3-2
あの会議から、三日が経った。
侍女による毒殺未遂事件について、宮廷魔法局本部第三室から提出した報告書はすでに正式な証拠として受理され、騎士団側の調査結果と合わせて、事件の処理はほとんど終わっている。
犯人は、被害に遭った令嬢に九年間仕えていた侍女。
主人への長年の恨みから毒を入れたことを自ら認め、毒物の入手経路についても供述しており、被害者のカップからは侍女の魔力痕が検出され、私物から押収された小瓶には同じ毒物が残っていた。
物証も、自白もある。
事件としては、もう終わっている。
「…………」
それなのに。
ユーリスは手元の書類へ視線を落としたまま、しばらく同じ一行を眺めていた。
読んでいるのは毒殺未遂事件とはまったく関係のない別件の報告書で、内容が頭に入ってこないわけではないのだが、読み進めようとするたびに、三日前の会議で交わした言葉が頭のどこかに浮かんでくる。
『……なんか、そういう感じに見えねぇんだよな』
ガレスが口にした、ひどく曖昧な違和感。
本人にすら説明できず、最後にはただの勘だと切り捨てた言葉なのに、何故かそれが妙に残っている。
そして、もう一つ。
致死量には届いていなかった毒。
殺すつもりだった。
けれど、人を殺せる量は知らなかった。
だから適当に入れた。
侍女はそう供述している。
別に、おかしな話ではない。
毒物に詳しくない人間が正確な致死量を把握していないことなど珍しくもなく、結果として量が足りなかったからといって、それだけで殺意がなかったことにはならない。
理屈は通っている。
それでも。
「ユーリス君」
不意に名前を呼ばれ、ユーリスは顔を上げた。
向かいの机で書類を確認していたレオニスが、眼鏡越しにこちらを見ている。
「なんですか」
「先ほどから、同じ頁を随分と熱心に読んでいるようだが」
「…………」
ユーリスは手元へ視線を戻した。
確かに、頁が進んでいない。
「別に問題はありません」
「そうかね」
レオニスはそれ以上追及するでもなく、手元の書類へ視線を戻した。
「例の毒殺未遂の件なら、もう片はついたのだろう?」
「……ええ」
ユーリスは僅かに間を置いて答えた。
「犯人も特定されています。証拠も揃っている」
「ならば、我々の仕事は終わりだ」
「わかっています」
ユーリスが静かに答えると、レオニスの視線が再び上がった。
「何か気になることでも?」
「…………」
聞かれて、ユーリスは少し考えた。
「毒の量が、致死量に届いていませんでした」
「報告書で読んだよ」
「本人は、主人を殺すつもりだったと供述しています」
「うむ」
「毒をどの程度入れれば人が死ぬのかは知らなかった。だから適当に入れた、と」
「それも読んだ」
「話としては通っています」
「ならば、何が気になる?」
そこだった。
ユーリス自身、それがわからない。
「……わかりません。ただ、違和感がある」
正直に答えると、レオニスは僅かに眉を上げた。
「ブランデルも、似たようなことを言っていました。侍女と直接話した時、主人を憎んで殺そうとした人間には見えなかったと」
「根拠は?」
「本人も、ただの勘だと言っていました」
「なるほど」
レオニスは小さく息を吐き、持っていた書類を机の上へ置いた。
「君らしくもなく、随分と曖昧な話だね」
「ええ」
「毒の量については、私も少し気になります」
そこで少し離れた机からリディアが口を挟み、二人の視線が向けられると、彼女は手元の書類から顔を上げた。
「解析した限り、摂取量は致死量を明確に下回っていました。個人差を考慮すれば危険な量であることに変わりはありませんが、少なくとも、私なら人を確実に殺害する目的であの量を選びません」
「だが、侍女は毒物の専門家ではないのだろう?」
レオニスが尋ねる。
「はい。ですから、量が少ないこと自体は何の証拠にもなりませんし、偶然と言われればそれまでです」
「ならば、君も再調査が必要だと?」
「いいえ」
リディアは迷わず首を横に振った。
「犯人の特定に疑義はありません。毒物の入手経路も確認されていますし、本人も認めています。宮廷魔法局として追加の調査を行う必要はないと考えます」
そこで一度言葉を切り、リディアは僅かに考えるように目を伏せた。
「ただ、ヴァレンベルク先輩が気にしていること自体は、理解できます」
「…………」
「それだけです」
そう言うと、リディアは再び書類へ視線を戻した。
「しかし、仮にこの違和感が正しかったとしても……」
リディアがそこで一度言葉を切ると、その先を補うようにレオニスが静かな声で続けた。
「自らの主人を手にかけようとした事実は変わらないのだよ」
ユーリスは何も答えなかった。
「どのような理由があったとて、許される話ではない。相手が貴族であれば、なおのこと」
「……ええ」
何を言っているのかは、ユーリスにもわかる。
仮に侍女の供述とは別に何か事情があり、それがどれほど同情に値するものだったとしても、公の茶会で仕えるべき主人に毒を盛ったという事実そのものが消えることはない。
貴族にとって体面は単なる見栄ではなく、家の名誉は本人だけのものではなく、家族や親族、領地、そこに連なる人間すべてに影響するものであり、時には自らの感情より、時には命より、それを優先しなければならないことさえある。
ヴァレンベルク家に生まれたユーリスにも、それは幼い頃から教え込まれてきた。
今回の件で侍女を許せば、主人に毒を盛った使用人を処罰しなかった家として見られる以上、理由が何であれ、そこは変わらない。
それでも、納得しきれない気持ちが消えなかった。
「仮に別な事情があったとしても、踏み込むべきではないと?」
「逆に問おう。事情があれば、毒を盛ったという事実そのものが覆るのかね?」
レオニスは淡々と返した。
「犯人が定かでないというのなら、話は別だ。本人が否定しているのならば、なおさらな。動機であろうと過去であろうと、調べられるものはすべて調べるべきだろう。一人の人間を罪に問う以上、そこに疑いを残すべきではない」
「…………」
「だが、今回は違う。物証があり、本人も認めている。彼女が主人のカップへ毒を入れたという事実そのものに、疑う余地はないのだろう?」
「ええ」
「ならば、その先は彼女自身が語るか否かを決めることだ」
思いがけない言葉に、ユーリスは僅かに目を上げた。
「事情を調べることに意味がない、とまでは言うまい。それによって守られる名誉もあるだろう。だが、自ら語ろうとしない人間の胸中を無遠慮に暴いたところで、そこにどのような意義がある」
「供述した動機が、事実ではない可能性もあるのでは?」
「毒を入れたという事実を偽っているのならば問題だ。だが、自らの胸中まで他人に正しく説明する義務があるとは、私は思わんよ」
レオニスはそう言って、机の上の書類を指先で揃えた。
「人には、墓まで持っていきたいものの一つや二つある。それが罪を犯した人間だからといって、何もかも暴かれて当然ということにはならない。ましてや、それを本人が望んでいないのならばね」
ユーリスは黙った。
犯人を見つけるためでも、冤罪を防ぐためでもなく、すでに罪を認め、その結果を受け入れている人間が何を思ってその罪を犯したのかを知ったところで、毒を盛ったという事実が消えるわけではない。
「事情を知ることで、見え方が変わることはあると思います」
「無論、あるだろう」
レオニスはあっさりと認めた。
「だが、それを知りたいのは誰だ?」
「…………」
「彼女自身が知ってほしいと望んだのかね?」
答えられない。
レオニスは静かに眼鏡を押し上げた。
「舞台に立つ者が、自ら幕を下ろそうとしている。それを客席から勝手に捲り上げ、舞台裏まで覗き込むことを、私は真実の追究とは呼びたくないね」
冷たい言葉だったが、その冷たさが侍女へ向けられたものではないことくらい、ユーリスにもわかる。
「それは、観客の無責任で無粋な好奇心なのだよ」
「…………」
「君もわかっているだろう」
「ええ」
わかっているからこそ、反論する言葉もなかった。
「難儀なもんだねぇ」
少し離れたところから気の抜けた声が飛んできて、全員がそちらを見ると、ラザが椅子へ深く腰掛けたまま煙草を燻らせていた。
「所長」
「いやぁ、貴族様ってのは大変だなと思ってなぁ。知るべきこと、知らずにいるべきこと。そんなもんをご丁寧に選びながら生きてるわけだ」
「名門エルヴェスター家の人間が、何を他人事のように言っているのだ」
「他人事だろ。魔術師の家系なんてのは、貴族様ほど体面を気にしちゃいねぇよ。それより自分の好奇心を優先する奴の方が多い。そういう意味じゃあ、ユーリスは魔術師らしい考え方をしてるとも言える」
「……その傾向があることは認めるが、名門と呼ばれる家であれば、相応の責任と品位は求められるだろう」
レオニスが眉間を押さえる。
ラザは気にした様子もなく煙を吐き出すと、ふと壁の時計を見上げた。
「あー……もうこんな時間か」
それから机の上に積まれた書類を一度見て、今度はユーリスを見る。
「ユーリス」
「はい」
「お前、今日はもういいぞ」
「まだ定時前ですが」
「知ってるよ」
ラザは灰皿へ煙草を押しつけた。
「急ぎの仕事は片付いてるし、残ってんのも明日でいい。さっきから同じことばっか考えてるみたいだし、一回帰って頭冷やしてこい」
「別に、仕事に支障はありません」
「だろうなぁ」
あっさり肯定されて、ユーリスは僅かに眉を寄せた。
「なら――」
「でも、そういう時に机に齧りついてたって、大抵ろくなこと思いつかねぇだろ」
ラザは欠伸をしながら、ひらひらと手を振る。
「ちょうど仕事も切れた。今日はもう終わり。帰れ帰れ」
「…………」
追い払うような言い方ではあるが、実際、今日中にユーリスが処理しなければならない仕事は残っておらず、無理に居残る理由もなかった。
「……わかりました」
ユーリスはそれ以上反論せず、机の上の書類を片付け始めた。
「珍しいこともあるものだ。貴方が部下に気を配るとは」
「いやぁ、先輩にいびられた部下のケアくらいはしとかねぇとな」
「いび……っ、ただの意見交換を歪曲しないでいただきたい!」
「おー、怖い怖い。お前は悩める後輩を素直に心配してやれないもんかね」
肩をすくめるラザを横目に、ユーリスは最後の書類を揃える。
事件は終わっている。
証拠も揃っている。
仮に何か別の事情があったとしても、侍女が主人のカップへ毒を入れたという事実は変わらず、考えたところで何かが変わるわけでもない。
それは、わかっていた。
わかっているのだが。
「…………」
どうにも、すっきりしなかった。
◇ ◇ ◇
いつもより少し早い時間に屋敷へ戻ったユーリスは、着替えを済ませて自室へ入ると、机の上に置かれた対話水晶へ目を向けた。
ノエルは、もう仕事を終えているだろうか。
そう考えながら水晶へ手を伸ばしたものの、指先が触れる直前で、その手が止まった。
「…………」
別に、連絡する理由がないわけではない。
前に話した時、今度はもう少し時間がある時にゆっくり話そうと言っていたし、今日は珍しく自分の仕事も早く終わったのだから、ノエルも仕事を終えているのならちょうどいい。
ただ、今の自分がノエルに何を話したいのかがわからなかった。
毒殺未遂事件について話したところで、ノエルは捜査に関わっておらず、毒物に詳しいわけでもなければ、侍女にも令嬢にも会ったことがない以上、話したところで何かがわかるとも思えない。
「…………」
ユーリスは結局、水晶から手を離すと、近くに置いてあった本を一冊取って椅子へ腰を下ろした。
考えても仕方のないことなら、別のことをすればいい。
そう思って頁を開き、数頁ほど読み進め、さらに数頁。
「…………」
やがて、ユーリスは本を閉じた。
内容は理解しているし、先ほど宮廷魔法局で読んでいた報告書と同じで文字を追えていないわけではないのだが、意識の端に別のものが引っかかったまま、どうにも落ち着かなかった。
自分でも、何を気にしているのかわからない。
毒の量なのか。
侍女の供述なのか。
ガレスの言葉なのか。
それとも、何か別のものなのか。
考えようとすると、レオニスの言葉が浮かぶ。
『彼女自身が知ってほしいと望んだのかね?』
「…………」
わからない。
少なくとも、自分は望まれていない。
そこまで考えたところで机の上から微かな魔力の揺らぎを感じ、ユーリスが顔を上げると、対話水晶が淡い光を帯びていた。
「…………」
一瞬だけそれを見つめたあと、ほとんど考えるより先に立ち上がり、水晶へ手を触れて魔力を繋ぐ。
「ノエル」
『あれ、もう仕事終わり?』
返ってきたのは、いつもと変わらない穏やかな声だった。
『僕も今日は早めに終わったから、先に水晶に魔力を繋げておくだけのつもりだったんだけど』
「……そうか」
『うん』
「…………」
『…………』
そこで会話が途切れた。
普段ならノエルの方から今日あったことの一つや二つ話し始めるのに、今日は何故かそうしなかった。
少しの沈黙のあと、柔らかな声が聞こえた。
『何かあった?』
「…………」
何かあったのかと聞かれれば、別に何もない。
事件は解決しているし、仕事で失敗したわけでも、体調が悪いわけでも、困っていることがあるわけでもない。
「……いや」
『そっか』
それだけだった。
どうしたのかと聞き返すことも、無理に話させようとすることもなく、水晶の向こうでノエルがただ待っている。
「…………」
ユーリスは水晶へ触れたまま、少しだけ視線を落とした。
「ノエル」
『うん?』
「……そっちに行ってもいいか?」
自分でも口にしてから少し唐突だったと思ったが、ノエルは理由を尋ねなかった。
『いいよ』
返ってきたのは、それだけだった。
「今から行く」
『うん。待ってるね』
そこで通信を切ると、部屋に静けさが戻った。
ユーリスは水晶から手を離し、机の上へ置かれた本を一度だけ見た。
結局、ほとんど頭には入らなかった。
「…………」
そして次の瞬間には、その姿は部屋から消えていた。
◇ ◇ ◇
「いらっしゃい、ユーリス」
空間が切り替わった直後、聞き慣れた声がして、見ればノエルが椅子から立ち上がったところだった。
「……ああ」
「今日はこの前より早いね」
「あの日は仕事が終わってからだったからな」
「そっか」
ノエルはそれだけ言うと、何があったのかを改めて尋ねることもなく、もう一脚の椅子を引いた。
「座る? 今、お茶淹れるよ」
「……ああ」
ユーリスは勧められるまま腰を下ろし、ほどなくして目の前に置かれた、湯気の立つカップを受け取った。
「どうぞ」
「ありがとう」
「うん」
ノエルも向かいに座り、自分のカップへ口をつける。
「…………」
「…………」
静かだったが、不思議と気まずくはなく、何か話さなければならないような気もしなかった。
宮廷魔法局を出てからずっと頭の中には言葉にならないものが残っていたが、それを説明するためにここへ来たわけではないし、そもそも説明できるのなら、あれほど引っかかってはいなかっただろう。
「……三日前」
「うん」
それでも、しばらくしてユーリスは口を開いた。
「宮廷内で、毒殺未遂事件があった」
ノエルは驚いたように目を瞬かせた。
「毒殺未遂?」
「ああ」
そこからユーリスは、三日前の事件について話した。
貴族令嬢の茶会で一人の少女が倒れ、その原因が毒物だったこと。その毒を入れたのは少女に九年間仕えていた侍女で、証拠は揃っており、本人も犯行を認めていること。主人を憎んでいて殺すつもりだったと供述している一方で、毒の量は致死量に届いていなかったこと。
「本人は、どのくらい入れれば死ぬのか知らなかったと言っている」
「うん」
「ガレスは直接話した時、主人を憎んで殺そうとした人間には見えなかったと言っていた。ただの勘らしい」
「なるほどなぁ……」
ノエルはカップを両手で持ったまま、少し考える。
「エルンストも、量そのものは少し気になると言っていた。ただ、犯人の特定に疑義はないから、再調査が必要だとは考えていない」
「うん」
「ローゼンフェルト補佐も同じだ。犯人が確定していて、本人も認めている以上、それ以上本人が語ろうとしないことまで暴くべきではないと言っていた」
「レオニス先輩らしいね」
「俺も、それは正しいと思う」
ノエルが顔を上げる。
「侍女が毒を入れたことは事実だ。理由が何であったとしても、それは変わらないし、本人が話したくないことを、俺が知りたいというだけで調べる理由にもならない」
「うん」
「だから、もう終わった事件だ」
「うん」
「…………」
「…………」
「……でも、気になるんだね」
ユーリスは黙り、否定しようとして、やめた。
「ああ」
ノエルはそれを聞いてもすぐには何も言わず、しばらくカップの中を眺めてから、小さく息を吐いた。
「難しいねぇ」
「……それだけか?」
「だって、僕はその侍女さんに会ったこともないし、事件を見たわけでもないから」
「そうだな」
「ユーリスやリディアさんが調べて、ガレスさんたちも捜査して、それで犯人がその人だっていうなら、多分そうなんだと思う」
「ああ」
「レオニス先輩の言ってることも、わかるよ。本人が言いたくないことを、周りが勝手に暴いていいのかって言われたら……僕も、いいとは言えないかなぁ」
そこでノエルは少し考えてから、続けた。
「でも、ユーリスが気になるっていうのも、別におかしくないんじゃない?」
「…………」
「気になるからって、勝手に調べていいことにはならないけど、気になること自体まで、やめようと思ってやめられるものでもないでしょ?」
ユーリスは僅かに目を伏せた。
その言葉を聞いたからといって何かが解決したわけではなく、侍女の動機はわからないままだし、調査を再開する理由ができたわけでもない。
ただ、宮廷魔法局にいた時からずっと、違和感を抱いていることそのものが間違っているような気がしていた。
証拠は揃い、事件は終わっていて、調べるべき理由もないのに、それでも気にしている自分には、何か明確な理由がなければならないように思っていたのだ。
「……そうか」
「うん」
ノエルはいつものように笑った。
「別に、今すぐ答えを出さなくてもいいんじゃないかな」
「…………」
「あ、ごめん。仕事ならそういうわけにもいかないか」
「いや」
ユーリスは小さく首を振った。
「これはもう、仕事ではない」
「そっか」
「ああ」
仕事ではない。
そう口にしてみると、妙に納得できた。
事件は終わり、自分の役目も終わっている。それでも気になるのなら、今はそれだけでもいいのかもしれない。
「…………」
来た時よりは、少しだけ頭の中が静かになっていた。
その時だった。
――ドンドンドンッ!
静かな部屋に激しく扉を叩く音が響き、思わずノエルとユーリスが顔を見合わせると、続けてもう一度、先ほどよりも急かすような音が鳴った。
――ドンドンッ!
「ノエル君! おるか!」
扉の向こうから聞こえた声に、ノエルがすぐさま立ち上がった。
「オリバーさん?」
先ほどまでの穏やかな空気が、一瞬で消える。
ノエルが扉を開けると、そこには息を切らしたオリバーが立っていた。
「どうしたんですか?」
「子供が一人、帰ってきとらん」
「え?」
「夕方から姿が見えんそうじゃ」
ノエルの表情が変わった。
「誰ですか?」
「アッシュじゃ。ほれ、山側の家に親子三人で住んどる」
オリバーが告げた名前を聞いてノエルは目を見開き、その脳裏には、数日前に白星草のことを教えてくれた少年の顔が浮かんだ。




