3-3
「母親が夕飯になっても戻らんと言って探し始めたんじゃが、いつも遊んどる辺りにもおらん。友達の家にも行っとらんそうじゃ」
「最後に見たのは?」
「昼過ぎじゃ。子供らと遊んどったところまでは確認できとる」
「それからずっと……?」
「うむ。もう村の者らが探し始めとる」
外はすでに暗く、ザーレンへ来て二週間が経った今では、日が落ちてからの冷え込みが昼間とはまるで違うことくらい、ノエルにもわかるようになっていた。
「僕も行きます」
「うむ、そのつもりで呼びに――」
そこまで言ったところで、オリバーが不意に言葉を止め、その視線がノエルの肩越しへ向けられる。
振り返るまでもない。
そこには当然、先ほどまでノエルと話していたユーリスがいる。
「…………」
「…………」
しばらく、オリバーとユーリスが無言で見つめ合った。
「……誰じゃ?」
「職場の同期です」
「ユーリス・ヴァレンベルクです」
「ヴァレンベルク……」
オリバーは一度瞬きをすると、ユーリスを上から下まで眺め、それからもう一度ノエルを見る。そうして何かを言おうと口を開いたものの、すぐにそれらを振り払うように頭を振った。
「……いや! 今はそれどころじゃないわい!」
「そうですね」
「人手は多い方がええ。すまんが、ヴァレンベルク殿も来てくれるか!」
「はい」
ユーリスが迷いなく答えると、三人はすぐに支部を出た。
◇ ◇ ◇
外へ出ると、普段ならすでに静まり返っている時間だというのに村のあちこちに灯りが揺れており、大人たちがそれを掲げながら家々の間や畑の脇、細い道を歩き回っていた。
「アッシュー!」
「おーい! アッシュ!」
「返事しろー!」
遠くからも名前を呼ぶ声が聞こえ、いつもなら穏やかな夜を迎えているはずの村全体が、落ち着かない空気に包まれている。
「アッシュ!」
ノエルも声を張りながら周囲へ目を凝らす。
雪はまだ深く積もってはいないものの、地面にはところどころ白いものが残っており、昼間に比べて気温も大きく下がっている。このまま外にいれば、子供の体力では長くもたないだろう。
「手分けしましょう。僕は――」
「なんだって!?」
突然、少し離れた場所から大きな声が響き、ノエルたちが一斉にそちらを見る。
「どうした!」
オリバーが真っ先に走り出し、ノエルとユーリスもそのあとを追うと、声のした場所には数人の大人が集まっており、その中心に小さな女の子が立っていた。
ノエルにも見覚えがある。
数日前、白星草の話をしていた子供たちの中にいた女の子だ。
「本当なのか!?」
「……う、うん……」
女の子は今にも泣き出しそうな顔で、小さく頷いた。
「どうしたんですか?」
ノエルが近づくと、大人の一人が振り返った。
「この子が、アッシュの行き先を知ってるって!」
「行き先?」
ノエルが女の子を見ると、彼女はぎゅっと服の裾を握りしめたまま俯いている。
「どこに行ったの?」
ノエルは片膝を地面につけてかがみ込み、目線を合わせながら、できるだけ驚かせないよう声を落として尋ねた。
「……もり」
「森?」
「白星草、とりに……」
その言葉にノエルは目を見開き、数日前に交わした会話が脳裏に蘇る。
『雪が降ったらね、白星草が出るんだぞ!』
得意そうにそう言った少年。
『白くて、星みたいな花で……』
途中で説明に詰まり、他の子供たちに続きを取られていた。
「いつ聞いたの?」
「きょう……おひる」
「アッシュ君が、そう言ったの?」
「うん……」
女の子の目に、みるみる涙が溜まっていく。
「ぜったい、言うなよって……ひとりで取ってくるからって……」
声が震えた。
「言ったら怒るって……だから、言わなかったの。でも、アッシュかえってこないし……みんな探してるし……」
「うん」
「わたし……」
「大丈夫」
ノエルはそのまま女の子と目線を合わせ、安心させるように柔らかく笑った。
「ありがとう。ちゃんと教えてくれて助かったよ」
「……でも……」
女の子は唇を噛み、それでも堪えきれなくなったのか、とうとう涙を零した。
「アッシュ……かえってくる?」
「うん。今からみんなで探しに行くからね」
ノエルがそう答えると、女の子は泣きながら頷いた。
「森なら、すぐ探しに行かねぇと!」
大人の一人が声を上げる。
「俺たちも行くぞ!」
「待て!」
オリバーの鋭い声が飛び、いつもの飄々とした調子とはまるで違うその響きに、動き出しかけていた男たちが足を止めた。
「全員で森へ入るな!」
「でも爺さん!」
「夜の森じゃぞ。大人だから安全というわけではない。探す人間まで迷ってどうする!」
そう言って周囲を見渡すと、オリバーはすぐに指示を出し始める。
「わしらが入る。お前さんらは森の入口と村の周りを探してくれ。途中で戻ってくる可能性もあるからの」
「でも三人だけで――」
「闇雲に人数を増やしても仕方がない。火の用意もしておいてくれ。戻った時にすぐ身体を温められるようにな。それとアッシュの家には誰か残れ。入れ違いで帰ってきたら、すぐ知らせるんじゃ」
「……わかった」
「灯りを持って、森の外周を回れる者はそっちを頼む。ただし中へは入るなよ」
次々と指示を出すオリバーに、大人たちもすぐに頷いて動き始める。
ノエルはその様子を見ながら、森の方角へ目を向けた。
昼間なら何度か入ったことがある。けれど夜になると、その姿はまるで違っており、木々の向こうはほとんど闇に沈み、どこまで続いているのかすらわからない。
「ユーリス」
「なんだ」
「何か、探す方法はない?」
ユーリスはすぐには答えず、森の方へ視線を向けた。
「魔力を探知することはできる。ただ、子供は大人より保有魔力が少ない。森の中には植物や魔獣の魔力もあるから、この範囲から一人分だけを拾うのは難しい」
「近くまで行けば?」
「距離次第だ。ある程度まで絞れれば可能性はある」
「そう……」
ノエルは考える。
アッシュが向かったのは、白星草が咲いている場所。やみくもに森へ入ったわけではないだろうから、きっと本人なりに目星があったはずだ。
ならば、こちらも白星草のある場所がわかればいい。
「白星草……」
そう呟いた時、ふと以前聞いた言葉を思い出した。
『白星草なら、森の奥まで行かなくても咲いとるよ。雪が積もり始める頃になると、日の当たる開けた場所にひょこっと顔を出すんじゃ』
いつだったか、薬草の話をしていた時に村の老婆が教えてくれた言葉で、その時はただ珍しい草花の話として聞いただけだった。
けれど。
「……あ」
「どうした?」
「白星草が生える場所、前に村の人から聞いたことがあります」
オリバーが振り返る。
「なんと聞いた?」
「雪が積もり始める頃に、日の当たる開けた場所に咲くって。森の奥まで行かなくても見つかるって言ってました」
「うむ。間違っとらん」
「それと……」
もう一つ、何かが記憶に引っかかっている。
ノエルは眉を寄せながら、最近読んだものを頭の中で辿っていく。
寒さ。
植物。
そして。
「……レオニス先輩の本」
「本?」
「借りてる本に、寒冷地に自生する植物について書いてあったんです」
かなり難しい本で、理解できずに何度も前の頁へ戻りながら読み進めていたが、その中に今の状況と繋がりそうな一節があった。
「寒冷地に自生する植物の中には、植物自体が微弱な魔力を持っているものがあるって」
ユーリスの目が僅かに細くなる。
「どの程度だ?」
「ほんの少し。普通に見ても気づかないくらいだと思う。でも、その魔力を根から土へ流して、また植物へ戻すことで循環させてるらしいんだ。詳しい理論は僕もまだよくわかってないけど、その循環で植物の内部に急激な温度変化が起きるのを抑えて、雪や凍結に耐えやすくするって」
「白星草もそうだと?」
「わからない。でも、雪が降ってから咲く植物なら、可能性はあるんじゃないかな」
そう答えながら、ノエルはユーリスを見る。
「もし白星草がそういう植物なら、近くまで行けば普通の草とは違う魔力の動きがあるはずだよね?」
「ああ」
「見つけられる?」
ユーリスは少し考えた。
「範囲を絞れるなら」
その答えを聞くと、ノエルは今度はオリバーを見る。
「オリバーさん」
「うむ」
オリバーはすでに考え込んでいた。
「日の当たる開けた場所で、白星草が生えるところ。それでアッシュが一人でも行こうと思うような場所……」
長年この土地を歩き続けてきた老人の頭の中には、ノエルにはまだわからない森の地形が広がっているのだろう。
「……三つ」
「三つ?」
「この辺りで条件に合う場所は、わしの知っとる限り三つじゃ。そのうち一つは沢を越えねばならんから、アッシュが一人で行くとは考えにくい」
「じゃあ、二つ」
「うむ。どちらもここからそう遠くない」
オリバーはそう答えると、暗い森の方へ視線を向けた。
「順に当たるぞ」
「はい」
「ああ」
三人は森へ向かった。
◇ ◇ ◇
一歩ずつ、暗い森を進んでいく。
灯りが届く範囲は狭く、その先には黒い木々が幾重にも重なっており、雪を踏む音や枝が風に揺れる音が、静まり返った森の中ではやけに大きく聞こえた。
「二人とも、少し待て」
先を歩いていたユーリスが足を止める。
「どうしたの?」
「このまま三人で固まって探すより、少し距離を取った方が範囲を見られる」
「じゃが、夜の森で互いを見失うのはまずいぞ」
「それは問題ない」
ユーリスが片手を上げると、指先に淡い光が灯り、そこから細い術式が空中へ広がっていった。
「二人とも、少し魔力を出してくれ」
「魔力を?」
「ああ。僅かでいい」
ノエルとオリバーが言われた通りにすると、ユーリスの術式がそれぞれの魔力へ触れる。
次の瞬間。
「……あ」
奇妙な感覚があった。
目で見ているわけではなく、音が聞こえるわけでもない。それなのに、自分から少し離れたところにユーリスがいて、その向こうにオリバーがいることが、曖昧ながらも感覚として伝わってくる。
「互いの魔力を空間座標に繋いだ」
「こんなこともできるんだね」
「距離が離れすぎなければな。これで姿が見えなくても、互いの位置はわかる」
オリバーが感心したように自分の手を見る。
「便利なもんじゃのぉ……」
「ただし、あまり離れるな。何かあればすぐ合流できる距離を保つ」
「わかった」
「それから、ノエル。ここで夜目はどの程度効く?」
「ここからだと、あっちの岩くらいまでは見える。足跡も草の動きも、暗くはあるけど、輪郭は昼間に見るのとあまり変わらないよ」
「指輪も持っているな?」
ノエルが言葉で答える代わりに懐から銀の指輪を取り出して見せると、ユーリスはそれを確認して頷いた。
「なら、見通しが悪い西側はお前に任せる。木と草で入り組んでいるが、木陰に潜んでいる程度の獣なら、見かけても気にしなくていい。指輪があれば向こうから避ける」
「わかった」
三人は互いの位置を把握できる程度に間隔を空け、それぞれ周囲を探りながら森を進み始めた。
「アッシュー!」
「アッシュ君!」
名前を呼びながら最初の候補地へ向かい、その途中でもユーリスが何度か足を止めて周囲の魔力を探ったものの、白星草らしい反応は見つからなかった。
やがて最初の場所へ辿り着いたが、それらしい花も、アッシュの姿もない。
「ここではなさそうじゃな」
「次へ行きましょう」
二つ目の候補地へ向かう。
さらに森の奥へ進むにつれて道は少しずつ細くなっていったが、それでも人が歩いた跡は残っており、子供が通れないような場所ではない。
「アッシュー!」
返事はない。
ノエルは胸の奥に広がっていく不安を押さえながら、暗い森を歩き続けた。
寒い。
怪我をしていなければいい。
迷っているだけならいい。
どこかで怖くなって、動けなくなっているだけなら――。
「止まれ」
不意にユーリスの声がして、三人が同時に足を止める。
「何かあった?」
「……微弱だが、妙な魔力の流れがある」
ノエルが顔を上げた。
「循環してる?」
「おそらく」
ユーリスは意識を集中させるように目を細め、しばらく周囲を探った。
「一か所じゃない。小さな反応が、ある程度まとまっている」
「花が群生してるのかも」
「方角は?」
オリバーが尋ねる。
「北東。ここからそう遠くない」
その答えを聞いたオリバーの表情が変わった。
「……あっちか」
「何かあるんですか?」
「少し先に開けた場所がある。白星草が咲いてもおかしくはない」
三人はすぐにそちらへ向かい、木々の間を抜けていく。
やがて少しだけ視界が開けた。
「あ……」
ノエルが足を止める。
雪の上に、小さな白い花がいくつも咲いていた。
五枚の花弁が星のように開き、夜の中で雪と見分けがつかないほど白く揺れている。
「白星草……」
「これじゃな」
オリバーが頷く。
見つけた。
なら、アッシュもここへ来た可能性が高い。
「アッシュ君!」
ノエルが大きな声で呼び、オリバーも続けて名前を呼ぶ。
「アッシュ!」
少しの沈黙。
風が木々を揺らす。
「…………」
「……ノエル、にいちゃん……?」
微かな声がした。
「!」
「アッシュ君!?」
「どこじゃ!」
「……こっち……」
声は下から聞こえた。
三人が白星草の咲く場所の奥へ駆け寄ると、その先は緩やかな坂になっており、さらにその下、木の根元に小さな人影がうずくまっていた。
「アッシュ君!」
「ノエル、にいちゃん……」
「よかった……!」
ノエルの身体から、一気に力が抜けそうになる。
見たところ意識はあり、血まみれという様子でもない。
「動ける!?」
「……あし、いたい……」
アッシュは泣くのを堪えるように顔を歪め、自分の足首を押さえた。
どうやら坂で足を滑らせたらしい。
「待ってて! 今そっちに行くから!」
「ノエル、焦るな!」
オリバーに止められ、ノエルは踏み出しかけた足を止める。
「暗い上に雪じゃ。お前さんまで滑ったら意味がない。降りられる場所を――」
そこで。
ユーリスが、森の奥へ顔を向けた。
「……待て」
声が低い。
ノエルとオリバーも動きを止める。
「どうしたの?」
「何かいる」
その言葉とほとんど同時だった。
――バキッ。
太い枝が折れる音が、森の奥から響いた。
続いて、雪を踏み砕く重い音。
一度。
二度。
ゆっくりと、それはこちらへ近づいてくる。
「…………」
オリバーの表情が険しくなる。
「この足音は……」
暗闇の向こうで、何かが低く唸った。
獣のものとは思えないほど重い声が、冷えた森の空気を震わせる。
やがて木々の隙間から、巨大な影が姿を現した。
人の背丈を優に超える巨体。
雪を掻く太い四肢。
そして闇の中で、こちらを睨む二つの目。
「……魔獣」
ノエルが呟く。
魔獣は低く唸りながら、一歩こちらへ踏み出した。
その視線が、三人の中の一人――ノエルへ向く。
「…………?」
ノエルが僅かに眉を寄せる。
いつもなら、指輪の魔力を感じた魔獣は近づいてこない。
だが、目の前の魔獣は違った。
鼻先に皺を寄せ、明らかな嫌悪を示しているにもかかわらず、それでも退こうとはしない。
むしろ。
「……怒っておるな」
オリバーが低く呟いた。
「かなりのものじゃ」
「どうして……」
ノエルが言い終えるより早く、魔獣が大きく前脚を踏み込んだ。
雪が弾ける。
低い咆哮が、夜の森に響き渡った。




