4-1 禁書盗難事件編
ザーレンでは、いつの間にか雪がすっかり根づいていた。
数日前から本格的に積もり始め、村の屋根も道端の植え込みも、白く覆われている。
「そっち持てー!」
「おもいー!」
「もっと雪いるって!」
村の広場では、子どもたちが朝から大きな雪の塊を転がしていた。
その中にはアッシュの姿もある。
少し前まで足を怪我していたとは思えないほど元気に走り回り、年下の子が転がしていた雪玉を横から押してやっている。
「アッシュ、あんまり無茶しないようにね」
見回りの途中で声をかけると、アッシュは振り返った。
「もう治った!」
「そうみたいだね」
少なくとも、歩き方におかしなところはない。
ノエルが笑うと、アッシュは得意げに胸を張った。
「ノエル兄ちゃんも雪だるま作ろうぜ!」
「ごめんね。今はお仕事中なんだ」
「えー」
露骨に不満そうな顔をされ、ノエルは困ったように笑う。
「また今度ね」
「ぜったいだぞ!」
「うん。約束」
それで納得したらしく、アッシュはすぐに子どもたちの輪へ戻っていった。
その背中を見送り、ノエルも見回りへ戻る。
雪が積もれば、いつもと同じ道でも確認する場所は増える。魔獣除けの簡易結界に異常がないか、雪の重みで壊れたものはないか、魔道具の作動に支障が出ていないか。
村を一周してみたが、大きな問題はなかった。
途中で老人に玄関前の凍結について相談され、滑りにくくするための簡単な処置を教えたくらいである。
そうして一通り見回りを終えた頃には、昼を少し過ぎていた。
◇ ◇ ◇
「ただいま戻りました」
「おう、おかえり」
支部へ戻ると、オリバーは居間の椅子に腰掛け、湯気の立つ茶を飲んでいた。
暖炉には火が入り、外とは別世界のように暖かい。
ノエルは外套についた雪を払い、壁際の掛け具へかける。
「村の方は特に問題ありませんでした。北側の結界も正常です。あと、ルーナさんの家の前が凍ってたので、少し見てきました」
「ほう。あそこの前はここ二、三年で頻繁に凍るようになっての」
オリバーはのんびり頷く。
「裏手から水が流れてくるんじゃよ。ルーナは大掛かりになるなら何もせんで構わんと言うとるが……やはり春になったら一度、水路を直した方がいいかもしれんな」
「記録に残しておきますね」
「頼む」
ノエルは机の上に置いてある引き継ぎ用の帳面へ簡単に書き込み、それから自分の分の茶を淹れた。
向かいの椅子へ座る。
「アッシュも元気でしたよ」
「そりゃよかった」
「雪の中を走り回ってました」
「子どもは治るのが早いのう。わしなんぞ、ちょっと腰をやったら一月は引きずるぞ」
「オリバーさんの場合、治る前に動くからじゃないですか?」
「はっはっは。そうとも言う」
否定する気はないらしい。
ノエルは茶を一口飲んだ。
外ではまた子どもたちの声が聞こえている。
王都にいた頃とは違い、ここでは一日の仕事の合間にこうして静かな時間が挟まることが多い。
「しかしまあ」
オリバーが湯呑みを置いた。
「思ったより早かったのう」
「何がですか?」
「引き継ぎじゃよ」
ノエルは瞬いた。
オリバーは机の隅に積まれた帳面へ目をやる。
「最初は一月半くらいかかるかと思っとったが、もう大体の仕事は一人で回せとるじゃろ」
「オリバーさんが教えてくれたからですよ」
「教えてできるなら十分じゃ」
さらりと言われ、ノエルは少しだけ困ったように笑った。
実際、最初の頃に比べれば迷うことは減った。村の人間の顔と名前もだいぶ一致し、何かあった時にどこへ連絡すればいいかもわかってきている。
「なら、そろそろ出てもいい頃かもしれんな」
オリバーが独り言のように言う。
「出る?」
「後任探しじゃ」
「ああ」
そうだった、とノエルは思う。
自分はあくまで一時的な代理だ。
オリバーが正式に引退するためには、この支部を任せられる次の支部長を見つけなければならない。
「もう行くんですか?」
「お前さんなら、しばらく一人でも問題なさそうじゃからの。困ったら対話水晶で連絡も取れる。まあ、明日明後日に出るという話でもないが、そろそろ行き先くらいは決めんとな」
そう言いながら、オリバーは小さく伸びをした。
その途中で腰へ手をやる。
「とはいえ、この歳で長旅は気が重いのう」
「やっぱり、遠くまで行くんですか?」
「当てが一ヶ所にあるわけじゃないからな。昔の知り合いを何人か訪ねて、それでも駄目なら支部をいくつか回るつもりじゃ」
「それは大変ですね」
「若い頃ならなんとも思わんかったんじゃがなあ。馬車に何日も揺られると思うだけで腰が痛くなるわい」
冗談めかして笑うオリバーを見ながら、ノエルも苦笑する。
けれど、何日も馬車に揺られて各地を回るとなれば、実際かなりの負担だろう。
長距離の移動と、高齢者への負担。
そこまで考えたところで、少し前に第三室で聞いた話がふと頭に浮かんだ。
「……あ」
「なんじゃ?」
「いえ」
ノエルは手にしていた湯呑みを置いた。
「そういえば、移動扉があったなと思って」
「移動扉?」
「はい。僕が所属している第三室で開発してる魔道具なんですけど」
オリバーが興味を示したように眉を上げる。
「名前からして、ずいぶん便利そうじゃな」
「術式を付与した二つの扉を繋いで、そこを通れば離れた場所まで一瞬で移動できるんです」
「ほう」
「まだ正式な実用化前なんですけどね」
そこでノエルは、以前第三室で交わした話を思い出す。
安全性を示すためには、開発者たちだけで使っていても意味がない。実際に他の魔術師や一般の使用者にも試してもらい、問題が起きないかを確認する必要がある。
使用者の感想や体調の変化も記録していく。
確か、そんな話だった。
「……もしかしたら」
ノエルは少し考えてから、オリバーを見る。
「試験使用なら、お願いできるかもしれません」
「わしがか?」
「はい。ちょうど長距離移動をする予定がありますし、オリバーさんは魔術師だから、使用後の状態もある程度自分で判断できますよね」
「なるほどのう」
オリバーは髭を撫でる。
「ただ、僕の判断で使わせてもらえるものじゃないので、まず確認しないといけませんけど」
「誰にじゃ?」
ノエルは少し笑った。
「作った本人に」
机の引き出しの中には、王都と繋がる対話晶石が入っている。
今夜にでも、ユーリスへ聞いてみよう。
そう考えながら、ノエルは残っていた茶を飲んだ。
◇ ◇ ◇
その日は夕方には雪もだいぶ弱まり、日が落ちる頃には薄くなった雲の隙間から星空が見え始めていた。
夕食を終えたノエルは自室へ戻ると、机の引き出しから対話晶石を取り出した。
魔力を流してしばらく待つ。
やがて晶石が淡く光り、向こう側から聞き慣れた声が返ってきた。
『ノエル』
「こんばんは、ユーリス。今、大丈夫?」
『ああ』
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
『何だ』
「移動扉って、今も試験使用の人を探してる?」
僅かに間が空く。
『探している』
「じゃあ、もしかしたらちょうどいい人がいるかもしれない」
ノエルは昼間オリバーと話したことを説明した。
後任を探すために各地を回る予定であること。引き継ぎが想定より早く進み、近いうちにザーレンを離れられそうなこと。そして、年齢的に長距離を馬車で移動する負担を本人も気にしていること。
ユーリスは途中で口を挟まず、最後まで聞いた。
『試験対象としては問題ない』
「ほんと?」
『むしろ適している。長距離移動時の身体的負担を比較できるし、魔術師なら転移前後の魔力の変化も本人から報告を取れる』
「よかった」
これならオリバーの旅も少し楽になるかもしれない。
「ザーレン支部にある空き部屋の扉と、目的地の扉を繋げるのがいいかな、と思うんだけど」
『そうだな。王都を含めた主要都市のいくつかには、試作の時に術式を付与した扉がいくつかある。それを活用するなら……オリバー殿の訪問順路にもよるが、まず北部を中心に回るならロゼがいいだろう』
ロゼは北部では比較的大きな街で、羊毛を中心とした繊維産業で知られている。
ザーレンからは馬車で一日ほどかかるが、そこを拠点にすれば周辺の村や街へも足を延ばしやすい。
「じゃあ、試験使用をお願いしてもいい?」
『手続きを確認する。問題がなければ、三日ほどで許可が下りるだろう』
「ありがとう」
『ただ、ザーレン側の扉にも術式の付与と試運転の対応が必要になる』
「ああ、そっか。向こうはもう扉があるけど、こっち側は術式を付与するまではただの扉だもんね」
『そうだな』
ノエルは何気なく尋ねた。
「じゃあ、ユーリスが来るの?」
『それでも構わないが……少し確認したいことがある。返答は明日でいいか?』
「もちろん。急いでるわけじゃないし、僕もオリバーさんに念のためロゼの他に希望がないか聞いてみるよ」
『ああ、そうしてくれ』
それから少しだけ仕事の話をして、通信を切った。
◇ ◇ ◇
寝る支度を終えた頃には、外はすっかり静かになっていた。
いつの間にか雲はすっかり晴れ、窓の向こうには澄んだ冬の夜空が広がっている。
ノエルは机の上に天体日誌を開き、窓辺へ椅子を寄せた。
雪の積もった夜は静かだ。
風もほとんどなく、冷えきった空気の向こうで無数の星が瞬いている。冬の澄んだ空気のせいか、いつもより一つ一つがくっきりと見えた。
「今日はよく見えるなぁ」
星の位置や雲の量、その日の天候を書き込んでいく。
ここ数日は雪の影響で星空を見ることはできなかったが、それでも寝る前に日誌を開くこと自体は、すっかり習慣になっていた。
そんな中、筆を動かしていたノエルの視線が、ふと一つの星で止まった。
「……あれ?」
少し明るい。
いや、今日は空気が澄んでいるから、特別そう見えるだけかもしれない。
けれど、他の星と比べても、その一つだけが僅かに大きく見える気がした。
ノエルは日誌を数頁戻り、以前の記録へ目を通す。
当然、絵にした星の大きさまで正確に揃えているわけではない。見比べたところで、はっきりしたことはわからなかった。
「気のせいかなぁ」
それでも、今日の欄の端へ小さく印をつけておく。
所長なら、あの星がどういう星なのかも知っているだろうか。
今度、覚えていたら聞いてみよう。
そう思いながら、ノエルはもう一度夜空を見上げた。
白い雪に覆われたザーレンの上で、その星は静かに輝いていた。
◇ ◇ ◇
翌日の昼過ぎ。
支部で書類を整理していたノエルの机の上で、対話晶石が淡く光った。
「あれ」
手を止めて晶石を取る。
「はい」
『ノエル』
「ユーリス。こんにちは」
『今、大丈夫か』
「うん。ちょうど一段落したところ」
ノエルは書きかけの帳面を閉じた。
「昨日の移動扉のこと?」
『ああ。エルンストがザーレンへ行くことになった』
「リディアさんが?」
予想していなかった名前に、ノエルは少し目を瞬く。
「ユーリスじゃないんだね」
『エルンストは移動扉の試運転を何度か経験している。術式の付与も手順は把握しているし、俺以外の魔術師でも問題なく設置と調整ができるか確認する必要がある。その意味でも適任だ』
「ああ、そっか」
製作者本人にしか扱えないのであれば、実用化には程遠い。
そう考えれば、むしろ今回のような機会に別の魔術師へ任せる方が、試験としても意味があるのだろう。
『それと、今はエルンストを王宮から少し離した方がいいという話になった』
「……何かあったの?」
『少しトラブルがあった』
ノエルの表情が僅かに曇る。
「大丈夫?」
『怪我はない』
それを聞いて、ひとまず息をつく。
『宮廷魔法局の書庫で、禁書を許可なく持ち出そうとした者がいた。エルンストが止めたが、相手が貴族だったことで少し揉めたらしい』
「リディアさんが?」
『ああ』
ノエルはなんとなく、その時の光景を想像する。
「……規則違反です、って正面から言った?」
『その通りだ』
「そっかぁ」
思わず苦笑が漏れた。
『ローゼンフェルト補佐が間に入って収まった。その後、エルンストも対応について注意を受けている』
「レオニス先輩から?」
『ああ。以前から何度か似たような指摘をされていたらしい』
「そうだったんだね」
ノエルは少し考える。
「リディアさんの様子はどう?」
今度は、返事まで少しだけ間があった。
『普段より静かだ』
「ああ……」
それなら、たぶん落ち込んでいる。
『エルヴェスター所長が、仕事も兼ねて数日王宮を離した方がいいと言った。ローゼンフェルト補佐も賛成している』
「なるほど。それでザーレンなんだ」
『そういうことだ』
『エルンストは王宮から移動扉を使ってロゼへ向かう。向こうの扉の状態を確認してから、馬車でザーレンへ入る予定だ』
「ロゼまでは移動扉で、そのあと一日かけてこっちまで来るんだね」
『ああ。帰りはザーレンから王宮へ繋げることになるだろう』
「そう考えると、一気に王宮とザーレンが近くなる気がするね」
『申請にかかる時間がなくなればな』
「ふふ、それはそう」
ノエルは小さく笑いながら、思い出したように続ける。
「あ、それと。オリバーさんにも確認したけど、最初の行き先はロゼで問題ないって」
『わかった』
「昔の知り合いも何人かいるみたいだし、そこを拠点に周辺を回るつもりらしいよ」
『なら問題ない。レポートに協力してもらえれば、複数回の使用も可能だ。ロゼからさらに長距離を移動する時は、また連絡が欲しい』
「うん、オリバーさんに伝えておくね。あとは……リディアさんがこっちに着くのは明後日くらいかな」
『予定通りなら、そのくらいになる』
「了解。迎える準備しておくね」
『頼む』
「うん。急な話だったのに、色々ありがとう」
『ああ。また連絡する』
短い返事を最後に、晶石の光が消える。
ノエルはそれを机へ戻しながら、先ほど聞いた話を思い返した。
「禁書の無断持ち出し、か」
禁書に限らず、必要な手続きを飛ばして資料を持ち出そうとする者なら、王宮では時折いた。ノエル自身、書類管理を担当していた頃に何度か注意したことがある。
けれど、リディアが相手なら。
『規則違反です』
真顔でそう言う姿が、妙に簡単に想像できた。
ノエルは小さく息を吐き、閉じていた帳面をもう一度開く。
詳しいことは、本人が来てからでいい。
まずは、ザーレンまで来る後輩をきちんと迎えよう。




