【イベント】『狐の嫁入りなんて猫には関係ありません』プロローグ
伝承や噂には色々とある。
何かの生き物が何回泣いたら明日は雨になるとか、年明けの夢に何を見れば縁起がいい、とか。
その中には恋に纏わるものも多数ある。
晴れているのに急に雨が降ったらどこかで嫁入りした者がいるんだろう、とか。
一定の年月に婚約した者は幸せになる、とか。
そう、今はその時期にあたる。
「雨でも降ってくれたらな~」
私にとっては縁起のないものに変わりはないが人間の噂を信じるなら降ってくれた方が都合がいい。
長いこと出会いがない。
しばらく自分と気の合う異性と会ったことがない。
そう、私にとっては死活問題なのだ。
あまり悠長に構えていると旦那様がいないまま歳ばかり重ねて二度と愛されることはないだろう醜い姿になる。私はその屈辱に耐えられない。
故に急ぐのだ。
若く美しい今のうちに、と。
これでも自分の見た目には自信がある。
傷一つない耳、汚れなき大きな尾に手付かずを守り続けてきた綺麗なままの身体。
きっと私を選ぶ者は幸せになってくれるだろう。ならなくても私が幸せにしてあげようとさえ思う。
だが、誰一人見向きもしない。
あまつさえ私を奇異の目で見ては恐れるように離れていく者ばかりだ。
「私の価値に気づけない殿方なんて燃やしてしまおうかしら」
そうすればきっと骨のある殿方だけが残ってくれる。
いや、そんなことをして鬼嫁だなどと言われれば私の面子など無いも同然。それでは嫌われてしまう。
諦めて今日も同じ宿に戻ろうと踵を返しかけた時、私は同じように奇異の目を向けられている少女を目撃した。
「……惨めだ」
滑稽というか、ほんと惨めという言葉がしっくり来る。
耳はそれなりに整えられているように思えたが尾は細く先がボサボサで手入れが行き届いていない。
そればかりか小さな身体を恥ずかしもうともせず露骨に小さいということをアピールするように背伸びをして屋台の人間と話している姿は無様にもほどがある。
きっと、あの少女も一人なのだろう。
故にああして人間に食い物を媚びなければ生きていけないのだ。
「そこの哀れな猫さん? もしよければ恵んであげないこともないけれど」
「にゃ? おじさん、その串焼き一本おまけして」
「ちょっと無視!? 自分の手入れもできない駄猫は会話すらできないと言うの?」
その猫は屋台の男から二本目のミノタウロス肉の串焼きを受けとると嬉しそうにかじりつく。
私にはその様が余計に腹が立った。
「おい、エル……何してんだ?」
「あ、ご主人。あの人がいじめてくる」
そういう女なのか。
卑しい性奴隷という身分でありながら身体という価値のために守ってもらえることを利用して自分は然も特別でありますかのように振る舞う最低の女。
私はプライドのない女は嫌いだ。
助けを呼ぶと言うのなら少女を性奴隷にしている下らない男を焼き払った上で怒ってやるんだから…………?
なんでこんな化け物が街中を歩いてるの?
「俺の飼い猫に何か用か?」
「あ、いや……あなたの奴隷は躾がなってないから指導していたところで」
「へえ……? じゃあ、俺の飼い猫は躾がなってないから飼い主の俺に責任があると言いたいわけだな?」
どうしてこうなるの?
見た目ばかりで弱そうな小さい女の子を性奴隷にしているのだから雑魚みたいな男だと思っていたのに睨まれただけで粗相をしてしまいそうなほどの威圧感だ。
そして、私がその男に喧嘩を売ったみたいになっているのは何故?
私は被害者なのに。
「残念だが俺は躾てるつもりだ。そりゃ毎晩のように可愛がってるし反抗的なことはしないはずなんだけどな」
「ず、随分と堕落した男なのね! ここ、こんな小さな女の子を毎日のように痛め付けて楽しむなんて!」
「ちょっと面貸せよ。てめえには少し一対一で話をしなきゃならねえことがありそうだな」
どうせ乱暴なことでもするつもりでしょう!
そういう娯楽本のように!
「別についてこなくてもいいんだぞ。その時はエロ狐が俺の猫を性的な目で見て虐めたと言いふらして回るだけだ」
「誰がそんな戯言を!」
「試すか?」
どうして?
あなたの見た目は文字通りの化け物でそこにいる猫の少女よりも奇異の、恐怖の目を向けられてもおかしくない身体をしているのに、どうしてそんなに自信があるの?
もしかしてこの男、既に国そのものを支配している?
「この国なら余所者のお前の言葉より俺の言葉を皆は信じる。まだ俺がここで暮らし始めた頃なら逆だっただろうけど今はなるわけがない」
「ず、随分な自信ね。私が悲鳴をあげて人を呼んでもその自信は揺るがないのかしら」
「くくくっ、やってみろよ。被害妄想真っ盛りのエロ狐なんて誰も相手しねえよ」
「さっきからエロ狐エロ狐と私を馬鹿にして……!」
「だって本当のことだろ? 俺の猫に性的な視線を向けてたのは知ってるぞ?」
ちがう。
私はその猫を哀れだと思って見ていただけで……。
「それにお前は飼い猫の意味を違えてる」
「年端のいかない少女を奴隷にしていたら間違いなく男はそういうことをするでしょ!」
それは今も昔も変わらない。
普通に生きている少女たちには手を出せずとも枷と怯えという鎖に繋がれた少女相手なら遠慮しない。
だって、そのための道具と言い張れば誰も手出しできないのだから。
私が居た場所と何一つ、変わらない……。
「おい、エルをそれ以上に侮辱するつもりなら俺は今からでもお前を喰らうぞ?」
「どうしてその子を侮辱したことになるの? あなたに向けた言葉なんだけど」
「俺はエルの全てに惚れたんだ。こいつの顔に、身体に、耳に、尻尾に、声に、反応に、性格に……考えられる全てにおいてこいつ以外にないと考えてこの猫にしたんだ。それを奴隷……ふざけるのも大概にしろよ。奴隷になんかするくらいなら嫁にしたいって気持ちが分からないのか?」
え……?
だって、あなたは何回もペットと呼んで……。
「この世界じゃペットは愛称だ。奴隷や召し使いのような従属の関係にある人間に充てたものじゃない。愛しい家族に対する愛称なんだよ!」
「だとしてもあなたは変態ってことじゃない!」
「エルも俺も大人だぞ」
「冗談はやめてくれない? そんな小さい子が大人なはずはないし化け物だって自覚はないの?」
「ヴゥゥゥゥッ!」
今度は猫の方が怒り始めた。
「ご主人を化け物呼ばわりするな!」
「な、なんなのよ……!」
「…………ちっ。もう一度だけ言う。てめえの面を貸せ。茶菓子くらいは出してやる。嫌なら二度と俺たちの前に姿を現すな。事情を知らないにしても不愉快だ……!」
もしかして私は踏み込んではいけないところを……。
そう考えるとひどく申し訳ないことをしたのかもしれない。
私は謝罪をしなければいけないと思いつつ今はどちらも取り合ってくれはしないと理解して俯きながら二人についていくことにした。
きっと私はこの男に守ってきた純潔を散らされるのだろう。
私の物語はここが始まりだった……。




