第167話 ケジメ
「名前は、『箱入り娘』」
「……チョコレートボックスか。良い名前だな」
良い名前とは言ったが、神原はチョコレートが得意ではない。
恋人が自分の苦手な食べ物を能力名に含んだことは些か複雑な気分だ。
逆に言えばチョコレートだから能力が効かないと言える。
羽原ののの『一時の邂逅』も同様の理由だろうか?そんな不誠実なことをやる気はないし、もうやらなくても一緒に過ごす相手は既に見つかっている。
(名前…ってことはないだろうな。たまたまだ。その理屈だったら超能力嫌いの俺は全ての『超能力』が効かないことになるからな)
「……伊武君の『超能力』が効かない…とはな」
代償を負う能力…だけではないと思っていたが、雪華と同じく無効化の力を持っていたとは、想像以上に便利な能力のようだ。
これだけの力を持っていてなお『超能力』を嫌悪しているのは、それを差し引いても不要ということなのだろう。
『超能力』を捨てようとしているのは現状奈津緒だけだ。
『超常の扉』さえも破壊しようとしている。
彼だけが唯一『超能力』をあってはならないモノと見ている。
そんな彼の周りに強い『超能力者』が増えてきているのは、一体全体どういう皮肉なのだろうか……。
「…なっちゃ〜ん〜、伊武さ〜ん〜。そろそろ能力解いてよ〜」
十分見せられた。急ぐ必要はないが、少しばかり嫉妬が入ってしまったので早く終わらせて次に進めたかった。
後発の祥菜が凄い能力を身に付けて帰ってきたことが麦島には羨ましいのだ。
今日だけで散々振り回されている。
奈津緒の壁の高さを痛感し、祥菜にもスタートダッシュで出遅れた。
ドクターはあぁ言ってくれているが、それでも綺麗さっぱりとはいかない。
だがそれを2人に見せてはいけないという理性も働いている。
せめぎ合いは何とか理性が勝っているが、ひょんな拍子で均衡は崩れてしまうかもしれない。
次へ進みたい。
役に立てると証明できる次のステージへ行かなくてはならない。
ここにいたら、走り出せない。
♢♢♢
音はないが、祥菜の周囲がなだらかになっていくのを感じる。
見えない壁は取り払われ、麦島は恐る恐るといった様子で奈津緒らに近づいた。
「…はぇ〜、『箱入り娘』〜。あぁ〜…」
神原がチョコが苦手であることを思い出した麦島であったが、ここでそれを口にするとややこしいことになるのでうっかり滑らせないように口を塞いだ。
「…名前を付けたことで、心境の変化はあったか?」
「………自分のモノなんだなって気持ちになりました。愛着と言うには愛すべきモノじゃないけど…」
「それで良い。能力をモノにして初めて『超能力者』として成長していける。その才能を大事にしなさい」
「才能?首輪の間違いじゃなくって?」
「首輪〜?」
またも伊武の空気が変わった。しかしこれは『箱入り娘』ではない。彼女本来の気迫によるものだ。
「奈津緒君、麦島君。ドクターから聞いた?『超能力者』の致命的な弱点について」
「弱点?そんな話は聞いてないけど。お前はさっき聞いたのか?」
「いや〜、相談は聞いてもらったけどそういう話は〜……」
「奈津緒君にも言ってないんだ………。奈津緒君、こいつと取引なんて今からでも遅くないから破棄しちゃおうよ」
首輪から始まって祥菜がどんどん険悪になっていく。重要な情報を伝えていないことによるものらしいが、奈津緒達には見当が付いていないためどう声をかけて良いか分からない。
「伊武さんストップ〜。まずちゃんと説明を聞かせて〜。首輪って何のこと〜?」
「待った麦島君。ちゃんと私の口から説明する」
そしてドクターは重要な情報を2人に伝えた。
『超能力者』の致命的な弱点。
再度『超常の扉』を受けると死んでしまうということを———
「もう一回食らったら……死ぬ………確実に〜?」
これから先は命が懸かった争いになる。役に立つためにその戦いに身を投じることに躊躇いはないし、市丸との戦いで逃げなかったために『超能力者』になったことにも一切の後悔はなかった。
しかし、即死となればその強い信念が揺らいでしまう。
祥菜が首輪と言ったのも頷ける。見えない首輪が掛けられている。不意打ちで『超常の扉』を食らってしまえばその瞬間に命が消える。
ドクターが使うことはないが、『超常の扉』が奪われて複製能力者によって大量生産されてしまったら………
非能力者が能力者に勝つには能力を得るしかない。
だが能力者になれば即死攻撃のリスクを背負い続けることになる。
現状ドクターの持つ1つしかないから成り立っている安全だ。
超能力者に確実に勝てるスペードの3。奈津緒のような能力に価値を見いだせない者も、この強力な手札を手に入れるためなら『超常の扉』を狙って来るだろう。
「………麦島、俺から離れろ」
「えっ〜?う、うん〜」
奈津緒の表情は変わらない。即死のリスクを聞いてもなお奈津緒はいつも通りだった。
思うところはあっても顔に出ない。出るのは手と口だ。
ガシッ
神原がドクターの肩を掴み取ると、掴み取った勢いのままに神原は前方に倒れ始めた。
掴まれているドクターからしたら後方に倒れようとしていることになる。
ドクターが体勢を立て直そうと足を後ろに下げようとした瞬間に神原がドクターの膝裏に対して軽く蹴りを入れた。
ガクンッ
重心が後ろに下がって足が体重を支える力が高まっているタイミングで膝を曲げる行為。
一気にドクターのバランスが崩れた。
バダンッ
ドクターは背中から地面に倒れた。
「ガハッ」
一瞬だけ呼吸が出来なくなった。
神原が力任せに振るったわけでもなく、麦島を移動させた時も怒鳴ったわけではない。
ごく自然な言い方で移動してもらった後にドクターに近づき、ドクターが身構えることもなく神原が近づくのを見ていた中での不意の転ばしだ。
ドクターもこの秘密を伝えなかったことによる罪悪感。一発ぶん殴られるくらいの覚悟があったが故にモロに食らうことになってしまった。
これが秘密を伝える前であれば、『確実達成』を使わずとも何か仕掛けてくることを察知して白衣を掴ませるということはさせなかっただろう。
奈津緒はドクターを転ばせると馬乗りになった。
しかし神原はドクターの顔とは反対方向に騎乗した。
「祥菜、前言撤回だ。こいつ一発シメる。『箱入り娘』を全開放しろ。これから病院に行くんだ。ぶっ壊すつもりでやれ」
「なっ、何をするつもりだ!」
「分かった」
ブワッッッッッッッ
ドクターの問いに答える者はなく、祥菜も恋人の言うがままに能力を発動させた。
仕方ないと割り切ってはいても、爆弾を植え付けたことに対する罰は受けなければならない。
奈津緒に言ってないということは、『認識誘導』の義晴や『幌谷の白ウサギ』にも自分から伝えていないはずだ。
「ガッッッッッッ、止めてくれ。この至近距離は流石に……」
『箱入り娘』のバリアーはドクターを簡単に弾き飛ばすだろう。
ここは屋外。吹っ飛ばしを阻む壁がないため射程距離外まで飛ばされて終了のはずだが、神原が馬乗りになってドクターを押さえつけているせいで吹っ飛べない。
そして奈津緒は『箱入り娘』が効かないため吹っ飛ぶこともない。
祥菜が近づくほどに地面にめり込み続けるしかないのだ。
「なっちゃん〜!」
即死のリスクを植え付けたドクターに対して思うところはあっても、これからの関係性を考えれば拳を引っ込めるしかないのだが、奈津緒と祥菜は止まらない。
2人を止めたいが、『箱入り娘』によって近づくことが出来ない。
シメるという言い方からしても殺したりするつもりはないのだろうが、同級生達が『超能力』という暴力装置で大人を圧倒しているのは見ていられなかった。
「………祥菜、もういいぞ」
もうドクターから抵抗の声は聞こえない。既に気絶してしまっている。
「うん……何回か使ったおかげでオンオフに掛かる時間が短くなった気がする」
祥菜も気絶したドクターのことなどお構いなしに自身の『超能力』について奈津緒に話している。
「殺してやりたいところだが、それは全部終わってからだ。かと言って秘密に対して無罪放免というわけにもいかない。俺の不意打ちを食らったってことは本人も罪悪感があったんだろ。これでお前らを『超能力者』にした件は一旦チャラだ。comcomや白ウサギからもケジメは受けることになるだろうが、こいつの撒いた種だ。自業自得だな」
自分を正当化させるための言い訳のようにも聞こえるし、ドクターへ寄り添ったが故の行動のようにも聞こえる。
「…祥菜。大丈夫か?怖いなら怖いと言って良いんだぞ」
即死のリスク。女の子が背負うには重すぎる代償だ。
「…大丈夫。納得はしてないけど理解はしてるから」
「………そうか。麦島、お前も大丈夫か?こればっかりは弱音を吐いても良いんだぞ?」
(………あぁ〜、ケジメのためでもあり〜俺らの不安感を発散してくれてたのか〜……)
99%は私情が挟まっていそうではあるが、奈津緒と祥菜がドクターをボコボコにしたことで幾分かの溜飲は下がった。
恨みとかをぶつける発想は消え失せてしまっていた。
「大丈夫だよ〜。ありがとう〜」
だとしても急にドクターを嵌めたのは正直怖かった。
前言撤回と言っていたから、最初に能力を解く前にやり返そうとしていたらしい。
おそらく今後の協力関係のために思い止まったようだが、秘密の露呈によってやっぱりシメることにしたようだった。
「……でもドクターのびちゃってるよね〜。どうするの〜?」
「元々櫛灘病院に行くつもりだったんだ。ドクターも治療してもらおう。とりあえずこいつの身ぐるみ剥いぢまうぞ」
やってることが山賊であるが、櫛灘病院の人間に『超能力』に関するモノを見られるわけにはいかない。
「……へぇ、これが……」
言葉ばかりでちゃんと実物を見るのは初めてかもしれない。
神原の手に『超常の扉』が握られていた。
警察官の持つ警棒のような形状だ。
よく見ると小さいが手元にガラスのような物が5つ付いている。
ランプの役割を果たしているようで、5つのランプで白く灯っているのは1つだけだった。
「超常の扉1個で5人分らしいから、ラス1で間違いないな」
これから放たれる電気を浴びたらここにいる全員が死んでしまう。
それを躊躇いなく握れて観察できる神原は異常側に立っていると言わざるを得なかった。
「麦島と祥菜とcomcom側と白ウサギ側で4人分…………………ん?」
「? どうしたの?」
「…………………いや、数はちゃんと合ってるなって思っただけだよ」
「使った数が分かるようにしてるなんて…自分で発明家とか言ってたけど自称じゃないみたいね…」
引っ掛かりを覚えた神原であったが、ここで話を広げることはしなかった。
神原自身が考えがまとまっていないからというのもあるし、肝心のドクターが気絶していてこの場で聞けないというのもある。
後で聞き出そうと決めた神原であったが、今日の怒涛の展開やこれからの方針のことを考える内に、その事が頭から抜け落ちてしまう。
神原が再びこの引っ掛かりを思い出す時は来るのだろうか?
「あれっ〜?これなんだろう〜?」
麦島は白衣のポケットから何かを取り出した。
「……色の付いた球?……ドクターの発明か?」
「みたいだね。私を球に収納したりしてたみたいだし下手に触らない方がいいかも」
「なんだそりゃ、通信交換できそうだな」
「誰とするんだよ〜」
「一応櫛灘さんに見られないように俺らで持っておこう。麦島、頼んだ」
「オッケ〜。後は……スマホが3台と……財布だね〜」
「通信量が云々言っておきながら複数台持ちかよ」
玉ばかり携帯しているようで目ぼしい物はない。祥菜の言う収納する球に全部入れ込んでいるのかもしれないし、俺に会うだけで軽装なのかもしれない。
「さて、財布か。ドクターの本名くらい知っておきてーが、住所ないのに身分証は作れないか…」
「運転免許証〜、マイナンバー、保険証〜。…ホームレスってそこら辺どうしてるんだろうね〜?鬼束達に聞いてみる〜?」
「豊橋刑事に聞いた方がいい。鬼束達は特殊だからな。………ちっ、公的な物は持ってねーな。後はしこたまの現金。カードも作れないなら現金しかないわな」
「でもスマホは持ってるんだね。SIMって住所無くても取れるのかな?」
「他の人のを使ってるのかもね〜。鬼束や時雨ちゃん以外に協力者がいるとは思えないけど〜」
「いたら真っ先にそいつを『超能力者』にしてるはずだからな…………ん?これなんだ?」
カード類はないが、カードポケットに何か入っている。
「……写真…だね」
「古いね〜画質が荒いな〜。子供の頃の写真がこんな感じだったな〜」
「なら10年くらい前か……。俺が能力者にされたのも10年前だ」
「あっ、見て!真ん中の女の人。妊娠してるみたい。お腹が膨らんでる」
画質は悪いが確かに浮き出ているのがよく分かる。
「ほぼ全員が白衣を着てる……。ドクターは………右端の人だな」
奈津緒が指で示した人物を確認する2人。
「ああ〜ぽいね〜。でもなんかだらしない格好に見えるよ〜」
「奈津緒君タイプなんでしょ。オンオフがあるみたいな」
「……同類扱いされるのは我慢ならんな」
1番嫌いな男に似ていると言われて喜ぶ奴はいない。
「真ん中の女性含めてドクター以外は知らん奴ばっかりだな。羽原ののとかもいねーし」
「真ん中の人の送別会かな〜。寿退社みたいな〜?」
「そうかも。でもなんでこんな写真をずっと持ってるんだろう?」
昔に思いを馳せるような男ではない。むしろ未来のために戦っている男だ。
ここにいる連中が隕石能力者や薬物能力者の一味なのだろう。
敵対していても何か思うところはあるのかもしれない。
「この写真も見せない方がいいだろう。財布は祥菜が持っててくれ」
「う、うん。分かった。………私達何かしら荷物持ってるけど、こいつはどうやって運ぶの?」
麦島なら背負えるだろうが、その体力を麦島は有していない。
緑地からドクターを動かせなくなっていた。
「……なるほどそういうことね〜。冷めやらぬ内にまた使うの〜?」
「使えるもんは使えって言ったのはお前だぞ。返済手伝ってくれるんならボタンを押すハードルも2分の1だ」
神原はポケットから小さな機械を取り出した———
♢♢♢
———櫛灘病院
「では我々はこれで失礼します」
「こちらこそ、ご協力ありがとうございます」
「…それを持っている限り、桝飛セキュリティサービスはいつでも馳せ参じます」
ブロロロロロ
ワンボックスカーが去って行った。
「…桝飛って、私の護衛をしてた会社だよね?」
「そうだよ〜。今日の駄愚螺棄の件で色々と協力してもらったんだ〜。なっちゃんが持ってるデバイスもその時に貸してもらったの〜」
「いつでも桝飛の人間を使うことが出来る……ファミレスの呼び鈴みたいなもんだな。これ持ってなかったらケジメを付けれなかったから、借りてて良かったよ」
「私も桝飛の人達にちゃんとお礼を言わないと…」
「直に会えるからそん時言えばいいさ。麦島、先生を呼んできてくれ。担架もセットな」
「りょーかい〜。…時雨ちゃんびっくりするかもね〜」
そう言って櫛灘医師を呼びに行った麦島。
「……時雨ちゃんがここにいるの?」
「大人しくしてればな。自分の『超能力』の方向性について模索だ」
(そっか…奈津緒君は能力が使えなくなったことを知らないんだ…)
時雨が『瞬間移動』を失ったのは今朝のことだ。
おそらくは奈津緒らと別れて自分の『超能力』と向き合う内に分からなくなってしまったんだろう。
心に傷を負った状態では『超能力』が不安定になる。
超能力に精神面が求められるのはしっくりこないが、我を忘れて能力が暴発するのは自身の経験で知っている。
心と超能力は繋がっている。
「…….ふぅ、君達ねぇ。面倒ごとを持ち込みまくってからにぃ…。ここを曰く付きの病院にするつもりかい」
櫛灘医師が担架を持ってやって来た。
麦島が戻って来たかと思ったら、急病人を連れて来たと言われたため駆り出されたのだ。
「申し訳ありません先生。ですがこの病院…というよりこの土地が曰く付きなのは事実ではないですか?」
櫛灘病院が建っているこの場所は、館舟の再開発に立退地域に指定されたと櫛灘は言っていた。そしてその再開発による面倒ごとについても………
「……言うねぇ。移転してしまえば帳消しになるんだからそれまでは汚れ仕事をやれと」
「いや、そこまでは言ってないですよ」
「冗談だ。それで、急病人はどこにいるのかね?」
「こ、こちらです〜」
「……なんで医者が病院に運ばれるんだね?」
「……医者じゃないからですね」
「……なんでコスプレイヤーが病院に運ばれるんだね?」
「……承認欲求の化け物だからですね。欲のためにどんな危険なことも厭わない。医療の現場を直に見るために体を張った潜入捜査なのかもしれません」
「なっちゃん〜。変な返ししなくていいから〜。先生、聞きたいことはあるでしょうが〜ここは飲み込んでいただけませんか〜」
ドクターの話をするとなると『超能力』の話もしなくてはならない。
桝飛セキュリティサービスは巻き込むことになったが、櫛灘医師はまだ引き返せる。
既に豊橋刑事によって引き摺り込まれている感は否めないが、それでもまた取り返しのつく段階だ。下手に情報を明かすことはできない。
「………この件、豊橋は知っているのかい?」
「後で伝えます。ですがこの男の存在は認知しています。時雨の保護者のような立場です」
「…はぁ、分かった。豊橋に伝えた際に私に連絡するように言伝をしてくれるかな?」
「分かりました。担架は俺達でやります。先生は祥菜を時雨の病室まで案内してくれますか?」
「分かった。入り口に入って左の突き当たりにある診察室まで運んでくれ」
その指示を聞いて、神原と麦島は担架をドクターの隣に横付けして、担架に載せる作業を始めた。
「お嬢さんは怪我はないのかね?」
「は、はい。私は何もありません」
「そうかい。…健康な子は病院に来ない方が望ましいんだがねー」
「す、すみません。私達のせいでご迷惑をおかけしてしまって」
「お嬢さんが謝ることではない。全ては豊橋の責任だ。…あのコスプレイヤーも、何か裏があるのだろう?おそらく君も」
「!! …………はぃ」
「……全く豊橋の奴。ここを大所帯にして移転を阻止する計画じゃないだろうな…」
ガラガラガラ
「先生?どうしたんですか?」
時雨はベッドの上でぼーっとしていた。
スマホが傍らにあるのでさっきまで触っていたのかもしれない。
この部屋ではスマホの使用を制限していない。訳ありの子供ということは分かっていたし、豊橋からも融通を効かせるように頼まれていたため、半ば黙認のようになっている。
「君にお客さんが来ている」
「お客?神原じゃなくて?」
「…….時雨ちゃん?」
「! その声……」
午前中に沢山聴いた声だ。
「その声、時雨ちゃんだー」
「あなたが……伊武祥菜……さん?」
「そうだよ。伊武祥菜。萩原時雨ちゃんだよね」
「は、はい。……ここに来たってことは……」
「うん、ちゃんと身に付けて帰って来たよ。時雨ちゃんから色々話を聞いたおかげだよ」
「そ、そんなことは……結局は伊武さんが自力で辿り着いたわけだし…」
「ううん、時雨ちゃんと通話を続けていたから完全に我を忘れずに済んだんだよ。行動行動の片隅に時雨ちゃんがいたから、こうやって帰って来れた」
「そう…ですか」
〜〜〜
祥菜と時雨が会話している中、入り口に立ったままの櫛灘は、彼女の苗字に引っ掛かりを覚えていた。
(……この子、伊武と言ったな。……まさか伊武議員の親族か…)
伊武三成県議会議員
館舟再開発を積極的に推進している議員だ。
再開発反対派からは目の敵のようにされている。
移転しないように毎週押しかけて来る反対派連中が憎しみを孕みながらその名前を繰り返しているのを嫌というほど聞かされたため、政治に関心がない自分も知ることとなった。
(………)
櫛灘は再開発に対しては賛成寄りの中立を貫いている。
移転という手間は掛かるが、近くに移転先の候補となる土地をいくつかリサーチしているし、中原区にこだわらなければもっと移転先の候補は広がる。
街が発展すればそれだけ人口が増加し、病院に足を運ぶ者も多くなる。
利益を追求するのであれば、再開発は喜ばしいことだ。
どっちに転んでも損はないため櫛灘は中立であったが、散々来訪する反対派に辟易して天秤は賛成派に傾きかけていた。
仮に頓挫したとしても、また再開発の話が持ち上がった際にこの場所は立退指定を食らうかもしれない。そのため櫛灘は近い内に移転先の土地の購入を決定しようかと考えていた。
〜〜〜
(豊橋の厄介ごとに伊武議員の親族が関わっている。ひいては館舟の再開発にまで話が広がっていくのかもしれないな…)
豊橋や神原、時雨が持ち込んでいる隠し事。櫛灘は中立不干渉を取っていたため深入りするつもりはなかったが、次々持ち込まれる厄介事によって移転の話が段々と複雑な方向に流れていきそうな予感がしていた。
このまま隠し事の拠点にされるのであれば、流石に豊橋に一言言っておく必要がある。
(関係を切るか、それとも———)
♢♢♢
ドクターを診察室に移動させたことを報告すると、入れ替わりで櫛灘が病室から去って行った。
神原達が戻って来ると、祥菜と時雨が何やら会話をしていたようで神原達に気付くと会話を中断して2人を出迎えた。
「お喋りはいいのか?」
「うん、今日は色々あった日だしまた明日にしようって話をしてたの」
「うん…。伊武さんも疲れてるだろうし」
「俺らも今日は色々あって疲れたからなぁ」
「……なっちゃんって疲れを感じるんだね〜」
「肉体的には全然だよ。痛覚無効のおかげだな。けど精神的な疲労は感じてるよ。半グレとドンパチしてケロッとしてる方が怖いわ」
「それは確かに〜。今日は良く眠れそうだよ〜」
「みんなお疲れ」
「ありがとう〜」「ありがとう」「…………」
ありがとうの言葉が出る前に、さっき自分で口に出した言葉について思うところがあった。
「ん〜?なっちゃんまた考え事〜?」
「んー、うーん。さっきドクターのことを時雨の保護者って説明したけど……。時雨、お前の両親は健在なのか?」
「両親〜?いないんじゃないの〜?」
「それは鬼束達の話だ。俺もひっくるめていないと思ってたけど、時雨はホームレス生活してないだろ?」
「時雨ちゃんの両親は普通にいるよ?」
神原の問いに答えたのは時雨本人ではなく祥菜だった。
「なんで祥菜が知ってるんだ?」
「奈津緒君達が戦ってる時に時雨ちゃんと電話して聞いたの。『超能力』を自覚するための参考に時雨ちゃんの覚醒理由を聞いたんだ」
「あ〜。ドクターも電話したって言ってたね〜そういうことか〜」
「…うん、お父さんもお母さんもいるよ。府中に住んでる。多分『解体々々業者』で生き返った姿だろうけど、2人から連絡は来てるから」
「「「府中…」」」
府中動乱。薬物能力者と隕石能力者とcomcomによって引っ掻き回されたあの場に、時雨の両親はいた。
「…どう誤魔化してるんだ」
「…友達のところって言ってある。ドクターが上手いこと誤魔化してるみたい」
「ドクターが?」
「うん、どうやってるか知らないけどお父さん達から帰って来いって言われないから何かしてるんだと思う」
「なんだろうね〜。見た目は医者だから言い訳も作りやすいだろうしね〜」
「医者なら逆に心配してどこの病院ですか?って言ってきそうだけどな」
「………」
おそらくは、ドクターの『確実達成』だろうと祥菜は推理した。
実際のところは分からないが、『超能力』を使って有耶無耶になるようにしたに違いない。
「健在なら良かった。だがたまには家に帰るんだぞ。時雨は良くても親御さんが心配する。明日ドクターにも言っとくからよ。トラウマも親の顔見たら少しは紛れるだろ」
「府中動乱に巻き込まれてるかもしれないならなおのこと顔は見せた方がいいよ〜」
「…うん、ありがとう」
「それじゃあな。もし俺らが明日来る前にドクターが目を覚ましたら、荷物は神原が持ってるって伝えておいてくれ」
「(荷物?置いていけば良いのに……)分かった」
それじゃあと言って神原達は病室を去った。
コンコン
「どうぞー」
ガラガラガラ
「失礼します」
診察室に入ると、ちょうど櫛灘医師がドクターの手当てをしていた。
まだ目は覚めていないようで上半身の服が脱がされていた。
「…結構鍛えてるんだな」
ドクターの上半身の筋肉のつき方が普通のそれではなかった。白衣で隠れていたせいで気付かなかったが、普段鍛えている神原だからこそそれに気付くことができた。
「野郎の覗き見とは斬新だね。どうしたんだい?」
「時雨にも挨拶したんで俺達はそろそろ帰ります」
「…病人を担ぎ込んでさよならかい?」
「甲斐甲斐しくお世話するような間柄ではないんですよ俺達は」
「冷たい言い方だが、君や豊橋が私に隠していることの元凶がこの男なのだろうね」
「「………」」
「ははは、優秀なお医者さんでも診断ミスってするんですね」
「触診だけだと精度はこんなものさ。精度上げるためにお腹を掻っ捌いていいのならやるんだが、そこまでの設備はこの病院にはないからね」
「多分青い血の色してると思うんで開かない方がいいですよ」
「青い血か。研究のために100ccほど抜き取りたい気もするが…止めておこう」
(あれぇ〜?櫛灘先生ってこんなコミカルな返しする人だっけ〜)
櫛灘医師が踏み込んだ発言をしてから始まったこのやり取り。
(伊武議員とやったみたいな腹の探り合いかな〜?櫛灘先生もこうも面倒ごとに遭っていたら気付くよな〜。誤診で切り返すなっちゃんもなっちゃんだよ〜)
誤診ということで間違いだと指摘した。そこから調べようと踏み込んだ櫛灘に対して、血の色を出すことで下手に手を出さない方が良いと暗に仄めかした。
青い血と聞いて普通ではないと櫛灘もうっすら勘付いたようで、引き下がってくれた。
(…枚方さん達もだけど〜、櫛灘先生も浸かっちゃってるよな〜……)
櫛灘医師…というかこの櫛灘病院。ここをこれからも使い続けるのかどうか決めなくてはならない。
(そういう意味だと〜ドクターが館舟に来てくれて良かったな〜。そこら辺の話がやりやすくなった〜)
時雨を一旦家に帰すのかという話はドクターがいないと出来ない。元は取引の話を詰める目的なのだろうが、絶好の機会だと麦島は見ていた。
「明日また来ます。ドクターが起きたら荷物は俺らが預かってると伝えておいてください」
「……分かった。君達も気を付けて帰るんだよ」
「「「失礼しました」」」
ガラガラガラ バタンッ
「……ふぅ、ここ数日色んな人間が出入りしていて大変だ。子供に警察官にコスプレイヤー。……コミケは明後日だったかな?スタッフの中に休みを取ってる人がいたような…」
やれ誰が推しだとか、遠征に行くだとかの会話をスタッフがしているのを耳にしたことがある。
あまり詳しくはないが、それだけ惹きつけるモノがそこにはあるのだろう。
「………コスプレイヤーさん。体を張った潜入捜査のところ悪いが、医者の前で狸寝入りが成立すると思わないことだね」
「…………潜入捜査とは何の話でしょうか?」
「はなから起きていたわけではないんだね」
「診察台に投げるように置かれたので…叩き起こされたようなものです」
「……随分と嫌われてるね」
「好かれることをしておりませんので」
「…人の良さというのは隠していたって偽っていたって滲み出るものさ。…ヒールを演じていたってね。あんたはそもそもが好かれないんだよ。いや、好かれたくないとすら見える」
「………医者なのに傷を増やすのは良くないのでは?」
「治す過程では傷付けまくりだよ。注射痕しかり手術のメスしかり、レントゲンのX線しかりね。もっと根っこの話をすれば、医学とは数多の失敗の果てにある一瞬の成功だ。沢山の屍の上に、私達は安寧を享受している」
「屍の上の安寧…」
自分の行いのことを言われているような気がした。
連中の暴走を阻止するため、そして私怨と使命のために研究所を破壊した。
自分からしたら敵だが、敵を殺すことでこの10年は暴走が表に出ることはなかった。
10年は平和を守った。これが安寧なのだろうか…。
「…言うまでもなかったかな?」
「…いえ、自らの行いを噛み締めただけです」
「行いね……。私は、君が何者なのかは知らない。だが、君が豊橋や神原君達にとっての重要人物であろうことは見て分かる」
(豊橋……誰だ?奈津緒君の知り合いか?)
「時雨ちゃん…あの子も君が巻き込んだんだろう。いや、神原君に差し向けたという言い方の方がいいかもしれない」
「…………」
「私には話せないか。私は部外者だからそうだろうね。神原君も私を遠ざけようとしている」
「奈津緒君が?」
「さっき君の私物を持って帰ると話していただろう。何で持って帰るのか?君が重要人物だからとも考えたが…、あれは私に何も知らせないための証拠隠滅だよ」
「…証拠隠滅」
(『超常の扉』は持っていかれるとして、圧縮関連の道具や財布もない……?私の素性に関する一切を持っていったのか…)
「私を巻き込まないようにしている。豊橋が関係しているのなら私を巻き込めば良いものを、自分達だけで何とかしようとしている。時雨ちゃんのために変な護衛まで付けている」
「護衛……だから時雨君の側を離れたのか…」
電話口で神原がいないと聞かされた時は何でだと思ったが、護衛がついていたのなら理解できる。
「護衛なんてものを2日以上つけている。相場なんて知らんが、少なくとも3割負担なんてもんじゃないだろう。高校生の彼らに果たして支払い能力はあるもんなのかね?」
「…………」
「君の事情は知らん。だが、もう少し神原君達に寄り添ってはどうかね?君が巻き込んだのなら、それが君の義務であり責任だ」
「………….はい」
「………全く、神原君は財布も持っていってしまったから時雨ちゃんの治療費入院費をもらう機会を失ってしまったね…」
「お、お金は明日にでも支払います。奈津緒君が財布を持ってくると思うので」
「そうか…、では諸々乗っかって3億円はどうかな?」
「さ、3億…?冗談ですよね?」
「支払い能力を鑑みれば、神原君の護衛代と君の病院代は釣り合っていると思うぞ?」
「そ、それは……」
実際釣り合っているかは分からないが、無理だと言えばそれは無理を奈津緒に押しつけていることを認めることになる。
「神原君は何とか捻出しようとするだろう。内臓を売ってでもね。誰に買われるのか。子供の内臓は海外で高く売れるだろう。ブローカーが上乗せしてもなお買う者がいる。子供の臓器はそう簡単に出回らないからな」
(…何だこの男、何を言っているんだ)
「だが生憎私は医者だ。そんなブローカーに中抜きされることなく中抜くことができる」
「ちょっ、ちょっと待ってください。私の内臓で支払わせるつもりですか?」
「嫌か?」
「当然です」
「……なら取引だ。取引次第で私に支払う3億円を……まあ諸経費分まで減額しよう。乗るかね?」
(断れば内臓を持っていかれる。本気なのか?分からないが動けない以上されるがままだ。条件を聞くことすら叶わない。奈津緒君の取引よりももっと強引で邪悪な手口だ)
雑に投げ込まれてからここまでがワンセットのように感じる。
時雨がいるからと少しばかり警戒を緩めてしまったかもしれない。
(『確実達成』は…無理だ。私が動けないなら仮に発動してもどうしようもない)
「………分かりました」
「よろしい。条件は2つだ。まず1つ目は———」
重大な秘密を隠していたことへのケジメ
神原へ重たい十字架を背負わせたことへのケジメ
ドクターがケジメを付けられる回でした
本当は殴り飛ばしたいのに拘束だけで留めた神原は優しいんだと思います
櫛灘医師が突然の暴走。ドクターに突き付けた条件とは……?
さて次回はも神原サイド
どうやらもう1人ケジメを付けなきゃいけない相手がいるようで…………




