していた別の紙を机の中央へ置いた。
「フェルナー君。まずはこちらについて確認したい」
リディア・エルンスト名義で作られた、禁書の貸出申請書。
正確には、その写しである。
紙が置かれた瞬間、フェルナーの肩がわずかに跳ねた。
レオニスはそれを見たが、何も言わない。
続いて、つい先ほどフェルナー自身が書いた聴取同意書を横へ並べる。
二枚の書類。
それぞれの日付欄。
そこに並ぶ数字の形を、レオニスは指先で示した。
「こちらが今朝、君自身が記入した日付。そしてこちらが、エルンスト名義で提出されていた貸出申請書の日付だ」
フェルナーの視線が、二枚の紙の間を揺れる。
「この数字だがね」
レオニスは一方を指し、それからもう一方へ指先を移した。
「最後の払いが少し内側へ入る。それから、こちらは横線が短い」
フェルナーの指先が、膝の上で強く組まれた。
「似た特徴がある」
「……」
「もちろん、これだけで君が書いたと断定するつもりはないよ」
レオニスの声は穏やかなままだった。
「数字の癖が偶然似ることもあるだろう。筆跡だけを根拠に犯人扱いするつもりもない」
そこで一度言葉を切る。
「ただ、リディア君は以前、君と何度か書庫業務を共にしている。その時に見た君の数字の書き方と、この申請書の日付に似た特徴があると指摘した」
フェルナーの顔から、少しずつ血の気が引いていく。
「だから今日は、その点について君自身に確認を――」
「すみませんでした!」
突然の大声に、室内の空気が止まった。
ガレスが目を瞬く。
ハイルマンも、隣に座るフェルナーを見た。
ユーリスだけはほとんど表情を変えていなかったが、わずかに視線を上げている。
レオニスは指先を紙の上へ置いたまま、しばらく黙っていた。
「……まだ質問まではしていないのだが」
「すみません……すみませんでした……!」
フェルナーは俯き、両手で顔を覆った。
肩が大きく震えている。
「僕が書きました……その申請書……僕が……」
すすり泣く声が漏れる。
ガレスがゆっくり息を吐いた。
「……そうか」
それから隣のレオニスを見る。
「もう少し粘るかと思ったんだがな」
「私もだよ」
レオニスも、さすがにわずかに拍子抜けした様子で答えた。
とはいえ、ここで終わりにはならない。
ガレスは椅子へ座り直し、声の調子を少し落とした。
「フェルナー。申請書を偽造したことは認めるんだな?」
「……はい」
「何のためにやった」
フェルナーは顔を上げられないまま、何度か息を整えようとした。
「……本が、なかったんです」
「いつ気づいた」
「一年くらい前です。正確には……気付いたのは去年の春頃で……」
そこで一度言葉が詰まる。
「棚の整理をしていた時に、あの本が所定の場所にないことに気づきました」
ハイルマンの眉が寄る。
「その時点で、なぜ報告しなかった」
フェルナーの肩がまた震えた。
「返却履歴を見たら……最後に借りていたのが、ベルグマン侯爵で……」
「それがどうした」
「聞きに行けなかったんです」
ハイルマンが目を見開く。
「何?」
「だって……侯爵閣下ですよ。返却記録には返却済みって書いてあるのに、もしそれが間違ってたら……侯爵閣下に、本当に返しましたかなんて……僕が確認に行くなんて……」
言葉を重ねるほど、声が小さくなる。
ガレスが眉を寄せた。
「それで黙ってたのか」
「最初は……少し待てば見つかるかもしれないと思ってました」
「で、見つからなかった」
「はい……」
「なら、その時点で報告すればよかっただろ」
「……できませんでした」
フェルナーは唇を噛む。
「もし侯爵閣下が本当に返却していたなら、書庫の中でなくしたことになります。ちょうどその前に、古い資料の整理をしていて……破損がひどくて廃棄予定になっていた本も何冊かあったんです」
ユーリスが静かに尋ねる。
「自分が誤って混ぜたと思ったのか」
「……はい」
フェルナーは弱々しく頷いた。
「僕、その時、整理作業にも入ってて……もしかしたら間違えて、廃棄する方に混ぜたのかもしれないって」
「確認は?」
「しました。でも……見つからなくて」
「なら、なおさら報告だろ」
ガレスの声に苛立ちが混じる。
「……怒られると思って」
フェルナーは絞り出すように言った。
「その時点でもう、なくなってからしばらく経ってて……今さら言ったら、なんで気づいた時に報告しなかったって絶対に言われると思って……」
「実際、その通りだが」
ハイルマンの声が低くなる。
「はい……」
フェルナーはますます小さくなる。
「それで、時間が経つほど……言えなくなって……」
室内に重い沈黙が落ちた。
やがてガレスが、机を指先で軽く叩く。
「で。そこから、どうしてエルンスト嬢の名前を使う話になる」
フェルナーの顔が強張った。
「……次の棚卸しが近づいてきて」
「誤魔化せなくなると思った?」
「はい」
また涙が滲む。
「どうしようって思ってた時に……その、第三書庫で、エルンストさんと貴族の方が揉めたって話を聞いて……」
レオニスの表情が僅かに変わった。
声は静かなままだった。
「続けたまえ」
「エルンストさんなら……書庫にもよく出入りしてるし、貸出の申請があっても不自然じゃないと思って……」
フェルナーは机へ視線を落とす。
「この前の件でも問題になってたから……」
「だから?」
レオニスの声が一段低くなる。
「その……問題が一つ増えたところで……」
言葉が止まった。
誰も助け舟を出さない。
フェルナーは長い間黙ったあと、掠れた声で続けた。
「エルンストさんは優秀だし……それだけで辞めさせられたりはしないと思って……」
「つまり」
レオニスは眼鏡の奥からフェルナーを見る。
「自分の失敗を彼女へ押しつけても、彼女なら致命傷にはならないと考えたわけだ」
「……はい」
「随分と身勝手な話だな」
ハイルマンが吐き捨てるように言った。
「他人の経歴なら傷つけても構わないと?」
「そんなつもりじゃ……」
「結果は同じだ!」
ハイルマンの声が室内へ響く。
フェルナーがびくりと身を竦ませた。
ガレスが片手を上げる。
「ハイルマン。気持ちはわかるが、今は最後まで聞く」
「……失礼しました」
ハイルマンは口を閉じる。
その横で、フェルナーはまた涙を拭った。
「申請書を作って……貸出記録にも入れて……それで、本が返ってないことにすれば、今なくてもおかしくないって……」
「署名も真似た」
「はい……」
「エルンストの字はどこで見た?」
「書庫の仕事を一緒にした時に……記録表とか、申請の書類とか……何度も見てたので……」
ユーリスが机の上の偽造申請書へ視線を落とした。
「だから形だけは似せられた」
「……はい」
「日付までは意識しなかった」
フェルナーが目を見開く。
「……どうして」
「そこからわかった」
ユーリスはそれだけ答えた。
フェルナーは唇を引き結んだ。
しばらくして、ぽつりと呟く。
「でも……本当にエルンストさんが返してないって話になったら……怖くなって……」
「怖くなった?」
ガレスが聞き返す。
「はい……」
フェルナーはぐしゃぐしゃになった顔を手で拭った。
「書類を偽造した日から、ほとんど眠れなくて……書庫に行っても、いつバレるだろうって……」
そう言って、なぜかほんの少しだけ肩の力が抜ける。
「だから……今日呼ばれて……もう、無理だと思って……」
ガレスがなんとも言えない顔をした。
「自分で偽造しといて、発覚するのが怖くて眠れなかったのか」
「……はい」
「小心者にもほどがあるだろ」
「すみません……」
また泣く。
レオニスは呆れたように小さく息を吐いた。
やったことは悪質だ。
だが、少なくとも目の前の青年が、誰かを陥れて愉しむ類の人間ではないことだけはよくわかる。
それで責任が軽くなるわけではないが。
そこでユーリスが、机上の資料を見ながら口を開いた。
「一つ確認したい」
フェルナーが恐る恐る顔を上げる。
「……はい」
「本を整理中に誤って廃棄する可能性は、実際にあるのか?」
問いはフェルナーではなく、その隣にいるハイルマンへ向けられた。
ハイルマンはすぐには答えず、少し考える。
「……通常の手順を守っている限りは、かなり考えにくい」
「どういう手順だ」
「まず、返却された禁書は一般資料とは別の返却待ち棚へ置かれる。返却処理の記録と現物を照合した後、整理担当が所定の棚へ戻す」
ハイルマンは指を一本立てる。
「禁書を別区画へ移動する場合は、その都度管理票を付ける。修繕、保管場所の変更、いずれも同様だ」
「廃棄は?」
「さらに手順が増える」
ハイルマンが続ける。
「状態確認を行い、廃棄候補として記録。管理責任者の確認を通したうえで、別の保管場所へ移す。最終的な処分前にも再度、現物と記録を照合する」
「つまり」
ユーリスが言う。
「整理作業中、うっかり廃棄対象の本へ紛れ込んだ程度では、そのまま処分まで進まない」
「そのはずだ」
ハイルマンは重く頷く。
「故意に何段階も手順を無視したなら話は別だが、通常の作業で一冊だけ紛れ込んだまま処分されるとは考えにくい」
フェルナーが呆然とハイルマンを見た。
「でも……ベルグマン侯爵は、返していたんですよね?」
「ああ」
レオニスが答える。
「侯爵側の記録と、実際に返却を受けたケストナー女史の証言が一致している。本そのものを確認し、返却処理を行ったことまで覚えていた」
「じゃあ……」
フェルナーの眉が寄る。
「やっぱり、どこかでなくしたとしか……」
「いや」
ガレスが、至極当然のことを言うような調子で遮った。
「普通に盗まれた可能性あるだろ」
「……え?」
フェルナーが目を丸くする。
今度は、フェルナー以外の全員が彼を見た。
「え、じゃねえよ」
ガレスが思わず返す。
「禁書だぞ」
「……盗難?」
「まさか君」
ハイルマンまで眉間を押さえた。
「その可能性を一度も考えていなかったのか」
「だって……返却記録があるのに棚になかったから、てっきり書庫の中で……」
フェルナーの声が徐々に小さくなる。
ガレスは呆れたように背もたれへ体を預けた。
「禁書なんて、普通の本より盗難を警戒するものだろ。内容次第じゃ、裏で高値がつくことだってある」
「……」
「だから禁書の管理は他の本より厳しいって話なんじゃねぇの?」
書庫管理をしたことがないガレスですら認識している、ごく当たり前の事実。
フェルナーの顔から、少しずつ血の気が引いていく。
自分の中には存在しなかった可能性が、ようやく形を持ち始めたらしい。
「もちろん」
レオニスが静かに口を開く。
「実際に盗難だったと決まったわけではないよ」
フェルナーが顔を上げる。
「書庫内で何らかの紛失が起きた可能性も、まだ完全には否定できない。だが、盗難も十分考慮すべきだった」
「……はい」
「そして、その判断をするために必要だったのが、君の報告だ」
レオニスは机の上の偽造申請書へ視線を落とす。
「君が所在不明に気づいた時点で報告していれば、その時期の書庫への出入り、勤務者、資料の移動記録、周辺の者の記憶。調べられるものはいくらでもあった」
フェルナーの唇が震える。
「だが、もう一年以上経っている」
今度はガレスが続けた。
「当時の出入りを今から全部洗うのは難しい。人の記憶だって薄れる。記録が残ってないものもあるだろう」
「……」
「もし本当に盗難だったなら、一番追いやすい時期を逃したってことだ」
フェルナーは何も言えなくなった。
横では、ハイルマンが力なく俯いている。
「……なぜ」
しばらくして、低い声が漏れた。
「なぜ、もっと早く言ってくれなかったんだ」
フェルナーが隣を見る。
ハイルマンの肩は、普段より明らかに落ちていた。
「本が見当たらないと気づいた時点で、一言でも相談してくれていれば……」
「……すみません」
「返却したかどうかをベルグマン侯爵に確認することが怖かったなら、私に言えばよかった」
「……はい」
「整理中のミスだと思ったのなら、それこそ確認すればよかったんだ」
「すみません……」
フェルナーはまた顔を伏せた。
最初は、怒られるのが怖かっただけなのだろう。
それが今では、無関係な人間の名を使った偽造にまで膨らみ、本当に追うべきだった禁書の行方は一年以上も遠ざかっている。
「フェルナー君」
レオニスが名前を呼ぶ。
青年がゆっくり顔を上げた。
「ミスは誰にでもある」
静かな声だった。
「どれだけ気をつけていても、間違えることはある。見落とすこともある。それ自体を完全になくすことはできない」
「……はい」
「問題は、その後だ」
レオニスは淡々と続ける。
「間違えたなら報告する。確認する。必要なら助けを求める。そして、可能な限り立て直す。そのために複数の人間で仕事をしている」
フェルナーは涙の跡を残したまま、黙って聞いている。
「君は最初の失敗を隠すために黙った。そして、黙ったことを隠すために別の嘘をついた」
机の上に置かれた申請書を軽く指で示す。
「最後には、その嘘を成立させるために他人へ責任を押しつけた」
「……はい」
「結果として、無関係なリディア君を規則違反者に仕立てようとし、禁書の所在を追跡できる機会まで失わせた」
フェルナーは俯く。
「最初に報告した時に受けただろう叱責より、随分と大きな話になったと思わないかね?」
「……はい」
今度の返事は、ほとんど声になっていなかった。
「この点について、他に隠していることは?」
「ありません……本当に、ありません」
「禁書そのものを持ち出したことも?」
「ありません!」
フェルナーが勢いよく顔を上げる。
「それだけは本当です! 僕は本を盗んでません。どこにあるのかも知りません!」
ガレスがその反応をじっと見た。
「書類の偽造については、自分一人で?」
「はい」
「誰かに頼まれた?」
「違います」
「手伝った奴は?」
「いません……こんなこと、誰にも言えません」
ガレスは数秒黙ったあと、レオニスとユーリスへ視線を送る。
特に異論はない。
「わかった」
ガレスは手元の記録へ何かを書き込んだ。
「今日の聴取については、本人による文書偽造の自白ありとして記録する。禁書の所在については引き続き別件として確認が必要だ」
フェルナーが小さく頷く。
その顔には、泣き疲れたような消耗と、それでも全て話してしまったことへの僅かな安堵が混じっていた。
「フェルナー」
「……はい」
「この後は別室で待機してもらう。処分については正式な手続きを通して決まる」
「わかりました」
ガレスが扉の外へ合図を送る。
待機していた騎士が一人入ってきた。
「こいつを頼む」
「はい」
フェルナーは椅子から立ち上がった。
一度、ハイルマンを見る。
「……本当に、すみませんでした」
ハイルマンは返事をしなかった。
ただ、丸眼鏡の奥で目を伏せる。
フェルナーはそれ以上何も言えず、騎士に伴われて部屋を出ていった。
扉が閉まる。
室内に、しばらく重い沈黙が残った。
「……」
ハイルマンは肩を落としたまま、机の上を見つめている。
その隣で、レオニスは偽造申請書を手に取った。
「さて」
ハイルマンが僅かに顔を上げる。
「問題は禁書そのものだね」
「……切り替え早ぇな」
ガレスが思わず漏らす。
ユーリスも特に気にした様子はない。
「フェルナーが持ち出していないなら、返却から所在不明になるまでの間を改めて調べる必要がある」
「ああ」
レオニスが頷く。
「ただし、二年前から一年前まで。範囲が広い」
「当時の整理担当と、保管場所変更の記録は確認できる」
ユーリスがハイルマンを見る。
ハイルマンは一瞬遅れて頷いた。
「……はい。残っているはずです」
「修繕記録も」
「あります」
「それで単純な移動や整理中の紛失が否定できれば、盗難の可能性が上がる」
「その場合は騎士団側でも確認する」
ガレスも話へ加わる。
「とはいえ、一年以上前だ。正直、どこまで追えるかは期待しない方がいい」
「そうだろうね」
レオニスは資料を揃えながら答えた。
「まずは、本当に紛失なのか、それとも外へ持ち出された可能性が高いのか。その切り分けからだ」
「……あの」
ハイルマンの声が割り込む。
三人がそちらを見る。
ハイルマンは少し迷ったあと、椅子へ座ったまま深く頭を下げた。
「今回の一件について……第三室の皆様には、大変申し訳ないことをしました」
ガレスが僅かに表情を緩める。
だが、レオニスは特に態度を変えなかった。
「謝罪は結構」
ハイルマンが顔を上げる。
「我々は仕事として調査をしたまでだ」
「しかし――」
「今後、第三書庫の管理体制をどう立て直すか。それを考える方が先ではないかね」
声に棘はなかった。
かといって、慰めるような響きもない。
「……はい」
ハイルマンはもう一度、小さく頭を下げた。
「その通りです」
レオニスはそれ以上何も言わず、手元の資料を閉じる。
ガレスは二人を交互に見たが、口を挟まなかった。
やがて聴取後の確認も一通り終わり、ハイルマンが立ち上がる。
「では、私は第三書庫へ戻ります」
「ああ」
「必要な記録は、今日中にまとめて提出します」
「頼むよ」
ハイルマンは最後にもう一度一礼し、部屋を出ていった。
扉が閉じる。
残ったのは、ガレスとレオニスとユーリスの三人だけだった。
数秒の沈黙。
ガレスがふっと息を吐く。
「……ちょっと見直したぜ」
レオニスが怪訝そうに顔を向ける。
「何を?」
「お前だよ」
「私?」
「もっと嫌味ったらしく追い打ちかけると思ってた」
ガレスは腕を組みながら、少し感心したように言う。
「この前、書庫で散々言われたんだろ。第三室の教育がどうとか」
「ほう、存外に耳が早いな」
「書庫で働いてる奴と知り合いで……まあ、それはいい。だからさっきハイルマンが謝った時も、もっとこう……『まずご自身の部下を教育なさってはいかがかな』くらい言うと思ってたんだが」
あの場面で追い打ちをかけるほど嫌な奴ではなかったか、と少し安心したように一人でうんうんと頷くガレスに、レオニスは何度か瞬きをして、ぽかんとしたような顔をした。
「……はぁ?」
「うおっ、なんだよ」
あまりにレオニスらしくない反応に、ガレスが逆に驚く。
一瞬、両者がまじまじと互いの顔を見る。
そして次第に、レオニスの口元が片方だけゆっくりと持ち上がっていった。
「あれが円満な和解に見えたとは」
「あ?」
「騎士というのは、相変わらず単純なものだなぁ」
瞬間、ガレスの笑顔が引き攣る。
「ああ、気を悪くしないでくれたまえ。素直だと褒めているのだよ」
目を細め、口元に薄く笑みを乗せながら、レオニスはにこやかに続けた。
「おう、馬鹿にしてるってのはよくわかった」
ガレスの額に青筋が浮かぶ。
ユーリスが二人のやり取りを見ながら口を開いた。
「あれは謝罪を受け取らないという意思表示だろう」
「お前まで乗ってくんな」
「乗ってはいない」
「じゃあ何だ」
ユーリスはガレスの反応が本当にわからないらしく、少しだけ眉を寄せた。
「まず、今回の件で謝罪を受けるべきなのは俺たちではない」
「もちろん本来不要な手間はかけられたがね。それも我々の仕事の範囲だ」
レオニスが補足する。
「そもそも、書庫管理の責任者として謝罪すべき相手がいるとすれば、我々ではなくリディア君だろう」
「……それはわかってる」
「なら、なぜローゼンフェルト補佐を指して見直したとなるんだ?」
「よしたまえ、ユーリス君。騎士というのは愚直な生き物なのだ。義理と情と鍛錬で構成されていると考えれば、ブランデル君の思考も理解できる」
「?」
ユーリスはますます怪訝そうな顔をする。
その表情を見て、ガレスはしばらく黙った。
やがて深々と息を吐く。
「今まで魔術師とは合わねぇと思ってきたが、少し考えを改める必要があるらしい」
「何の話だ」
「合わねえ」
ガレスはレオニスとユーリスを順番に指した。
「魔術師だからとか、そういう問題じゃねえ」
「では何の問題だね?」
「お前ら個人と合わねえんだよ!」
レオニスが愉快そうに笑う。
ユーリスは最後まで、なぜそう言われたのかわからないという顔をしていた。




