第162話 ヒロイン育成計画㉓
———大島総合病院 12階
「そっちは大丈夫でしたか?」
「…君らが何割か引っ張ってくれたおかげでなんとかなったよ。君達も…問題なさそうだな。しっかりとデバイスを使いこなしたようで安心してるよ」
神原奈津緒と麦島迅疾は従業員エレベーターを利用して12階の伊武祥菜の空の病室にやって来た。
まだ桝飛セキュリティサービスの枚方と桂西は病室の前で警護を続けていた。
「…デバイスはまだ私が持ってても良いんですか?」
「構わんよ。余りはある」
駄愚螺棄の輸送と病院までのタクシーの利用に使った桝飛セキュリティサービスの緊急デバイス。本来神原が持って良い代物ではないが、枚方は神原に貸与することにしたようだ。これで神原はいつでも桝飛セキュリティサービスを無料で利用することが出来る。
「すぐに祥菜の私物をまとめるんで待っててください」
「承知した。我々も病院の正面から出るわけにはいかないからな。君らと一緒に裏から出るようにする」
〜〜〜
「……スマホはずっとここにあったのか…」
スマホだけでなくデートの時に持っていた鞄もあった。中を確認するとポーチやら財布やらは鞄から出されていないようだった。
衣類は祥菜のお母さんが入院時には不要だと持って帰ってくれたようで、4日前に履いていた赤いヒールだけがそのままになっていた。
となれば祥菜は手ぶらで靴もない状態で誘拐されたということになる。
「祥菜、帰って来れんのかこれ……」
「流石に病院着で裸足でリリースってことはしないでしょ〜。それよりも住環境だよ〜。時雨ちゃんの話だと廃ビルとかを転々としてるみたいだし〜トイレとかお風呂とかの設備がちゃんと整ってるかが心配だね〜」
「再会した時に汗臭くて髪がパサパサしてたらせっかくの感動も薄れるな」
「……もし伊武さんがそういう状況だったとしても会った時に言っちゃダメだからね〜」
「祥菜にそんなこと言うわけないだろ」
(……伊武さんの胸が小さいとか言ってたくせに〜。でも実際お風呂なしは女の子には辛いだろうな〜。女の子を3人誘拐するって計画ならそこら辺の準備はしてると思いたいけど〜…)
「さっ行こう〜一通りまとめ終わった〜?」
「あぁ、紙袋に収まるくらいだ」
豊橋刑事から連絡をもらって準備した紙袋。スマホと鞄とヒール。そして夏休みの宿題が入ったリュックで荷物はまとめ終わった。
ガラガラガラ
「終わりました」
「では行こう。豊橋刑事以外の警察官がここに来たら面倒だ。搬入口で豊橋刑事が待っているはずだ。我々は当事者だから作戦が終わったら豊橋刑事と警察署に行かなければならないが…、君らはどうするんだ?」
「館舟に帰ります。祥菜の私物を祥菜の家に持って行かなきゃいけないんで。それが終わったら時雨がいる櫛灘病院に寄ります」
「分かった。……あとコレを」
枚方から渡されたのは一枚のメモ用紙だった。メモには枚方、桂西のフルネームとその下に携帯番号が記載されていた。
「我々の電話番号だ。緊急デバイスはオペレーターに繋がるがこっちの番号であれば我々に直で繋がる。君らと伊武祥菜嬢で共有すると良い。任務中でなければ駆け付けよう」
「そんな……ここまでする必要は…」
「いや、豊橋刑事の作戦からして、どこに敵が隠れているか未知数だ。脅すようだが君らの通う高校に駄愚螺棄に繋がっている者がいないとは限らない。万全を期さないと半グレにも超能力者にも勝つことは出来ないだろう?」
「…お隣の〜桂西さん?はあまり乗り気ではないと思ってましたけど〜?」
麦島から見た桂西は、枚方ほどこちらに協力的ではなく桝飛セキュリティサービスとしての仕事に忠実な、所謂保守的な考えの人だった。
枚方が緊急デバイスを渡した時にも異を唱えていた。だが同時に子供である自分らを心配もしていた。困っているのは分かっているが立場上協力できない。
それは別に悪いことではないし彼がここから逃げ出したとしても非難はしない。むしろ当然の思考回路だと思ってしまうくらいだ。
「…今も乗り気ではない。超能力は信じるが、だからと言って君達の手助けをするわけにはいかない。社会人として会社の規則があり、それに逆らうことは組織の規律を乱す行為だ。……裏を返せば、桝飛セキュリティサービスが君達に全面的に協力するというのなら、私も枚方さんも制約なく君らを守ることが出来る。デバイスを神原君に渡すのも、話し合いの場に立ち会うのも、社が意思決定する上での判断材料として取得する必要があると考えたからだ。これは私情ではない」
「……でしょうね。私情で動いたら会社は立ち行かなくなる。古坂と違ってマトモな組織の考え方です」
「でも枚方さんは協力する気っぽいですけど〜?」
「枚方さんは個人としては協力するつもりだからだ。私は会社が決めた判断に従う。……まぁ、社長は結構暑苦しい人だから、君らの現状を知れば指揮棒の振るだろうさ」
「…普通の会社に使う言葉ではないですが、公的か私的かの違いですね。豊橋刑事や女島刑事が正に私的協力だ。…言っておきますが、今の私達に支払い能力はありませんよ?それに駄愚螺棄や『超能力者』にも狙われるし、ハイリスクノーリターンです」
「構わん。君らを見捨てて高校生3人の死体が発見された報道を見るよりはマシだ。それにもう駄愚螺棄と一戦交えたんだ。あるかもしれない報復に怯えるよりはこっちから叩き潰しに行った方が心理的負担は少ない」
「はっ、守る職業の人が攻めに行くなんて面白いな。となれば………いや、これは話し合いの時にすればいいか」
「?」
神原が何かを言いかけたが中断した。気になるところだが、ここで立ち話をしていたら目的は達成できない。通路の奥だから誰にも会話を聞かれることはないが、この12階が安全地帯というわけでもない。
「では行きましょうか。豊橋刑事から聞いていると思いますが、手筈通りでお願いします。麦島、頼んだぞ」
「うん〜、でもなっちゃんだけで大丈夫なの〜?」
「団体行動は目立つから俺だけで良い。お前や枚方さん達を早めに外に出しときたいしな。祥菜の荷物を持ってさっきの広場で待っててくれ。終わったら連絡を入れる」
「オッケ〜」
♢♢♢
———都内某所
『隠れ鬼』は対象を中心として本人とその周囲を見ることが出来る。視界は零の視力に依存するため遠くの看板の文字は見えず、夜であれば対象のそばに光源がなければ見えるのは暗闇だけとなる。
丹愛のそばにドクターがいる。だが丹愛がいる階段の踊り場ではなくそれよりも下、ドクターは2階にいた。
2階にいる理由は簡単だ。重力によってドクターでさえも近づくことが出来ないからだ。
(くそっ、ドクターが帰って来たことを言っちまった。伊武祥菜はどう動く…)
矛先をドクターに向ければ自分と市丸から離れることになって助かる。実録とは距離が近くなるが、下ではなく横向きの重力によって壁と鍔迫り合いすることになるが、ここまで近付かれないとビルに亀裂が入らないから距離的にも問題ない。
だが丹愛はどうなる?ドクターに近づく上で0距離になる。そうなった時にどれだけの力が加わるかは全くの未知数だ。コンクリに亀裂が入る以上の力を生身に加えたら……最悪原型を留めないかもしれない…。
「ドクター、帰って来たんだ。……ここで大声で会話するのは良くないよね…」
冷静さを失っているわけではないようだ。4階と2階で会話するにはどうしても大声になる。廃ビルと言っても荒野のど真ん中にあるわけではない。
さっきの爆音でどこまで廃ビルが注目されているかは未知数だ。敵にも会話が筒抜けになる。
(スマホでやり取りしようにも、ドクターのスマホは伊武祥菜が持ってるし俺のスマホは時雨ちゃんを逃がすために破壊した。ドクターならスペアくらい持ってそうだけど…)
ドクターは神岐からスマホを2台受け取っている。それを使えば連絡は容易だが、ゴミ捨てと買い出しのための外出でわざわざ持っていくはずがない。おそらく5階の作業部屋に置きっぱなしだろう。
〜〜〜
隔たるものはない。赤外線センサーで侵入者をブロックしているわけでもなく、監視カメラによって自衛を取っているわけでもない。
普通に通れそうな状態だ。さっきその場所から外に出て帰って来ただけだ。害悪専業主婦のように夫の仕事中に家の鍵を変更して帰宅を妨害しているわけでもない。
だが入れない。
バリアが張られているわけではなく、ただ近付けない。弾かれる力が尋常ではなく一点集中で入ることも出来ない。
(…ほぅ、これはとてつもない『超能力』だな)
伊武祥菜と鬼束兄弟が何やら話し込んでいて、零と市丸が壁に押さえつけられる様子が断片的に頭に流れ込んできた。
(伊武君の『超能力』であることは間違いないな。…詳細は分からないが、彼女に近付くことが出来ないみたいだな。範囲は2階まで及ぶか…。私は弾かれる程度だが零君達は壁に押さえつけられている。彼女に近付くほどに威力が増すのか…。攻防一体の良い『超能力』だ。さて、零君達は身動きが取れない。私も近付けない。どうにか伊武君を抑えてお帰り頂かないといけないな)
既に彼女は『超能力』を使っている。帰っても良い状況だが何故か零達を攻撃している。
矛先をこちらに向けたいところだが潜伏中であるため声も出せず3階にも行けない。それに自分が2階にいると知られれば彼女はこっちに向かってくるだろう。そうなれば通り道で倒れている丹愛は彼女の『超能力』を間近で受けることになる。
(それはまずいな。あの距離であの威力。10数センチは人体を簡単に吹き飛ばすだろう。彼女には今の場所から動かずに能力を抑え込んでもらわないと…)
〜〜〜
(…ドクターが帰って来た。ドクターの『超能力』が未来予知なら…ここからどうする?)
この状況を生み出せていることから、ドクターの未来予知が万能ではないことは分かる。だが未来を知った上でこうしているのであれば、それを裏付ける行動を取っているはずだ。
例えば、ここから私の『超能力』を封じ込めるとか…。
(鬼束達は敵がいると思い込んでる。ここで私が動いたら敵にみすみす姿を晒す愚行ってことになるんだろうけど、私のこの行動自体が奈津緒君を思うあまりの暴走って見られてるから動いても問題はない…)
鬼束達に目を向ければそうだが、相手はドクターだ。ドクターの未来予知で私の行動を予見しているのだとしたら、わざわざ出向いたら意味がない。
(全くの後手に回るほど無策ではないと思う。万能ではないが故と分かっているからこそ、準備に余念がないはず…。ここで鬼束達にプレッシャーかけていけば、ドクターは備えを切り出さざるを得ない…)
私の『超能力』だと仮に気付いていたとしても、むざむざ仲間がペシャンコになるのを黙って見ているはずはない。
(ドクターの予知能力がどういうものなのか。ここからどう事態を切り抜けるのか……もう少し揺さぶってみよう)
ペタッ
伊武はさらに一歩進んだ。
♢♢♢
———大島総合病院 12階
ガーーーーーーーー バタンッ
見舞客が使う正規のエレベーターとは別の、病院スタッフや業者が利用する用のエレベーターが閉じた。
…11……10……9……8……
エレベーターは下降を続けている。
「………………」
従業員通路の死角からソロリと顔を出した女性が1人。
ランプの数字は減少し続けている。周囲に人の気配はない。
先程陰から見えた4人組も、病院内を捜索をした警察官もいない。
12階は特別な場所だ。警察も12階で全ての部屋を検めるようなことはしなかった。そのおかげでどうにか捜索の隙間を縫って12階まで来ることができた。
病院の中に駄愚螺棄はいない。だが、駄愚螺棄の息が掛かった者がいないというわけではなかった。
周囲を警戒しながら院内通路に出た。目的の部屋は12階の最奥にある。数日前から立ち入り禁止となっている場所だ。
「………女の子を、連れ出せば良いのよね…」
彼女は駄愚螺棄の内偵だ。伊武祥菜が入院しているのが12階だと梔子に伝えた駄愚螺棄側の人間だ。
借金減額のために罪もない女の子を半グレ組織に売り飛ばそうとしている最低な女、だが彼女も切羽詰まっている。風俗に沈められて汚い男の相手をするくらいなら喜んで若い女を身代わりに差し出すくらいなんて事もない。
『警察が来たから撤退する。お前はスタッフだから怪しまれず12階の部屋に行って女を連れ出せ。そうすれば全てチャラにしてやる』
警察が揃い出してから来たメッセージ。周囲のスタッフに紛れて病院から抜け出そうと企んでいたが、出る直前でこのメッセージが届いた。
既に利息分の減額が約束されているが、借金が0になるのならやらない選択肢はない。1円でも残っている限り返済利子が付いてくる。真っさらになって駄愚螺棄との縁を切るためにも彼女はやるしかなかった。
カラカラカラ
いつもは掃除用具が積載されているカートだが、中身を空にした。女の子1人を連れ出すには何かに乗せないととてもではないが運べない。警察だって清掃員が駄愚螺棄の関係者とは思わないだろう。仮に見つかっても逃げ遅れたと言えばどうにでもなる。ベッドシーツを取って上に被せれば、女の子が入っていても発見されることもない。
カラカラカラとカートを運んでようやく最奥の部屋に辿り着いた。
"さちな"の顔は分からないが12階の個室ルームで、未成年はほとんどいない。いればそれが"さちな"だ。
「……いない」
後ろを確認するが、誰もいない。ここは一本道の奥地だ。人がいればすぐ分かるようになっているが、手前で曲がらないといけないため、そこが死角になっていた。死角にいないか念の為に確認したいが、彼女にも時間はない。
事件のどさくさに紛れていて清掃員として多少の誤魔化しは効くとはいえ、無限に"さちな"誘拐を狙えるとは限らない。さっきエレベーターで見た護衛の人は警察の聴取のためにここから出されたのだろう。
事件が解決して護衛の必要はなくなった。院内に駄愚螺棄の残党は残っていない。だから持ち場を離れて警察の聴取を受けても問題ない。と言ったところか。
病院は娯楽施設ではないから騒がしさとは無縁だが、自分以外から音が聞こえないのは些か不気味だ。
ガラガラガラ
病室の扉を開けると、1床のベッドがあり、掛け布団がこんもりと盛り上がっていた。
扉からベッドで眠っている人間の顔は拝めない。
「……」
再度後ろを確認する。通路には誰もいないことを確認して、カートを率いて病室の中に入った。扉が自動的に閉まるから通路の様子は確認できなくなるがカートに乗せてここから出るのなら1分程度で終わる作業だ。
散々確認したのだから通り道には人はいない。警察官が運悪く来ても忍び足でもしない限りは歩行音で気付く。
バダン
扉が閉じた。すぐにカートをベッドのそばに寄せてベッドに体を乗り上げた。
「…悪く思わないでね"さちな"ちゃん」
女はガバッと掛け布団を剥ぎ取った———
「…………へ?」
誰もいなかった。この病室には人っ子1人いなかった。
「えっ…だって…護衛の2人が…"なつお"とその連れがここに来て…病院から引き上げて……」
護衛がいたんだからこの部屋で合っているはずだ。なのにいないというのはおかしい。
混乱していてどうしていいか分からなくなった。梔子から連絡もあった。12階まで行って時間切れで病院から撤退した。"さちな"がいないのなら「いない」と言うはずだ。ここで梔子が自分をトカゲの尻尾切りで見捨てるはずがない。
病院内だろうが関係ない。すぐに梔子に連絡を入れた。
『さちながいないです。どうしたらいいですか』
………10秒も経たずに既読が付いた。
(早く、返事を寄越しなさいよ!)
『ションベンだろ。早く見つけ出せ』
(汚い…お手洗いとか言いなさいよ)
この部屋にいないのならトイレしかないが、この長時間トイレに籠っているなんてあり得るのか?
(私が12階に来る前にトイレに避難させた?こうやって私が来るのを見越して……)
来ると分かっているのなら背後から追ったりはしない。この部屋から外に出るには来た道を戻るしかない。
あの一本道を……
「…………いや、まさか。あり得ないわ。院内に内通者がいると決めつけないとこんなこと出来るわけがない」
ガラガラガラ
「あぁ、まさか病院の中に患者じゃなくて間者がいるなんてな」
扉が開くと同時に1人の男が喋り出した。
「あっ、あっ…」
この個室ルームに未成年はほとんどいない。いればそれは"さちな"だが、もう一つある。
駄愚螺棄と真っ向から対立した未成年。それは確実に"なつお"だ。
「あんたが"なつお"ね!」
「そうだ。孤軍奮闘なんて…クズ共にリード握られている割には頑張ってんじゃんか。だけど、どいつもこいつも…送り主は常に疑えよ。リードを持ってるのが誰であっても簡単に"おすわり"すんのかテメェら」
「"さちな"がここにいないのはあんたが手を回したからね」
「そこを説明すると複雑なんだが…まあ結果的にそうだな。駄愚螺棄の奴らはここに祥菜が残ってると思って一生懸命だったよ。少しばかり可哀想に思うね」
「……梔子は捕まったのね」
「梔子……リーダー格の名前か。本当は古坂を引っ張り出すためにスマホを回収させたんだけどな。にしても優秀な刑事だ。駄愚螺棄の息が掛かったペットの目撃証言で祥菜がここにいることがバレたって認識だったけど、まさか病院内の人間が内通していて12階の病室まで特定されているとは思わなかったぜ」
自分の存在がバレている。彼の言い振りだと、さっきまで連絡していた相手は梔子ではない誰か…警察の人間だ。
内通者の存在を明らかにするためにまんまとここに誘い込まれた。
あのメッセージを疑うことはできなかった。立場もだし病院を取り巻いている状況でも妥当と言える内容だったからだ。
「警察に欺かれたんじゃどうしようもないじゃない…」
「それはドンマイだ。にしてもあんた、駄愚螺棄なんて碌でもない組織に手を貸してるんだな。真っ当に清掃員してるだけじゃ飽き足りないのかよ…」
見た感じ彼女に特別な技能があるわけでもないし成り上がりたいという野心のようなモノも見えない。半グレ組織なんてものに関わるようなプロフィールはしていないように見えた。
(…"なつお"はスマホのログを見てないのね…)
メッセージにはチャラと書かれていたから送り主の警察官には事情が知られているだろう。
「………そうね。駄愚螺棄と正面から戦える男には縁遠いことでしょうね」
そうして彼女は神原に身の上話を始めた。
どうしても緊急で金が必要で駄愚螺棄に借金をしたこと。風俗に堕とされるか内通者として情報を流し続けるかを選択させられたこと。自分以外にも男女問わずそういう状況に陥っている者が大勢いること。
「…今日の駄愚螺棄のモチベーション知ってる?"さちな"を犯すことよ。そんな奴らが沢山いる。そしてそんな奴らに首根っこ掴まれて言いなりになる者が沢山いる。今日はどうにかなったけど次いつ駄愚螺棄が襲って来るか分からない……」
どこに駄愚螺棄の息の掛かった人間がいるか分からない。だから逃げられない。
働きながら駄愚螺棄に協力してる方がマシに感じてくる。そういう構造で数多くの人間が働かされている。
「そうか…、借金の理由次第では同情の余地があるんだろうが、祥菜に手を掛けようとしたんならお前は俺らの平和を脅かす敵だ。駄愚螺棄のワンチャンなのにワンチャンもないってのは残念な話だな。…もうじき警察官がここに来るから諦めるこったな」
「っ…!?」
"なつお"の何も感じてないようなリアクションに腹が立った。駄愚螺棄など意に介していないような効いていませんと言わんとするその口振りが、駄愚螺棄に従うしかない自分には到底理解できず、己の無能さを見せつけられているようだった。
「なんでそんな普通のリアクションなのよ!恋人が駄愚螺棄に襲われそうだったのに、これから駄愚螺棄から狙われ続けるのに!事の重大さが分かってないの!?」
「……なんでお前が怒るんだ。古坂の奴も組織が軽んじられることをあーだこーだ言ってたけどよぉ、お前ら駄愚螺棄は言っちゃ悪いが所詮はクズ共の集まりだからな。どんなに影響力や勢力を伸ばそうがそこだけは絶対揺るがねぇぞ。俺にとっては捕鯨反対だとか環境保護とかでガヤガヤ喚き立てるゴミクズ左翼団体の方が脅威だよ」
「そいつらは所詮弱者アピールと口先だけでしょ!駄愚螺棄はそんなんじゃない。拷問だってするし公権力にも手を掛けてる。お前はガキだから駄愚螺棄をただの半グレだって軽く見てるんだ!」
「…ここまで俺や警察が駄愚螺棄に打撃を与えたんなら、駄愚螺棄は絶対に動かない。お前を堕とさずに内偵にしてるんなら少なくても駄愚螺棄のトップは頭がキレるはずだ。ここで俺への報復を繰り返すほど馬鹿じゃない。元々こうなったのも駄愚螺棄が先にチョッカイを掛けてきたからだ。恥の上塗りはごめん被るだろうよ。俺が積極的に駄愚螺棄に攻撃しない限りは向こうからのアプローチはない」
(そうなるように今動いているはずだ…)
「俺の平和を邪魔するのなら全力で戦う。邪魔しないのなら戦わない。それだけだ」
「…………」
駄愚螺棄をただ軽んじてるわけじゃない。駄愚螺棄に理性的な判断力があると分かっているからこその考えということ。
(半グレの頭を信じる?そんなことをなんで出来るのよ!私からしたら全員悪魔なのに…)
駄愚螺棄のトップなんてこの男が知るはずがないのに、なんで……
ブーン
彼女のスマホから一件の通知が入った。
梔子ではなく、匿名のメッセージだった。
『任務ご苦労。古坂から何を聞いているか分からないが、あなたの負債は全てチャラにする。これまでの利息分の合計で元本は払い終わっている。成功可否は問わない。これよりあなたは自由だ』
梔子ではない。そして古坂に敬称を付けない駄愚螺棄の人間…
(駄愚螺棄の…リーダー!?)
なぜ直接?だがそれよりも…負債はチャラになった…その事実が強烈に頭を揺らした。
「………ははっ、ははは……」
神原は突然の女の豹変に困惑していた。さっきの古坂と同じムーブをしたかと思えば、当然笑い出したのだ。
「おい、どうした?」
「……"なつお"、あんたの言う通りだわ。駄愚螺棄のトップはマトモだわ」
彼女はスマホを床に置くと、スマホを蹴飛ばして神原のところまで飛ばした。神原に接近されたくないというのと、スマホを差し出す瞬間に不意打ちを仕掛けると神原に邪推させないためだ。通知の内容を絶対に神原に見てほしいがための行動だった。
彼女の予想は正しい。神原はスマホを拾い上げたが、その間に彼女への視線は一切外れなかった。この行動一つで"なつお"がただの子供ではないと理解させられた。
「………借金完済、自由………確かに駄愚螺棄の頭は馬鹿じゃないみたいだな。だが良いのか?進んでペットを継続するのかよ?」
「…飴と鞭なんて言葉……鞭→飴→鞭の順番だと両端の鞭に飴が効くのね…」
メッセージは警察に捕まる彼女への餞別だ。利息分は既になくなった。そして元本分だが、これから警察に捕まればまた利息が増え続けるところだったのをボスの一声で元本も消え去った。
これで彼女は自由の身となる。これから警察に捕まって不自由になるというのに、駄愚螺棄から解放されたというだけで彼女には達成感と高揚感が溢れて来ていた。
そんな感情を引き出した駄愚螺棄のトップには神原も思わず舌を巻いた。
(切り捨て御免しても良いだろうに救済を入れて来た。古坂から聞いてないってことは、今日の一連の諸々は古坂の独断ってことになる。これなら向こうのやり取りも俺達にとって良い結果になるはずだな)
憂慮事項は消えた。このまま手筈通りに豊橋刑事が俺と無関係の体を装いながら彼女を連行するだろう。そうなればこれでこの病院でやることは完了だ。
(……もう…二度とこの病院には来たくないな)
大島総合病院での騒動が完全決着しました
神原が見落としていた内通者を豊橋刑事が巧みに誘導して神原に捕まえさせることに成功しました
警察内部のスパイは出てくることはありませんでしたが、駄愚螺棄トップの采配次第では牙を向くことはないでしょう
そして伊武vsドクター
ドクターの能力の詳細を引き出すために鬼束にプレッシャーを与え続ける伊武に対して、ドクターはどう彼女を宥めるのか?




