第163話 ヒロイン育成計画㉔
———都内某所
『確実達成』によって4階の状況はざっくり把握できたが、今この瞬間どうなっているかは分からない。
磔にされているから零君達で打開することは難しい。
(丹愛君に近づけられれば良いんだが、丁度能力の境界になってる。彼女自身を中心としているのなら、彼女が移動してくれれば…)
伊武祥菜が私の帰還に気付いているかは定かではない。零君の『隠れ鬼』経由で知ることも可能だが、気付いていて私に矛先を向けないのだとしたら……、零君や市丸君に個人的な恨みをぶつけてることになる。
彼女が市丸君に恨みを持っていても不思議ではないが…
(能力に目覚めてかつ私がいないから実力行使に踏み切ったというところだろうが、私がいないタイミング……私の『超能力』を警戒しているということか…)
伊武祥菜を宥めるためにも彼女の目的を知る必要がある。彼女とどうにか会話できたらいいのだが、近づくことも出来ないし近づかせることも出来ない。
完全な手詰まりだ。丹愛ならば打開できるがそれもまた伊武祥菜次第。
ギシッ
ビルの壁面から歪みのような音が鳴った。ビルの壁に亀裂が入ったようだ。
(より強い力で押さえつけているな。2階まで亀裂が伝わって来ている。ということは……)
ドクターは手を上に伸ばしてプランプランと手首のスナップを効かせていた。
階段を一段ずつ昇りながら、手首のスナップを続ける。
そしてとある地点で手首に強い反発力が伝わって来た。目の前に壁があるようだがそこは何もない空中だった。
伊武祥菜の『超能力』の境界値であるが、先程よりも境界値が上に移動していた。
「彼女自身が零君に近づいたことで丹愛君側への能力効果が後退したのか」
この調子なら後2.3回亀裂が聞こえてくれば丹愛が伏せている踊り場まで腕だけを伸ばすことが出来るようになる。
ここから丹愛を引きずって階段に落とせば、丹愛は攻撃から解放される。
(問題は零君の肉体とビルが保つかどうかだな。こればかりは零君の頑張りに懸ってる…。『隠れ鬼』を使って丹愛君の動向を見ているのなら…私の意図に気付けるはずだ……)
♢♢♢
(……分かりました。…分かりましたけどドクター。もう限界です。目玉すら凹んでるような…貧困の極みですよ…)
腹と背中がくっつくなどという歌もあるが、これほど物理的に引っ付けられることを言った歌ではなかっただろう。
伊武祥菜がさらに踏み込んで来た。
ビガガガガと、亀裂がビル全体に響いただろう。まだ壁に穴が空いていないのが不思議なくらいだ。
衝撃波と挟まれていることによる痛み、そして体の前面が後退を宣言し始めている。眼球の凹みは比喩であるが、それほどのパワーが伊武祥菜から放たれ続けている。
一切パワーの衰えはなく継続的に力を放出し続けている。
(ドクターのやりたいこと。…おそらくだけど、丹愛を使うつもりみたいだ)
ドクターが手をぶらぶらさせていたのは、能力の効果範囲を自分に伝えるためだろう。ドクターの手の位置は丹愛が身動きが取れない踊り場より低かった。まだ丹愛は重力能力の影響下にある。
(伊武祥菜と丹愛の位置関係からして、もう数歩こちらに近づいて来ればドクターが引っ張って丹愛を救出できるはずだ。彼女がここから5階に戻る可能性はほぼない。ドクターの帰還が知られていなければ適当言って5階に行かすことも出来たけど、俺の口が滑ったせいでそれも取れなくなった)
伊武祥菜はゆっくりと歩み寄ってくる。ここで大事なのは彼女の歩みを止めさせないことだ。止まってしまえばドクターは丹愛を回収できなくなる。かと言ってこのままビルの壁が吹っ飛んでしまえば、彼女はそれで目的達成と見做して次は実録を狙うかもしれない。
彼女を近づかせつつ、ビルの心配もする。
丹愛が動けるようになれば、『高鬼』で侵入者への対処も出来るようになる。ビル内に潜伏しているのだとしたら袋の鼠だ。
ペタッ
ズギギギキギギギギギ
コンクリートではなく金属が折り曲げられたような音。壁の中に埋まっている鉄筋が曲がったか折れたかのどっちかだ。
まだ大丈夫。
(ドクターは……さっきより一段分手を伸ばせるようになってる。1歩を一段分とすると、あと2〜3歩……保つ……いや保たせる…)
最悪気を失っても良い。彼女が後退さえしなければ良いのだ。市丸の『色鬼』を駆使すれば寄せることは出来そうだが、市丸からは呻き声すら聞こえない。気を失っているようだ。
気を失っていることは彼女も気付いているはずだが、彼女は止まらない。完全に便乗攻撃で頭がいっぱいのようだ。
ペタッ
バンッ
「がっっっ」
意識が一瞬黒く染まった。彼女から発せられるパワーに頭部が維持できず、背後の壁に後頭部が直撃した。既に首の力が及んでいないことを示していた。
鉄筋からは引き続き崩壊音が奏でられている。だがその音は遠のいて行く。
(くそっ、どうにか体を前傾で丸めるように抵抗してたのに…それすらも難しくなってきた。一瞬音が消えたけど…あれは俺の意識が飛んでたからだよな…)
後1.2歩。ドクターは一段昇ったがまだ足りない。後一段で高さは踊り場と同じになっても、丹愛を引っ張るにはドクターの体の厚み分の余裕が必要になる。
(あと2回……耐えろ。絶対に彼女を後退させるな…)
〜〜〜
(今、思いっきり頭をぶつけてた。ずっと目を閉じてるから分からないけど、多分意識が飛びかけて虚な目になってると思う……。もう後2歩くらい進めばこの人の意識を奪えそう。既に市丸は気絶してるみたいだし…)
偶然ではあるが残り2歩で終わるという2人の見解が一致した。
まだドクターからのアクションはない。鬼束零が意識を失うのも時間の問題。それよりもビル自体が壊れかけている。さっきから響く金属の変形音。ドクターが力の正体に気付いていたとしても、伊武がそこまではしないだろうと高を括っているとは考えにくい。
自分自身も近付けない中で相手任せの希望的観測は愚かでしかない。
(私を試しているのか…未来予知で備えていても物理的に近づけないのか。雪華ちゃんとは正反対で何だかな〜って感じ…)
野蛮というか力技というか、能力を使った傷跡が見えるような力は手に持っていて恐ろしい。
〜〜〜
ペタッ
ギギギギギギギギギギギギ
———真横に落下している…不思議な気分だ。
(後……一歩、一歩だけ……まだだ。考えを止めるな。変な気分に浸ったら戻って来れなくなる…)
魂が抜けるなんて死にでもしない限り分からないが、今零には体から何かが抜け出ようとしているのを感じていた。
(気を保つ糸の繊維がどんどん解れていってる……ドクターは………目を……閉じ…………t………)
…………
何かに耐えようとする力強さが目の前の男から消えた。彼も気を失ったのだろう。黒い稲妻はより濃い色太さを帯びていた。それだけ鬼束零が耐え凌いできたということだ。
そしてドクターからは何もなかった。仲間が気を失うまで耐えてきたというのに…薄情とさえ感じてしまう。
この4階にはもう誰もいない。穴を覗くと1人突っ伏している。鬼束実録だ。
3階からは抵抗の痕跡は感じられない。市丸や零ほど至近距離ではないから気を失ってはいないはずだ。
「……………無駄に暴れただけ……やり返しは成功したけど一番の目的は達成していない…」
ドクターの能力の詳細を知ること。が、肝心のドクターは何もして来ない。
階下のどこかにドクターがいるはずだ。屋内にいるのなら射程距離外に出るのは困難。零と同じように壁に磔に出来るはずだ。
(…人間以外も吹っ飛ばしてくれたら足元の釘とかに怯えず裸足でも走れるのに……)
カタン……カタン
「! 何の音?」
パラパラと破片が落ちる音しか聞こえてこない4階ではない。ここではないところ…穴越しの3階と伊武は推測したが……
カタン……カタン…………
少しずつ音が大きくなっていた。何かが近づいてきている。
(…敵襲……じゃないはずだから………これがドクターの策ってこと?私には近づけないはずなのに……)
自分に迫って来ていることは明白。しかし人が階段を登っている音ではない。
カタン………………………
———聞こえなくなった。
伊武は反転し、扉の方を注視した。来るとしたらそこからだ。
「……………」
じっと扉を見続ける。やはり足音は聞こえない。音の周期も不規則で一貫性がない。いつどのタイミングで音の正体が迫って来るかは予測できない。
この音が未来予知……ドクターの備えがなければ起こせない物であるのなら、能力確定ということになる。
「…………スマホ?」
じっと見続けた先から現れたのは、一台のスマートフォンだった。空中をフワフワと漂いながらゆっくりこちらに近づいてくる。
(自分のは病院に置きっぱなし。ドクターのスマホは自分が持っている。鬼束の誰かのスマホならとっくに取り出しているはず)
鬼束市丸の『色鬼』……ではない。目の前で気絶している。別の鬼束の『超能力』のようだ。単色ではないから別の発動条件の物体操作能力らしい。
(ドクターが持っていたドクターのではないスマホ……府中動乱の首謀者のスマホ!)
府中動乱の元凶でありそれを鎮めた神岐という『超能力者』。彼からスマホを2台譲り受けたと一昨日語っていた。そのうちの一台がこれなのだろう。
そしてこのタイミングでスマホだけを飛ばしてきたということは———
『………ブーン、ブーン、ブーン』
真っ暗だったスマホが輝いた。宛先がただの電話番号で連絡帳に登録されていない番号からの着信だ。
彼女に近づきつつ着信が来る。このスマホを飛ばして来た人物とその目的は———
「………」
伊武は自らスマホに近づくと、そのまま空中のスマホを掴み取って、通話ボタンをタップした。
♢♢♢
「………もしもし」
「………おはよう伊武君、覚醒の気分は如何かな?」
ドクターの声。……全部分かった上でのこの通話となるともう疑いようがない。その事実確認だけでも十分だが、恋人に持って帰る情報としては少し物足りない。
「『超能力』が覚醒てハッピー……ではないわね。…小学生の時に「近づくとばい菌が感染るぞ」って距離置かれていじめられてた男子のことを思い出したから、そういう意味ではブルーな気持ちね」
「君の願望通りになっていないのかい?」
「……」
守られなくても大丈夫な力———
誰にも危害を加えられない力———
奈津緒君の隣で戦える力———
「……解釈次第で叶ってるわ。ただ…雪華ちゃんとはジャンルが違いすぎるなって思っただけよ」
「…平原君は分からないが、義晴君への献身と猪突猛進ぶりからすると『超能力』の推測はある程度立つ。それでも伊武君のとは違うね。神坂君は『超能力の無効化能力』、対して君は『人を寄せ付けない能力』。ジャンルは違えど相手の自由を奪うタイプの能力という点では一致してると思うぞ。君の『超能力』が非能力者にも有効なのかは調べる必要があるが、適用されなかったとしても『超能力者』を近づかせないのは敵からしたら嫌だろうね」
「…人だけでしょ。あんたが渡したスマホは弾いてないんだし。雪華ちゃんみたいに能力に対してじゃないから遠くから…それこそ隕石を落とされたらたまったもんじゃない」
「マイナスな面ばかり考えると能力形成に悪影響だぞ。悪い面を克服する、良い面をより昇華する、能力は解釈次第で出来ることが大きく変わるし成長の度合いも変わる。…超能力者初日で諦めるには早計だ」
『超能力』を悲観的に見てしまうのは、恋人に影響されたのかもしれない。
ドクターの強目の口調に流石の伊武もウダウダと続けなかった。
「……はい」
歴の長い先輩の言うことなら間違っていない。嫌いといえどここで助言を聞き捨てることは伊武もしなかった。
「…それで伊武君、どうして零君達を攻撃したんだ?奈津緒君の復讐か?」
「………」
(攻撃したことは分かってるけど、その目的は分からないと…)
「それもあるけど一番はドクター、あなたの能力を知るためよ。私の予想では未来予知。鬼束さん達にカマかけたら当たってるっぽいけど」
「……そのためだけにこの被害か。君と言い奈津緒君と言い、手心を加えてほしいもんだね」
「当たりなのね?」
「…私の『超能力』を教えたら君は帰ってくれるのかな?」
「あら?朝は帰さないなんてこと言ってたのに今は帰ってくれだなんて随分じゃないかしら?」
「…このスマホを使ったのは苦肉の策さ。ネットワークに繋ぐと端末の位置を逆探知される可能性があるからね。だからこの通話をした時点でもうこのビルにはいられない。そもそも君がビルにダメージを与えたせいで事故物件だ」
「元はあなたが与えた力ですよ」
「…そう言われると困るね……」
神原と言い主導権を握って振り回してくる。嫌われている相手との取引は心が重くなるばかりだ。
「…分かった、教えよう。そもそも奈津緒君に言おうとしたが彼を怒らせてしまって伝えられなかったからね。君の口から奈津緒君に教えると良い。後時雨君にもね。零君達は知ってて彼女だけ知らないのは不公平だから」
「…分かりました。約束します」
「よろしい。…私の『超能力』は『確実達成』。能力は———」
———
「———以上だ。未来予知に近いが"無自覚発動型"の能力だから万能ではない。それに未来を知ってどうこうできるものではない。零君達にはピーキーだと言われたよ。能力と言って良いのかも怪しいものだ」
ドクターの『超能力』。それを聞いた伊武の感想は、「難しい」というものだった。
能力に自分の意思が介入できない"無自覚発動型"。そして未来が分かってもその未来が確定するわけではなく、その未来に持っていくには自分の努力が必要。しかもその努力が未来への道筋になっているかは本人にすら分からない。
精々が断片的な情報収集にしか使い道がない。便利なようで便利すぎない絶妙な塩梅の能力だ。
「…けどその能力でビルの状況を確認できた。それに使う予定のないスマホを2台も携帯したまま外出した…」
「…何となく持って行った方が良いと感じたからだ。結果こうして君の能力範囲外から会話が出来るようになっているのだから能力のおかげなのは間違いないね」
そのスマホを使っている未来を知ったのではなく、何となく持って行った方が良い気がした。そんな何気ない心境の変化程度の『超能力』。ピーキー、能力と言って良いのか不明なのも頷ける。
(私だったら最近運が良い程度で片付けちゃいそう。どうやってドクターがそれが『超能力』だと自覚できるようになったのかは気になるけど、今の私にとっては不要な話ね)
時雨にとっては必要そうだが、それをドクターには言えない。
「さあ、話したぞ。早く能力を解除したまえ」
「えぇ…」
やり返しも情報収集も完了、能力も覚醒してオールコンプリートだ。後は恋人の元へ帰るだけ。
そのためには能力を解除しなくてはならないのだが……
(………そういえば、どうやって解除したら良いんだろう……)
そもそもどうやって発動したのかも分かっていない。
あの爆音の時点で能力は発動していたはずだが、伊武に発動している自覚はなかった。4階に降りて初めて自覚したのだ。
どうやって発動させたのか分からないのに、解除する方法なんて分かるはずがない。
(雪華ちゃんも解除の方法が分からないって言ってたし…私も同じなのね…)
ドクターと同じ"無自覚発動型"であれば、恋人や友人も吹き飛ばしてしまう。
それではダメだ。守られなくても良い力ではあるが、隣で戦える力ではない。自分で制御できなきゃならない。
(発動条件だけ分かっても、制御する方法が分からないと鞘のない刀で使い勝手が悪いものになっちゃう…。能力の制御が出来ないと……)
この『超能力』は誰も寄せ付けないという気持ちがトリガーだ。その気持ちを抑え込まなくてはならない。
いきなり気持ちを消すのではなく徐々に抑える。この『超能力』がどこまで効果を発揮しているのか分からないが、片付けのように、散らばったものを1箇所にまとめていく様に、自分の心へと収納していく。
〜〜〜
「………」
ドクターが手を伸ばすと、先程まで弾かれた場所まで手を伸ばすことが出来た。
彼女自身が終わったことを言わないということは、無自覚なのか、解除の途中かだ。
彼女がいる4階までゆっくり階段を登っていけば、自ずと辿り着けるだろう。
カタン
丹愛が身動きの取れなかった踊り場に立っても押し潰されることはなかった。この場所は解除されたようだ。
「0 100ではなく範囲を調整できるのか。周囲40センチくらいをキープできるようになれば、コミュニケーションを取りつつ懐に入れさせないように出来るな。…丹愛君、立てるか」
「……すみませんが手を貸してください」
ずっと重力の影響で芋虫状態だった丹愛は自力で立つことが出来なくなっていた。一度立てれば壁伝いに昇れるが、立ち上がる足腰が思うように効かなくなっていた。
ドクターは丹愛の胴体に腕を回して胴を縦に伸ばした。ドクターの支えによってどうにか膝を曲げて立ち上がれる様になった。
「平気か?」
「はい、ありがとうございます。ドクターが早めに俺を解放してくれたおかげです」
〜〜〜
少しずつ重さが軽くなっていっている感覚があったが、それでも床をぶち抜いた時のダメージと継続された重力によって丹愛の気力は消えかけていた。
(ドクターがいる…けどドクターもこっちに近づけない。ドクターが手を伸ばしてるけど…届かない)
どうにか首を動かしてドクターがいる方を見る。
階段の下にいてここからではドクターの全身姿が見えない。
ドクターがここまで近づけたということは、この重力能力には射程距離があって、ちょうど自分とドクターのいる場所が境目ということになる。
どうにか下に降りられれば能力の影響下から解放されるが、首を動かすのが精々で体を捩って転げ落ちることは難しい。
ファサッ———
自分の手首に何か布のような物が乗っかった。
(なんだ…これ…真っ白の先端に結び目がある…)
「丹愛君、白衣を掴めるか?掴めたら思い切り引っ張り続けるんだ。私が白衣を引っ張って君を階下に落とす!」
ドクターの声だ。どうやら直接近づくことが出来ないから白衣を介して引っ張るつもりのようだ。
先端に結び目…重りを付けることで投げた白衣が狙い通りに届くようにしている。布面積が広い白衣だから出来る芸当だ。
(しかも頑張れば手が届くところに先端がある。厚みが薄いと掴んでも擦り抜けるけど、これなら何とかなりそうだ…)
気を失いかけていたが、希望が見えた途端に活力が湧いてきた。ゴールが見えると体力限界でも最後の1粒まで絞り出せる。
「はぁ、はぁ、はぁ」
何とか重りを掴んで思い切り引っ張った。それに気付いたドクターがそれ以上の力で白衣を引っ張ったのだ。丹愛もガッチリ掴んでいたからこそ、綱引きの要領で丹愛が無理やり動かされた。それにより丹愛は重力の射程距離外に出ることが出来たのだった。
「ありがとうございます、ドクター」
「礼は良い。急いでこれを伊武君のところまで届けてくれ」
ドクターから渡されたのは、1台のスマートフォンだった。
「これは…奪ったやつですか?」
「私のスマホは伊武君が持っていて時雨君と通話中だ。彼女に連絡を取るなら別のスマホを使うしかない」
ドクターの手には別のスマホが握られていた。
府中動乱で神岐から貰った戦利品2台。それを使って伊武と連絡を取るつもりのようだ。
「伊武君は4階だ。分からないが零君を攻撃しているみたいだね」
「攻撃?侵入者ではなく伊武祥菜がですか?」
丹愛は先陣で動いていて上階の様子は分かっていない。未だに侵入者が入り込んでいると思い込んだままだった。
「それを含めて連絡が不可欠だ。『高鬼』で4階まで運んでくれ」
〜〜〜
(私が白衣を着ていたのも『確実達成』か…)
白衣がなければ丹愛が限界を迎えて気を失って、スマホを伊武祥菜に運ぶことが出来なかった。
昼飯の調達に白衣を着る必要はなかったが、これもまた何となく着て出掛けることにしたのだ。
この判断のどこまでが『超能力』でどこまでが自分の意思が入り込んでいるのかは本人にも分からない。
伊武の解除を待っている間に丹愛が壁に手をかけてどうにか立ち姿勢を保った。
「ドクターは先に伊武祥菜のところに行ってください。俺は実録を回収してから向かいます」
実録は3階でうつ伏せのままだ。2階の自分が自力で立てないくらいなのだから、実録も同じかそれ以上に歩行が困難な状態のはずだ。
「分かった、1人で動かすのが難しければ私を呼びたまえ」
♢♢♢
自分に収束していく感覚。出て行かないように抑え込むようなイメージ。
市丸と零が壁にべったりなところを見るに、距離が縮まっているだけで全体のパワーが下がっているわけではなさそうだ。
(効果範囲と威力をコントロールできるようになれば、体の周りの10センチくらいに強力なバリアを作れるようになれるわね。効果範囲も円形じゃなくてアメーバみたいに自在に動かせるようになれれば、より柔軟に出来る)
ただ弾き飛ばすだけの能力。自分の能力を正しく理解し解釈を広げていく。
ドクターは「万能な能力は存在し得ない」と言っていた。
(半径1キロを吹き飛ばすのはオーバースペックなのかしら?出来ないという思い込みがそうさせてるだけで実はできる?万能になれないってことは長所と短所が常に付き纏うってことよね…)
ここからどう能力の幅を広げていくのか。肝心の時雨には聞けないしそもそも人に聞くことをするなと言われている。
(初心者にはハードルが高いわね『超能力』って…)
まるでFPSゲームみたいだ。
キィィィィィィィィ
「…やぁ、伊武君」
「……」イラッ
ブァァァァァァァッッッッッッッ
バギッン
「ぐっ…不意打ちで仕掛けるのは反則じゃないか…」
ダメージを与えられつつも何事もなく話し始める。それがまた不愉快を加速させた。
「不意打ちで麦島君を『超能力者』にしておいて自分はダメは通らないでしょ。あんたがムカつくからせっかく抑え込んだ能力が再発したじゃないの」
「酷い言い掛かりだな…。感情の昂りで能力が暴発するとは……言いたくはないが、奈津緒君にそんなことをしたら見捨てられるぞ。彼は短気だからね」
「短気なのはドクターに対してだけよ。奈津緒君にはそんなことしないし、奈津緒君は私の『超能力』で簡単に吹っ飛んだりしない」
「……だと良いな。彼の『超能力』は未知だが彼もまた万能ではない。神格化は逆に彼を苦しめることになるぞ」
「奈津緒君を神だなんて思わない。良くて邪神よ。別に恋人だからって超人だとは思ってないし盲目的にもなってない。でも奈津緒君は強い、それだけははっきりしてる。奈津緒君を陰で覗いてただけの人にとやかく言われたくありません!」
地味に刺さることを言われてしまうドクター。ドクターなりの10年の努力はあったが、神原神岐神坂に関しては零を使って監視させていただけだ。そう言われても言い返す言葉がない。
スゥゥゥゥ
自らに掛かる力が少しずつ抜けていった。クリティカルを食らってしまい、どう次の会話を切り出そうかと考えていたドクターにとっては都合の良いことだった。
「時間はかかるが制御できてるな。奈津緒君にも負けないその精神的な強さによるものかな?」
雪華の精神性が弱いとは思わないが、祥菜と比べると、明らかに伊武には強い動機だったり行動力がある。
「…抜き身の刀のままよ。本来ならパワー強化に頑張ってただろうけど、私は1人じゃない。奈津緒君や麦島君や雪華ちゃんと一緒に戦う。剥き出しで刀を振り回してちゃ大切な人達に被害が及ぶ。精神力というよりリスクヘッジの方が正しいわ」
「それで良い。どういう風に能力を使っていくかは本人の心内次第だ。私はその選択が悪いことだとは思わない」
「…どうも、それで?私ももう帰って良いんですよね?」
「あぁ、零君達の手当てもしたいから早く帰ってくれると助かる。……と言っても、今の君の格好はとてもじゃないが帰せないな…」
伊武は入院中に誘拐された。なので靴なんて履いてないし着ている服は入院着のままだ。
何より財布も持ってないから電車に乗ることも出来ない。
「まさかこのまま帰れって言うの?」
「裸足でアスファルトを歩かせただけで傷を負って交渉決裂だ。近くにワーカーマンがある。女性着もあるはずだから上下一式そこで揃えよう……だが靴だけは先に用意しないとな」
「……前もって準備してなかったの?」
「…………」
男は服装に無頓着。かつては鬼束達の服を拵えたが、あれは取引の前払いのためだ。今回のような気を回していないと分からないことについては、ドクターも鬼束も男なのでそこに至っていなかった。
「…スリッパでいいから用意して。何なら気絶してる人から一時的に拝借してよ。水虫とか大丈夫よね?」
失礼に失礼を重ねているが、用意していないこちらの落ち度なので全面的に飲むしかない。
「……トイレ用のスリッパで我慢してくれ」
♢♢♢
伊武祥菜の服装を買いにワーカーマン上石神井店に向かい一式揃え、一旦ビルに戻って既にドクターが購入していた昼食を食べることにした。
買い物に行っている間に丹愛が気絶している3人を介抱して、3人とも無事であることを確認した。
そして事の成り行きをずっと静観していた時雨に対して、仲間に手を掛けたことを謝罪した。時雨は怒らず、というか怒る理由もないためそれを受け入れて、彼女の能力発現を祝福した。
「…奈津緒君と麦島君からは何も連絡は来ないの?」
『うん、チャットしたけど既読にもならない。多分何かしてるんじゃないかな?』
時雨がいない中で連絡が取れないようなことをしている……多分だけど普通のことではない気がする。
「分かった。とりあえずこのスマホで奈津緒君に連絡してみる。向こうからしたらドクターからの連絡だけど流石に無視しないと思うから」
『私から伝えてもいいんだよ?』
「大丈夫、時雨ちゃんは自分のことに専念してれば良いよ。それに私の口から直接伝えたいし」
『…分かった。まずは家に帰って寝ると良いよ。神原もだけどこの数日はずっと状況が動きっぱなしでゆっくり出来てないと思うから』
「心配してくれてありがとう。館舟に戻ったら病院に顔出しに行くから待っててね」
テロン
長い長い通話が終了した。何時間も通話しっぱなしで充電もしていなかったから残りのバッテリーがギリギリになっていた。
「…じゃあ私は失礼します。……服とご飯はありがとうございました。お代は後で払います」
「迷惑料代わりだから問題ない。むしろ払わせたら奈津緒君に何言われるか分からない」
「確かに奈津緒君真面目だからそういうところ怒りそう。じゃあ私はこれで「待った」…………まだあるの?」
雪華の時は引き留めなかったのに何故自分の時は引き留めるのか?
「…私も同伴する。時雨君が入院している病院へ支払いとかしないといけないしそれに…………多分病院に行った方がいい」
「…………『確実達成』ね———」
謎の重力能力者との対決は、ドクターが自身の能力を明かすことで幕引きとなりました
『確実達成』
未だ明かされない能力が伊武の口から神原に明かされる時はそう遠くないでしょう
力を与えられた3人のヒロイン
最後の1人も能力を自覚したことで、ヒロイン育成計画は完了しました
3人のヒロイン達は元いた場所へと帰って行きます
一切の描写がない平原暁美の『超能力』も明らかになるでしょう
さて次回は、そんなヒロイン達が元いた場所へ帰るお話です
長らく描写のない神岐や神坂にようやくスポットライトが当たります




