4-12
翌朝。
宮廷魔法局本部第三室では、いつもより少し早い時間から三人が同じ机を囲んでいた。
ユーリスがザーレンから持ち帰った資料を机の中央へ置く。
リディア名義で作られた偽の貸出申請書。その写しの横には、直近五年分の貸出履歴と、二年前に最後に禁書を借りた人物の申請書が並んでいる。
「――以上です」
昨夜リディアから聞いた内容を一通り説明し終え、ユーリスは口を閉じた。
向かいでは、レオニスが腕を組みながら資料へ視線を落としている。
「なるほど」
指先で眼鏡の位置を直す。
「やはり、リディア君本人に確認させたのは正解だったね」
「一年も前の棚の状態まで覚えてんのは相変わらずだなぁ」
ラザは椅子へ深く腰掛けたまま、感心しているのか呆れているのかわからない声を出した。
「筆跡については?」
「ルーカス・フェルナー本人だとは断定していません。数字の書き方に、似た癖があると」
「そこまででいい」
レオニスが頷く。
「筆跡だけで犯人扱いをするわけにはいかん。だが、事情を確認する理由としては十分だろう」
ユーリスも同意する。
リディア自身も、そこは繰り返し念を押していた。
確実なのは、今回の申請書が偽造されたものであること。
少なくとも約一年前には、禁書が既に所定の棚になかったこと。
そして記録上、最後の正常な貸出と返却は二年前だったこと。
そこから先は、まだ確認すべき事実だった。
「二年前の返却についてですが」
ユーリスが資料へ目を落とす。
「まず、ベルグマン侯爵本人への確認が必要です」
「ああ。それなら済んでいるよ」
レオニスが何でもないことのように答えた。
ユーリスが顔を上げる。
「もう?」
「昨日の夕刻にね」
そういえば、まとめた書類をユーリスに預けた後、レオニスは外出していた。あれはベルグマン侯爵邸へ向かったのかと思い至り、仕事が早いなと感心する。
レオニスは二年前の申請書へ手を伸ばし、そこに記された名前を軽く指で叩いた。
「ハインツ・ベルグマン侯爵。この名前を見た時点で、未返却という可能性は低いだろうとは思っていた」
「知っているんですか」
「社交の場で何度か。父とも付き合いがある」
そこでレオニスはわずかに口元を緩めた。
「見た目は少々近寄り難い方だが、実際は非常に几帳面な人物だよ。借りたものを二年も返し忘れるような方ではない」
「それでも確認はした、と」
「当然だろう。印象と事実は別だ」
その言葉に、ラザが煙草を指先で弄びながら笑う。
「確認の重要性については、昨日誰かさんが散々言ってた話だな」
「何か?」
「いーや、別に」
レオニスは取り合わず、昨日の出来事を思い返すように視線をわずかに遠くへ向けた。
◇ ◇ ◇
ベルグマン侯爵邸を訪ねたのは、ユーリスがザーレンでリディアから話を聞いたのとほとんど同刻だった。
突然の訪問ではあったが、宮廷魔法局から禁書の貸出記録について確認したい旨を先に伝えると、それほど待たされることなく応接室へ通された。
ハインツ・ベルグマン侯爵は、今年で六十をいくつか越えているはずだ。
白髪の混じった髪をきっちりと撫でつけ、深く刻まれた眉間の皺と鋭い目つきのせいで、黙って座っているだけでも相手を萎縮させるような風貌をしている。
だが、レオニスが事情を説明している間、口を挟むことはなかった。
「――二年前の貸出について、返却時期を確認しております」
「ふむ」
侯爵は低く返事をし、傍らに控えていた侍従へ視線を向けた。
「二年前の、第三書庫だったな」
「はい」
老齢の侍従はすぐに一礼すると、持参していた手帳とは別に、棚から一冊の記録帳を取り出した。
何の迷いもなく頁を繰っていく。
「こちらでございます」
差し出された記録には、二年前の日付と、その日の予定が細かな文字で並んでいた。
午前、領地から届いた報告書の確認。
午後、財務官との面会。
その間に、宮廷魔法局第三書庫への立ち寄り。
返却資料の題名まで記されている。
「返却予定として組み込まれていたのですか」
レオニスが尋ねると、侍従は当然のように頷いた。
「はい。侯爵閣下はお借りになった資料について、期限の三日前までには返却の予定を組むよう申しつけておられますので」
「……なるほど」
レオニスは思わず侯爵を見る。
侯爵は特に誇るでもなく、当然のことだという顔をしている。
「対応した職員についても記録がございます」
侍従がさらに頁の下を示した。
「マリア・ケストナー女史。第三書庫の職員と記載しております」
そこまで残しているのか。
きっちりした主人に長年仕える人間は、輪をかけてきっちりしているらしい。
「大変助かりました」
レオニスは記録から顔を上げた。
「こちらの管理上の確認とはいえ、二年も前の件でお手を煩わせて申し訳ありません」
「構わんよ」
ベルグマン侯爵は短く答えた。
「禁書の管理に関わるのだろう。確認すべきことは確認した方がいい」
「ありがとうございます」
「ただし、老いた記憶より記録の方が信用できる」
侯爵が侍従の記録帳へ顎を向ける。
侍従は表情一つ変えない。
レオニスはわずかに笑った。
「十分すぎるほど参考になりました」
用件を終えて立ち上がる。
最後にベルグマン侯爵も椅子から腰を浮かせ、レオニスへ目を向けた。
「ローゼンフェルト」
「はい」
「父君によろしく頼む」
「承知しました。父にも伝えておきます」
互いに一礼し、それで話は終わった。
屋敷を出たレオニスは、その足で宮廷魔法局へ戻った。
次に確認すべき人物も、既にわかっている。
◇ ◇ ◇
「二年前、ですか……」
第三書庫の奥にある小さな事務室で、マリア・ケストナーは困ったように眉を寄せた。
三十代半ばほどの女性で、髪を後ろでひとつにまとめている。
レオニスから聞かされた年月だけでは、さすがにすぐには記憶が繋がらないらしい。
「申し訳ありません。日々かなりの数の貸出と返却がありますので」
「もちろんだ。覚えていないなら、それで構わない」
レオニスは無理に答えを求めず、手元の資料を開いた。
「ベルグマン侯爵が借りていた禁書だ。地方伝承や古い祭祀についてまとめられた、民俗学関係の――」
「ああ!」
説明の途中で、ケストナーの顔が一気に明るくなった。
「あの本ですね!」
先ほどまでの戸惑いが嘘のようだった。
「覚えているのかね?」
「はい。というより、ベルグマン侯爵があの本をお借りになっていたことが印象に残っていて」
「ほう」
「失礼ながら……」
ケストナーは少し声を落とした。
「侯爵閣下は、もっと法律や領地経営関係の資料をお読みになる方だと勝手に思っていたものですから」
「まあ、外見から受ける印象だけならわからなくもない」
レオニスにも心当たりはある。
「それで、つい返却の時にお声がけしてしまったんです。あの本に載っている北西地方の冬至祭について、少し珍しい記述がありまして」
話し始めると、先ほどより明らかに口が滑らかになった。
どうやら本人も民俗学や地方文化にはかなり興味があるらしい。
「侯爵閣下も地方の古い祭礼について詳しくて、少し話が弾んでしまって……後から仕事中だったと思い出して、随分反省しました」
「なるほど。それなら返却そのものも?」
「覚えています」
今度ははっきり頷いた。
「私が受け取りました。返却処理もしています」
「本を実際に確認した?」
「はい。禁書ですから、返却時には状態確認をします」
ケストナーは当時の動きを思い出すように、少し視線を上げる。
「目立った破損はありませんでした。表紙の角に以前からあった擦れと、背表紙の下部に小さな傷があったくらいです。そのまま返却済みとして処理したはずです」
「その後、棚へ戻したのは?」
「そこまでは私ではありません。返却処理後は、一度返却待ちの棚へ移します。所定の場所へ戻す作業は、その日の整理担当が行いますので」
「わかった」
それで十分だった。
ベルグマン侯爵側の記録。
実際に受け取ったケストナーの証言。
返却時に本そのものを確認した記憶まである。
二年前、禁書は確かに第三書庫へ戻っていた可能性が極めて高い。
「助かったよ、ケストナー女史」
「いえ。……何かあったんですか?」
ケストナーが不安そうに尋ねる。
レオニスは一瞬だけ考えた。
「現在、所在について確認しているところだ」
「所在……?」
「まだ調査中だ。必要があればまた話を聞くかもしれない」
「わかりました」
不安そうな表情は残ったが、それ以上は尋ねなかった。
レオニスは礼を告げ、事務室を後にした。
◇ ◇ ◇
「――というわけで、二年前の返却については裏が取れている」
話を終え、レオニスは机の上の資料を閉じた。
ユーリスがわずかに目を細める。
「では、盗難の可能性が高いことを念頭に進めるべきでしょうか」
「普通に考えればそうだろうが……そうなると、書類偽造の点が解せない。整理中の紛失も同等にあり得る段階と見たほうがいいだろうね」
「そこはこれから確認だ。ただ、少なくともベルグマン侯爵が返してねぇって線はほぼ消えたな」
ユーリスは昨夜のリディアの言葉を思い出す。
二年前には正常に返却された。
その後、一年前にリディアが棚を確認した時にはなかった。
となれば、本が消えた時期はその間まで絞られる。
「ルーカス・フェルナーに確認するべきですね」
「ああ」
レオニスも頷いた。
「筆跡だけでは弱いが、リディア君の証言を含めれば事情を聞く理由は十分だ。書庫側の整理記録も併せて確認する必要がある」
「じゃあ上にさっさと報告して、正式に聴取を進めるよう進言って流れだが……」
ラザはそう言ったあと、面倒そうに煙草を持った手を振った。
「ユーリス、騎士団にうちで聴取するって話通しとけ」
レオニスが眉を上げる。
「まだ担当が第三室に決まったわけではないが?」
「どうせこの証拠も合わせて上に上げりゃあ『ここまで調べたならそのまま第三室でやれ』って言われるだろ」
「……」
レオニスが黙る。
ユーリスも否定できなかった。
これまでの経緯を考えれば、十分あり得る采配だった。
「禁書の所在不明、貸出記録の偽造、内部職員の関与の可能性」
ラザは指折り数えるでもなく、面倒そうに並べていく。
「魔法局内部の案件で、しかも既に第三室がここまで首突っ込んでる。今さら別の部署に一から引き継がせる方が面倒だ」
「言い方はともかく、理屈は妥当だな」
レオニスは小さく息を吐いた。
「私から上へ正式に報告しよう」
それからユーリスへ視線を向ける。
「ユーリス君。君は騎士団へ」
「わかりました」
「まだ決定前だと伝えた上で、必要になった場合の聴取準備だけ頼んでおいてくれ」
「はい」
ユーリスは机の上に置いていた資料を一度揃え、そのまま立ち上がった。
◇ ◇ ◇
「いや、決まってから言えよ」
話を聞き終えたガレスは、開口一番そう言った。
騎士団の詰所。
午前の鍛錬を終えたばかりらしく、いつもの制服姿ではあるものの、額にはまだわずかに汗が残っている。
「恐らく決まる」
「恐らくで人を動かそうとすんな」
「決まってからでは処理が遅れる」
「お前ら第三室はそういうところだぞ」
ガレスが深々とため息をつく。
ユーリスは特に気にせず、簡潔に現在までの経緯を説明した。
禁書が二年前には確かに返却されていたこと。
一年前には既に棚から消えていたこと。
今回、リディア名義の偽造記録が作られたこと。
そして、偽造された申請書の日付に、第三書庫の若手職員ルーカス・フェルナーの筆跡と似た癖があること。
最後まで聞く頃には、ガレスの表情も仕事のものへ変わっていた。
「なるほどな」
腕を組み、少し考える。
「で、フェルナー本人に話を聞きたい、と」
「ああ。ただし第三室だけで聴取するつもりはない」
「そりゃそうだ。身内だけでやったら後で面倒になる」
「だから頼みに来た」
「決まる前にな」
「そうだ」
「そこを堂々と肯定すんなよ」
もう一度ため息が落ちる。
とはいえ、断る気はないらしい。
「まあ、上が第三室に回しそうなのは俺もわかる。禁書そのものの調査は魔法局側でやった方が早いし、記録偽造となれば騎士団から立会いを出した方がいい」
「頼めるか」
「正式に決まったらな」
ガレスは念を押した。
「場所と人員くらいは今のうちに押さえておく」
「ああ」
「聴取はまたお前と俺か?」
ユーリスは少し考えてから首を振った。
「今回は書庫管理全体の話でもある。フェルナー個人だけの問題かどうか、まだわからない」
「じゃあ管理責任者も立ち会わせるか」
「第三書庫ならハイルマンだろう」
ユーリスが言うと、ガレスは頷いた。
「丸眼鏡の?」
「ああ」
「で、第三室側の責任者は?」
「おそらくローゼンフェルト補佐だろう」
ガレスの表情が止まった。
「……ローゼンフェルトか」
「何だ」
「いや」
何でもないと言いかけて、少し考え直す。
「まあ、エルヴェスターよりは……」
そこで言葉が止まる。
さらに数秒考えてから、顔をしかめた。
「いや、どっちもどっちだな」
「そうか?」
「お前、本気でわかってねえのか」
「何がだ」
ガレスは何とも言えない目でユーリスを見た。
「まあいい」
諦めたように手を振る。
「ハイルマンが第三書庫側の管理責任者として立会い。ローゼンフェルトが第三室側。騎士団から俺が進行役で入る」
「ああ」
「お前は?」
「リディアから直接聞いた内容を説明できる。俺も出る」
「結局またお前もいるんじゃねえか」
ガレスは額を押さえた。
ユーリスには、そこまで嫌がる理由がよくわからない。
ただ、以前からラザやレオニスと騎士団が同席すると、妙に話が長くなることがあるのは知っている。
どうやらあの二人は、騎士団とあまり相性がよくないらしい。
「では、それで」
「勝手にまとめんな。正式な連絡を待て」
「わかった」
「本当にわかってんだろうな」
「ああ」
ユーリスが頷いたところで、詰所の外から別の騎士にガレスを呼ぶ声がした。
「とにかく、決まったらすぐ連絡しろ」
「そうする」
「今度は順番守れよ」
「善処する」
「守るって言え」
最後まで苦い顔をしたまま、ガレスは呼ばれた方へ向かっていった。
◇ ◇ ◇
結果として、ラザの予想は外れなかった。
その日の昼過ぎ。
上層部から返ってきた指示は、簡潔なものだった。
禁書の所在確認、および貸出記録偽造については、既に調査を進めている宮廷魔法局本部第三室を中心に継続。
内部職員への正式な聴取には騎士団を同席させること。
第三書庫側からは、管理責任者を立ち会わせること。
「ほらな」
報告書を読んだラザが、机の向こうで面倒そうに笑った。
レオニスがその書類を受け取りながら、見事にラザの読み通りなことに若干顔を顰めた。
「そういう読みは会議の場で活かせないものかね」
「読んでるだろ」
「ああ、読んでいるだろうさ。面倒の回避を目的としてね」
「自分から面倒を引き受けにいくモノ好きにはわからんだろうなぁ、うん」
いつものやり取りを横で聞きながら、ユーリスは騎士団へ送る正式な連絡票を作成していた。
既にガレスとは話がついている。
あとは時間を決めればいい。
「明日の午前で片付けちまえよ」
ラザが言う。
「フェルナーの勤務予定は?」
「朝から第三書庫だ」
レオニスが確認済みの勤務表を広げる。
「ハイルマンもいる。騎士団側に問題がなければ、午前十時でいいだろう」
「ブランデルに確認します」
ユーリスは立ち上がり、連絡票を手に取った。
ほどなくして騎士団側からも了承が返る。
こうして、翌日の午前。
第三書庫の若手職員、ルーカス・フェルナーへの正式な聴取が行われることになった。
立ち会うのは、第三書庫の管理責任者エドガー・ハイルマン。
第三室から、レオニスとユーリス。
進行役として、第一騎士団のガレス。
ここまで来れば、後は本人に確かめるしかない。
偽造された貸出記録を書いたのは、本当にフェルナーなのか。
そして、一年以上前から消えていた禁書について、彼は何を知っているのか。
その答えを聞く場は、早々に整えられた。




