3-1 毒殺未遂事件編
「まず、毒物の解析結果から報告します」
宮廷魔法局本部の会議室で、リディアは手元の資料へ視線を落とした。
長机を挟んだ向かいに座っているのは、第一騎士団のガレス・ブランデル。その隣にはユーリスが座り、普段と変わらない涼しい顔で資料を眺めている。
昨日、王宮で開かれた貴族令嬢たちの茶会で、一人の令嬢が突然倒れた。
原因は毒物。
幸い命に別状はなかったものの、王宮内、それも複数の貴族令嬢が集まる場で起きた事件である。当然ながら騎士団だけでなく、魔術的な関与の有無を調べるため宮廷魔法局も動くことになり、第三室が調査を担当していた。
「被害者が口にした紅茶と、使用されていた茶器の双方から同一の毒物を検出しました。成分を照合した結果、《ベルナ草》の根から抽出される毒と一致しています」
「ベルナ草?」
「南部から中部にかけて自生する多年草です。葉と茎に毒性はありませんが、根に含まれる成分は人体へ摂取された場合、神経伝達を阻害します。摂取量によって症状は異なりますが、初期症状として眩暈、吐き気、四肢の痺れ。その後、筋肉の弛緩と呼吸機能の低下が――」
「待て」
ガレスが片手を上げると、リディアは素直に口を閉じた。
「……なんでしょう」
「いや、続けてくれていい。ただ、もうちょっとこう……俺にもわかるように頼む」
「十分に簡略化していますが」
「これでか?」
リディアは少し考えるように黙った。
「……すまない、続けてくれ」
ガレスは深く息を吐き、諦めて資料へ目を落とした。
そこには先ほどからリディアが口にしている成分名やら反応式やらが整然と並んでいるが、正直なところ半分もわからない。騎士として毒物に関する最低限の知識はあるものの、毒を見つけた時に必要なのは、それを口に入れないことと、入れてしまった人間を一刻も早く治療師のところへ運ぶことだと思って生きてきた。
根からどう抽出され、どの成分が人体の何に作用するかまで覚えた記憶はないし、そもそもその情報は今必要なのか、学術的な話は後にしてくれ、と言いたくなるのをぐっと堪える。
「致死量は?」
「体重によって変動します。ただ、被害者の年齢と体格を考慮した場合、今回摂取したと推定される量は致死量には届きません」
そこはわかったので、ガレスは頷いた。
「治療が早かったから助かった、ってわけじゃねぇのか?」
「治療が遅ければ危険な状態に陥った可能性はあります。ただし、摂取量そのものが致死量を下回っています」
「……つまり」
ガレスはしばらく資料と睨み合い、頭の中でどうにか話を組み立てる。
「毒を盛られたのは間違いない。けど、最初から人を殺せるほどの量は入ってなかったってことか?」
「?」
リディアが僅かに首を傾げた。
「最初からそう言っています」
「お前な」
ガレスの眉間に皺が寄ると、その隣でユーリスが資料から目を上げた。
「エルンストの説明に誤りはない」
「そういう話をしてんじゃねぇよ」
「では、何の話だ?」
「お前も黙ってろ」
ユーリスは一瞬だけガレスを見たあと、特に気を悪くした様子もなく資料へ視線を戻した。リディアもまた、何が問題だったのかわからないらしい。
ガレスは思った。
やっぱり魔術師は嫌いだ。
少なくとも、朝一番から二人まとめて相手をするもんじゃない。
「それで、ヴァレンベルク。現場の方はどうだった」
ガレスが話を戻すと、ユーリスは手元の資料を一枚めくった。
「茶会が行われた部屋には、当時の魔力痕がまだ残っていた」
「拾えたのか?」
「ああ。人の出入りが多かったから完全ではないが、必要なものは取れた」
そう答えながら、ユーリスが机の上へ一枚の紙を滑らせる。茶会が行われた部屋の見取り図らしく、長机と椅子、給仕用の台、それぞれの位置に細かな印が書き込まれていた。
「毒が混入されたのは、茶を淹れる前ではない」
「わかるのか?」
「ポットと茶葉、それから湯を用意した器具には、不自然な魔力痕がない。エルンストの解析でも、毒物が検出されたのは被害者が使用したカップだけだ」
「はい。他の茶器、ポット、残っていた茶葉からは検出されていません」
「ってことは……」
ガレスは見取り図へ目を落とし、今度は比較的すぐに話を飲み込んだ。
「最初から茶に毒を入れたんじゃなくて、あの嬢ちゃんのカップに直接入れたってことか」
「そうだ」
今度はユーリスが素直に頷く。
「……なぁ、もうちょっと端的に言えないか?」
「今言っただろう」
「わかった、もういい」
朝からこれ以上疲れたくない。
ガレスは額を押さえながら、話の続きを促した。
「それで?」
「茶会が始まる直前、被害者の席に置かれていたカップへ接触した痕跡がある」
ユーリスは見取り図の一点を指した。
「残留していた魔力を照合した。昨日拘束された侍女のものと一致している」
その言葉に、ガレスの表情から僅かに冗談めいたものが消えた。
「間違いないか?」
「ああ」
「他の奴が触った可能性は?」
「ないとは言わない。だが、少なくとも侍女本人がこのカップに触れたことは確実だ。それも、茶会が始まる直前にな」
続いてリディアも手元の資料を確認しながら口を開く。
「侍女の私物から押収された小瓶の残留物も、紅茶から検出された毒物と一致しています」
「小瓶に残っていた魔力痕も本人のものだ」
「……なるほどな」
ガレスは腕を組んだ。
これで、昨日の騎士団の捜査結果とも繋がる。
「こっちでも、昨日あの場にいた連中から一通り話は聞いた」
事件が発生した直後、第一騎士団は茶会の会場を封鎖し、出席していた令嬢たちはもちろん、その護衛、侍女、給仕、使用人など、事件当時に部屋へ出入りすることのできた人間は、ほぼ全員その場に留めて事情を確認している。
「その途中で、あの侍女が自分から認めた」
「自分から?」
ユーリスが顔を上げる。
「ああ。『私が毒を入れました』ってな。こっちが追及する前にだ」
「理由は」
「主人が憎かった」
ガレスは短く答えた。
「九年も仕えてきたが、もう耐えられなくなった。殺してやろうと思って毒を用意した。そう言ってる」
「毒の量については?」
「そこも聞いた。人を殺せる量なんざ知らなかった、適当に入れた、だとよ」
リディアが僅かに眉を寄せる。
「随分と曖昧ですね」
「俺もそう思う。だが、毒を持ち込んだのも、カップに入れたのも自分だと認めてる。毒を手に入れた経路についても話してるし、調べた限りじゃ、今のところ嘘は出てねぇ」
物証があり、本人の自白もあり、動機についての供述もある。そして今、第三室の調査によって、侍女が実際に被害者のカップへ触れていたことまで裏付けられた。
少なくとも、犯人が誰なのかという点については、疑う理由がない。
「じゃあ、これで決まりか」
ガレスはそう言って椅子の背へ身体を預けたが、その表情はどこかすっきりしない。
ユーリスはそれを見ていた。
「何かあるのか?」
「いや……」
ガレスは腕を組んだまま眉間に皺を寄せ、しばらく何かを考えてから口を開く。
「なんつーかな」
「なんだ」
「……なんか、そういう感じに見えねぇんだよな」
リディアが瞬きをした。
「そういう感じ、とは?」
「それがわかりゃ苦労しねぇよ」
ガレス自身、上手く説明できないのだろう。しばらく考え込んでから頭を掻き、言葉を探すように視線を彷徨わせた。
「昨日、俺も直接話したんだよ。あの侍女と」
「はい」
「主人が憎かった。殺したかった。だから毒を盛った。言ってることは一貫してるし、別に怯えてる様子もなかった。言い訳もしねぇし……自分がどうなるかもわかってる」
「なら、何が問題なんですか?」
「だから、それがわかんねぇんだって」
ガレスは苛立ったように言ってから、少しだけ黙った。
「ただ……妙に落ち着いてんだよな」
「落ち着いていた?」
「ああ。捕まって観念したって感じとも違うし、開き直ってる感じでもねぇ。主人を憎んで九年仕えて、とうとう殺そうとした女っていうより……」
そこで言葉が止まった。
ガレスは何かを探すように再び視線を彷徨わせたものの、結局それ以上は出てこなかったらしく、諦めたように息を吐く。
「……わからん。忘れてくれ。ただの勘だ」
リディアは何とも言えない顔をしたが、ユーリスは何も答えず、もう一度机の上の資料へ視線を落とした。
主人を憎んでいた。
殺すつもりだった。
毒の量は知らなかった。
侍女本人がそう供述している。
物証も、魔力痕も、その女が犯人であることを示している。
何もおかしくはない。
そのはずだった。
その後もいくつか確認事項を詰めたものの、新たな疑問が出ることはなく、毒物の種類、入手経路、混入された場所と時間、侍女の魔力痕、そして本人の自白と、騎士団と宮廷魔法局がそれぞれ別の方向から調べた結果は、すべて同じ一人の人間を指していた。
少なくとも、誰が毒を盛ったのかという点については、これ以上調べる必要もないだろう。
「では、第三室からの報告書は本日中に提出します」
「ああ。頼む」
リディアが資料をまとめ、それを合図に会議は終了した。
三人で会議室を出ると、廊下を歩きながらガレスは回収した資料へ目を落とした。
「……こいつが正式に証拠として承認されたら、刑の執行は一週間後か」
独り言に近い声だったが、誰からも返事はなかった。
王宮内で貴族令嬢に毒を盛り、しかも本人が犯行を認めている。幸い被害者は一命を取り留めたとはいえ、それで罪が軽くなるわけでもなく、正式な手続きを経れば、侍女には死罪が言い渡されることになる。
「…………」
なんとなく、空気が重い。
少なくともガレスには、そう感じられた。
別に自分たちが刑を決めるわけではないし、犯人に同情しているわけでもない。それでも、あと一週間で一人の人間が死ぬとわかっていて、明るい気分になるものでもなかった。
ガレスは資料を脇へ抱え直すと、少しばかり空気を変えるつもりで話題を変えた。
「そういや、お前ら」
「なんだ」
「ノエルがいなくなって二週間くらいだろ。大変なんじゃねぇのか?」
「いや」
ユーリスは即答した。
「特には」
「私も、業務上の支障はありません」
リディアまで淡々と答えたので、ガレスの眉がぴくりと動いた。
「……お前らなぁ」
なんだ、その言い草は。
ノエルがいた頃には、書類の確認だの、他部署との連絡だの、茶だのと、何かにつけて世話になっていたくせに、特にこいつらは、もう少しくらい寂しがっても罰は当たらないだろう。
一言くらい言ってやろうと口を開きかけたところで、ユーリスが何でもないことのように続けた。
「本人も、ザーレンでの仕事については充実していると言っていた」
「……ん?」
ガレスが足を止め、リディアも僅かに顔を上げる。
「なんでお前が知ってんだ?」
「本人から聞いた」
「いつ」
「昨日」
「昨日?」
「ああ。対話水晶で話した」
あまりにもさらりと答えられたので、ガレスは何度か瞬きをした。
「……お前ら、連絡取ってんのか?」
「取っている」
「そうか」
なんだ。
意外とちゃんと友達なんだな。
何故か少しだけ安心してしまった。
普段のユーリスを見ていると、人間関係というものを必要最低限の連絡事項だけで済ませていそうに見えるが、少なくともノエル相手にはそうでもないらしい。
「昨日は雪が降ったと言っていた」
「もうですか?」
今度はリディアが反応した。
「ああ。ザーレンでは初雪らしい」
「……そうですか」
「体調にも問題はない。仕事も、近いうちに一人で見回りを任されると言っていた」
「随分馴染んでるみたいだな。まぁ、あいつなら人付き合いは心配ないか」
「ああ」
ユーリスは頷く。
「村の人間とも上手くやっている。子供たちにも懐かれているようだ」
「…………」
リディアは隣を歩くユーリスを見た。
少しだけ、妙だった。
昨日少し話したというだけにしては、随分と詳しい気がする。
「ヴァレンベルク先輩」
「なんだ」
「ザーレンの様子を、直接ご覧になったんですか?」
「ああ」
「……え?」
「見た」
リディアが足を止め、ガレスも数歩進んだところで振り返り、そのままもう一度足を止めた。
「待て待て。お前、ザーレン行ったのか?」
「ああ」
「いつだよ」
「ノエルが着いた日の夜だ」
「なんで?」
「星が綺麗だと言っていたから」
「…………」
「…………」
二人分の沈黙が落ちる。
「? ……確かに綺麗だった」
ユーリスだけが、何もおかしいとは思っていない顔をしている。
「……それでザーレンまで行ったのか?」
「ああ」
「王都から?」
「他にどこから行くんだ」
「そういう意味じゃねぇよ」
ガレスは思わず額を押さえた。
馬車なら三日かかる距離である。もっとも、目の前の男にとっては距離など大した問題ではないのだろうが、それにしたって、友人から星が綺麗だと聞いて、その日のうちに見に行く人間はそういない。
隣を見ると、リディアは何も言わずに黙っていた。
「…………」
ノエルが無事に到着したことは知っているし、ザーレンで問題なく過ごしていることも今の話でわかった。それはよかったと思うし、自分が贈ったマフラーもきちんと使ってくれているらしいことも、少し嬉しい。
ただ。
ユーリスは直接会った。
昨日も話した。
「……そうですか」
なんとも言えない気持ちになった。
自分だって、《対話水晶》を使えば連絡することはできる。けれど、特に用事もないのに連絡をするのは迷惑ではないだろうか。ノエルは今、慣れない土地で仕事を覚えている最中なのだから、用もないのに声を聞きたいというだけで時間を取らせるのは違う気がするし、そもそも何を話せばいいのかもわからない。
だから、連絡をしようと思ったことはなかった。
なかったのだが。
「…………」
リディアはもう一度、隣を歩くユーリスを見た。
本人は相変わらず涼しい顔をしている。
別に、狡いとは思わないし、そんなことを思う筋合いでもない。
ただ、なんとなく。
口が勝手にへの字になるのを感じた。




