2-4
その日の夕食は、オリバーと二人で食べた。
北部でよく食べられているという根菜と肉の煮込みに、少し硬めのパン。派手な料理ではなかったが、三日間の移動を終え、そのまま村を歩き回った身体には妙に美味しく感じられた。
「美味しいですね」
「じゃろ?」
「オリバーさんが作ったんですか?」
「村の者からの貰い物じゃ」
「ああ」
「わしが作ったのはパンを切ったくらいじゃな」
「料理は?」
「できん」
「随分きっぱり言いますね」
「できんものはできん」
「ふふ」
食事をしながら明日以降の予定を聞けば、しばらくは今日と同じようにオリバーについて村を回り、仕事を覚えることになるらしい。
村人の顔と名前に家族構成、畑や家畜のこと、冬になると使えなくなる道や魔獣が出やすい場所、それから近隣の村や騎士団との連絡方法。
覚えることは、まだまだ多い。
「焦らんでいい。わしはまだしばらくここにおるからの」
「はい。よろしくお願いします」
「うむ」
オリバーが満足そうに頷く。
「それよりノエル君」
「はい?」
「オズワルド先輩は、今でもリコの実が好きか?」
「またお爺様の話ですか?」
「大事なことじゃ」
「引き継ぎより?」
「それとこれとは別じゃ」
真剣な顔で言われ、ノエルは笑った。
「好きですよ。昔から変わってないと思います」
「やはりか! アカデミーの頃もな――」
そこからしばらく、引き継ぎとはまったく関係のない話が続いた。
どうやらオリバーには、まだまだ話したい思い出があるらしい。ノエルにとっても自分の知らない祖父の話を聞くのは面白く、ついつい質問を挟んでしまうものだから、話はなかなか終わらない。
もっとも。
「そこでオズワルド先輩は『ふん、おもしれー女。気に入った、俺のもんになれ』と言ってリシャーナ嬢の手を取って――」
身内の黒歴史に近い話を聞かされるのは、相当いたたまれない気持ちにさせられたが。
「アカデミー時代のお爺様は……なんというか、傲慢を絵に描いたような方だったんですね。ご迷惑をおかけしました」
「いやいや! それがまた、そういう振る舞いがサマになるいい男なんじゃて。聞いてるわしらの方がドキドキしとったわい」
熱く語るオリバーだが、ノエルにはいまいちピンとこない。
「ちなみに、お婆様はその時なんと?」
「うむ、一言『はぁ』とだけ。あと手は布で拭いておったな。今思い出すだけで震えるほど迫力のある眼差しじゃよ。周りにいた女学生たちなど、全員リシャーナ嬢に夢中でな。ファンクラブもあった」
「僕の知っているお婆様と同じで安心しました」
少なくとも、祖母は若い頃から祖母だったらしい。
そんなやり取りをしているうちに、夜もすっかり更けていった。
◇
湯浴みを済ませ、オリバーに挨拶をしてから二階の自室へ戻ると、ノエルは小さく息を吐きながらベッドへ腰を下ろした。
「ふぅ」
長い一日だった。
朝はまだ馬車に乗っていたというのに、それからザーレンへ着き、オリバーと出会い、村を歩きながら結界を見て、最後には初めて支部の仕事までしたのだ。
「…………」
悪くない一日だった。
むしろ。
「楽しかったなぁ」
自然と、そんな言葉が口から零れた。
思い出すのは、ミラの笑顔だった。
薬草茶を美味しいと言ってくれて、少し楽になったと笑ってくれて、最後にはまた淹れてくれとまで言ってくれた。
ノエルは自分の手を眺める。
草を扱う自然魔術は昔から比較的得意だったとはいえ、それだけだ。ユーリスの空間魔術のように人々を驚かせるものでもなければ、リディアのように自然魔術全般を高い水準で扱えるわけでもない。
薬草の扱いが、少し得意。
ただ、それだけのことだった。
けれど今日、それが確かに誰かの役に立った。
「…………」
そう考えると、また少し嬉しくなってくる。
そのままベッドへ倒れ込みそうになったところで、ふと大事なことを思い出し、ノエルは勢いよく身体を起こした。
「あ」
連絡するのを忘れていた。
「ユーリス」
着いたら連絡しろ。
途中で何かあった時も、特に何もなくても一度連絡しろと、あれだけ念を押されていたのだ。
「危ない危ない」
鞄から《対話水晶》を取り出して魔力を通すと、水晶が淡く光り、ほどなくして聞き慣れた声が返ってきた。
『ノエル』
「こんばんは、ユーリス」
『遅い』
「あはは。ごめん」
『昼前には着くと言っていただろう』
「着いたのはそのくらいだったんだけど、いろいろあって」
『何かあったのか?』
「うん。いろいろ」
『怪我は?』
「してないよ」
『魔獣は』
「見てない」
『体調は』
「元気」
『そうか』
最後の一言だけ、ほんの少し声が柔らかくなった気がした。
「今日はね、着いてすぐ支部長さんと村を見て回ってたんだ」
『オリバー・セントか』
「そうそう。面白い人だよ。お爺様のアカデミー時代の後輩だったみたいで」
『オズワルド殿の?』
「うん。学生時代のお爺様がアカデミーの壁を吹き飛ばした話を聞いた」
『……そうか』
「驚かないんだ?」
『オズワルド殿ならやるだろう』
「僕もそう思った」
二人の認識は一致した。
「それから、村の結界も見てきたよ。今のところ問題はなさそうだけど、かなり古いものだから近々張り替えは必要みたい」
『そうか』
「あと、森が妙に静かだってオリバーさんが不思議がってた」
『森が?』
「うん」
ノエルは視線をサイドテーブルへ向ける。
そこには、部屋の灯りに照らされて淡く輝く銀色の指輪が置かれていた。
「間違いなく、指輪のおかげだろうって」
『そうか』
「アルヴェイン家の家宝なのかって聞かれたよ」
『なんて答えた?』
「よそのお宅のです、って」
『……ふ』
珍しくユーリスの笑い声が聞こえ、それにつられるようにノエルも笑う。
今日一日の出来事を誰かに聞いてもらえるのが思いのほか楽しいらしく、気づけば普段より口数が多くなっていた。
『アルヴェインの家宝なら、もっとわかりやすいだろう』
「どういう意味?」
『オズワルド殿が作ったものなら、八つでは済まない』
「……否定できないなぁ」
祖父なら嬉々として十や二十くらい重ねても不思議ではない。
「でも、村に魔獣が寄ってこないのは助かるよ」
『そうか。なら問題ないな』
「そうだね」
それで指輪の話は終わった。
「それでね。今日は仕事もしたよ」
『もうか』
「うん。腰を痛めたお婆さんが来てね。オリバーさんが身体を温めて、僕が薬草茶を淹れたんだ」
『ああ』
「関節とか神経の痛みに使われるものを何種類か混ぜて。もちろん、それで治るわけじゃないけどね」
『それで?』
「少し楽になったって。喜んでもらえたよ」
『そうか』
「うん」
今日のことを思い出すと、また自然と頬が緩んだ。
「なんかね、嬉しかったなぁ」
『……』
「第三室でもお茶はよく淹れてたけど、それとはちょっと違って」
『……』
「自分の魔術を使って、仕事で誰かの役に立てたのって、ほとんど初めてだったから」
『そうか?』
「うん。僕の魔術って、宮廷で役に立つようなものじゃないし」
『そんなことは――』
「あ」
ユーリスが何かを言いかけたところで、ふと窓の外へ目を向けたノエルは、そのまま言葉を失った。
『どうした』
「星」
立ち上がって窓辺へ寄ると、視界いっぱいに夜空が広がる。
「すごい……」
王都でも星は見える。
けれど、まるで違った。
空を埋め尽くすような無数の光が、手を伸ばせば届きそうなほど近く、そして一つ一つ驚くほど鮮明に輝いている。
ラザが出発前にかけた魔術も効いているのだろう。
「うわぁ、綺麗だなぁ……」
『星が?』
「うん」
ノエルは窓辺に手をついたまま、しばらく夜空を見上げる。
「ユーリスにも見せたいくらい。所長が《星の聖地》なんて呼んでた理由、ちょっとわかったかも」
『……』
「これは来たがるだろうなぁ」
『ノエル』
「ん?」
『少し待て』
「え?」
それだけ言って、水晶から声が消えた。
「…………」
ノエルは何度か瞬きをする。
「どうしたんだろ」
不思議に思いながら水晶を机へ置こうとした、その時だった。
部屋の中央、何もなかったはずの空間がわずかに歪み、見覚えのある魔力が満ちていく。
「……あ」
揺らいだ空間に光の粒子が散り、ヴェールをくぐるように銀色の髪が現れたかと思えば、次の瞬間には、つい先ほどまで水晶越しに話していたはずの青年がそこに立っていた。
「…………」
「…………」
さすがに少し驚いた。
けれど、それもほんの一瞬のことだった。
「ふふ」
ノエルは笑う。
「いらっしゃい、ユーリス」
「ああ」
まるで隣の部屋から来たような返事だった。
ノエルは《対話水晶》を机へ置く。
「直接話した方がいいと思った?」
「その方がいいと判断した」
「そっか」
相変わらずだなぁ、と思う。
けれど、ユーリスがこういう人間なのは今に始まったことではない。
そこでふと疑問が浮かび、ノエルは首を傾げた。
「あれ。でも、ユーリスってザーレンに来たことないよね?」
「ああ」
ユーリスの瞬間移動は、一度訪れた場所ならほとんど誤差なく移動できるが、地図でしか知らない場所では、ここまで正確に位置を指定することは難しかったはずだ。
「…………」
少し考えて、ノエルはサイドテーブルへ目を向ける。
「もしかして、指輪の魔力を座標にした?」
「そうだな」
「そういうこともできるんだね」
「自分の魔力なら、位置を正確に捉えられる」
「うーん……理屈としてはわかる気がするけど、理論の想像はつかないなぁ」
こういう時、ユーリスは求められない限り自分から説明をしない。そしてノエルも、わからないものを無理に理解しようとはしない。
必要なら聞くし、必要なら答える。
そのくらいの距離が、二人にはちょうどよかった。
「じゃあ、せっかく来てくれたことだし、星見る?」
「そのために来た」
「ふふ。そっか」
ノエルが窓辺へ戻ると、ユーリスもその隣へ立ち、二人で同じ夜空を見上げた。
「…………」
しばらく黙っていたユーリスの横顔を少しだけ見て、ノエルは笑う。
「どう?」
「……綺麗だな」
「でしょ?」
「ああ」
それだけの会話だった。
けれど、なんとなく嬉しかった。
「王都じゃ、こんなに見えないよね」
「そうだな」
「所長に見せたら大変だろうなぁ」
「永住すると言い出しそうだ」
「僕もそう思う」
ノエルは笑いながら、今日一日のことをもう一度話した。
初めて会った人たちのことや、オリバーのこと、村のこと、仕事のこと、それからミラが笑ってくれたこと。
ノエルが思いつくままに話せば、ユーリスはいつものように静かに聞いていた。
水晶越しでも同じ話はできるはずなのに、同じ場所で同じ夜空を見上げ、自分が綺麗だと思ったものを友人も綺麗だと言ってくれることが、ノエルには思っていたよりもずっと嬉しく、楽しく感じられた。
「ユーリス」
「なんだ」
「来てくれてありがとう。今日のこと、本当は僕も直接話したかったみたい」
「……ああ」
ユーリスは短く答え、再び満天の星空へ視線を向けた。
けれど、その目が一度だけ隣へ向く。
楽しそうに今日の出来事を話すノエルの顔は、水晶越しでは見ることができなかった。
星が綺麗だと、ノエルが言った。
ならば、自分も同じものを見てみたいと思ったし、楽しそうな声を聞いて、その顔を直接見たいとも思った。
それだけだ。
少なくとも、それだけでユーリスがここへ来る理由としては十分だった。
「お前まで、永住すると言い出すなよ」
「えぇ? 僕、所長みたいに星に夢中になりそうかな? 確かに綺麗だけど……」
「……いや。今のは忘れていい」
「そう?」
「ああ」
ノエルは不思議そうにしながらも、それ以上は聞かなかった。
それからも二人はしばらく窓辺に立ち、時折星を見上げながら、とりとめのない話を続けた。
明日からの仕事のことや、王都を出てから食べたもの、オリバーから聞いた祖父の昔話、それから第三室で今日あったこと。
話題が途切れれば黙って星を眺め、何か思い出せばまた話し始める。
王都を離れてから、まだほんの数日しか経っていない。
それなのに、こうしてユーリスと話していると、第三室で過ごしていた時間が妙に懐かしく感じられた。
「そういえば、ユーリス。明日も仕事だよね?」
「ああ」
「大丈夫? もう結構遅いけど」
「そろそろ戻る」
ユーリスが窓の外から視線を外す。
「やっぱり帰るんだ」
「ああ。明日は朝から会議がある」
「それなのに来たの?」
「問題ない」
「ユーリスがいいならいいけど」
ノエルは苦笑する。
王都からザーレンまでは、馬車なら三日。
それだけの距離を、星を見るためにやって来て、「明日は朝から会議があるから」と今から帰っていく。
改めて考えればとんでもない話なのだが、ユーリスにとっては少し遠くまで友人に会いに来た程度の感覚なのかもしれない。
「じゃあ、気をつけてね」
「……瞬間移動だぞ」
「それでもだよ」
「そうか」
「うん」
ユーリスは何かを考えるように一瞬黙ってから、小さく息を吐いた。
「ノエル」
「ん?」
「また連絡しろ」
「するよ」
「忘れるな」
「今日は忘れかけたけど、明日からは大丈夫」
「信用できないな」
「酷いなぁ」
ノエルは笑った。
「でも、わかった。ちゃんと連絡する」
「ああ」
「ユーリスもね」
「俺も?」
「僕ばっかり連絡するのも変でしょ?」
「…………」
「嫌?」
「いや」
少しだけ目を細めてから、ユーリスは頷いた。
「わかった」
「うん」
それからユーリスは部屋の中央へ移動し、ノエルもその背中を追うように数歩だけ歩いた。
ほどなくして周囲の空間がわずかに揺らぎ、銀色の髪の周囲に淡い魔力の光が浮かび始める。
「それじゃあ」
「ああ」
「おやすみ、ユーリス」
「おやすみ、ノエル」
光の粒子が散った次の瞬間には、そこにあった銀色の姿は跡形もなく消えていた。
「…………」
急に静かになった部屋の中で、ノエルはつい先ほどまでユーリスが立っていた場所をしばらく眺め、それから小さく笑う。
「本当に来たんだなぁ」
水晶で話していたと思ったら、「少し待て」と言って、その直後には王都からザーレンまで飛んできたのだ。
相変わらず、ユーリスのすることは時々すごい。
けれど、それ以上に。
「……嬉しかったな」
そう呟いて窓を閉めると、それまで部屋へ入り込んでいた冷たい風が遮られ、辺りがしんと静まり返る。
ザーレンの夜は寒い。
まだ雪すら降っていないというのに、王都とは比べものにならないほど空気が冷えていて、これから本格的な冬になれば、きっと今夜など比べものにならないほど寒くなるのだろう。
ノエルは灯りを落とし、冷えた身体を包み込むように毛布を引き上げながら、今日一日の出来事をぼんやりと思い返した。
慣れない土地へ来て、初めて会う人たちと言葉を交わし、初めて村を歩き、初めての仕事をして、自分の魔術で誰かの役に立てた。
そして一日の最後には、遠く離れたはずの友人が会いに来てくれて、同じ星を見ながら他愛もない話をした。
「…………」
目を閉じれば、ミラの笑顔と、窓辺に立つ銀色の髪が浮かんでくる。
明日からも覚えることはたくさんあるだろうし、上手くできないことだってきっとある。
それでも。
「明日も、頑張ろう」
小さく呟いて、ノエルは目を閉じた。
窓の外では、凍えるような北の夜空に無数の星が瞬いている。
王国北端のザーレン。
その初めての夜を、ノエルは不思議なくらいあたたかな気持ちで眠りについた。




