3-7
翌日の夕方。
王宮の一角に設けられた聴取室には、窓がなかった。
石造りの壁に囲まれた狭い部屋の中央には机が一つと、その両側に椅子が置かれている。出入口は一つだけで、扉の外には騎士が二人立っていた。
ユーリスがガレスとともに部屋へ入った時には、すでにエマ・ハーシェルが椅子に座っていた。
事件の時に見た侍女服ではなく、簡素な囚人服を着ている。手首には拘束具が嵌められていたが、暴れる様子もなく、机の上に置いた両手を静かに重ねていた。
明日の朝には処刑される人間とは思えないほど、その表情は穏やかだった。
「待たせたな」
ガレスが向かいの椅子を引く。
「執行前の最終聴取だ。形式上、いくつか確認することがある」
「はい」
エマは素直に頷いた。
ガレスは書類を開き、名前や年齢、本人確認から始める。判決内容に相違がないこと、執行前に申し立てることはないか、供述を変更する意思はないか。
エマの返答は、どれも短かった。
「ありません」
「供述も変えない?」
「はい」
「セレスティア・ハルデン嬢に殺意を抱き、ベルナ草の根から抽出した毒を茶へ混ぜた。そういうことで間違いないな」
「間違いありません」
ガレスは少しだけ眉を寄せたが、書類へ確認済みの印をつけた。
「俺からは以上だ」
そして隣に座るユーリスを見る。
「お前は?」
「ああ」
ユーリスはエマへ視線を向けた。
「一つ確認したい」
「なんでしょう」
「セレスティア嬢を殺すつもりはなかったな」
エマの表情は変わらなかった。
「以前にも申し上げたはずです。量を間違えただけです」
「それなら、屋敷でやればいい」
「…………」
「九年間、専属侍女として仕えていた。食事や飲み物に触れる機会はいくらでもあったはずだ。わざわざ人目の多い茶会で実行する必要はない」
「気が変わっただけです」
「茶会には医師を呼べる人間も大勢いた。実際、セレスティア嬢はすぐに治療を受けている」
「運が良かったのでしょう」
「毒の量も少ない」
「だから、それは――」
「間違えた」
「ええ」
「そうか」
ユーリスはそれ以上追及せず、手元の資料を一枚捲った。
「セレスティア嬢は、茶会へ行きたがっていなかったそうだ」
その時、初めてエマの指が僅かに動いた。
「…………」
「他の令嬢から継続的に嫌がらせを受けていた。君は毎回、茶会に付き添っている」
「それが何か?」
「知っていたな」
「…………」
「セレスティア嬢が、茶会を嫌がっていたことを」
「知りません」
「そうか」
また、それ以上は追わなかった。
ガレスが横からユーリスを見る。
まだ何か聞くつもりなのだろうと待っていたが、ユーリスは黙ったままエマを見ている。
沈黙が落ちた。
やがて、エマが小さく息を吐く。
「……それだけですか?」
「ああ」
「なら――」
その時だった。
廊下が俄かに騒がしくなった。
『お待ちください!』
『離して!』
少女の声がする。
ガレスが眉を寄せて立ち上がった。
「なんだ?」
扉へ向かおうとしたところで、外から勢いよく扉が開いた。
「エマ!」
飛び込んできた少女を見た瞬間、エマの顔から初めて平静が消えた。
「――お嬢様?」
セレスティア・ハルデンが立っていた。
顔色はまだ悪く、外套の下には室内着に近い簡素な服を着ている。髪も普段のようには整えられておらず、息を切らしながら扉に手をついていた。
「おい!」
ガレスが扉の外を見る。
「なんで通した!」
「申し訳ありません!」
見張りの騎士が青い顔で頭を下げた。
「お止めしたのですが、その……ハルデン嬢がどうしても中へ入ると……」
「だからってなぁ……」
「ですが、まだお身体も回復されていないご令嬢を、力ずくでお止めして怪我でもさせては――」
ガレスが言葉に詰まる。
事情はわかる。
「……わかった。あとで話す」
「はい……!」
ガレスが室内へ向き直る。
「嬢ちゃん、ここは勝手に入っていい場所じゃ――」
「エマ!」
セレスティアには聞こえていなかった。
ふらつく足で机へ近づいていく。
エマが立ち上がりかけたが、手首の拘束具が音を立て、その場で止まった。
「お嬢様、どうしてここに」
「私が言ったからなんでしょう」
エマが止まった。
「……何を」
「私がお茶会に行きたくないって言ったからなんでしょう」
「…………」
セレスティアの目から涙が零れた。
「私、言ったもの……」
声が震える。
「もう嫌だって。もうお茶会なんて行きたくないって……!」
「お嬢様」
「エマに言ったじゃない!」
涙を拭うこともせず、セレスティアは叫んだ。
「『なんとかしてよ、エマ』って!」
「…………」
「私が言ったからなんでしょう!?」
エマは答えなかった。
ユーリスも、ガレスも何も言わない。
「お母様が、もうお茶会なんて行かなくていいって言ったの。しばらく外にも出なくていいって……」
セレスティアはしゃくり上げながら言葉を続ける。
「それで、わかったの……」
エマは黙ったまま、少女を見ている。
「私があんなこと言ったから、エマが……」
「違います」
エマが遮った。
セレスティアが顔を上げる。
「違います、お嬢様」
「でも――」
「関係ありません」
「嘘」
「本当です」
「嘘よ!」
セレスティアが机へ手をついた。
「だってエマ、知ってたじゃない! 私がお茶会嫌いなのも、みんなが意地悪するのも、全部知ってた!」
「…………」
「あの日だって、私が泣いたらずっとそばにいてくれたじゃない!」
エマの唇が僅かに動いた。
「だから……私のためだったんでしょう?」
「違います」
「だったら、どうして!」
その問いに、エマはしばらく答えなかった。
やがて、ゆっくりとセレスティアを見る。
「……嫌いだったんですよ」
「え……?」
「あなたのことが」
セレスティアの顔から表情が消えた。
「何を……」
エマは大きく息を吐き、呆れたように口元を歪めた。
「はぁ……ほんっと、貴族のお嬢様ってなんでこうなの? 世間知らずで嫌になる」
先ほどまでの丁寧な侍女の口調が崩れていく。
「何不自由なく育って、欲しいものは何でも与えられているくせに、茶会が嫌だ、仲間外れにされた、なんとかしてくれって泣いて」
「…………」
「恵まれているくせに、わがままばかり。毎日毎日あなたの世話をしていたら、腹も立つわ」
「嘘……」
「嘘じゃないわ」
「嘘よ……!」
「本当です」
「だって……」
セレスティアの頬を涙が伝う。
「だって、エマ……私が眠れない時、ずっと一緒にいてくれたじゃない……」
「仕事です」
「私が熱を出した時も……」
「侍女ですから」
「誕生日に、私が好きなお菓子――」
「全部仕事ですよ」
「嘘!」
セレスティアの声が裏返った。
「そんなの嘘よ! エマが私を嫌いだったなんて、そんなの絶対に嘘!」
泣きじゃくりながら、それでもセレスティアはエマを見ていた。
「……もし、もし本当に嫌いだったとしても、それでもいい。それでもいいから……っ、ぜんぶ、私が命令したからだって言って!じゃないと……」
「そんな嘘はつけません」
「嘘じゃないもの! お願いエマ、まだ間に合うの、間に合うからっ、だから……、そばにいて」
か細い声で絞り出すように告げるセレスティアは苦しげで、何より、エマを必要としていた。
一瞬、エマはどこか呆然とした面持ちで少女を見つめた。
唇をきつく引き結ぶ。
それから、次に顔を上げた時には、呆れたような薄い笑みを浮かべていた。
「かわいい世間知らずなお嬢様。あなた、知らないでしょう? 一個のパンを奪い合って、取れなきゃ腹を空かせる惨めさ」
セレスティアが息を呑む。
エマは構わず続けた。
「大人に殴られることも、知らない男に服を脱げと言われることも、読み書きより先に男への媚び方を教え込まれることも」
薄く笑ったまま、首を傾げる。
「知らないでしょうね。あなた、貴族だもの」
「…………」
「そんなあなたに、私が何を考えて九年もそばにいたかなんて、わかるわけないじゃない」
「嘘よ……」
セレスティアが首を振る。
「嘘……」
エマはそれ以上何も言わなかった。
ただ、泣いている少女を見ていた。
「――お嬢様!」
廊下から声がした。
ほどなくして、一人の侍女が部屋へ駆け込んでくる。
五十代ほどの女だった。
「マーサ……」
「なんということを……!」
マーサは荒い息を整える間もなくセレスティアのもとへ向かい、その身体を支えた。
「お一人で王宮までいらしたのですか! まだ安静にしていなければならないお身体で!」
「でも、エマが……」
「帰りますよ」
「嫌……」
「お嬢様」
「嫌よ……まだ、エマが……」
「帰りましょう」
いつもの厳しい声より、僅かに柔らかかった。
セレスティアは首を振ったが、すでに立っているのも辛いのか、マーサへ身体を預けている。
「エマ……」
最後にもう一度、セレスティアが振り返った。
「……嘘よ」
エマは何も答えない。
「私、信じないから……!」
マーサが少女の肩を抱く。
その時、一度だけ。
マーサとエマの視線が合った。
どちらも何も言わない。
やがてマーサはセレスティアを連れ、聴取室を出ていった。
扉が閉まる。
少女の泣き声が遠ざかっていく。
静かになった部屋で、ガレスが長く息を吐いた。
「……ったく」
エマは閉じた扉を見たままだった。
やがて、ゆっくり椅子へ座り直す。
「もう、いいでしょう」
ユーリスが彼女を見る。
「君は――」
「やめて」
ユーリスの言葉を遮った。
エマはしばらく俯いていたが、やがて自嘲するように笑った。
「……私のやり方が間違ってたことくらい、もうわかったわ」
それから顔を上げ、ユーリスを見る。
「あなたがどこまで調べたのかは知らない。でも、もういい」
先ほどまでとは違う、冷たい目だった。
「お嬢様には何も言わないで。あなたが何を知っても、何を考えても」
「…………」
「もし余計なことを吹き込んだら」
エマの声が低くなる。
「死んでも許さないから」
ユーリスはエマを見返した。
「わかった」
それだけ答えた。
エマはそれで満足したとばかりに「そう」と呟き、僅かに目を伏せる。
ガレスも、もう何も聞かなかった。
◇ ◇ ◇
待機していた騎士に連れられ、エマは聴取室を出ていった。
扉が閉まってからも、ユーリスとガレスはしばらく何も言わなかった。
「……どうにかならねぇもんかね」
やがてガレスが呟く。
「ならない」
「即答すんなよ」
「聞かれたから答えただけだ」
「そうだけどよ」
ガレスは頭を掻いた。
「殺すつもりはなかったんだろ」
「ああ」
「嬢ちゃんが辛そうにしてたから、なんとかしようとした。それでやり方を間違えた」
「そうだろうな」
「だったら――」
「それでも、毒を盛った」
ガレスが黙る。
「セレスティア嬢が『なんとかしてほしい』と言ったことと、エマ・ハーシェルが毒を盛ることを選んだことは別だ」
「……わかってる」
「それに、今の話が明るみに出れば、今度はセレスティア嬢に疑いが向く」
「は?」
ガレスが眉を寄せる。
「なんでだよ。あの嬢ちゃんは毒を盛れなんて言ってねぇだろ」
「噂には関係ない」
ユーリスはまとめた書類を片付けながら答えた。
「十三歳の令嬢が茶会へ行きたくないと侍女へ訴え、その後、その茶会で自分自身が毒を盛られた。それだけあれば、話はいくらでも作られる」
「…………」
「自作自演だった。侍女に命じた。茶会の主催者へ恥をかかせるためだった。家同士の争いだった」
「……くだらねぇ」
「ああ」
ガレスが僅かに目を向ける。
「否定しねぇのかよ」
「事実かどうかと、噂になるかどうかは別だ」
「…………」
「彼女の両親も、おそらく公にはしない。エマが何も言うなと言ったのも、そのためだろう」
「そこまで考えてんのか、あの女」
「少なくとも、自分が真相を話せばセレスティア嬢に何が起こるかはわかっている」
ガレスは大きく息を吐いた。
「……じゃあ結局、何も変わらねぇのか」
「変わらない」
「嬢ちゃんがあんなに泣いてても?」
「ああ」
「殺すつもりがなかったとしても?」
「ああ」
「理由がわかっても?」
「ああ」
ガレスが苦い顔をする。
ユーリスは片付け終えた資料を手に取った。
「理由がわかっても、彼女が毒を盛った事実は変わらない」
「うるせぇ」
ユーリスがガレスを見る。
「?」
「わかってんだよ」
ガレスは乱暴に頭を掻いた。
「わかってるから、どうにかならねぇかって言ってんだ」
「そうか」
「……ほんっと、お前は」
ガレスは何か言おうとして、やめた。
「いや、悪い今のは八つ当たりだ」
「ああ」
「……そういうとこだぞ」
「何がだ?」
「もう喋んな」
ユーリスは黙った。
それが余計に腹立たしかったが、ガレスもそれ以上は何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
王宮を出る頃には、すでに日が傾いていた。
セレスティアを連れ帰るために用意された馬車の前で、マーサが騎士と短く言葉を交わしている。
その傍らでは、泣き疲れたセレスティアが侍女に支えられながら馬車へ乗り込むところだった。
「マーサさん」
呼び止められ、マーサが振り返る。
そこには、数枚の書類を手にしたユーリスが立っていた。
「なんでしょう」
「今回、追加で確認した内容です」
ユーリスは書類を差し出す。
「調査に協力してもらった以上、ハルデン家には報告しておく必要がある」
マーサは紙へ目を落としたものの、すぐには受け取らなかった。
「旦那様か奥様ではなく、私に?」
「あなたが適していると判断しました」
マーサの眉が僅かに動く。
「理由を伺っても?」
「エマ・ハーシェルの九年間を知っている。セレスティア嬢のそばにもいる」
ユーリスはそれだけ告げた。
「それで十分です」
「…………」
マーサはしばらくユーリスを見たあと、差し出された書類を受け取った。
「拝見します」
「ああ」
ユーリスはそれ以上何も言わなかった。
マーサも尋ねなかった。
ただ、手にした書類を一度だけ見下ろしてから、セレスティアの待つ馬車へと向かった。




